18.レーベルク領主評議会 ①

 ユーリたちがベルクレア仕立工房で激しい攻防を繰り広げていたその頃――。

 レーベルク男爵領の大広間では、領地の未来を左右する重要な戦いの幕が上がろうとしていた。

 セリーヌは、行政を担う宰相と軍務を担う騎士団長、そして黒猫の星霊コクヨウを伴い、堂々と広間へ足を踏み入れた。

 足元に響く靴音が、静まり返った空間に吸い込まれるように消えていく。

 視線を上げると、彼女を出迎えるのは領内の集落やギルドを代表する五十名以上の顔ぶれ。

 その全員が一斉に立ち上がり、深々と頭を下げる姿が、彼女の心に責任感を重くのしかからせた。

 広間は荘厳そのものであった。

 堅牢な木材で覆われた壁には、領地の歴史を物語る絵画や紋章が掲げられ、時の重みを感じさせる。

 中央の高座に鎮座する玉座には、領主としての威厳が宿るかのようだった。

 その前方に設けられた半円形の会議用テーブルには、集落や近隣の村を代表する十名が着席している。

 その周囲を取り囲む形で、四十名近いギルド関係者が所定の席に座り、すべての目がセリーヌに集中していた。


(これが重み……この会議に多くの領民の生活と命がかかっているのね)


 胸に広がる緊張を押し隠しながら、セリーヌは視線を先の代表者たちへと向けた。

 彼らの表情には、期待と不安が入り混じっている。

 ゆっくりと歩を進め、高座に設けられた玉座に腰掛けると、セリーヌは穏やかに口を開いた。


 「お待たせしましたわね」


 彼女の両隣には宰相と騎士団長が控え、足元の机には黒猫の星霊コクヨウが軽やかに飛び乗る。

 前足を揃えて姿勢を正すその様子が、場にわずかな変化を与えた。

 頭上の大きな鉄製のシャンデリアには無数の蜜蝋が灯され、柔らかな金色の光が広間全体を包み込む。

 その光は、セリーヌの髪を朝露をまとった花びらのように輝かせ、編み込まれた髪の間に飾られた小さな花々を一層美しく引き立てていた。


(皆、こちらを見ているわね……)


 セリーヌは広間を見渡し、穏やかな微笑みを浮かべる。

 その優雅で品のある佇まいに、ギルド長たちは息を飲んだ。


「やっぱり、セリーヌ様は特別だな……」


 後列に座るギルド長の一人が小さく呟いたその声が、周囲の空気に溶け込む。


「何度お目にかかっても、あの気品と美しさには心が奪われるな」

「会議が楽しみでしかたないよな」

「分かる! この場でセリーヌ様を拝めるだけでも、ギルド長になった甲斐があるってもんだ」

「あぁ、ほんと、領主になってくれてありがたいことだ」


 その言葉がセリーヌの耳に届くと、彼女はわずかに瞳を伏せ、胸の奥で小さく息を吐いた。


(ふふ……ごめんなさいね。皆のことも大切に思っていますけど、私の身も心も身体もすべてを捧げるのは、愛しの旦那様だけですもの)


 セリーヌは内心で愛しい人の顔をそっと思い浮かべながら、にやけそうになる頬を意識的に引き締める。

 そして、柔らかな微笑みを広間の人々に振り撒いた。

 その微笑みに応えるように、ざわつきが少しずつ大きくなる。

 セリーヌの姿に見とれたような視線を感じる一方で、数名のギルド長たちの険しい視線も鋭く突き刺さるのを肌で感じていた。


(それはそうよね……改革で利権を失う人たちもいるわけだし)


 セリーヌは心の中でそう呟きながらも、表情には出さずに微笑みを保った。

 ざわめきが次第に広がり、広間全体に微妙な緊張感が漂い始めたその時、宰相がわざとらしく咳払いを一つした。

 その瞬間、広間は水を打ったように静まり返る。


(な、なんか私よりも支配者の貫禄があるわね……)


 セリーヌは宰相の動きを目で追いながら、内心で感心するように呟いた。

 宰相はゆっくりと席を立ち、広間を見渡す。

 そして凛とした声で宣言した。


「それでは、これより領主御前評議会を開始いたします。議題は――すでに皆様に通達済みかと存じますが、レーベルク男爵領改革案の実現に向けた利害関係の調整についてです」


 宰相の言葉が広間に響く中、説明が進むにつれて出席者たちの表情が徐々に変化していく。

 セリーヌはその一つ一つを見逃さなかった。


(頷いているあの人……改革に期待してくれているのね)


 期待の色を宿した眼差しに、セリーヌは希望を感じる。

 一方で、苦々しげに顔を歪めた者たちの視線は、まるで迷路の中にいるように宙をさまよっている。

 さらに、口元を固く引き結び、視線をテーブルに落としたまま微動だにしない者もいた。

 彼らの沈黙は重く、その内心を物語っているようだった。

 それからしばらく宰相の説明が続き、彼は静かに締めくくった。


「……これらが、現状を打破し領地の繁栄を目指すための具体的な施策でございます」


 広間はまるで水を打ったように静まり返った。

 セリーヌは出席者たちの様子をそっと見渡した。

 張り詰めた空気の中、出席者たちが互いを伺うように視線を巡らせているのがセリーヌにも分かった。


(最初に動くのは誰かしら……)


