15.とある密偵の受難 その1 ①
ユーリたちがイシュリアス辺境女伯に会う数日前。
揺れる蝋燭の炎が、影と光を踊らせる薄暗い部屋。
豪華な椅子に座るギデオンの前に、一人の男が片膝をついて頭を垂れていた。
「子爵令嬢のドレスにしっかりと細工してきたのかですぞ」
ギデオンは下卑た笑みを浮かべて男に問いかける。
(まったく、この男は潰れたオークみたいな顔をしていて本当に気持ち悪い……)
内心で嘆きながらも、男は答えた。
「はい、ご指示の通りです」
「グフフ、次の夜会が楽しみですぞ」
(仕立屋工房を陥れるためだけに、ここまでするなんて……)
男は子爵令嬢に細工を施したことを申し訳なく感じていたが、ギデオンに逆らうことはできない。
せめて令嬢がこのことで深く傷つかないようにと、心の中で祈ることしかできなかった。
しかし、ギデオンは男の内心を察することもなく、次の言葉を発した。
「では、次の命令ですぞ。ここに潜入して予の妻を救い出してくるですぞ」
彼はサイドテーブルに置かれていた羊皮紙を手に取り、男の足元へと無造作に落とした。
男は驚きを押し隠しつつ、羊皮紙を拾い上げる。
「閣下はまだご結婚されていなかったと存じますが、妻とは誰のことを指しているのでしょうか?」
内心で「妄想の中でついに結婚でもしたのか?」と疑念を抱いていたが、それを表に出さず男は静かに尋ねる。
「そんなもの、リーゼロッテ王女殿下にきまっておるですぞ」
ギデオンの発言に、男はぎくりとし、「まさか王城に忍び込むような命令ではないだろうな」と胸中で不安を募らせた。
そして羊皮紙に視線を落とすと、そこには『レーベルク女男爵夫後宮侍女募集要項』と記されていた。
男は羊皮紙に記された募集要項を読み進め、思わず眉を上げた。
(男爵夫の侍女として潜り込めってことかよ……! しかも、この条件、完全に女性向けだろうが)
彼は思考を巡らせながら、項目の一つ一つに苦笑せざるを得なかった。
『資格条件:年齢が十代後半から二十代前半の女性。侍女未経験者も大歓迎』
(いやいや、これってどう考えても俺はアウトだろ!)
『礼儀作法、刺繍、楽器の演奏、読み書き』
(礼儀作法……貴族の作法なんて知らんぞ、どうやってこなせって言うんだ?)
さらに、住み込みで主家に忠誠を誓うと書かれた部分で、男は顔をひきつらせた。
(仕事のためなら忠誠も誓うけど……後宮に住み込みって、マジかよ)
彼はギデオンをちらりと見たが、相変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべている。
(おいおい、これってただの無茶振りだろ? それとも俺を笑いものにするための罠か?)
思わずため息をつきそうになるのをぐっと堪え、男は尋ねる。
「閣下……これはどう見ても女性向けの仕事のように思えるのですが……」
「それであれば女装して行けば問題ないですぞ」
(バカかー、馬鹿ですか、馬鹿ですよね。知ってました。このオークなに言ってくれちゃってんの)
男は危うく口から出そうになった本音を飲み込み、深呼吸をして冷静を装った。
「グフフ、大丈夫ですぞ、予のこの素晴らしい人形に着替えれば百人力ですぞ!」
そう言いながらギデオンが棚の奥から取り出したのは、一体のオートマタだった。
かつては精巧な仕立て屋の看板娘を模したであろうその姿は、所々に錆が浮き、瞳の片方が取れかけている。何よりその表情が薄ら笑いを浮かべていて不気味さ全開だ。
(いやいやいやいや、こんなの女性に化けるどころか、呪われてる人形にしか見えないから!)
ギデオンは得意満面の顔でそのオートマタを机に立たせると、まるで着せ替え人形を扱うように服を剥ぎ取り始めた。
「この皮ですぞ! この素晴らしい女体の皮をまとえば、誰もがお主を女性と見間違えるに違いないですぞ! 上も下も完璧ですぞ!」
誇らしげに宣言するギデオン。
その手には、まるで人間の皮膚を模した柔らかな素材がぶら下がっていた。
(なにしてんのこのオーク。普通に見たら人を襲って皮剥いでる犯人だよね!? 捕まるだろ、完全にアウトだろ!)
男は思わず後ずさる。
「何を心配しているのですぞ! 予が作ったこの皮は世界一の変装魔導具ですぞ! その優雅さとしなやかさは貴族たちも嫉妬するほどですぞ!」
(いや、貴族が嫉妬するどころか卒倒するだろ……これ見たら全員叫ぶぞ……)
さすがにこれに手を出したら終わりだと本能が叫んでいる。
「どうしたのですぞ? 着てみれば分かるですぞ! この柔らかな質感、この慎ましやかなライン! 予が何度も使用しておるゆえ、大丈夫に決まっておるのですぞ! 誰が見ても貴族令嬢に見えること間違いなしですぞ!」
ギデオンはその「皮」を自分に当てがいながら、満面の笑みを浮かべている。
(全然大丈夫じゃねーよ。使用済みって何だよ! というか、今のお前が一番怪しいから! 怪しさの百人力だから!)
