15.とある密偵の受難 その1 ②

「あはは、お嬢ちゃん、驚いたじゃろ」

「誰がおじょ……おーほほほ、えぇ、オジサマ、あまりにも立派なものすぎて驚いてしまいましたわ」


 男は女装していることを一瞬忘れかけたが、なんとか思い出し、取り繕う。

 通りすがりの老人はその反応に目を瞬かせてから、咳払いをした。


「この建物はな。今朝、領主様とその旦那様と思しき男性がやって来て、手をかざしたかと思ったら、広場にあった露店が消えて、こんな立派なものが地面からにょきにょき生えてきたんじゃ」


 老人は両手を上下に動かし、まるでその場面を再現するかのように地面から天へそそり立つ様子を表現した。


「まぁ。まさか地面から生えてきたのですか? 領主様は土魔術の使い手なのかしら?」


 男は「そんな馬鹿なことがあるわけないだろう」と内心で突っ込みながらも、怪しまれないようにわざと驚いた表情を作った。


「さぁ、どうじゃろうな。貴族様のことはよく分からんからのう。じゃが、領主様が言うには、あと数日もすればこの中で買い物ができるようになるらしいじゃ」


 老人は「雨も気にせず買い物できるなんて、ほんと長生きはするもんじゃな」と言い残し、笑いながら去っていった。

 老人が去った後、男はしばらくその場に立ち尽くし、目の前の異様な建物を見上げた。

 思考が混乱していたが、すぐに我に返り、計画を頭の中で整理し始める。


(土魔術でここまでの建物は作れない。こんな建物を一夜にして作り上げるなんて、普通の貴族じゃ到底無理だ。しかも、旦那様? 一体どういうことだ?)


 どちらにしても後宮へ潜入しないといけなかったため、女男爵夫について調査もできるだろう。

 女装していることを忘れないようにしながら、男は面接会場へと向かった。


 領主の城館で面接に来たことを伝えると、男は身体検査を受けた後に面接が行われている部屋へと案内された。

 扉の前で深呼吸をし、手が少し震えているのを感じながらノックをする。

 中からは「お入りください」という柔らかな声が聞こえてきた。


(一応化粧はしてるけど……すぐばれたらどうしよう……)


 不安が胸をよぎるが、女は度胸が大事だと自分に言い聞かせる。


「失礼します」


 男は扉を開けて部屋に入ると、そこに待っていたのは、金髪の美少女だった。


(この方が前王女リーゼロッテ様か……)


 美しさに一瞬見惚れてしまったが、リーゼロッテは柔らかな笑顔を浮かべ、声をかけてきた。


「初めまして、リーゼロッテです。どうぞおかけになってください」

「は、はい。初めまして。私はアメリア・ベルナールです」


 男は女性らしい口調でアメリアと名乗り、練習したばかりのカーテシーを披露してから慎重に腰掛けた。

 リーゼロッテの隣ではメイド服を着た侍女が羽ペンを持って待機している。


(なるほど、侍女が書記の役割もするから読み書きが必要なのか)


 アメリアが心の中で納得していると、リーゼロッテが口を開いた。


「アメリアさんですね? まずは、どうしてこの後宮で侍女として働きたいと思ったのか、お聞かせいただけますか?」


(想定してた質問だ! 落ち着け、アメリア・ベルナールとして話すんだ)


 アメリアは心の中で深呼吸し、ゆっくりと口を開いた。


「はい、幼い妹がいるのですが……私の家は父も母もおらず、祖父と共に生活しております。生活費を稼ぎたいと思いまして、こちらの募集要項を見つけたのです」


 リーゼロッテはその言葉にしばし黙り込み、アメリアの目をじっと見つめた。

 穏やかな笑顔は変わらないものの、その視線には鋭いものが潜んでいた。


(やばい……もしかしてバレた?)


 アメリアは手に汗を握り、喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。


「アメリアさん、後宮に務めるということがどういう意味を持つか、分かっていますか?」


 一瞬の躊躇も見せずに、アメリアは瞳を真剣な色に染めて答えた。


「はい、承知しております。後宮に務めるということは、レーベルク女男爵様や女男爵夫様、リーゼロッテ様に忠誠をお誓いいたします」


 リーゼロッテは小さく頷いたが、表情とは裏腹に予想外の言葉を口にした。


「後宮での生活には、時に旦那様への特別な対応を求められることもあります。その覚悟はおありですか?」


 一瞬、時間が止まったように感じた。

 アメリアの心臓は激しく鼓動し、冷や汗が背中を伝っていく。


(特別な対応? ……もしかして、男の俺が……お、男に抱かれるのか……!?)


 想像したくもない未来図が頭をよぎり、思わず顔が引きつる。

 ニセチチに目を落とし、深呼吸をする。


(いや、待て……揉まれるぐらいなら、このニセチチで騙せる。きっと大丈夫だ……多分……)


 必死に自分を落ち着かせようとするも、手のひらにじっとり汗が滲む。

 そんなアメリアの様子を見て、リーゼロッテはふっと表情を和らげた。

 少し困ったような微笑みを浮かべ、優しい声で話しかける。


「そうですよね、急に言われても決心がつきませんよね。ごめんなさい。見たところ、貴女は慎ましやかなお胸であらせられるので、女男爵夫も興味を持たないかもしれませんが、念のためにお聞きしたのです」


(女男爵夫はオッパイ星人なのか? まさかの変態かよ……。もしかして、リーゼロッテ様も……すでに……)


 アメリアはそれを聞いて胸に両手を当て、悲痛な表情を浮かべた。

 その様子を見たリーゼロッテは、一瞬驚いたような表情を浮かべた後、慌てて声を上げた。


「も、申し訳ありません! 私の配慮が欠けておりました」


 リーゼロッテは申し訳なさそうに顔を曇らせた。

 アメリアはその様子を見て、内心の混乱と焦りがさらに増した。


(いやいや、謝らなくていいんだよ……逆にこっちが申し訳なくなるじゃないか!)


