10.後宮侍女の奮闘記 その2 ②

「それで、その旦那様とお母様、アイナは戻ってこないのですか?」


 リーゼロッテが何気なしに尋ねると、オフィーリアは「それを聞きますの?」と少しげんなりした顔になり、わずかに肩を落としてため息をついた。

 その様子に、リーゼロッテは首を傾げるばかり。

 オフィーリアの表情が何を意味しているのか分からず、ただ不思議そうに彼女の顔を見つめている。


「旦那様とセリーヌ様、アイナさんでしたら、露天風呂の方で十二戦目をしてくるそうですわ」

「……えっ?」


 リーゼロッテがあっけに取られたように目を瞬かせる。


「なっ……。まだやってるの……ですか」


 フィオナも驚きのあまり声を上げ、頬を紅潮させながら手で口元を押さえた。

 さすがのクロエも、しばし絶句していた。

 普段は冷静で毒舌な彼女も、二人の底なしぶりには言葉を失ったらしい。


「……ただのゴブリンじゃなくて、ゴブリンキングですわね……」


 クロエはやっとのことで口を開いたが、その声には呆れと感心が入り混じり、どこか諦めの響きも漂っていた。


「旦那様って……本当に、噂通りの残念貴族さんだったんですか……?」


 リリィが少し首をかしげながら、静かに疑問を口にした。


「今日、初めてお会いしたんですけど……お肉もいただけましたし、あんなに優しく初めてをしてくださって……なんだか、悪い方には思えないんですけど……」


 それを聞いたオフィーリアはギョッとする。


「そういえば、リリィ。お会いするのは今日が初めてでしたわね。それなのに、いきなり花捧げに付き合わせてしまって申し訳ありませんわ」


 オフィーリアは、申し訳なさそうにリリィを見つめ、そっとため息をついた。


「いえ、私は後宮に入る覚悟をしてきましたし、旦那様の専属にも、自分から……名乗りを上げたんです。ですから、その……問題ないんです」


 リリィは少し顔を赤らめ、意を決した様子でそう言った。

 その言葉に驚いた様子を見せるリーゼロッテとオフィーリアを見ながら、フィオナは心の中でそっとため息をつく。


(リリィ、頑張っているんだよね……私たちには想像もできないほどの辛さを乗り越えて、ここにいるんだ)


 リリィは少し呼吸を整え、過去の痛みと向き合うかのように話し始めた。


「実は……旦那様にお会いするまでは不安だったんです。私、侯爵家の嫡男様に無理に迫られて……まるで物のように扱われるような、恐ろしい経験をしてきました。両親も、それを誇りだと思えと言うばかりで……」


 かすかに震えるリリィの声が、フィオナの胸にも鋭く響いた。

 これ以上リリィが傷つかないように、優しい場所で守ってあげたい――そんな思いが彼女の心の中で静かに湧き上がる。

 リリィの話が途切れると、リーゼロッテも眉を寄せ、優しく問いかけた。


「それで……先ほど、花を旦那様に捧げたということは、侯爵家の嫡男様とは……?」


 リリィは小さく頷き、かすかに言葉を紡ぐ。


「はい、身体の関係には至りませんでした。でも……あの方は私が逆らえないのをわかっていて、無理やり触れてきたり、嫌がるとぶたれたり、人形で遊ぶように扱ったんです……。『いつか自分のものになる』と言われるたびに、恐ろしくて……。いつか、壊れた人形のように捨てられるのではないかと……」


 リリィが話を終えた瞬間、フィオナは何か言いたい衝動に駆られたが、先にリーゼロッテがそっとリリィを抱きしめ、優しく背中をさすっていた。


「リリィ……ごめんなさいね。辛いことを思い出させてしまったわね」


 リーゼロッテの優しい声に包まれて、リリィは少しだけ安心したように息をつき、かすかに微笑んだ。


「ありがとうございます、リーゼロッテ様。でも、もう大丈夫です。旦那様にお会いして……私も、ここで新しい一歩を踏み出せる気がしているんです」


 フィオナはそれを見て、一度息を飲み込む。


(私まで悲しい顔をしてちゃ、リリィが安心できない……)