 そんなことを内心で考えていると、半円形のテーブルの端に座る男性がゆっくりと手を上げた。

 彼の動作には迷いがなく、その堂々とした仕草に、セリーヌは自然と視線を向ける。


「エスト村の村長ですね。発言をどうぞ」


 宰相が落ち着いた声で促すと、男性は静かに立ち上がり、軽く咳払いをして声を整えた。


「エスト村の村長を務めております。御領主様にお伺いしたいことがございます」


 広間の視線が一斉に彼に集まる。

 その注目にも動じる様子なく、村長は話を続けた。


「農作物の一括購入制度についてお尋ねします。この制度の対象には、我々が村内で直接販売する分も含まれるのでしょうか? つまり、自分たちの農作物を村で売る場合も、一度領主様を通して納めなければならないのでしょうか?」


 その問いが静寂を破り、広間にざわめきが広がる。

 代表者たちは顔を見合わせ、小声で意見を交わし始めた。

 その様子を見ながら、セリーヌは村長の言葉が場を揺さぶった理由をすぐに理解した。


(村での自由な販売が制限されれば、村人たちの生活が直撃を受ける……村長として心配するのは当然ね。それに、他の村にも同じ疑問を持つ人がいるはずだわ)


 セリーヌがそう納得する間にも、村長はさらに穏やかな口調で言葉を続けた。


「もう一つ、農業協同ギルドに関してお尋ねします。その倉庫は領都に設置されると伺っていますが、収穫物を毎回運搬することになると、村民にとって大きな負担です。さらに、護衛費用も決して安くはありません。こうした運用面の詳細について、ぜひご説明お願いいたします」


 広間にざわつきが広がる中、セリーヌは静かに微笑みを浮かべ、落ち着いた声で答えた。


「ご安心くださいませ。倉庫の設置については、これまで通り村の倉庫をご利用いただけます。領都への往復を強いるようなことはいたしません。村で収穫した作物については、現地での販売を継続していただけますが、帳簿上ではすべて領主の名の下で管理させていただきます。余剰分については私どもが回収し、不足分があれば輸送の手配を行いますので、村の皆さまにご負担はおかけしないよう努めてまいりますわ」


 セリーヌの言葉が静かに広間に広がると、ざわめきが少しずつ収まり始めた。

 数名の村長たちは互いに目を合わせ、小さく頷き合う。

 その様子を見て、セリーヌは内心で安堵する。


「今回の改革では、これまで租税として納めていただいた農作物や、各自で販売されていたものを、すべて領主の名の下に買い取らせていただきます。そして、それを指定された小売商を通じて販売することで、農民の生活の向上と、領内への安定的な食料供給を図るのが、この計画の肝になります」


 セリーヌの説明に、広間の村長たちはじっと耳を傾けている。

 表情にはまだ疑念を抱く者もいるが、期待するような眼差しを向ける者もいた。


「これにより、皆さまは収穫した作物を必ず売却できる保証を得られるだけでなく、輸送や販売の負担からも解放されます。農作業に集中していただけることで、農業生産が増え、結果として皆さまの生活がより豊かになるでしょう」


 広間の空気が徐々に和らぎ始めたように感じたその時、エスト村の村長の隣に座る別の村長が手を挙げ、静かに口を開いた。


「村で収穫したものを村で販売する際の金額はどのように決められるのでしょうか?」


 広間に再び緊張が戻る。

 村長たちの間に微妙な空気が流れ、何人かは質問者を注視し、セリーヌの答えを待つかのように息を飲んだ。

 セリーヌは自然な微笑みを浮かべ、穏やかな声で応じる。


「価格の設定や調整については、村長と農業協同ギルドにお任せします。ただし、公正な運用を保証するため、定期的に報告をいただきますわ。また、不正を防ぐために監査役を派遣し、透明性を確保いたします。この改革は皆さまが安心して暮らせるようにするためのもの。不安や疑問があれば、いつでもお声をお寄せくださいませ」


 セリーヌの言葉が広間に静かに響くと、いくつかの小さな頷きが交わされる。

 村長たちの中には安堵の表情を浮かべる者もいれば、考え込むように口元に手を当てる者もいた。

 そんな中、別の村長が慎重な様子で手を挙げる。


「収穫した作物をすべて購入していただける、とのことですが、万が一、不作や災害があった場合、その保証はどうなるのでしょうか?」


 再び広間に緊張が漂う。

 セリーヌはその空気を包み込むように微笑むと、少しだけ姿勢を正し、はっきりと答えた。


「ご心配には及びません。不作や災害が起きた場合でも、作付量や過去の収穫量を参考に、通常通りの価格で全量を買い取らせていただきます。ただし、公平性を保つため、栽培状況を定期的に確認させていただきます」


 その言葉に、円卓に座る村長たちから安堵の声が漏れ、広間の空気が和らいでいく。

 だが、その空気を切り裂くように、一人のギルド長が低く響く声を上げた。




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


セリーヌさん、お仕事がんばって!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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