6.淑妃の降嫁 ⑦
「グフフ、まさか未来の予の妻にこんなところでお目にかかれるとは、幸運ですぞ」
ギデオンはリーゼロッテを前にして、卑屈な笑みを浮かべながらワインのグラスを掲げた。
彼の笑みには、まるで彼女を自分のものと見なしているような、支配的な態度が込められている。
後ろには、取り巻きのような貴族が三人、彼の動きに忠実に従っていた。
その視線は冷たく、無言の圧力をかけてくるかのようだった。
リーゼロッテはそのギデオンを見つめ、一瞬、顔を曇らせた。
「彼はリリアーナ辺境女伯の叔父にあたり、子爵位を持っております。決して感情的にならぬよう耐えてくださいまし」
セリーヌが、周囲に聞こえないように低い声で教えてくれた。
その声には、明らかに厄介事がやってきたという不快感が滲んでいた。
ユーリは内心でため息をついた。
(面倒なことにならなければいいけど……)
ギデオンはリーゼロッテを頭の先から足元まで、まるで獲物を品定めするかのように舐め回すような視線を送り、生唾をゴクリと飲み込む。
「フフ、そんな欲情的なドレスを着て、予を誘っているとしか思えないですぞ。ようやく結婚する気になったか、ですぞ」
ギデオンは口元に下品な笑みを浮かべ、顎髭をさすりながら満足そうに一人頷く。
「ハイデンローゼ卿からの申し出は、父がお断りしていたかと思いますが」
リーゼロッテは冷静さを保ちながら、彼の目をまっすぐに見返す。
「グフフ、ハイデンローゼ卿など他人行儀に呼ばず、旦那様と呼ぶですぞ」
「子爵様、そのお話は何度もお断りしているはずです」
セリーヌが鋭い声で口を挟む。
「フハハ、オバサンは黙っているですぞ。もう王家の人間ではなく、イシュリアス辺境伯の寄子でしかないのですぞ。黙ってリーゼロッテを差し出すですぞ」
ギデオンはセリーヌに向けて、軽蔑を隠すことなく冷たく言い放った。
その言葉に、ユーリは瞬時に拳を握りしめ、席を立とうとした。
しかし、その動きをセリーヌがそっと手を伸ばして抑える。
「……今はダメです」
彼女は低く静かな声で囁き、首を横に振った。
「爵位が上です。我慢してください」
セリーヌの言葉は理性的でありながらも、どこか苦い響きを含んでいた。
彼女は貴族社会の厳しい現実を知っている。
ここで感情に任せて暴れてしまっては、貴族として致命傷を負うだろう。
セリーヌの冷静な視線を感じ取り、ユーリは深呼吸をした。
怒りを飲み込むように、机の上にあったワインを無言で喉へと流し込む。
しかし、次の瞬間――
「グフフ、商人のギフトを授かった残念貴族かですぞ。中古のオバサンにはちょうどいいですぞ」
ギデオンの下劣な言葉が響いた瞬間、ユーリの拳が強く握りしめられた。
バキッ!
