21.ドレス騒動の行方 ①

 それから数日後。

 リリアーナに呼び出されたユーリは、隣にベルクレア仕立工房の職人見習いエレナ・ベルクレアを伴い、豪華な装飾が施された客間の中央で、セルツバーグ子爵と対面していた。

 煌びやかなシャンデリアの下、磨き抜かれたテーブルの向こう側に座る子爵は、鋭い眼差しで二人を見据えている。

 その堂々たる態度と、身に纏う品の良い服装が、彼の地位を物語っていた。

 一方で、エレナは子爵の鋭い眼差しに耐えかねたのか、先ほどからずっと肩を縮めている。


(平民一人、貴族三人に囲まれてら生きた心地しないよね……)


 ユーリは内心でエレナに同情しつつも、視線を前に戻す。

 ここで引いては、エレナを余計に不安にさせてしまう。

 自分が堂々としていれば、彼女も少しは落ち着けるだろう――そう考え、彼は軽く背筋を伸ばし、穏やかな表情を崩さなかった。

 上座に座るリリアーナが軽く咳払いをすると、部屋全体に張り詰めていた空気が一瞬動いたように感じられた。

 そして、彼女の声がその場の空気を引き締めるように響く。


「今日は、セルツバーグ子爵とベルクレア仕立工房の間で起きた不幸な行き違いを解決するために集まって頂きました。子爵、それに女男爵夫、足を運んで頂き感謝します」


 リリアーナの宣言を受けて、子爵が苛立ちを抑えるように大きくため息を吐いた。

 その動作すら、どこか重圧感を伴っている。


「まったく、困ったものだよ。せっかく娘のために手配したドレスが、あのような醜態をさらすことになろうとは……」


 子爵の声は低く、重々しく、耳に響くだけで威圧感を覚える。

 それを聞いたエレナは、さらに肩を縮め、小さく息を呑むのがユーリにも分かった。


(これが貴族のプレッシャーか……さすがセルツバーグ、その名は伊達じゃないな)


 ユーリはイシュリアス辺境伯騎士団の副団長である子爵の声を受け止めながら、冷静に状況を整理していた。

 問題のドレスが夜会でほころび、娘の評判に傷がついた――それは、子爵にとって許せない失態だろう。

 しかし、エレナ側にも十分な言い分がある。

 急な夜会の日程変更。

 親方不在の中での無理な依頼。

 そして仕立屋ギルドに相談した際の冷淡な対応……。

 ほつれたというより切られたという印象が強いドレスの糸。

 それら全てを無視して、エレナ個人に責任を押し付けるのは、どう考えても理不尽だ。


「まさか親方が不在の中で仕事を請け負うなど、監督責任の問題であり、工房側の瑕疵による不履行であることはお分かりいただけますかな?」


 子爵は冷たい声でエレナを見据え、淡々と述べた。

 その視線は、彼がどれほどこの問題を重要視しているかを如実に物語っている。

 エレナは唇をかみ、かすかな声で「……申し訳ありません」とだけ呟く。

 その声はあまりにも弱々しく、まるで沈みゆく船の最後の叫びのように思えた。


(このままじゃエレナが潰される……)


 ユーリは内心で焦燥感を押し殺しながら、表情にはそれを一切出さず、穏やかに口を開いた。


「セルツバーグ子爵、ひとつ確認させていただいてもよろしいでしょうか?」


 子爵は眉をひそめながらも、視線をユーリに向ける。

 その重圧に負けることなく、ユーリは続けた。


「問題のドレスですが、夜会当日、どのような状況でほころびが起きたのか、詳しくお聞かせいただけますか?」


 ユーリが穏やかに尋ねると、セルツバーグ子爵は苛立ちを隠そうともせず、声を荒げた。


「状況? 娘が舞踏会で踊っている最中にだ。スカートがほころびて、脚を見られてしまったのだよ!」


 その言葉に部屋の空気が再び緊張を帯びる。

 隣に座るエレナは顔を伏せたまま肩を縮め、小さく震えているのが分かった。

 ユーリは子爵の怒りを真正面から受け止めつつ、あえて冷静な声で返した。


「踊っている最中にほころびて、脚が……ですか」


 子爵の視線が厳しさを増す。


「そうだ! あの場でどれだけ娘が恥をかいたことか。評判が地に落ちるのも当然だ!」


 ユーリはその言葉にも動じることなく、少しだけ首を傾げた。


「失礼ながら、セルツバーグ子爵。その状況、少し不自然だと思いませんか?」

「……不自然?」


 子爵が眉をひそめ、ユーリを睨む。


「ええ。そもそも貴族女性の夜会用ドレスは、多層構造になっています。ドレスはシフトやペチコートなどの下層の衣類に覆われた上で、外側のスカートが重ねられる形です。そのため、仮に外層のスカートがほころびても、下層が露出することは少ない」


