9.領地再生計画 ①

 天華の間でしゃぶしゃぶを食べ終えたユーリは、明日の準備に向かうセリーヌたちと別れ、自室へと向かった。

 マーガレットとクロエに案内され、リーゼロッテとオフィーリアと共に廊下を進んでいく。


 後宮御殿の中でも、来客に対応する空間は「中奥」と呼ばれ、玄関、白露はくろの間(応接室)、暁光ぎょうこうの間(執務室)、天華てんかの間がその中に位置している。

 ユーリの私室や側室たちが過ごす「奥御殿」は、後宮御殿の最奥にあり、限られた者しか入れない場所だ。

 中奥と奥御殿を繋ぐ廊下には、必ず「廊下部屋」と呼ばれる部屋を通過しなければならない。

 板張りの床と襖が並ぶこの空間は、ユーリにどこか懐かしい感覚を呼び起こす。


(和室を洋室風にリフォームした感じだな……。この世界には畳はないのかな?)


 静かな木のきしみが足元に伝わり、先ほどまでのざわめきがすっと消え去る。

 周囲には凛とした空気が満ち、まるで神社の境内にいるかのような清涼感が、廊下を抜けた瞬間さらに増していった。

 廊下部屋を通り抜け、やがて、一つの襖の前で足が止まった。

 ユーリの私室に到着したようだ。

 マーガレットが襖に手をかけ、静かにそれを開ける。

 音もなく開かれた襖の向こうには、予想をはるかに超える光景が広がっていた。


 豪華な調度品が美しく配置された広間。

 精緻な織物が床を覆い、柔らかな光が天井から降り注ぐ。

 壁には繊細な刺繍が施された布が掛けられており、まるで特別な人間だけが許される空間のようだ。

 ユーリは、その光景に思わず息を飲んだ。


「……すごいな」


 目に映るすべてが、洗練された調度品と美しい装飾で彩られ、窓からは見事な小庭園が望める。

 小庭園には彩り豊かな花々が咲き誇り、静かな美しさが部屋全体に広がっていた。


 ユーリは感嘆の声を抑えきれず、しばしその場に立ち尽くした。


「まるで貴族の部屋だ……」


 自分も一応「貴族」だが、このような空間に足を踏み入れるのは久しぶりだ。

 襖の向こうに広がるこの空間が、自分のものであるという実感はまだ湧いてこない。

 しかし、それでも、この静けさと安らぎに満ちた空間が、心の奥にじわりと落ち着きをもたらしていた。


「ユーリ様はこの後宮の主人なのですから、これくらいは当然です」


 隣でリーゼロッテが微笑みながら言った。


(さすが元王女殿下だ。こんな豪華な部屋に少しも圧倒されないなんて)


 ユーリはリーゼロッテを見て感心した。


「普通の貴族であれば、これくらいが当然かと思いますが……」


 オフィーリアが冷静な声で続けたが、その瞳がほんの一瞬だけ、悲しそうに揺れたのをユーリは見逃さなかった。


(オフィーリアも、僕の過去を知っているんだな……)


