10.後宮侍女の奮闘記 その2 ①

 真夜中を少し過ぎたころ――。

 草案作りに励むリーゼロッテとクロエに、少しでも疲れを癒してもらおうと、フィオナは静かにカートワゴンを押して廊下を進み、そっと襖を開けた。


「失礼します。リーゼロッテ様、クロエ、珈琲をお持ちいたしました」


 フィオナがそっとカップを置くと、立ち上る湯気が部屋の静けさに溶け込み、ふんわりとした香りが広がった。


(……それにしても、どうして旦那様がこんなに高価な珈琲をお持ちなのかしら?)


 ここレーベルク男爵領では、珈琲はめったに手に入らない貴重品だ。

 王族でさえ簡単には飲めないほどの品を、なぜユーリが用意できたのか、フィオナには不思議でならない。


(もしかして、セリーヌ様が降嫁されるときに持ってこられたのかしら……?)


 頭の片隅でそう考えながらも、フィオナは少し緊張を覚える。

 領地の主人たるユーリのための高価な飲み物を、自分やクロエが飲んでよいものだろうか。

 主人の珈琲に手をつけたと知られたら、後で怒られないかと心配だ。

 その時、「ありがとう……」とクロエが書類に視線を落としたまま小さな声で礼を言った。


「クロエからお礼の言葉なんて、ほんと珍しいね! よっぽど疲れてるんじゃない? ちょっと休憩しようよ。リーゼロッテ様も、少しご休憩なさってはいかがでしょう?」


 フィオナがさりげなく声をかけると、リーゼロッテが虚ろな目をしたまま、反射的に、ぎこちなく首をこちらに向けた。

 その様子はまるで、限界まで酷使されたオートマタのようだ。


「……何を言っているの、フィオナ……休憩なら隣の部屋で散々……行われてるではありませんか……」

「いやいや、それ、リーゼロッテ様たちの休憩じゃありませんよね!」


 思わずツッコミを入れたフィオナに、クロエは疲れた表情を崩さず、こめかみを軽く押さえてため息をついた。


「貴女もさっきまで聞いてたでしょう? 代わる代わるひたすら……あんな大きな喘ぎ声を聞かされるこの苦痛! まるで集中できないのよ!」


 その勢いに、フィオナは思わず瞬きをし、そっとクロエを見つめた。


「旦那様、底なし過ぎるでしょ! ゴブリンも真っ青よ」


 クロエが両手を前に少し上げ、ワキワキと指を動かしながら、イライラを爆発させるように不満をぶちまける。


 クロエが頭から煙を噴き出していると、静かになっていた夢想花の間の襖が静かに開き、オフィーリアとリリィが優雅な足取りで戻ってきた。

 二人は湯上りの淡い紅潮を頬に宿し、湯気が肌に纏わりつくように煌めいている。

 その表情はどこか充実感に満ち、さっきまでの疲れの影など微塵も感じさせない。


「ただいま戻りましたわ」


 オフィーリアがしっとりとした声で挨拶すると、リリィも穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。

 その柔らかな仕草を見たクロエは、再びため息をつきつつ、彼女たちの満ち足りた姿にどこか羨望の眼差しを送った。


(リリィがなんか大人っぽい!)


