12.サント=エルモ商会 その1 ①
「レーベルク女男爵夫は、いったい何しに来るんだ……」
ガストンは、手元の手紙をじっと見つめながら、疲れたようにため息をついた。
数日前に届いたこの手紙はレーベルク女男爵からのもので、内容を要約すれば「用事があるので、夫のユーリ・フォン・シュトラウスがそちらに伺います」というものだった。
「まさか、もう融資が底をついたわけではないだろうな……」
心配のあまり、ガストンは額に手を当てて眉をひそめた。
彼が融資を決断したのは、先代の辺境伯への恩義があったからで、娘である辺境女伯の相談を受けてのことだった。
もし、王都にあるレーベルク女男爵のタウンハウスとイシュリアス辺境伯領の土地が担保に入っていなければ、融資など決して引き受けなかっただろう。
厳しい状況だとは覚悟していたが、それにしても相談に来るのが早すぎる。
女男爵夫も立派な貴族だ。
その貴族がわざわざ一介の商会を訪れるなど、前代未聞である。
ましてや、借金のために頭を下げるなど考えられないことだ。
普通なら、こちらを呼びつけて威厳を保ちながら頼むものだ。
弱みを見せず、特権階級としての誇りを崩さないのが彼らの常なのだから。
「……それなのに、直々にこちらに来るとは、いったい何を考えているのか」
ガストンの頭には、不安と興味が交錯していた。
どのような目的で訪れるのか、ただの融資交渉とは思えない。
その真意を知りたいと願いながらも、同時にどんな要求が飛び出すのかと心をざわめかせるのだった。
やがて、彼は静かに椅子に座り直し、もう一度手紙に目を通す。
男爵領に行商へ出ている部下からも、異常の報告は届いていない。
肉屋ギルドが相変わらず幅を利かせているせいで、領地入りした女男爵も苦労するだろう――そう聞いたくらいだ。
男爵夫については後宮に引きこもり、政治の表舞台には顔を出していないらしい。
部下もどんな人物なのか把握できていないという。
さらに、後宮に通う女性たちも口が堅く、金を握らせても情報は漏れなかったようだ。
「さすが元淑妃様だ……後宮の手綱はしっかり握っておられるらしい」
ガストンがそう呟いたその時、扉の外から控えめなノックが響いた。
「大旦那様、レーベルク女男爵夫様が到着されました。応接室にてお待ちです」
扉越しに伝えられる報告を受け、ガストンは「すぐ向かう」と短く返した。
(さて、女男爵の夫とやら……どんな人物か確かめるとしよう)
表向きは「商人ギフトを持つ貴族」とされているが、果たしてどれほどの器か――。
胸の奥で久しぶりに高鳴るものを感じながら、ガストンは足早に応接室へ向かった。
応接室に入ると、ガストンの視線の先には、一人の男と女性が座っており、その後ろに二人の女性が控えていた。
男がレーベルク女男爵夫なのだろう。
その隣に座る女性は、「漆黒の月華姫」として王国内で知られるクローディアス嬢だ。
噂では、今や女男爵夫の側室となったらしい。
深い夜のような黒髪と、鋭い印象を与える落ち着いた紫の瞳が特徴的だ。
一時は家が没落しかけたと聞いていたが、今の彼女にその影はない。。
後ろに控える一人は、レーベルク女男爵の傍仕え、アイナ。
彼女は以前、女男爵との商談でも傍にいたことをガストンは思い出した。
最後に、ガストンの目を引いたのは、見覚えのない優美な少女だった。
柔らかなピンク色の髪と青い瞳、清楚で可憐な白とピンクのドレスをまとい、その姿はまるで花の妖精のようだった。
ガストンはその麗しい姿に一瞬目を奪われながらも、内心でつぶやいた。
(この少女も、女男爵夫に仕える者なのだろうか? それとも、新たな側室か?)
