14.レーベルク女男爵の執務日記

 ユーリがイシュリアス辺境女伯を訪ねている間、セリーヌはレーベルク男爵領の城館、静かな執務室で書類に目を通し、次々とサインを入れていた。


「次は……エスト村の防壁修繕ね」


 エスト村防壁修繕許可申請書


  1.修繕の目的および背景

    エスト村では近頃、盗賊や魔獣の脅威が増しており、

    特に防壁が急速に劣化しています。

    領主様のお支えのもと、早急な修繕が必要とされております。


  2.修繕個所

    西側と南側の防壁、全長百二十ヴァラの範囲です。

    木材や石材にひび割れや破損が見られ、新しい木材と石材の補強が必要です。


  3.必要資材および人員

    木材:約五十

    石材:約三十

    人材:木工職人、石工職人、計十五名


  4.作業期間

    工期は七日間を見込んでいます。

    天候により延長が見込まれる場合は、追加の許可を願い出ます。


  5.必要経費の見積もり

    総費用:約二百二十シリング(銀貨)

      資材調達費:約八十シリング(銀貨)

      人件費:約四十シリング(銀貨)

      食糧費:約五十シリング(銀貨)

      護衛隊派遣費:約五十シリング(銀貨)

   

  6.その他の協力要請

    修繕期間中、護衛隊からの支援と警備強化をお願い申し上げます。


  承認欄

    エスト村の防壁修繕について上記の内容を承認します。

    費用は領地予算から支給し、必要に応じて護衛隊の派遣を行うものとする。


    

 書類に目を通したセリーヌは、思わず苦笑いを浮かべた。


「この前の鍋と同じぐらいの額なのね……あれは、ちょっと贅沢しすぎたわね……」


 ふと目を落とすと、十数枚の資料が添付されているのに気づく。

 そのうちの一枚をめくると、「エスト村防壁修繕許可申請書備考」と記されたページに、盗賊や魔獣の出没頻度、過去一年間の被害状況、村の住民数や徴税額などが整然と記載されていた。

 さらに、修繕箇所の簡単な図面とともに、資材や人員の適正性、作業期間と見積もりの妥当性、護衛隊派遣の必要性、そして領地全体での優先度合いまで、細かく分析されている。


「さすが宰相……仕事は完璧なのよね。旦那様みたいに、もう少し可愛げがあればなお良しなのだけれど」


 そう言いながら、セリーヌは机の上で気持ちよさそうに丸くなる黒猫、コクヨウの背中をそっと撫でた。

 そして、宰相の記載内容を一通り確認し、修繕許可申請書にサインを入れる。

 サインを済ませた書類を箱に収め、次の書類に手を伸ばす。


「次は……市場利用許可証ね。どうしましょう……市場はもう閉鎖してしまいましたし。代わりに使える場所は……パサージュもまだオープンしてませんし、高台の広場を貸し出すしかありませんわね」


 羽ペンを口元で揺らしながら、セリーヌは遠い目をして考え込んでいた。


 部屋の扉がノックされ、セリーヌが入室を許可すると、紙の山を抱えた神経質そうな男性が姿を現した。

 レーベルク男爵領の内政を司る宰相である。


「姫様、前代官が放置していた陳情と課題を整理できましたので、お持ちいたしました」


 宰相が机に書類を置いた音で、眠っていたコクヨウが目を覚ました。

 黒猫は体をむくりと起こし、夢の名残が残るぼんやりとした目でセリーヌを見つめる。


「ええっ……こんなにあるの? うぅぅ……書類はスライムですわ! 減らないし、終わらないし、全然楽しくありません!」


 セリーヌは頬を膨らませ、涙目で宰相に訴えた。

 だが、宰相は冷静に書類の山を整え、慣れた手つきで一礼する。


「残念ですが、増えるのが正常です。書類がなくなるのは、この領地から領民が消えたときだけです」


 冷静な口調の中に、宰相の視線はほんのわずかに呆れが見えた。

 まるで「そんなことも知らない淑妃様ではないでしょう」と言いたげな顔つきだ。


(むぅ……本当に旦那様に比べて、なんて可愛げがないんでしょう……)


 セリーヌは内心で少し不満を抱いた。

 彼は、国王陛下が「できるだけ優秀な人間を」と送り込んだ宰相で、その有能さは疑う余地がない。

 書類や問題を次々と片付ける姿は見事だが、可愛げというものがまったくないのである。


(もう少し笑ったり、軽い冗談でも言ってくれたらいいのに……それに、この目の前の書類も……)


