19.とある密偵の受難 その2 ②
アメリアはリーゼロッテに続き、小船で狩猟場へ向かい、巨大な門の前で足を止めた。
その荘厳さに思わず息を呑む。
黒光りする鉄製の門扉には、蔦や花のモチーフが優美に絡み、中央には獅子の彫刻が堂々と鎮座している。
両脇の石柱は塔のようにそびえ、その頂には鋭い装飾が、この地を守る衛兵のように立ち尽くしていた。
(これ……普通に考えたら、そう簡単に動くもんじゃないよね……?)
アメリアが整備道具を抱えながら内心でぼやいていると、フィオナがその前に軽やかな足取りで立ち、ニッコリと微笑んだ。
「はいはい、じゃあ私が開けるね~!」
そう言うなり、フィオナは両手を門扉に当てた。
そして次の瞬間――驚くべきことに、彼女は微動だにせず、その巨大な門をスムーズに押し開けた。
金属が擦れる低い音が響き、重厚な門扉がゆっくりと内側へ動いていく。
普通の人間なら全力で押してもびくともしないようなその門が、フィオナの手によってあっさりと開かれたのだ。
「……すごいわね、フィオナさんもだいぶ力がついてきたみたい」
リーゼロッテが感心したように微笑みながら言った。
すると、フィオナは軽く振り返りながら、悪戯っぽい笑顔を浮かべて答える。
「そりゃあ、旦那様のお力のおかげですよ~。ほら、あれだけたっぷり愛情を注いでいただいてますからね~♪ おかげで私、前よりずっと力持ちになっちゃいました!」
その言葉に、リーゼロッテの笑みが微妙に引きつるのがアメリアの目にも分かった。
「そ、そう……旦那様のお力ね……」
リーゼロッテは口元に手を当て、少し視線をそらす。
その頬がわずかに赤く染まっているのを見て、アメリアは思わず眉をひそめた。
(ちょっと待て……今の反応、何? 旦那様の“お力”って何?)
フィオナはリーゼロッテの動揺を気にするそぶりもなく、続けざまに肩をすくめながら言葉を重ねる。
「だって、旦那様の“愛情”ってすごいんですよ~? 一回で全身がポカポカして、なんていうか……力がみなぎる感じで♪」
(は!? いやいやいや、何言ってんだこいつ!)
アメリアは持っていた整備道具を思わず落としそうになった。
リーゼロッテはフィオナに視線を向けたまま、何も言わずに微妙な表情を浮かべている。
そして、ほんのわずかに喉が動いたのをアメリアは見逃さなかった。
(ちょっと待て……何かおかしい。この人、さっきの言葉に思い当たることがある顔してないか?)
アメリアは混乱する頭をなんとか落ち着けようと深呼吸するが、どうしても妙な想像を振り払えない。
(フィオナのあの感じ、まさか本当に……いや、そんな馬鹿な。旦那様の“お力”って、いったい何なんだよ!?)
心の中で自分に問いかけても答えが出るはずもなく、アメリアは内心でぐるぐるとツッコミを繰り返しながら、二人のやり取りを見守るしかなかった。
「とにかく、旦那様がお仕事してるはずだから、早く行きましょうよ~!」
フィオナが明るい声で言いながら、リーゼロッテの手を軽く引っ張った。
その動きがなんとなく浮き足立っているように見えるのは、アメリアの気のせいだろうか。
「えっ、ちょ、フィオナさん、そんなに急がなくても……」
リーゼロッテは戸惑いながらも、引っ張られるまま足を動かしている。
顔にはほんのり赤みが残っていて、どこか視線が泳いでいるようにも見える。
「だって~、旦那様ったら、ほら、お仕事に集中してるときが一番カッコいいんですよ~。そんな姿を見たら、リーゼロッテ様だってきっと、ほら、なんというか……」
フィオナは振り返りざまにニッコリと笑ったが、わざとらしく言葉を濁すその様子が、逆に余計な想像をかき立てる。
(待て待て待て……なんかこの会話、妙に引っかかるんだけど……)
アメリアは整備道具を持ち直しながら、眉をひそめた。
「それに、旦那様が疲れてないかどうかも確認しないと! 見てないと本当に無理しちゃいますから。私たちがちゃんと癒してあげないと♪」
フィオナはリーゼロッテに軽くウインクしてみせた。
アメリアの頭の中にはどんどん「疑問」が積み重なっていく。
(癒すって……何だよ。それも“お手伝い”ってやつなのか?)
