8.後宮の慌ただしい午後 ①
「こちらが天華の間でございます。お食事の準備をいたしますので、こちらで少々お待ちいただいてもよろしいでしょうか?」
ユーリはマーガレットに案内され、天華の間へと足を踏み入れる。
高い天井に剥き出しの
壁に描かれた英雄伝説の絵画は、色褪せ、損傷が目立ち、哀愁が漂っている。
御殿の中で最も華美な部屋である天華の間。
今は見るも無残な状態であるが、「天華の間」という名にふさわしい部屋だったことは容易に想像できた。
玉座が置かれていたであろう高壇に目を移す。
そこには何もなく、まるで玉座の不在を嘆いているかのように空っぽだった。
もしかすると、初代皇帝がここに座り、側妃たちとともに優雅なひと時を過ごしていたのかもしれない。
しかし今は、その光景を想像することしかできない。
セリーヌは中をぐるりと見渡し、穏やかに微笑みながらマーガレットに向かって声をかける。
「三ヵ月でここまで修繕してくれたのね、マーガレット。本当にありがとう。資金も人手も足りない中で、ここまでしてくれたことに感謝しているわ」
「勿体ないお言葉です。力及ばずな所がまだ多くご不便おかけいたします」
マーガレットが頭を下げ、控えめに答えた。
「いいのよ、当分は王侯貴族なんて来ないでしょうし、本当に感謝しているわ」
セリーヌの優しい言葉に、ユーリもすぐに頷きながら口を開いた。
「本当にそうだね。住める場所があるだけでもありがたいことだよ」
「そう言っていただけて、何よりです」
彼女の顔には、ほっとしたような微笑みが浮かんでいた。
その時、遠くから女の子の声が響いてきた。
「マーガレットさーーーん!」
どんどん近づいてくる、勢いのある叫び声。
ユーリが反応する前に、また別の声が追いかけるように聞こえてきた。
「フィオナ、ちょっとお待ちなさい!」
違う女の子の声だ。
どうやらフィオナという子を追いかけているようだった。
「走って何かが解決するなんて、誰が教えたのよ。ちょっと待てって言ってるでしょ」
すぐに、さらに別の声も加わる。
「ク、クロエちゃんもちょっと待ってよ~」
フィオナ、クロエ、そしてもう一人。
声の方向から判断するに、皆が慌ててこちらに向かって走ってきているらしい。
「だ、だって、どうしよう……私がやっちゃった!」
パニックになった様子の声が響く。
「ハァ……あの子たちはもう……」
マーガレットは眉間に寄った皺を揉み解しながら、苦笑交じりにため息をついた。
その声には呆れだけではなく、どこか母親のような心配が滲んでいた。
「謝るのは良いけど、突っ込んで行ってどうするつもり? 旦那様がいるんだから、少しは慎重になりなさいよ!」
クロエと呼ばれた子が鋭い口調で諭しているのが聞こえる。
「そんなに急いだら、もっと大変なことになるよ! 落ち着いて、フィオナちゃん」
三人目の声は、なんとかフィオナを落ち着かせようとしているらしい。
「あはは、なんかあったみたいだね? 大丈夫かな」
ユーリは遠くで響くフィオナたちの声を聞きつつ、微笑みを浮かべた。
その時、高壇の方の襖が勢いよく開き、金色の髪を揺らしながらメイド姿の美少女が飛び込んできた。
たぶん、この子が先ほど聞こえていた「フィオナ」と呼ばれていた子なのだろう。
「ま、マーガレットさん、ごめんなさーーーい」
フィオナは声と共に、まるで空中から飛び込むかのように中に駆け込み、見事なジャンピング土下座を披露した。
彼女の頭は床に擦り付けられ、声は少し震えている。
「本当にごめんなさい! 失敗しちゃって……もう、どうすればいいか分からなくて!」
フィオナは頭を下げたまま、涙ぐんだ声で謝罪を続ける。
彼女の焦りがそのまま言葉に乗って、部屋中に響き渡った。
次の瞬間、フィオナの両側に影が落ちた。
二人の美少女が同時にその場に沈むようにひざまずき、床に手をついて頭を下げる。
一人は深紅の髪を持つ冷静な雰囲気の少女で、その動きは静かで洗練されており、まるで儀式のように完璧だった。
もう一人は、淡いピンク色の髪を持つ少女で、慌てたようにひざまずき、やや不器用に頭を下げたため、勢い余って床に頭をぶつけてしまった。
鈍い音が響き、彼女は小さく悲鳴を上げる。
「だ、旦那様、騒々しくしてしまい、申し訳ありません」
深紅の髪の少女は冷静を保ったまま、しっかりとした声で謝罪した。
どこかフィオナを気遣うような声色が伺える。
一方、フィオナは驚いたように顔を上げ、深紅の髪の少女に向かって声を上げた。
「ク、クロエちゃん、何してるの!」
「も、申し訳ありません。フィオナちゃんだけが悪いわけじゃないです」
淡いピンク色の髪の少女が痛そうにしながらも、懸命にフォローの言葉を続ける。
不器用ながらも、その優しさが感じられた。
必死にフィオナをかばおうとしているのが伝わってくる。
「り、リリィちゃんまで! 私のミスなんだから、二人は頭を上げて、綺麗な髪が汚れちゃうよ」
フィオナは涙ぐみながら、二人に慌てた声で呼びかけた。
彼女の声は震え、涙がぽろぽろと床に落ちそうになっていた。
「ふ、二人は何も悪くありません。罰であれば、どうか私だけにお願いします!」
フィオナは二人を気遣いながら、再びユーリの方に向き直り、勢いよく頭を下げた。
ユーリは、どうすべきか一瞬迷い、セリーヌへと目を向ける。