 セリーヌは頬を膨らませながら、思わずため息をついた。


「どうして書類って、こんなに可愛くないのかしら。無愛想で字が詰まっているだけですもの……読むだけで、もう疲れてしまいますわ……」

「……可愛い報告書、ですか……?」


 宰相は、困惑した表情でセリーヌをじっと見つめる。

 その視線は、どこか可哀そうな人を見るような、微妙な温度を感じさせるものだった。

 しかし、そんな冷たい視線などお構いなしに、セリーヌはさらに饒舌に話し始めた。


「そう! たとえば、コクヨウちゃんの絵が描いてあったり……可愛らしい動物やお花が添えられているとか! ふふ、想像するだけで少し楽しくなってこない?」


 セリーヌは人差し指をくるくると回しながら、楽しそうに想像を膨らませている。


「にゃぁ」


 コクヨウも「そうだね」と言わんばかりにセリーヌを見上げ、満足げに小さく頷く。


「何を馬鹿なことをおっしゃるのですか。そんな絵は、報告書の本質を損なうだけです」


 宰相は再び、まるで哀れむかのような目でセリーヌを見つめる。


「にゃ」


 それを見たコクヨウが「なんて可愛げのない男だ」とでも言うように一声鳴くと、セリーヌも同調して、「可愛くないわよね~」と頷く。


「頭が固いですわね。報告書を読むのも人間なのですから、せめてウサギさんがペコリとお辞儀してる絵でもあれば、領主印のひとつやふたつ、すぐに押して差し上げますのに」

「姫様、どうか真面目に内容をご確認の上、押印をお願いします。今の状況を本当に把握されていらっしゃいますか?」


 宰相の声が少し鋭さを帯びた。


「も、もちろんよ……」


 セリーヌは一瞬困惑して、視線をそらす。

 だが宰相は冷たい視線を向け、さらに念を押すように言葉を続けた。


「本当ですか? 人も食料もお金も足りない――この領地は危機的状況にあります。本当に理解されていますか?」


 そう言って宰相は書類を手に取り、淡々と読み上げた。


『農民の脱走による労働力不足や小麦流通の問題が深刻です。対策をお願いします』


 続けて、別の報告書に目を移す。


『肉屋ギルドが肉の販売を渋っているため困っています。何とかなりませんか』


 宰相は表情一つ変えず、さらに次の書類を読み上げる。


『冒険者が町に来なくなりました。魔獣肉の持ち込み量と工房の売り上げが激減しています。冒険者の誘致をお願いします』


 そして、もう一枚。


『道路利用税、橋通行税、入市税に加え、関税、売上税、消費税――それに盗賊まで出現し、行商が減少した上、販売価格が上がって困っております。盗賊の討伐をお願いします』


「わ、分かった、分かったわ……あとでちゃんと読むから、許して!」


 セリーヌは、半ば泣きそうな顔で訴えた。

 一通り読み終えた宰相は、書類を静かに山に戻し、冷ややかに付け加えた。


「要するに、農民と冒険者が減少し、肉屋ギルドが支配力を強めた結果、領民は『殺さず活かさず』の状態に追い込まれている、ということです」


 宰相の責めにセリーヌはグッタリと椅子に沈み込み、弱々しくつぶやいた。


「うぅぅ……コクヨウちゃん、宰相がいじめるよ……」


 セリーヌは、心の拠り所を求めるようにコクヨウを抱きしめ、小さく丸まった。


「にゃ」


 コクヨウは優しくセリーヌの頬に肉球を押し当て、「元気を出して」と言わんばかりに彼女を励ましている。


 少しの癒しを求めセリーヌがコクヨウと戯れていると、扉が激しく叩かれる音が響いた。


(何かしら?)


 セリーヌが首を傾げていると、宰相が入室を許可した。

 扉が開き、小太りの商工長官が慌てふためいて駆け込んでくる。


「りょ、りょ、領主様! このお達しは本当でございますか!」


 息を切らしながら机にたどり着いた商工長官は、手に持った書類を震える手で広げた。

 セリーヌはその書類に一瞥をくれ、自分が小間使いに頼んだことをすっかり忘れていたのを思い出し、ぎこちなく微笑んだ。


「え、えぇ、もちろんよ」


 宰相は商工長官が置いた書類を手に取り、目を走らせた途端、顔色を険しく変えた。

 抑えきれない怒りを込めて声を荒げる。


「なっ! 姫様! 一体何をお考えですか。評議会も開かずに、こんな重要な案件を独断で進めるとは、あまりにも危険ではありませんか!」


 その声が部屋中に響いた瞬間、開かれていた扉から巡査長官が息を切らして駆け込んできた。


「領主様、大変です!」

「何事ですか、取り込み中ですよ」


 宰相が険しい表情で問いかけると、巡査長官は青ざめた顔で息を整えながら続けた。


「広場が……広場が……」

「広場がどうしたというのですか?」


 宰相は苛立ちを隠せず、いつもより厳しい口調で問い詰めた。


「広場が無くなっており、代わりにガラスの屋根がついた奇妙な建物があり、その中に数軒の店のようなものが並んでいたのです!」

「はぁ?」


 巡査長官の報告が信じられないのか、宰相は呆けた声を上げた。


(まぁ、驚くのも無理ないわね……)


