17.ベルクレア仕立工房 ③

 ユーリはその瞬間を逃さず、全速力で走り出した。

 そして、男の拳が職人に届く寸前、体を投げ出すように飛び込み、間一髪でその拳を顔面で受け止める。

 その勢いでユーリはきりもみ回転しながら壁際へと吹き飛ばされた。

 もちろん、決め台詞も忘れない。


「へぶしっ」


 崩れた棚の木片が散らばる中、リリィが立ちすくんでいると、エリゼが青ざめた表情で大声を上げながら駆け寄ってきた。


「あ、あぁ、レーベルク女男爵夫シュトラウス卿!」


 未だ埃が立ち昇る中、ユーリは崩れた棚をどけながら立ち上がる。


「あいたたた……酷い目に遭ったな。鼻から血が出てるじゃないか、どうしてくれるんだ」


 ユーリが鼻をこするが、手には血がついていない。


(あれ? 血が出てない?)


「だ、大丈夫でございますか、男爵夫様?」


 エリゼはわざと大きな声で、周囲に聞こえるように言いながらユーリに駆け寄った。

 周りの人々の視線が集中する中、彼女はそっとユーリに近づき、今度は小声で囁く。


「ユーリ様、鼻血出てませんよ……」


 ユーリは一瞬しまったという表情を浮かべた後、少し逡巡し、おもむろに自分の右拳を頬に叩き込んだ。


「「「えっ!?」」」


 その場の全員が驚きの声を上げる。

 自らの鼻からボタボタと血が垂れるのを確認したユーリは、顔を歪めながら、自分を殴り飛ばした男に向けて指を差し、再び叫んだ。


「あいたた……ひどい目に遭ったな。ほら、鼻から血が出てるじゃないか! どうしてくれるんだ」


 ユーリはボタボタと鼻から血を出しながら、自分を殴り飛ばした男に向かって指を指した。


「「「お前が自分でやったんだろうが!」」」


 遊撃士フィールダーたちが見事なハーモニーでツッコミを入れる。

 エリゼもユーリが身体を張っているのを感じ取ったのか、「どうにでもなれ」と腹をくくったように大声を張り上げた。


「こ、こちらにおわすお方をどなたと心得る!」


 その声に、周囲の者たちは思わず息を呑む。

 エリゼの顔は少し青ざめているが、そこには確かな気迫が宿っていた。

 声を震わせながらも、彼女は必死に続ける。


「恐れ多くも、先の淑妃セリーヌ様を娶られた、レーベルク女男爵夫であらせられるぞ! 貴様ら、頭が高い! 控えおろう!」


 普段と違うエリゼの姿に、ユーリは思わず心の中で感嘆の声を上げる。

 震える声に精一杯の気迫を込めたその姿は、ある意味で勇ましくも可愛らしい。

 だが、エリゼは自分のキャラじゃないと分かっているのか、涙目になりながらスカートの裾をぎゅっと握りしめていた。


(いやー、即興なのにエリゼもやるもんだ)


 ユーリは内心で小さく拍手を送りつつ、鼻血をポタポタと落としながら遊撃士フィールダーたちに「さて、どうしてくれようか」という視線をくれてやった。


 場が静まり返る中、遊撃士フィールダーの一人がようやく我に返ったように口を開いた。


「おい、レーベルク女男爵夫っていったら、貴族様じゃねーか? 自分でやったにしても、殴ったのはこっちだし、平民が貴族に流血沙汰……これ、マジでヤバいだろ?」


 その言葉に他の遊撃士フィールダーたちも、次第に青ざめた表情を浮かべ始める。

 貴族の身体に危害を加えるなど、平民にとっては極刑に値する大罪だ。

 特にユーリが「淑妃セリーヌの夫」となればなおさらだ。

 元とは言え王族である。

 そんな王族を迎え入れた相手に流血事件を起こしたとなれば、牢獄送りどころか、奴隷落ちの強制労働にもなりかねない事案なのだ。


 遊撃士フィールダーたちは互いに顔を見合わせ、不安げに視線を交わした後、一斉に逃げ出す準備を始めた。


「お、俺は関係ねえからな!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、こっちは命令されただけだ!」