彼の視線に気付いた彼女は「旦那様お願いします」と言うように、ただ静かに微笑んで頷いた。
ユーリは「えっ、自分?」というように人差し指を自分に向けて指すと、セリーヌは満面の笑みで力強く頷いた。
少し肩の力が抜けたユーリは、小さく深呼吸をして立ち上がり、三人の側へと足を進めた。
彼の足音が聞こえたのか、フィオナたちの肩がピクリと強張るのがわかる。
彼女たちは息を止めているかのようで、その緊張感が部屋全体に漂っていた。
ユーリは、少し腰をかがめてできるだけ優しく声をかける。
「そんなに焦らなくても大丈夫だよ。何があったのか、ゆっくり教えてくれる?」
三人は、その声に驚いたようにゆっくりと顔を上げた。
彼の優しい言葉が、彼女たちの硬直した体を少しずつ解きほぐしていく。
「だ、旦那様……」
フィオナは震える声で口を開き、言葉を探すようにしばらく沈黙した後、意を決して言葉を続けた。
「わ、私……料理を……こぼしちゃって……全部ダメにしちゃったんです。申し訳ありません!」
そう言いながら、フィオナは再び深く頭を下げた。
声は涙ぐんでおり、その表情からは、自分の失敗がどれほど重大かを痛感しているのが感じ取れた。
フィオナは、絞り出すように言葉を続けた。
「あんなに一生懸命作ったのに……」
その言葉に、ユーリは短く頷いた。
彼女がどれほど一生懸命だったのか、そして今どれほど落ち込んでいるのかが伝わってくる。
深呼吸をして、彼女たちの失敗を責めることはなく、むしろ労いの言葉を口にした。
「ありがとう、フィオナ。頑張ってくれたんだね。でも、失敗なんて誰にでもあるよ。ダメにした料理はまた作り直せばいい。それに、君たちが一生懸命やってくれたこと、それが何より嬉しいよ」
ユーリは優しく語りかけたが、フィオナはその言葉を聞いてもなお、顔を上げることができなかった。
「だ、駄目なのです……」
フィオナの瞳から大粒の涙が、床へと吸い込まれるように零れ落ちた。
「うん? なんで駄目なの?」
ユーリは不思議そうに問いかけたが、フィオナは何も言わず、ただ唇を噛みしめていた。
そんな彼女を見て、クロエが冷静に言葉を引き継いだ。
「出来ないのです、旦那様」
クロエの落ち着いた声が部屋に響く。
「出来ないって、なんで?」
ユーリは少し眉をひそめ、再度問いかける。
「無いのです。食材が……」
今度はリリィが申し訳なさそうに声を上げた。
彼女の目も不安げに揺れている。
「えーっと、どういうこと?」
ユーリは首を傾げながら、マーガレットの方を向いた。
「実は……色々な問題から食料が不足しているのです」
マーガレットは深刻な表情をしながら答える。
「それは、うちの家だけ? それとも領地全体で?」
ユーリの問いに、マーガレットは重々しく頷きながら返答した。
「領地全体で、です。最近、お肉の価格が高騰してきており満足に購入できないのです。もう少し魔獣の肉の流通があれば安定するのかもしれませんが、訪れる冒険者も減少しており……。前任の代官時代から農民が流出していることもあり小麦も備蓄が殆どありません」
「そっか……」
ユーリは一瞬考え込んだが、すぐに口を開いた。
「大丈夫じゃないかな。とりあえずお肉は、なんとかできると思うよ」
ユーリはそう言って、ニヤリと微笑んだ。
心の中では一瞬の焦りを覚えたが、彼女たちに不安を与えるわけには行かず、それを表情には出さない。
その自信に満ちた言葉に、驚いたように三人が顔を上げてユーリを見つめた。
フィオナの涙ぐんだ瞳も、未だ不安そうに揺れているが、どこかほっとしたような表情が見え隠れしている。
(領地全体の問題がこんなに深刻だったなんて……。これを放っておけば、領民たちの生活も危うくなるな。……と、まずは目の前の問題を解決しよう)
「調理場に案内してもらってもいい?」
ユーリは立ち上がり、フィオナに向かって優しく手を差し伸べた。
「えっ、あ、はい……」
フィオナは涙を拭きながら、何が何だか分からない顔をして、ユーリの手を取った。
「こちらです」
彼女は立ち上がると、そう言ってユーリを先導し始めた。
ユーリはその後をついて行くと、クロエとリリィも自然に続く。
さらに、セリーヌたちまでもが立ち上がって彼の後につていくる。
「あれ? セリアもついて来るの?」
ユーリが驚いたように尋ねると、セリーヌはいたずらっぽく笑みを浮かべながら答えた。
「もちろん、面白そうですもの」
彼女の目は好奇心に満ちており、どこか楽しそうに輝いていた。
「コクヨウさんは……」
ユーリがコクヨウの方を振り返ると、彼は天華の間に残るつもりなのか、窓際で日向ぼっこをしている。
コクヨウは、まるで「行ってらっしゃい」と言わんばかりに尻尾を軽く振って見せた。
「じゃあ、お留守番よろしく」
ユーリはコクヨウに手を振り、微笑みを浮かべながら天華の間を後にした。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
侍女三人娘、頑張れ! 応援しているぞ!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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