「そ、それでは、いくつか質問させていただきますね」


 リーゼロッテは咳払いをしてから深呼吸し、気を取り直して改めて口を開いた。


「は、はい、よろしくお願いします」

「まず、農作業の経験はありますか?」

「……え、農作業……ですか?」


 アメリアは戸惑いのあまり、思わず声を漏らしてしまう。


(農作業って、ここは後宮だろ? なんでそんな質問をされるんだ? 髪を結い上げたり、礼儀作法が必要な場所じゃないのか……?)


 心の中で疑問が渦巻く中、アメリアは表情を崩さずに返答を考えた。

 リーゼロッテは気にする様子もなく、優しく頷く。


「はい。こちらの後宮では、野菜や薬草を自給するために農作業も大切な仕事の一つなのです」


(なるほど。確かにあれだけ畑が荒れていたら自分達の食事は自分達でってことか)


「ええ……もちろんございます。祖父の手伝いをよくしてましたので……」


 アメリアはそう言いながら、幼い頃、妹と一緒に野良仕事をした記憶がよみがえった。

 畑で泥だらけになりながらも笑い合った日々が、ほんの一瞬、心に温かな感覚をもたらした。

 リーゼロッテは満足げに頷き、次の質問に移った。


「では、林業についてはいかがでしょうか?」


 アメリアは、リーゼロッテの言葉を聞いて一瞬、頭が真っ白になった。


(林業!? いや、ここは後宮だよね? 畑はまだ理解できるとして、まさか薪も自分達で調達するの?)


 アメリアは内心で頭を抱えそうになったが、顔には出さずに平静を装おう。

 さすがに林業の経験は持っていない。


「も、申し訳ありません。薪拾いであれば出来ると思いますが、森の管理まではしたことがないので分からないです」


 アメリアが申し訳なさそうに答えると、リーゼロッテは柔らかな笑みを浮かべて言った。


「分かりました。これは配置を検討するための質問なので、気楽に答えてください」

 アメリアは少しほっとしたものの、次の質問が飛び出してきて一瞬凍りついた。

「では、虫は好きですか?」


(虫……!? えっ、虫? この後宮で、虫の話?)


 その問いに、アメリアの心の中で冷や汗が流れる。

 思わず手が膝の上でこわばり、指先がぎゅっとドレスの生地を掴んだ。


(なぜそんな質問を……まさか、俺が男であることに気が付いているのか?)


 緊張感が広がる中、彼は必死に笑顔を保つ。


(カブトムシやクワガタは好きだけど……これ、どう答えればいいんだ? 虫が好きな女なんているのか? 妹は平気だった気がするが……ここは採用されるために賭けるしかない)


「ええと、そうですね……虫、可愛いですよね! どちらかというと好きです。なので、お世話は問題なくできると思います」


 アメリアが答えると、リーゼロッテは一瞬ほっとしたような表情を浮かべたが、その後、少し申し訳なさそうに目を伏せた。


「そうですか……ありがとうございます、アメリアさん。でも、正直に申し上げると、少し心が痛みますの」


 アメリアはその言葉に意外そうに眉を上げた。


「実は、私自身が虫が苦手でして……後宮でとある作業に従事していただきたいのですが、どうしても虫の手入れが必要なんです。でも、同じ女性である皆さんに、私が苦手なことを押し付けるようで……。本当に無理はしていませんか?」


 その言葉に、アメリアは驚き、リーゼロッテの純粋な姿に心がほんのわずかに締めつけられるような感覚を覚えた。


(こんな気高く優しい人が、変態のいる後宮で共同生活を強いられているなんて……。助け出したいけど、もう一人の変態オヤジのところに連れて行かないといけないのか……)


 アメリアはギデオンから下された命令を思い出し、自分の無力さに悔しさが込み上げ、下唇を噛んだ。


「お嬢様、大丈夫ですよ。私がしっかりとお世話させていただきます」


 そう言いながら、アメリアは深呼吸をして肩を少し落とし、決意を込めて微笑んだ。


(後宮にいる間だけでも、この人の支えになろう)


「本当に……ありがとうございます、アメリアさん。頼もしいです」


 リーゼロッテは瞳に安堵の光を宿し、肩の力をそっと抜いた。

 感謝の気持ちを込めて、もう一度深く頷いてから続けた。


「最後に……あまり重要ではないのですが、掃除や洗濯、料理などはできますか?」


(いや、それが一番重要でしょ。農業や林業、虫の世話の方が異常ですから!)


 アメリアは内心で苦笑いをしながら、「もちろんです」と頷いた。


「それでは、あなたを後宮侍女として採用させていただきます。これからよろしくお願いしますね、アメリアさん」


 リーゼロッテが柔らかな笑顔で言い渡した。

 アメリアは安堵しつつも、これからどんな仕事が待っているのかという不安を抱えながら、静かに礼を述べるのだった。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


アメリアさんのツッコミもっと見てみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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