「いや、マジでやってらんねぇよ!」


 蜘蛛の子を散らすように、次々と工房の扉から飛び出し、慌てふためきながら通りへと逃げ出していく。

 工房に残されたのはローゼンクライツ商会の男一人だけだった。

 さっきまで威勢よく叫んでいたその男は、周りに味方がいなくなったことに気づいたのか、明らかに怯えた様子で立ち尽くしている。

 エリゼはそんな男に向き直ると、エレナを庇うように前に立ち、冷ややかな眼差しで一歩踏み出した。


「それで、貴方はどうするのかしら?」


 エリゼの一言に、男は明らかに動揺し、後ずさりしながら声を震わせて反論し始めた。


「お、お前たち、こんなことしてどうなるか分かってるのか? 悪いのはそちらの仕立屋なんだぞ。こっちにだって、後ろ盾ぐらい……あるんだからな!」


 しかし、その言葉にはさっきの威圧感など微塵もなく、頼りなさが滲み出ている。

 ユーリは内心で呆れつつ、その様子を眺めていた。


「失礼ですが、お引き取りいただけますか。この件についてはサント=エルモ商会が仲介いたします。取引に問題があるなら、我々を通して話をつけましょう」


 エリゼが冷ややかな笑みを浮かべ、見下ろすように言い放つと、男は「ひぃ~~~」と情けない悲鳴を上げ、最後に「覚えてろよ!」と捨て台詞を残して逃げ去っていった。


 騒ぎが落ち着いた頃、工房の奥に籠っていた職人たちがようやく姿を現し、散らかった部屋を片付け始めた。

 埃っぽい空気の中、一人の女性職人がエレナにそっと寄り添い、彼女を椅子へ座らせると、優しく肩をさすった。


「お嬢様、お助けできず申し訳ありません……」

「良いのよ。工房主の娘として、私が責任者なんだから……」


 エレナは小さく笑みを浮かべたが、その瞳には微かな疲労と不安が滲んでいた。


「みんなには迷惑をかけられないわ」


 そんな中、リリィが静かにユーリの傍へと歩み寄る。

 心配そうな表情で手拭いを取り出すと、そっと彼の鼻に当てて優しく押さえた。


「旦那様……お動きにならず、そのままにしていてくださいませ。鼻血が、まだ止まっておりませんので……」


 リリィの柔らかな声と穏やかな仕草に、ユーリも少しほっとした表情を浮かべた。

 ユーリは少し照れながら内ポケットから小さな瓶を取り出した。


「これ飲めば平気だからさ」


 そう言って瓶の中身を一気に飲み干すと、みるみるうちにユーリの傷が癒えていく。

 エリゼはその様子に目を丸くした。


「シュ、シュトラウス卿、それ……もしかしてポーションですか?」

「えーっと、そうだね、ポーションだよ」


 ユーリは軽く笑ってみせたが、エリゼはさらに目を輝かせて質問を重ねる。


「えっ、もしかして特別に教会から分けていただいたのですか?」


 その問いに、ユーリは内心で冷や汗をかき、ちらりと視線を逸らす。


(やばい、商人ギフトで異世界の薬を買ったなんて言えない……)

「いや、あの……自分で作ったんだよ、こういうのが趣味でね」


 気まずそうに肩をすくめると、エリゼはさらに驚き、思わず声を上げた。


「まさか、シュトラウス卿が……ご自身で!?」


 エリゼが驚きで目を見開く中、ユーリは少しばつが悪そうに頭をかき、視線を泳がせた。


「えっ、まあ、うん、そうかな……そうかもね」


 エリゼはしばらく絶句していたが、何か小声でぶつぶつと呟いている。


「もしかして……まさか、本当に?」


(うん? 何が本当なんだろう?)


 ユーリはよく分からないまま、適当に頷いてみせた。


「そう、うん、作ったんだ、うん、作った(ということにしよう)」


 すると、エリゼは真剣な表情で顔をぐっと近づけ、切実な口調で囁いた。


「……そんなこと、絶対に外では言わないでくださいね! もし噂になれば、教会に狙われてしまいますから!」


 彼女の真剣な表情に、ユーリは「えっ、まじで、黙っときます」と苦笑しつつ頷いた。


「さ、さぁ、戻ろうか!」


 気まずさをごまかすように早口で言い切ると、リリィがふわっと微笑んで、可愛らしい口調で反応した。


「だ、旦那様、あの……用件、用件をお忘れになっておりませんか?」


 小首をかしげて心配そうに見つめるリリィに、ユーリは一瞬固まり、慌てて笑顔を作り直す。


「そ、そうだね、用件があったんだ。色々と聞きたいことがあるから、商会に来てもらっていいかな?」


 ユーリが静かにお願いすると、エリゼはすぐに頷いて答えた。


「はい、承知しました、シュトラウス卿」


 エリゼは気を引き締めた表情でエレナに目を向け、優しく声をかける。


「エレナ、それじゃ一緒に商会へ行きましょうか。お話、聞かせてもらってもいいかしら?」


エレナは一瞬戸惑ったように目を伏せたが、エリゼの柔らかな声に押されるように小さく頷いた。


「……わかりました」




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


ユーリさんカッコイイ、もっとアクションで活躍して!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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