6.淑妃の降嫁 ⑫
寝所は先ほどの明るさとは一変し、薄暗いが柔らかな光に包まれていた。
蜜蝋の火がゆらめき、壁にかすかな影を落としている。
天井から吊るされた豪華な天蓋は、まるで王族の寝室のような雰囲気を醸し出し、部屋全体に非日常的な神秘性が漂っていた。
ベッドは信じられないほど大きく、五人が余裕で寝られるほどの広さだ。
(えっ、なんでこんなに大きいの?)
ユーリは、その広さに圧倒され、言葉を失った。
別館の狭く質素な部屋で生活していた彼にとって、この豪華すぎる寝室は現実離れしており、まるで夢のようである。
心臓がドクンと跳ね、胸の奥でじわじわと緊張が募っていく。
ここが、これから自分の運命を大きく変える舞台なのだ――そう直感的に感じた。
「旦那様、どうぞこちらへ」
ユーリが戸惑っていると、突然腕に柔らかな温もりが伝わってきた。
セリーヌがそっと彼の腕に抱きつき、甘い声で優しく誘う。
彼女のぬくもりに導かれるように、ユーリはゆっくりとベッドへと近づいていく。
(これ、やばい……)
胸の中で緊張が一気に高まり、血が頭に集中する感覚が押し寄せる。
まるで心臓が爆発寸前のように激しく鼓動し、頭が熱を帯びていく。
手足は震え、汗が流れ落ちるが、それもすぐに熱で蒸発してモヤとなる。
「さぁ、リーゼもフィーちゃんも、こちらにいらっしゃい」
セリーヌが振り返りながらリーゼロッテとオフィーリアに優雅に声をかける。
彼女が動くたび、腕に伝わる柔らかな感触が増す。
その動きに合わせるかのように、ユーリの理性は少しずつ崩れていった。
不意にセリーヌの体がぴったりと触れ、その柔らかさが一気にユーリを包み込んだ瞬間、頭の中が真っ白になる。
全身から熱が噴き出し、息を呑む。
心臓がさらに早鐘のように打ち鳴らされ、理性が崩れ去るのを感じた。
(なんだ、この……感触……)
血が逆流するかのような衝撃に襲われ、全身に電気が流れたような感覚が広がる。
甘い香りが鼻腔を満たし、脳を痺れさせるようにゆっくりと広がっていく。
背後からは、二つの存在感がじわじわと押し寄せる。
それら全ての緊張が重なり合った瞬間、ユーリの胸の奥で何かが弾け飛んだ。
「ぶはっ!」
突然、ユーリの鼻から霧状の血が、ダムが決壊したかのように勢いよく噴き出した。
思わず手で顔を覆ったが、既に遅く、赤い霧が彼の前方に広がっていく。
(こんなの、無理……)
力が一気に抜け、足元がふわりと浮かぶような感覚に襲われた。
全身の力が抜けたユーリは、そのまま重力に引き寄せられるようにベッドへと倒れ込んだ。
頭が枕に沈み込むと同時に、もう何も考えられなくなっていく。
◇ ◇ ◇
次の日の朝。
柔らかな光が寝所に差し込み、昨夜の激しい出来事がまるで幻であったかのように、部屋は静寂に包まれていた。
ユーリはぼんやりと、ベッドに広がる自分の鼻血の痕を見つめる。
昨夜の激しい光景が、頭の中で鮮明に蘇ってきた。
鼻血を出して倒れはしたものの、ユーリが獲得していた健康体のお陰で、失った血液はあっという間に補充されていた。
(あれが本当に昨夜の出来事だったのか……?)
身体を起こしてみるが、現実感が薄く、まるで夢の中にいるかのような錯覚に陥る。
隣には、まるで何事もなかったかのように静かな表情で眠るセリーヌがいた。
彼女の顔は穏やかで、驚くほど美しい。
昨夜、彼を圧倒した野性的な姿が嘘のように、今はただ静かな眠りについている。
(やっぱり……現実なんだよな)
ユーリは少し戸惑いながら、部屋の隅に目を移した。
そこには、リーゼロッテとオフィーリアが手を握り合い寄り添って眠っている。
二人の安らかな寝顔が、昨夜の激しさを忘れさせるように、穏やかで平和な空気を漂わせていた。
ユーリの脳裏に、昨夜の記憶が鮮明に蘇ってくる。
セリーヌが豹変したあの瞬間、二人の怯えた様子が――。
リーゼロッテは蒼白な顔で、まるで何か恐ろしいものを見ているように震えていた。
「ちょ、ちょっと待って! お母様! そ、それ以上はユーリ様が死んじゃう!」
声がかすれ、視線は震えながらセリーヌを追い続けている。
リーゼロッテは、隣にいるオフィーリアの手をさらに強く握った。
オフィーリアもまた、いつもの冷静さを失い、声を潜めて呟いた。
「獣、災害級の獣ですわ……。ユーリ様がなすすべもなく捕食されてますわ……」
二人は互いに寄り添い、捕食者の前に立ち尽くす獲物のように、身を固めていた。
「どうか、女神よ……ユーリ様をお守りください」
オフィーリアの手にリーゼロッテは震える手を重ね、涙が瞳に溢れそうになるを必死に抑えながら、震えた声で神に縋るように祈る。
ユーリは頭を振って、昨夜の光景を何とか振り払おうとした。
彼女たちが、できれば昨夜の出来事を忘れていてくれることを願わずにはいられない。
(……トラウマになったらどうしよう……)
頭を抱えて悩んでいると、セリーヌがふっと目を開け、静かに起き上がる。
ユーリの視線に気づくと、彼女は優雅に微笑んだ。
「おはようございます、旦那様。昨夜は……いかがでしたか?」