 フィオナもまた、リリィの表情をじっと見つめ、何とも言えない気持ちが胸に湧き上がる。

 どこかおいて行かれたような感覚に、少しだけ、羨ましさが混じっていた。


「それにしてもリア……お盛んでしたね。お母様以上に声を出されてましたよ」


 リーゼロッテが半眼でオフィーリアをじっと見つめ、わざとらしくため息をつく。


「そ、それは仕方ないではありませんか……あんな体験、初めてだったのですから」


 そう言うと、オフィーリアは恥ずかしげに髪をかきあげ、ふいと視線をそらし続けて小声で呟いた。


「だって、あんなに大きくて……グロテスクだなんて、聞いてませんわ……」


 湯上りの肌がほんのりと色づき、そのうなじは艶めかしく光って、少女から大人の女性へと変わったことを感じさせる。

 その様子を見ていたフィオナは、思わずドキリとした。

 オフィーリアのほんのり色づいた頬と、柔らかく輝くうなじに目が引き寄せられ、自分まで不思議な胸の高鳴りを感じる。

 オフィーリアの小声が聞こえたのか、リリィが「ボン」という音を出したかのように煙を吹き、頬を桃色に染めた。


「うん……まるで、すごく大きな蛇の魔獣が……目の前でそびえ立ってるみたいで、ビックリしちゃいました……」


 スカートの裾を指先でつまみながら、視線を落とし、恥ずかしそうに小さく息をつく。


「もしかして……二人とも旦那様に、花を捧げてきたのですか?」


 リーゼロッテが頬をほんのり染めながら、遠慮がちにオフィーリアたちに尋ねた。

 視線をそらすことなく二人を見つめる様子に、フィオナも自然と興味を引かれてしまう。


(初めては痛いって聞くけれど……どうだったんだろう)


 フィオナは、自分の胸の奥がドキドキと高鳴るのを感じながら、こっそりと耳をそばだてた。

 初めての話題に胸がざわつき、何も知らない自分が少しだけ取り残された気分になる。

 オフィーリアは一瞬目をそらし、わずかに頬を染めながらも、どこか誇らしげに唇を引き結んでいた。


「……ええ、旦那様に花を捧げましたわ。痛みは確かにありましたけれど、それ以上に……満たされるような気持ちが溢れて、なんだか不思議な感覚ですわ」


 そう言ってから、彼女は恥ずかしそうに髪を指でかきあげ、そっとリーゼロッテを見やる。

 その照れた微笑みに艶やかさが宿り、フィオナは思わず息を呑んだ。

 一方、リリィももじもじとスカートの裾を握りしめ、頬を染めながら小さな声で話し始めた。


「わ、私も……少し痛かったけれど、旦那様が優しくしてくださったので、大丈夫でした。なんだか、身体がふわふわして……幸せでいっぱい、という感じです……」


 リリィの言葉が最後にか細く消え入りそうになりながらも、彼女の表情には、まだ微かに残る幸福感が漂っていた。

 そんな二人の姿に、フィオナは思わず見惚れてしまった。


「リーゼも私と同じなのですから、貴族院を卒業してからなんて言わず、花を捧げればよいではありませんの?」


 オフィーリアはそっぽを向きながら、ちらちらとリーゼロッテの方に視線を送る。

 リーゼロッテは、頬を赤らめながらオフィーリアの視線を避け、戸惑った様子で反論する。


「そ、それは……私には、まだ心の準備が必要なのです。……それに、子供が出来たら大変ではありませんか」


 そう言ったリーゼロッテにオフィーリアは少し不満そうな表情を浮かべる。


「逃げていては、大切なものを失うかもしれませんわよ」


 オフィーリアの言葉にリーゼロッテが少し不安そうに視線を落とす。


(お、オフィーリア様……厳しい……)


 フィオナはそう思いながら、二人のやりとりに少し圧倒されつつも、じっと見つめていた。

 その時、リリィがふと思い出したように顎に人差し指を当て、可愛らしく首を傾げる。


「そういえば……」


 リリィが小さく口を開き、おずおずと続ける。


「あの、旦那様……商人ギフトで、その……子供ができないようにするお薬、飲んでくださっているって……おっしゃってましたよ」


 それを聞いてフィオナは内心疑問に思い首を傾げた。


(あれ? 子供を作るために頑張ってるんじゃ? お腹大きくなると仕事できなくなるからかな……お母様も弟の時大変そうだったし……)


 リーゼロッテはリリィの言葉に一瞬驚いたように目を見開き、慌てた声を上げた。


「それは……教会の教義に反していませんか!」

「セリーヌ様は、赤子を殺すのではなく種の方だから問題ないとおっしゃっていましたよ。……種ってお花でも育てるのですかね?」


 リリィは少し首を傾げながら、セリーヌの説明をそのまま伝える。

 そのどこかあどけない様子に、フィオナも思わずほほえましい気持ちになった。


「さすがに種違いなんじゃ……。大人の階段を登ってもリリィはリリィね」


 クロエはいまひとつ理解しきれていなリリィを微笑ましく眺めていた。


「旦那様の商人ギフトは……ホントに何でもありですね」


 リーゼロッテは呆れた様に呟くと、リリィも思わず小さく笑みを浮かべる。


「それで、その旦那様とお母様、アイナは戻ってこないのですか?」




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


大人の階段上ってもリリィはそのままピュアでいて!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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