6.淑妃の降嫁 ⑥

「えっ、どういうこと?」


 ユーリは、なぜ自分ならそれが簡単だというのか理解できず、思わず聞き返した。

 すると、すかさずオフィーリアが口を挟む。


「貴方様の名が世界に轟けばよいのですわ」

「……え?」


 思わず彼女の発言に、ユーリは間抜けな声を出してしまった。

 自分の名が世界に轟く?

 そんなの無理だろう、と内心で思いながら、目を瞬かせる。


「もしかして、僕が有名になれば、その妻であるオフィーリアも注目されるってこと?」

「さすが旦那様です。私の見込んだだけのことはありますね」


 セリーヌは優雅に口元をほころばせて言った。


「いやいやいや、答えを半分以上言っておいて、それは逆に恥ずかしいからね」


 ユーリは大きくため息をついた。


「世界に名を轟かせるだけなら、方法はたくさんありますのよ。戦場での英雄、商業での成功、あるいは……」


 セリーヌは軽く微笑んで、ユーリの顔を見つめ言葉を続ける。


「旦那様なら、いくらでもその可能性があるわ。……ただ、少し厄介な問題があるのよね」

「商人ギフトがどれほどのものかは分かりませんが、仮にそれだけの才能があるとして、何が問題ですの?」


 オフィーリアが冷静に問いかける。


「そのうちオフィも分かると思いますけど……。これは確かに大きな問題です」


 リーゼロッテがセリーヌに同意し、真剣な表情で頷いた。

 オフィーリアはその言葉の真意を図りかねているようで、首をこてんと傾けた。


「そうなのよね。旦那様の力があまりに強すぎるのよ。だから、できるだけその存在感を隠しておきたいの」


 セリーヌは眉を寄せ、困ったように唸りながら、ゆっくりと頬に指を当てた。

 しばらく考え込んでいたリーゼロッテは、ふと顔を上げ、思いついたように口を開く。


「それであれば、ユーリ様の商会を作ってオフィに任せるのはどうですか? 実務はサント=エルモ商会の人間に手伝って貰えばよいかと」

「まぁ、それは良いわね。確か、フィーちゃんは『漆黒の月華姫』って呼ばれていたわよね。だったら、ルナ=ノワール商会なんてどうかしら?」


 セリーヌは、軽く手を叩きながら明るく声を上げた。


「ルナ=ノワール商会か……」


 ユーリはその名を一度口にし、静かに反芻するように呟いた。


「……いい響きだね」


 少し華美すぎるかもしれないが、代表がオフィーリアであれば、それに見合う価値があるだろう。

 オフィーリアに目をやると、彼女は目を見開き、驚きを隠せずにいる。

 自分の名前がつけられた商会を任されるなど、思ってもみなかったのだろう。

 彼女は一瞬言葉を失い、まるで過去を思い出すかのように視線を微妙に泳がせていた。

 短い沈黙が流れ、オフィーリアは戸惑いを隠しきれない表情を浮かべているが、セリーヌはその様子を気にせずに楽しげに続けた。


「旦那様にも気に入って頂けたようで良かったわ。素敵な名前でしょう? これなら商会も一目置かれること間違いなしよ」

「うん、そう思うよ」


 ユーリも笑顔で頷いた。


「人気のお店になりそうですね」


 その光景を思い浮かべているのか、リーゼロッテも力強く首を縦に振る。


「……名誉ある名ですが、少し重く感じますわね……」


 彼女の声は落ち着いていたが、その言葉の裏には戸惑いがあった。

 セリーヌは笑顔を浮かべたまま、優しい視線でオフィーリアを見つめる。


「大丈夫よ、フィーちゃん。あなたはその名を背負って立つことができる人よ。昔も今もね」


 セリーヌの言葉には、オフィーリアの過去と今をしっかり見据えた自信が込められていた。

 オフィーリアはわずかに目を伏せたが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「じゃあ、フィーちゃんの問題は解決したところで、私から一つ」