その問いに、ユーリは一瞬、言葉を失った。
どう答えればいいのか、頭の中で必死に言葉を探す。
「……すごかったよ。正直、僕には……まだ、ちょっと理解しきれてないかもしれないけど……」
セリーヌは驚いたように目を見開いた後、すぐに微笑みを浮かべた。
「旦那様、何を言っているのですか? 凄かったのは旦那様ではありませんか。私なんてただ流されていただけです。ですが、お陰で旦那様の愛をしっかりと感じることができて、心が満たされたわ。あんなに激しく、どれだけ壊れると思ったか……」
その言葉に、ユーリの顔は一気に真っ赤になった。
「す、すみません!」
彼は慌ててベッドの上で思わず勢いよく土下座をする。
頭を下げた瞬間、ベッドがきしむ音が響いた。
その光景に、セリーヌは驚きつつも、どこか楽しげな笑みを浮かべている。
「でも、少しばかり、二人には刺激的過ぎたかしら?」
セリーヌは、視線をリーゼロッテとオフィーリアに向けて、冗談っぽく微笑んだ。
「知らないより知っていた方が覚悟ができるでしょうから、結果良かったと言うことで」
セリーヌが優雅に言葉を続けたその瞬間、リーゼロッテとオフィーリアが、ほとんど飛び起きるように身を起こし、声を合わせて叫んだ。
「「全然、良くありません!」」
二人の怒りと驚きが交差した声が響く。
リーゼロッテは顔を青ざめさせ、オフィーリアも目を大きく見開いている。
二人の反応を見てユーリとセリーヌは、顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「儀式もあと二日、今日も一日張り切っていきましょう」
セリーヌがそう促すと、リーゼロッテはまだショックを引きずったまま、力なく小声で呟いた。
「お母様は……元気ですね……」
「そういえばそうね。いつもはもっと肩こりが酷いのだけど……。旦那様に愛を頂いたからかしら」
セリーヌは少し首をかしげながら、自分の肩に軽く触れた。
彼女は不思議そうにしながら首を傾げた。
「不思議ね、今朝は肩こりだけじゃなくて、体全体が軽いのよ……まるで、若返ったみたい」
彼女は目を細めてユーリに視線を向けた。
やわらかな微笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には、何かを探るような輝きがあった。
(えっ……もしかしてこれ、僕の……?)
ユーリは一瞬ドキリとする。
セリーヌの体調が良くなった理由に心当たりがあるからだ。
コクヨウが言っていた言葉が脳裏をよぎる。
(やばい……まさか神格の能力のせいで、セリアにも影響がでたの?)
ユーリは心の中で必死に平静を保とうとしたが、額にじわりと汗がにじんでくる。
「そ、そうですか……」
リーゼロッテはため息をついて、オフィーリアと視線を交わしながら、しぶしぶ立ち上がった。
その姿に少しホッとしながらも、ユーリは内心、冷や汗をかいていた。
(これって、本当に僕のせいなのかな……? どうしよう、言った方がいいよね……いや、言ったらもっと大変なことになるかも……)
セリーヌは何か気が付いた様子であったが、微笑んでから無邪気に肩を回した。
「まあ、どんな理由であれ、元気でいられるのは嬉しいことね」
ちょうどその時、扉がノックされ、セリーヌが入室を許可すると、アイナが軽やかな足取りで寝所に入ってきた。
「おはようございます」
アイナは、まるで昨夜の出来事すら全て見通していたかのような余裕を漂わせながら、セリーヌやリーゼロッテたちを見回した。
そして、最後にユーリに視線を向けると、口元にわずかな笑みを浮かべながら、軽く会釈した。
「夕べはお楽しみでしたね」
その言葉に、ユーリは呆気に取られ、立ち尽くす。
一瞬、気まずさが漂ったが、家族のような温かな空気がすぐにその場を包み込んだ。
リーゼロッテは少し不満げに頬を膨らませ、オフィーリアは呆れた顔をしている。
セリーヌは、いつもの穏やかな微笑みを浮かべたままだ。
ユーリはそんな光景を目にしながら、ふと胸に湧き上がる思いをポツリと呟いた。
「なんだかんだで……悪くないかもな、この生活も」
「うん? 旦那様、何か言いましたか?」
セリーヌが振り向いて首をコテンと横に倒した。
「いいや、何でもないよ。残りの儀式も終わらせてレーベルク男爵領に行こうか」
セリーヌの柔らかな笑顔、リーゼロッテの拗ねた顔、オフィーリアの呆れた表情、アイナの清ました微笑――そんな彼女たちを見渡しながら、ユーリは自然と顔が緩まるのであった。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
少しヘタレでムッツリなユーリ君、頑張れ! 応援しているぞ!
もっと女の子たちとラブラブして欲しい!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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