 セルツバーグ子爵が一瞬だけ言葉を失う。

 ユーリは相手を納得させるように、丁寧に言葉を紡いだ。


「確かに、スカートは一体型ではなく、胴衣――つまりボディスと別々に作られているため、状況によってはスカートが外れる可能性もあります。しかし、通常は紐やホックでしっかりと固定されており、簡単には外れないよう設計されています。また、スカート部分は複数箇所で留められており、一箇所がほつれたとしても、全体が崩れることはほとんどないのです」


 部屋に沈黙が落ちた。

 子爵は微かに眉を動かしたが、口を開くことはない。


「もし、スカートが本当に脱げてしまったのだとしたら……縫製そのものに細工が施されていたと考えるのが自然ではありませんか?」


 ユーリの言葉に、エレナが驚いたように顔を上げた。

 リリアーナも驚いた表情でユーリを見つめている。


「細工……だと?」


 子爵が低い声で問う。

 その表情には疑念と怒りが混ざっていた。


「例えば、裾回りの装飾部分やボディスとスカートの接合部が、意図的に弱くなるように縫われていた場合。さらに、留め具――ボタンや紐、ホックが外れやすいよう細工されていたとすれば。そして極めつけは、スカート自体の縫い目に隠れた切れ目を仕込んでおく。これらが組み合わされば、踊りなどで一定の負荷がかかった際に、スカートが裂けるように仕向けることが可能……かもしれません」

「そんな……それでは、最初から……」


 セルツバーグの声がかすれる。

 ユーリは冷静な視線を向けながら、静かに告げた。


「そのような細工が偶然起きるとは考えにくいのです。となると、意図的に仕込まれた可能性が非常に高い。つまり、誰かがこの状況を作り出したということになります」


 部屋の空気が凍りつく。

 エレナとリリアーナは目を見開き、子爵は眉間に深い皺を寄せながら鋭い視線を向けた。


「な、なぜ、男性の貴殿がそんなにドレスについて詳しいのだ……」

「それはもちろん、脱がせて……じゃなくって!」


 ユーリは言葉を慌てて飲み込み、顔を赤くしながら両手を振った。


「絹糸を生産できるようになったので、構造を調べただけです。それ以外に理由なんてありませんから!」


 先ほどまでのやり取りが嘘のように、部屋が静寂に包まれた。

 その空気を破ったのは、リリアーナの冷たい視線だった。

 まるで凍てつく氷刃のような瞳でユーリを見つめると、厳然とした口調で言葉を放った。


「シュトラウス卿……何か証拠があるのですか?」

「そ、それは……」


 ユーリは視線を彷徨わせながら言葉を探す。


「セリアやロッテ、リアに――」


 しかし、その言葉が最後まで続くことはなかった。

 リリアーナはため息をつき、冷たい声で鋭く言い放つ。


「そっちの話ではありません」


 一言で切り捨てられたユーリは、一瞬固まり、それから気まずそうに頬を掻く。


「すみません……勘違いしました」


 自分の軽率な発言を恥じるように、小さく頭を下げた後、改めて真剣な表情で言葉を続けた。


「残念ながら、証拠はありません。ローゼンクライツ商会が持ってきた時には、すでにドレスはズタズタになっていましたので……」


 セルツバーグは一瞬呆気に取られたようだったが、すぐに冷ややかな視線を向け、低く押し殺した声で言った。


「ズタズタだろうと、元の形に戻ったところで、娘の評判が落ちたことに変わりはない。この失態をどうしてくれるのだ、シュトラウス卿?」


 その言葉に込められた怒気が客間の空気を一層重くする。

 隣に座るエレナが身を縮めるのが視界の端に映った。


(さて、ここからが正念場だな……)


 ユーリは心の中で深く息をつき、冷静を装ってゆっくりと口を開いた。


「そうです。ドレスは関係ない」

「……何を言っている?」


 子爵の眉が険しく寄せられ、その鋭い視線がユーリを貫いた。


「セルツバーグ子爵……本当に問題なのは、貴族たちの間で評判が落ちることではありませんよね。本当に問題なのは……」


 ユーリは言葉を切り、子爵の反応を確認する。

 その苛立ちの中に微かに混ざる動揺を見逃さず、穏やかな笑みを浮かべて続けた。


「本当に問題なのは、ご息女の元気がなくなったことなのでは?」


 その一言に、セルツバーグの表情が一変した。

 目が見開かれ、瞬きすら忘れたかのように固まる。

 そして、すぐに眉が下がり、次いで深い溜息をついた。


「……たしかに、その通りだ」


 ユーリは静かに頷くと、口元を引き締め、さらに踏み込む。


「エリゼ様、サント=エルモ商会のご息女が、その子息から相談を受けたそうです。子爵令嬢を傷つけたことを深く反省していると伺いました。そして、その反省の念を示すため、彼女の元へ毎日謝罪に通っているとも……」


 子爵の目が一瞬だけ鋭くなったが、すぐに諦めたように目を伏せた。


「たしかに来ている。だが、娘が怖がって会おうとせんのだ。全く困ったものだよ」


 子爵が深いため息をつきながら言葉をこぼす。

 それを聞いたユーリは少し間を置いて、慎重に口を開いた。


「……それは、本当に彼のことを愛しているからではないでしょうか」





◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


エレナさんは悪くない、頑張って!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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