ガストンが近づくと、男が立ち上がり、人の良さそうな笑顔で挨拶した。
「初めまして、私がユーリ・フォン・シュトラウスです。お会いできて光栄です」
続いて、クローディアス嬢が品のある微笑みを浮かべながら立ち上がって一礼する。
「初めまして。オフィーリア・フォン・シュトラウスと申します。どうぞよろしく」
次に、アイナが控えめに礼をした。
「ガストン様、お久しぶりでございます。先日は、ご祝儀を賜り感謝申し上げます」
最後に、ガストンの目を奪った優美な少女が、少し緊張した様子で挨拶した。
「リリィ・フォン・エーデルワイスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
ガストンは一同の挨拶に応え、控えめにうなずきながら口を開いた。
「ようこそお越しくださいました。サント=エルモ商会の会頭ガストン・ディオレアーノと申します。皆様とこうしてお会いできることを、大変光栄に思います」
形式的な挨拶が終わると、ガストンは一同にソファを勧め、自らも席に着いた。
「それでは、さっそく本題に入りましょうか」
ユーリが頷き、改めてガストンに向き直る。
「本日は、レーベルク領についてご相談があり、伺わせていただきました」
静かながらも確かな決意が込められたユーリの言葉に、ガストンも表情を引き締める。
「そうですか。それはどのようなことでしょうか?」
「相談させていただきたいことは四点あります」
(四つもあるのか、多いな……もう少し段取りがあるだろうに……若さゆえか)
ユーリの言葉に、ガストンは内心ため息を漏らした。
「まず一つ目ですが、行商用の市場を閉鎖し、代わりに『パサージュ』というアーケード街を設けました。その中にサント=エルモ商会の店舗を準備しておりますので、今後はそちらで商品の販売をお願いできますか?」
「……は?」
(市場を閉鎖した? こ奴、今何を言った? パサージュ? アーケード? 一体何の話だ、何も聞いておらんぞ)
「行商用の市場を……閉鎖した、というのですか?」
ガストンは眉をひそめ、目の前の若い男に視線を向けた。
アーケードという聞き慣れない話に、内心の戸惑いを隠せなかった。
「……それで、その『パサージュ』とやらがどういうものか、改めて詳しく説明していただけますか?」
「パサージュとは、簡単に言えば一つの通りを覆う屋根付きの商業区画です。行商人や職人、様々な商会が常設店舗を構えることができ、通りを訪れるお客様も天候を気にせず買い物ができるようになります。つまり……より安定した商売を目指したものです」
ガストンはその説明に思わず眉を上げた。
「つまり、広場の露店で定期市を開くのではなく、恒久的な商店街を造る、と?」
「ええ、そうです」
ユーリが自信を持って答えた。
「サント=エルモ商会の店舗もこの通りに加わっていただければと思いまして。販売だけでなく、特産品の展示や取り扱いにも注力したいと考えています」
ガストンは一瞬言葉を失い、内心でため息をつきたくなった。
(田舎の領地に商店街とは……いったい何を考えているのだ? そもそも、辺境のレーベルクに人が集まるのか? 住民も少なく、商売相手も限られているというのに。この若者、余りに夢見がちなのではないか)
そんな思いが頭をよぎる。
(この男爵夫、田舎の厳しい現実を知らないのか? 無理を承知で思い切った手を打ったのだろうが、その先が見えているのか?)
少し眉間に皺を寄せながら、ガストンは確認するように尋ねた。
「一つ目の相談とは、その商店街を造るための新たな資金の相談、ということでしょうかな?」
「いえ、商店街はもうできています。お願いしたいのは、そこにある店舗で今後は商売していただきたい、ということだけです。それと、そうだ、市場税や入市税は今後取りませんので、収益税と消費税だけをお支払いください」
「……は?」
ガストンは眉をひそめ、内心で戸惑いを抑えるのに必死だった。
(屋根付きの商業区画がすでに完成しているだと? 私から追加の融資もなく、いつの間にか工事を済ませているとは……一体どこからその資金が出たというのだ。しかも市場税も入市税も取らずに、どうやって借金を返済するつもりなのだ?)
ガストンは鋭い視線でユーリを見据え、冷静を装いつつも、声には苛立ちが滲んでいた。
「市場税も入市税も取らずに、返済をどうやって行うおつもりですか? その収益構造で、この商業区画が本当に安定した資金源になると、本気でお考えなのですか?」
ユーリは少し身を引きつつも、毅然とした口調で答えた。
「はい。市場税と入市税をなくすことで商人の負担を軽くし、結果的に多くの商人に集まってもらえるようにするのが狙いです。彼らが安定して商売を続けられれば、収益税と消費税で長期的には利益が出る見込みです」
ガストンは腕を組み、納得がいかない表情で首を横に振った。
「理屈の上ではそうかもしれませんが、レーベルク男爵領は辺境の僻地ですぞ。このような場所に商人が定着すると本気で信じているのですか? それに、すでに屋根付きの商業区画が完成しているとは……一体どうやってその資金を工面したのか、そこもお聞きしたいところですな」
ユーリはわずかに息を整えるようにしながら答えた。
「商人が定着するかどうかについては、二つ目の相談に関連しています。資金については、頂いた祝儀の宝石を換金したことで工面しました。この点も、三つ目の相談に関わってまいります」
ガストンはその答えに驚きを隠せなかった。
(宝石を換金、だと? そんなことまでして、男爵領の改革に打ち込むとは……)
「続けていただけますかな」
予想外の連続に頭が追いつかない部分もあったが、表に出しては商人として失格だ。
ガストンは冷静を装いながら、二つ目と三つ目の話を続けるよう促した。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
ユーリさん、かっけ~!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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