 セリーヌが軽く柏手を打ち、全員の注目を集めると、続けて何でもないことのように笑顔で爆弾発言を投げ込んできた。


「床入りの儀にリーゼとフィーちゃんも参加しなさいな」

「は?」

「えっ、どういうことですの」

「ちょ、ちょ、お母様、ちょっと待て下さい、意味が分かりません」


 一瞬にして場の空気が変わり、ユーリ、オフィーリア、リーゼロッテの三人が驚愕の表情を浮かべた。


「えっと、ちょっと待って。さすがにそれは……駄目でしょ?」


 焦りながらも何とか言葉をつなぐユーリだったが、セリーヌは穏やかな笑みを浮かべたままだった。


「駄目かしら? 貴族の妻なら当然のことよ。フィーちゃんもリーゼも、今のうちにちゃんと学んでおくべきだわ」


 セリーヌの言葉が、まるで当然のことのように響く。


「いや、それに、床入りの儀って布団にはいるだけですよね。領地の仕事に支障をきたしたら不味いから、その、あの、あれはしないのですよね。それで何を学ぶのですか?」


 ユーリの言葉は尻すぼみになりながらも、何とか質問を投げかけた。


「そうですよ、お母様。私はすでに王家から籍を抜いてますので、降嫁の儀式を学ぶ必要がありませんよ」


 リーゼロッテも同じく混乱した様子でセリーヌに抗議した。

 セリーヌは二人の視線をさらりと受け流し、微笑み続けた。


「旦那様を楽しませるのも妻の務めですよ。それに、やりようは他にもいくらでもあるわ。貴族院卒業まで、旦那様のお世話は侍女たちに任せるつもりだったのかしら?」

「そ、それは……」


 リーゼロッテはセリーヌの言葉に押され、言葉に詰まった。

 いつも冷静な彼女も、こればかりはどう返せばいいか分からない様子である。


「セリーヌ様、それは、私に娼婦のような真似事をしろということですの?」


 オフィーリアは憮然とした表情を浮かべ、セリーヌに対して真っ向から反発した。

 その声には怒りというよりも、驚きと戸惑いが入り混じっている。


「そうね、旦那様がそれを望むなら、妻の役目でなくて?」


 セリーヌの言葉は穏やかだったが、その裏には揺るぎない強い意志が感じられた。

 オフィーリアはその答えに息を呑み、一瞬視線を落としたが、すぐに顔を上げた。


「……確かに、全てを侍女に任せるのは、貴族の誇りに反しますわね」


 そう言いながら、オフィーリアは視線をわずかに揺らし、自分に言い聞かせるように呟いた。


「ちょ、オフィ、貴女本当にわかっているのですか?」


 リーゼロッテが驚きと困惑の声を上げたが、オフィーリアはその言葉をあえて無視して続けた。


「私もユーリ様に要求をしている以上、対価は必要でしょう。それに側室とはいえ、私も妻です。貴族の務めは、しっかり果たすべきですわ……」


 その言葉には、彼女自身を納得させようとする必死さが感じられた。

 それを聞いていたユーリの顔は一気に熱くなり、言葉が喉に詰まる。


(は、話がなんかおかしな方向に……)

「い、いや、無理にしなくても大丈夫だよ。我慢できるし」


 何とか言葉を絞り出したが、耳まで赤くなっているのが自分でも分かる。


「旦那様……本当に良いのですか? これだけたわわな果実が実っているというのに、味わわなくて本当に宜しいのですか?」


 セリーヌの挑発的な言葉に、ユーリは喉を鳴らした。


「ゴクリ……」


 無意識のうちに唾を飲み込んでいた。


「だ、旦那様? はぁ、そんな期待をする目で見ないでください。ユーリ様がそう言うのであれば、仕方ありませんね……」


 リーゼロッテは諦めたように深くため息をつき、肩をガックリと落とした。


「その代わり……私の期待にも応えてくださいましよ」


 オフィーリアは顔を赤らめながら、ユーリから視線を外した。


「大丈夫よ、リーゼ。あなたもフィーちゃんも、ゆっくり学んでいけばいいのよ。旦那様が困らないようにね」


 セリーヌの優雅な笑顔には、有無言わさぬ重い圧力が含まれていた。


「えっと……二人ともホントに無理にしなくていいからね?」


 ユーリは困惑しながらも、何とか場を和らげようとした。

 しかし、次の瞬間、セリーヌの笑顔がまるで般若のお面を被ったかのように鋭く突き刺さった。


「旦那様、甘やかすことが彼女たちの幸せに繋がるわけではありませんよ。ちゃんと彼女たちを躾け……じゃなかった、導くのも後宮の調和のためには必要なことですのよ」


 ユーリの心臓がドキリと跳ね上がった。


「いや、躾けって……」


 ユーリはそう言いながらも、心の奥底で湧き上がる微かな高揚感に戸惑っていた。

 理性では抗おうとするが、その感情はじわじわと心を揺さぶっていた。



 静かな緊張が場を支配し、誰もが言葉を失った瞬間、大広間の一角からゆっくりとした足音が響いてきた。

 足音が一歩一歩近づくにつれて、部屋の空気が少しずつ変わっていく。

 セリーヌが目を細め、オフィーリアとリーゼロッテも不意に視線をそちらに向けた。


「レーベルク女男爵に挨拶を、と思ってやって来てみれば、まさか麗しの妖精姫に逢えたですぞ」


 古風で堂々とした声が、大広間に響き渡った。


「これはこれは、ギデオン・フォン・ハイデンローゼ卿、食事の手を止めてまで、わざわざ挨拶に足を運んで頂けたのですか」


 セリーヌは瞬間的に作り笑いを浮かべ、穏やかな声でその名を口にした。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまでお読み頂き有難うございます。


セリーヌ様がどうやって躾けるのか見てみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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