 社交界では、彼が星辰の儀で商人のギフトを授かって以来、家族に使用人のように扱われていたことが広まっている。

 オフィーリアも、そのことを知っているのだろう。

 彼女の憂いを帯びた瞳を感じながら、ユーリは少し苦笑を浮かべた。


「あはは、そうだね、ずっと使用人の部屋だったからね」


 気楽に答えたつもりだったが、その言葉にリーゼロッテは申し訳なさそうに頭を下げる。


「ユーリ様、タウンハウスでご不便をおかけし、誠に申し訳ございませんでした……」


 彼女の声には、本気で悔やむ気持ちが滲んでいる。

 ユーリは、慌てて軽く首を振りながら答える。


「いやいや、そんなことはないよ。あの時は屋根のある場所で眠れるだけでもありがたかったんだ。追放された時は、野宿を覚悟していたからね」


 ユーリは冗談めかして笑いながら、軽く肩をすくめた。

 まるで、その時の不安なんて大したことがなかったかのように、自然な動作で笑い飛ばしてみせる。


 ユーリたちの会話がひと段落したのを察したマーガレットが、部屋に入るように促した。


「旦那様、簡単にこのお部屋に関してご説明させて頂きます」


 彼女はそう言って、案内を始めた。


「左手の奥に見えますドアが旦那様の寝室と繋がっております。正面の襖は奥方様たちと閨を共にする夢想花むそうかの間に繋がっております」


 マーガレットは静かに襖を開け、夢想花むそうかの間を見せた。


(うぉ、どこかの高級ラブホテルかよ!)


 目の前には巨大な円形のベッドが鎮座しており、部屋全体が優しい赤色の光に照らされていた。

 明るすぎず、暗すぎないその光は、甘い夜を誘うかのような情熱的な雰囲気を醸し出している。


「夢想花の間の左手の襖は、奥方様が準備をするための花鏡はなかがみの間に、右手の襖はお休みになることができる花隠はながくれの間に繋がっております。正面の襖を開いた向かい側には、旦那様と奥方様が使うことのできる花雫はなしずくの湯がございます」


 夢想花むそうかの間からほのかな花の香りが漂い、その香りは心を落ち着かせながらも、どこか甘美な期待感をかき立てるようだった。


「セリーヌ様よりのご伝言ですが、夜はお一人でお休みになることのないよう、必ず専属侍女、もしくは後宮の侍女にお声をおかけください、とのことでございます」


 マーガレットが告げると、ユーリは思わず顔が熱くなった。


(もしかして……毎日、誰かを呼べってことなのか? さすがにそれじゃ身体が持たないんじゃ……)


 そう思いながら、思わずリーゼロッテとオフィーリアの方を見ると、二人とも顔を真っ赤にして目を逸らした。

 視線が合った瞬間、二人の肩が小さく跳ねたのを見て、ユーリは内心焦った。


(やばい、変なことを思い出させちゃったかな……)

「えーっと……その時は、マーガレットさんに言えばいいの?」


 彼は少し困惑しながらも、短く息を吐き出し、軽く笑みを浮かべた。


「はい、お呼びになりたい方の名前をお声掛けください」


 マーガレットは静かに頭を下げると、夢想花の間へと続く襖をゆっくりと閉じた。

 その時、背後からリリィの控えめな声が届いた。


「旦那様、紅茶をお淹れいたしました。どうぞテーブルの方へご移動お願いできますか?」

「あっ、紅茶持ってきてくれたんだ。ありがとう」


 ユーリはホッとしたように微笑み、リリィにお礼を言いながらテーブルの方へと向かう。

 彼女が淹れたばかりの紅茶の香りが、部屋中にふんわりと広がり、カップからは湯気が静かに立ち上っていた。

 リーゼロッテとオフィーリアも、静かに席に着く。

 リリィはテーブルにカップを丁寧に並べ終えると、マーガレットと共に壁際へと控えた。

 二人の動作は無駄がなく、静かながらも優雅さが漂っている。

 クロエは補佐机に腰を下ろし、羽ペンを持ちながら紙に視線を落とした。

 彼女はいつでも会話を記録できるように準備を整えているようだった。

 フィオナは、どうやら厨房で食事の後片付けを手伝っているらしい。

 普段一緒にいるはずの彼女がいないことに、ユーリはほんの少しだけ寂しさを感じた。

 紅茶の香りが漂う私室には、穏やかな空気が流れ、落ち着いた雰囲気が広がっている。

 ユーリはその静かな空間で、カップを手に取り、紅茶をゆっくりと一口啜った。


 その時、ふとユーリの頭に浮かんだのは、マーガレットが告げた「夜はお一人でお休みにならないように」という言葉である。

 ユーリは自然とリリィに視線を向けた。


(リリィと……閨を共にするなんて……)