 セリーヌは心の中でクスリと笑みを浮かべた。

 宰相と巡査長官が驚きに目を見開き、困惑しているその表情が少し可笑しかった。

 


 宰相は鋭い視線をセリーヌに向けた。


「姫様、もしかして……」


 セリーヌは肩を軽くすくめ、楽しげに答える。


「ええ、新しいアーケード街、『パサージュ』ですわ。旦那様に作っていただきましたの」

「……はっ? 作った? いつ?」


 宰相は目を見開き、その驚きを隠しきれなかった。


「うん、今朝、旦那様がちょちょいのちょいって」


 セリーヌが指を回しながら答えると、宰相が頭を抱え「は? 今朝? どうやって? お金は?」などとブツブツと呟きだした。

 そんな宰相を尻目に、商工長官が興奮した様子で口を開いた。


「もしかして、それはこの報告書に書かれている産業振興計画の一つですか?」


 セリーヌは満足そうに笑みを浮かべ、頷いた。

 宰相が額に手を当てて唸り声を上げていると、城館警護長官が汗だくで駆け込んできた。


「領主様、宰相様、大変です!」

「今度は何ですか!」


 宰相が切れ気味で問いただすと、警護長官は一瞬たじろいだが、すぐに敬礼して報告を始めた。


「城門前に大勢の職人ギルドの職員が押しかけてきております!」


 宰相はその報告を聞き、深いため息をついた。

 そしてセリーヌの方を振り向き、「ほれ見たことか」と言いたげな表情を浮かべる。


「評議会できちんと根回ししていないからこのような事態になったのですよ、どうするつもりですか?」

「それはもちろん、説明に行きますわよ」


 セリーヌは大したことがないかのように、コクヨウの頭を撫でながら答えた。


「き、危険すぎます! 姫様に何かあったら、陛下に何と申し上げればいいのですか!」


 宰相が慌てて止めに入る。


「きっと大丈夫よ。なんたって、旦那様がコクヨウちゃんを貸してくれてますから」


 セリーヌは自信満々にそう言い、続けて指示を出した。


「警護長官、大広間に皆を集めてちょうだい」


 城館警護長官はすぐに敬礼し、足早に部屋を飛び出していった。


「黒猫に何ができると言うのですか! ギルド職員が暴れ出したらどうするのです!」


 宰相は顔を押さえ、呆れた様子で声を震わせた。

 セリーヌは宰相の言葉を聞き流し、商工長官と巡査長官に向かって命じる。


「商工長官、巡査長官、工房の親方衆はすでに買収済みだけれど、もし混乱が広まりそうなら、後宮にいるリーゼロッテに相談してちょうだい」

「はっ、分かりました」


 二人は頷き合い、すぐに部屋から出て行った。

 その背を見送る宰相は、まだ釈然とせず、セリーヌに向き直る。


「親方衆を買収済みとは……どういうことですか?」

「ギルド改革に賛成して、パサージュで生産した商品を売ることに賛成してもらったってことに決まってるじゃない」


 セリーヌはとぼけた顔で、宰相を見つめた。


「だから、どうやって買収したのですか!」


 宰相は机に手をつき、セリーヌに詰め寄った。


「本当に分からない?」


 セリーヌは挑発的な目線を送りながら前に乗り出し、人差し指で宰相の顎を軽く上げた。

 彼は顔を真っ赤にし、慌てて後ろに飛びのく。


「わ、分かるわけないでしょう。どう考えても、ギルドの庇護がなくなる不利益しかないのに、なぜ彼らが納得するのですか」


 宰相は頬を染め、顔を逸らしながら呟いた。

 セリーヌは両手を頬に当て、肘をテーブルにつけて笑みを浮かべた。


「胃袋を掴んだのよ。旦那様が討伐した魔獣のお肉をただでおすそ分けしたの。数か月分ね」


 その答えに宰相が呆気に取られた顔で呆然とするのを見て、セリーヌは内心満足する。

 セリーヌは手を伸ばしながら、さらりと言葉を続けた。


「みんな肉屋ギルドに不満があったから、意外とすんなり受け入れてくれたのよ。良かったわ」




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


セリーヌさんエロいだけじゃないんだ、もっと仕事してるところ見てみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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