空のグラスが音を立てて砕け散った。
周囲は一瞬で静まり返った。
「ユーリ様……!」
リーゼロッテは驚きに目を見開き、思わず彼の手に目を向けた。
砕けたグラスの破片が机に散らばる中、彼の手はまだ震えていた。
「旦那様、落ち着いてください」
セリーヌは冷静を保とうとしていたが、その声には焦りが滲んでいた。
彼女の目がユーリの顔をしっかりと見つめているが、その視線には不安が隠しきれない。
ユーリは息を荒げながら、血が滲む拳をそのまま握りしめていた。
セリーヌはそっと手を伸ばしたが、それより早く近くに座っていたオフィーリアがユーリの手を取った。
「貴方様、お手を見せてくださいませ……」
微かに流れ出た血が、彼女の白い指に触れる。
彼女は一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着いた動作でユーリの手を開かせた。
「大丈夫ですわ、すぐに取ります……」
彼女は優しく声をかけながら、慎重にガラス片を指先でつまみ、一本ずつ丁寧に取り除いていく。
オフィーリアの顔は真剣で、息を詰めて作業に集中している。
「みんな……ごめん……」
ユーリは小さく謝罪の言葉を漏らした。
彼が視線を上げると、三人はそれぞれ優しい表情で彼を見つめていた。
セリーヌは静かに頷き、オフィーリアもほっとしたように微笑んでいる。
リーゼロッテも、落ち着いた表情で彼に視線を送った。
それを見ていたギデオンは、面白くなさそうに顔をしかめ、甲斐甲斐しくユーリの手当てをしているオフィーリアへと視線を向けた。
「それにしてもですぞ……」
彼は冷たい笑顔を浮かべたまま、まるで彼女を見下すかのよう言葉を続けた。
「クローディアス家も随分と落ちぶれましたぞ。昔は名門と知られていたのに……哀れですぞ」
そう言うと、ニヤリと口元を歪め、卑劣な笑みを浮かべた。
オフィーリアの手が僅かに震える。
彼女は何とかギデオンの侮辱を受け流そうとしていたが、目の下の頬がわずかに引きつり、感情を必死に抑え込んでいるのが分かる。
震えながらも、オフィーリアの冷たく細い指がユーリの手にしっかりと絡みついた。
その手は、まるで藁をもつかむかのように、無意識のうちに必死に彼を頼っている。
(オフィーリア……)
ユーリは心の中で彼女の名前を呼び、もう片方の手で優しく彼女の手を包んだ。
冷たい指先が、ユーリの胸に痛みを伴って伝わってくる。
彼女の孤独や不安が、静かに流れ込んでくるようだった。
オフィーリアは驚いた表情で顔を上げ、目を見開いた。
彼女の瞳には、一瞬の驚きと、そこに隠しきれない弱さが映っていた。
先ほどまでセリーヌに啖呵を切っていた彼女が、今はまるで崩れそうなほど脆く見える。
ユーリの手を握るその強さが、彼女がどれだけ心の中で孤独と戦っているかを物語っていた。
ギデオンはその様子を見て、ニヤリと笑いながら声を上げた。
「ブハハハ! さすがは『落ちぶれ姫』と『残念貴族』、お似合いですぞ! まるで哀れな者同士が寄り添って傷を舐め合っているような光景ですぞ」
その瞬間、乾いた音が大広間に響き渡った。
「ブヒ……」
ギデオンが目を見開き、頬に手を当てた。
リーゼロッテの平手が、彼の顔面を鮮やかに打ち抜いていた。
彼はショックを隠せず、よろけながら後ずさる。
リーゼロッテは冷ややかな目でギデオンを見下ろし、まるで相手が人間ではないかのように吐き捨てた。
「黙りなさい、この豚が。誰の許しを得て口を開いているのかしら?」
その声は冷たく、鋭く大広間に響き渡った。
ギデオンはリーゼロッテの平手打ちに一瞬驚愕し、頬を押さえたまま硬直した。
しかし次の瞬間、その表情が怒りに変わり、顔が真っ赤に染まった。
彼は荒々しく息を吐き、拳を握りしめてリーゼロッテに詰め寄る。
「この俺に……! 俺の妻が、俺に逆らうつもりか!」
ギデオンの目は狂気じみた怒りに燃えていた。
彼にとって、リーゼロッテはすでに自分の所有物だった。
自分が彼女の未来を完全に支配しているという確信が、彼を支配していた。
「妻は、夫のために存在するんだ! 美しい顔をしていればそれでいい。俺の言うことに従い、俺に尽くし、俺に抱かれるために股を開けばそれで十分だ!」
ギデオンの怒声が大広間にこだまし、その異様な言葉に場の空気が一気に冷え込んだ。
後ろに控えていた取り巻きの貴族たちが、慌ててギデオンを落ち着かせようと声をかけるが、彼の耳には何も届いていない。
「貴様は俺の装飾品だ! お前は子を産むための器であればそれで十分なんだ!」
ギデオンは怒りのまま、リーゼロッテに手を伸ばした。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまでお読み頂き有難うございます。
くたばれギデオン!!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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