冷や汗を浮かべながら、さらに距離を取る。
「ほれほれ、早く試してみるですぞ! ほれ、この微細な毛穴と血管の浮き出方! 実に芸術的ですぞ! まるで生きた貴族令嬢のようですぞ!」
ギデオンは強引にその皮を男に押し付けようとする。
(いやいや、生きた貴族令嬢の皮がここにあったら、それこそ事件だから! 誰かこいつを止めろ!)
その手には妙に光沢のある皮膚の一部(首から下)があり、まるで本物の人間のような質感が異様にリアルだ。
「わ、わかりましたから! 面接のときに使わせていただきますから!」
男は引きつった笑顔を浮かべながら、仕方なくギデオンからその変装用魔導具を受け取った。
そっと横に置き、できるだけ手を離す。
まるで、それ以上触れること自体が危険であるかのように。
(これ、本当に魔導具か? 魔導具ってこんな生々しいものなのか?)
指先に残る感触が気持ち悪いほどリアルで、思わず手を拭きたくなる衝動に駆られる。
(柔らかいし、暖かいし……これってまさか、本物の人の皮膚じゃないよな? ギデオンのやつ、何か裏でとんでもないことを……)
頭を振り、慌てて思考を打ち切る。
(いやいや、考えたら負けだ! そういうことは深く考えるな!)
自分にそう言い聞かせながら、なんとか冷静を装う。
「それで、救い出してくる、というのはどういうことですか?」
話題を切り替えようと、男はぎこちないながらも平静を保った声でギデオンに尋ねた。
「お前は馬鹿ですぞ。救い出すとは、後宮からリーゼロッテを連れ出すことに決まってますぞ」
(お前が馬鹿だろ!)
男は心の中で叫び出したい衝動をぐっと堪えた。
「これは救出作戦ですぞ。リーゼロッテがユーリなどという無能な残念貴族に無理やり後宮で一緒に生活を強いられているのですぞ。彼女を解放し、正しい位置に戻さねばならないのですぞ!」
ギデオンは椅子にふんぞり返り、胸を張りながら高らかに声を響かせた。
その言葉を聞きながら、跪く男は思わず顔をしかめた。
リーゼロッテが“無理矢理”後宮にいるという話は、どう考えてもギデオンの一方的な思い込みだ。
しかし、この場で反論しようものなら、彼の機嫌を損ねるのは明白だった。
そうなれば、自分がどのような処分を受けるかは容易に想像できる。
どんなに泥水を啜るような日々であっても、男には生き続ける理由があった。
「救出作戦の実行は、いつまでに行う必要がありますでしょうか?」
男の従順な反応に満足したのか、ギデオンは口元を歪めてニヤリと笑みを浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
◇ ◇ ◇
「なんで俺がこんな格好しなきゃならないんだよ……」
レーベルク男爵領の領都に到着した男は、ぶつぶつと不満を漏らしながら、停留所に止まった乗合馬車から足を降ろした。
ギデオンから渡された変装用魔導具の効果は抜群だった。
身体のラインは滑らかに整い、大きくはないが柔らかい膨らみも完璧だ。
さらに、男性特有のものも綺麗に隠され、身体検査にだって耐えられる仕上がりだ。
(完璧すぎるだろ……いや、完璧すぎて気持ち悪いんだよ!)
常に体内のマナを吸い取られているような感覚がゾワゾワと続き、肌にまとわりつく異様な気持ち悪さを感じる。
それ以上に耐え難いのは、この魔導具を着ていると、どこかあのギデオンに抱きしめられているような錯覚を覚えることだった。
(……もう脱げるなら今すぐ脱ぎたい。でも、それじゃ任務にならねぇしなぁ)
深いため息をつき、周囲に目をやる。
「こりゃあ酷い……噂では農民が逃げ出していると聞いていたけど、本当に荒れ放題だな」
視線の先には、一部の農地が草に覆われ、荒れ放題の畑が広がっていた。
「飯はちゃんと食えるんだろうな……」
男は心の中で、せめて一日一食は満足に食事ができることを祈りながら、高台にある城館へと足を向けた。
しばらく歩くと、少し開けた場所に見慣れない建物が目に入った。
かつては中央広場だったと思われるその場所には、天井がガラスで覆われた壮麗な構造物が建っている。
建物の正面には、二体の巨人像が屋根を支えているかのように装飾されていた。
「なんだこれ……ギャルリ・ド・ギンザ? この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ……なんだそりゃ?」
男は周囲の建物と目の前の建物の構造が明らかに異なることに戸惑いを覚えた。
周りの建物は一階が石造り、二階から三階が木造で、二階部分が少しせり出している典型的な作りだ。
それに対して、目の前の建物は石造りにも見えず、何の素材でできているのか見当もつかない。
さらに、あの透明度の高いガラスは、共和国の高級住宅街でしか見たことがないような貴重品だ。
「田舎領地じゃないのか? 一体どうなっているんだ?」
男が呆然としていると、背後から通りがかりの老人が声をかけてきた。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ギデオン変態すぎ!!
でも、もっとギデオン暗躍して!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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