 控えめに微笑むリリィの姿は、ふわりと揺れるピンク色の髪が柔らかく光を反射し、その清楚さの中に秘めた色気が漂っていた。

 ユーリの胸の中に、ざわつきが広がっていく。


(彼女が自分の隣に……もし、あの優しい手が自分に触れてきたら……)


 その考えが頭をよぎると、リリィが恥じらいながらも自分の肩にそっと寄りかかり、その細い指先が自分の肌に触れてくる情景が自然と浮かんできた。

 彼女の小柄な体が、驚くほどしなやかに自分の腕の中に収まる感覚……。

 その愛らしい顔が熱を帯び、吐息が自分の肌にかすかに触れる――そんな情景が頭の中で広がっていく。


(彼女の髪を撫でながら……その唇が、自分の唇に触れてきたら……)


 リリィの柔らかな髪に指を滑らせ、彼女の頬に触れる感覚がやけにリアルに感じられ、吐息が肌に熱を残す。

 リリィの震える唇が、自分の方へとゆっくりと近づいてくる――その瞬間、彼女の瞳が優しく潤み、微笑みの中に甘い誘惑が潜む。


(その唇の感触は……どんなふうなんだろう……)


 彼女の小さな体が自分に委ねられ、まるで求めるように甘い吐息を漏らす姿を想像すると、ユーリの胸が高鳴った。

 二人の視線が絡み合った瞬間、彼女の吐息が熱く自分の口元に触れ、身体が自然と引き寄せられる。


(いやいや……そんなこと考えるなんて、ありえないだろ!)


 突然、現実に引き戻されたユーリは、慌てて頭を振り、その妄想を振り払った。

 熱を帯びた感覚を落ち着けるために、ゆっくりと深呼吸をし、震える指で静かに紅茶を一口飲んだ。


 次に目に入ったのは、クロエである。

 補佐机に腰掛け、集中している彼女の真剣な表情の奥には、鋭く美しい紫の瞳が輝いていた。

 ユーリの頭の中に、一瞬、クロエが足を組んで座り、眼鏡を右手で軽く押し上げながら、左手には教鞭を持つ姿が浮かんだ。

 スラリと伸びた脚を組む動作に合わせて、太ももから覗く白い肌がちらりと現れ、そのわずかな露出が、彼女の妖艶さを際立たせる。


『ユーリ君、どこを見てるのかしら。授業中よ?』


 足をわざと見せつけるように組み替えた後、彼女はワインレッドの髪をなびかせながら、静かに立ち上がり、ためらいなくユーリの膝の上に座り込んだ。

 彼女の柔らかな身体が自分に触れた瞬間、ユーリの心臓が跳ねる。

 クロエは優雅に手を伸ばし、胸元のブラウスのボタンを一つ外す。

 ほんのりとした照明に、白く滑らかな肌が浮かび上がるように露わになり、その光景が目の前に広がる。


『イケナイ子ね……ここも気になるのかしら?』


 クロエは、冷たい指先をゆっくりとユーリの胸元に這わせる。

 まるで全てを支配するかのように、じわじわと上へと動く。

 眼鏡越しの鋭い視線が、まるで獲物を逃がさないかのようにユーリの心を捕えて離さない。

 クロエの人差し指が、そっとユーリの顎を持ち上げる。

 彼女の唇がゆっくりと近づいてくるたび、甘い吐息がほんのりと肌に触れ、紫の瞳が目の前に広がる。

 冷静でありながらも、熱を帯びたその瞳が全て覆いつくし飲み込んでいく。


(いや、待て……こんなことを考えるべきじゃない……なにが、ユーリ君だ……)


 頭の中で加速する妄想に焦りを覚えたユーリは、一気に現実に引き戻された。

 そして、乱れた心を静めるように、ゆっくりと紅茶を一口啜った。


 最後に浮かんだのは、フィオナの姿だった。




◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまで読んで頂きありがとうございました。


ユーリ君、妄想ばかりしないで仕事しろ!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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