アメリアはモヤモヤした気持ちを抱えたまま、二人のやり取りを見つめるしかない。
「さ、ほらほら、行きましょう! 旦那様をお待たせするなんて、ダメですからね~」
フィオナが先頭に立ってさっさと歩き出し、リーゼロッテも慌ててその後を追う。
その背中を見送るアメリアは、どこか置いてけぼりにされたような気分になった。
(なんかこの離宮、思ってたよりも“おかしなこと”が多い気がする……)
ため息をつき、アメリアも整備道具を抱え直して二人の後を追った。
作業場に到着したアメリアは、目の前に広がる光景に思わず言葉を失った。
そこには、ユーリが巨大な木の切株に手をかけ、まるで雑草でも引き抜くかのように軽々と持ち上げている姿があった。
根が地中から引き抜かれるゴリゴリという音が響き、土煙が立ち上る。
切株の周囲に生えていた木々も、既に伐採されて山のように積み上げられている。
(ちょ、待て……なんだこれ? いやいやいや、どんな力だよ!)
アメリアは目を疑った。
普通、こんなことは数十人がかりでも一日がかりの作業だ。
それをユーリはたった一人で、汗ひとつかかずにこなしている。
「旦那様、お疲れ様です!」
リーゼロッテが微笑みながらユーリに声をかける。
隣のフィオナも、さも当然のように手を振っていた。
「何かお手伝いできることはありますか?」
リーゼロッテが優しい声で尋ねると、ユーリは切株をぽいっと脇に放り投げ、軽く振り返った。
「ああ、ちょうどいいところに。そこの地面を少しならしてもらってもいいかな。道具はそこに置いてあるの使って」
「分かりました。では――」
リーゼロッテが一歩前に出ようとした瞬間、アメリアが慌てて手を挙げた。
「お任せください! 私がやります!」
自信ありげに声を張るアメリア。
(これくらいなら、見習いの私でも何とかなるだろ! 男なんだし。それに、リーゼロッテ様にこんな作業をさせるわけにはいかないし!)
それを聞いたリーゼロッテは微笑んでから、穏やかに頷いた。
「ありがとう。それじゃあお願いね、アメリアさん。私とフィオナは向こうで枝を片付けてくるわ」
「は、はい! お任せください!」
リーゼロッテとフィオナが向こうでの作業に取りかかるのを見届けた後、鍬を手に取って改めて地面に向き直る。
アメリアは鍬を構え、力を込めて振り下ろした――が。
「……硬っ!」
鍬を振り下ろすたびに固い音が響き、土がびくともしない。
地面はまるで石のように硬く、掘るどころか鍬の刃が弾き返されてしまう。
(何だこの地面!? 岩盤か? いや、こんなの普通に無理だろ!)
アメリアが汗だくになりながら悪戦苦闘していると、背後からユーリの声が飛んできた。
「ちょっと代わってもらってもいいかな?」
アメリアが道具を持ち直そうとする間もなく、ユーリは無造作に地面に拳を振り下ろした。
――ドゴォンッ!!
大地が揺れるほどの衝撃音とともに、固かった地面が粉々に砕け散る。
細かい土塊が宙を舞い、アメリアは呆然とその光景を見つめるしかなかった。
「ほら、これで掘りやすくなった。あと頼むね」
ユーリはそう言い残すと、再び巨大な切株に向かって歩き出す。
(頼むね、じゃねぇよ! いやいやいや、どんな力してんだよ! しかも素手でやるな! それが普通みたいに見えるのもおかしいから!)
心の中で叫びながらも、アメリアは残った作業を仕方なく引き継ぐ。
振り返れば、ユーリが何本目か分からない切株をまた軽々と引き抜いているところだった。
(どうなってんだよ、この男……ギデオン、これ絶対話が違うだろ!)
整備道具を握り直しながら、アメリアは心の中でギデオンへの文句をひとつ増やしたのだった。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
負けるなアメリア!! 頑張れアメリア!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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