 リリィが少しでも笑顔を取り戻せるように、フィオナはあえて明るい声で、辛さを吹き飛ばすように話し始めた。


「リリィ、私も最初は同じこと思ってたよ。『貴族のくせに商人だなんて』『弟にギフトを譲った無能』なんて社交界で散々言われてたから、ちょっと心配だったけど……実際にお会いしたら全然違ったよね! 噂なんて本当に当てにならないし、頼りになるよね~」


 フィオナは、両手を頭の後ろで組んで、少し得意げな笑みを浮かべた。

 そんなフィオナの様子に、リリィも微かに笑みを浮かべる。

 しばらく見守っていたクロエが、ふと視線を伏せ、静かに話し始めた。


「貴族社会というのは、ギフトこそが家名の誇りと信じているのです。商人ギフトなど、品位がないと見られて当然ですわ」


 クロエの表情にはわずかに悔しさが滲んでいる。


「私たちも、ギフトがないことでどれだけの扱いを受けてきたか……。社交界なんて、さながら白鳥が舞う湖のようなもの。表は優雅に見えても、その下では足の蹴りあいが繰り広げられているのです」


 クロエは髪をかき上げ、吐き捨てるように呟いた。

 フィオナは黙ってクロエの話を聞きながら、自然とリリィの肩に手を置き、寄り添うような姿勢を取った。

 皆、それぞれに貴族社会の厳しさや理不尽を経験しているのだ――フィオナはそのことを改めて感じ取っていた。


 オフィーリアは髪をくるくると指に巻きながら、重くなった場の空気を和ませるように、少し照れながら呟いた。


「貴族らしさに欠けるところが……『残念』と言えなくもありませんわね。できれば……ベッドの上でも、もう少し高貴に、品位を保ってほしいものですけれど」


 その意図を理解したように、リーゼロッテもリリィをフィオナに任せ、同意を込めて声を上げる。


「本当にそう思いますわ。隣で仕事をしている私たちの身にもなってほしいものです」


 彼女は先ほどの事を思い出したのか、顔を赤くしながら「本当に勘弁してほしい」といった表情をしている。


「まぁ、でも、可愛らしい『残念』ばかりで良かったですわ。社交界が何と言おうと、旦那様の名声は世界に轟くこと間違いなしですし」


 オフィーリアは誇らしげに微笑んで、さらりと語る。


「あら、リアもやっと認めたのですね」


 リーゼロッテはにっこり微笑みながら、オフィーリアをからかうように言った。


「ま、まだ……ですけど、お菓子のことを思うと、そう感じるのですわ」


 オフィーリアは少し照れくさそうに視線をそらす。


「そうですね、旦那様はこの領地の救世主。障害は多いですが、なんとしてもラグジュアリア構想を成功させたいですね」


 リーゼロッテは力強く頷き、仲間たちを見渡しながら続けた。


「この領地は借金も多いですし、後宮は赤字を垂れ流しですが、皆さんの力をお貸しください」

「えぇ、もちろんよ。美味しいお菓子たちに巡り合うために頑張りますわ」


 オフィーリアは軽く微笑みを浮かべて応じる。


「美のために、私も力をおしみませんわ」


 クロエは冷静に言いながらも、決意をにじませた表情で頷いた。


「旦那様って……なんだか、思ってた以上に優しい方ですし……。私たちも、旦那様のお力になれるように、しっかり頑張らないと、ですね」


 リリィは少し頬を染めながら、控えめに言葉を添える。


「そだね! 旦那様が楽しく過ごせるように、バッチリお手伝いしようね!」


 フィオナは元気よく拳を掲げて、笑顔で賛同した。

 最後に、リーゼロッテが軽く柏手を打ち、全員を見渡して落ち着いた声で促す。


「さぁ、朝まで時間がありませんから、ここからみんなで草案を仕上げましょう」


 その言葉に全員が力強く頷き、静かに作業に取り掛かるのだった。


 しばらくして、ユーリやセリーヌ、アイナも戻ってきて、さらに寝る間も惜しんで作業を続けることになる。

 徹夜が続く厳しい日々の中、全員が知恵を出し合い、細かな部分を何度も修正しながら、ついに十日後、『レーベルク男爵領改革草案』として形になるのであった。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


フィオナ、健気!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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