6.淑妃の降嫁 ⑤

「お母様、ユーリ様が怯えていますので、少し落ち着いてください。それに、クローディアス様、いえ、これからはオフィと呼んでもよいですか? 私はもう王女ではないので、リーゼで構いませんよ。オフィも、この場を荒立てるつもりではないのでしょう?」


 リーゼロッテの穏やかな声が、張り詰めた空気を少し和らげた。

 セリーヌが一瞬だけ戸惑った顔を見せたが、すぐに小さく頷く。


「そ、そうね。少し大人げなかったわね」


 しおらしく返事をしたセリーヌに、オフィーリアも冷静さを取り戻し、ユーリに軽く頭を下げた。


「私の方こそ、申し訳ありませんでした」


 その謝罪を受けて、ようやくユーリは緊張を解いた。

 彼女を見ていると、ふと疑問が沸いてくる。


(オフィーリアはどうして僕の側室になったのかな……。まさか僕に一目惚れして、王太后陛下が気を利かせてくれた、なんてことは……ないな)


 あり得ない妄想に自分で苦笑する。

 前世でも今世でも、女性にモテた記憶は一度もない。

 そんな都合のいい話が、自分の身に起きるはずもなかった。


(もしかして、何か事情があって、王太后陛下に脅されたりしてるの?)


 考えれば考えるほど答えは出ず、気づけばユーリの視線はオフィーリアのデコルテに吸い寄せられていた。

 鮮やかなドレスの胸元が大きく開いており、その中に柔らかな谷間が見え隠れしている。

 彼女の黒髪が谷間にかかり、わずかに揺れていた。


(しまった……)

 気が付いたものの時はすでに遅く、目の前から柔らかな声が飛んでくる。


「ユーリ様、そんなに女性を見つめるものではありませんよ」


 ハッと顔を上げると、テーブルの前に立つリーゼロッテが笑顔でこちらを見つめている。

 彼女の瞳からは、「後でマナーのお勉強をしましょうね」という意志がはっきりと伝わってきた。


「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてて……」


 焦って弁明するユーリに、隣に座っているオフィーリアがじっと視線を向けてきた。


「それは、私がなぜ貴方様の側室になったのか、ということでしょう?」


 そう言ったオフィーリアの瞳は何かを隠しているようで、わずかに揺らいでいた。


「えっ、良く分かったね……。でも、無理に聞き出すつもりはないよ。ただ、覚えておいて欲しいんだ。これからは家族なんだから、困った時は言って欲しい……かな」


 ユーリは頬を掻き、少し照れくさそうに笑顔を浮かべる。

 彼自身も、どこまで踏み込んでいいのか分からず、ただ彼女が少しでも安心してくれればと思っていた。

 

 ユーリを見つめていたオフィーリアは、一度目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 その仕草には、決意とわずかな躊躇が混じっているように見えた。


「そうですわね、不信に思われたままでは、信頼関係は築けませんわね。ですから、正直にお答えしますわ。私が側室になった理由は……お金のためですわ」

「お金?」


 ユーリは思わず眉をひそめる。

 まさかそんな理由があるとは考えていなかった。

 オフィーリアの表情がわずかに曇る。

 だが、次の瞬間にはいつもの冷静さを取り戻し、淡々とした口調で話を続けた。


「クローディアス家で少しトラブルが発生しまして、大金が必要になりましたの。そんな時、王太后陛下から『レーベルク女男爵夫の側室になり、情報提供と領地運営の妨害をすれば支援する』と仰っていただけたのです」


 突然の打ち明け話に、ユーリは動揺を隠せなかった。


「それって……僕に話していいの?」


 彼女の言葉の重さが胸にずしりと響く。

 王太后がこのことを知れば、クローディアス家だけでなく、オフィーリア自身が危険に晒されるのではないか……と不安が膨らむ。


「王太后陛下から嫌がらせされるんじゃない? 大丈夫?」


 それを聞いたオフィーリアは、小さく笑って冷静に答えた。


「ふふ、明らかに間者だと分かっているのに心配してくださるのですね」

「いや、だって、実家に何かあったら、オフィーリアも困るでしょ」


 ユーリの真剣な言葉に、オフィーリアは一瞬戸惑うが、すぐに微笑を浮かべる。


「貴方様の噂とは違いお優しいのですね。ですが、心配はご無用です」

「……そうなの? 本当に問題が起きたら教えてね」


 オフィーリアの微笑みを見ると、本当に理解しているのか心配になる。

 こんな時にでも貴族しての振る舞いができることが、彼女の強さかもしれない。


「それで、フィーちゃんはどこまで王太后の駒になるつもりかしら?」


 セリーヌが軽やかな微笑みと冗談めいた口調で、不意に割って入ってきた。


「フィーちゃん?」


 オフィーリアの声が少し跳ね上がった。

 驚きの表情を一瞬見せたものの、すぐに冷静さを取り戻し、再び口を開く。


「正妻はレーベルク女男爵ですから、構いませんわ」


 彼女の瞳はまっすぐセリーヌを見据えていた。


「固いわね。私のことはセリーヌで構わないわよ。これから旦那様を愛する者同士、仲良くしたいもの。それで、どうなのかしら?」

「セリーヌ様……残念ながら、私はまだユーリ様を愛しておりません。私が側室となったのは、家のため……打算的な理由ですわ」

「それで?」


 セリーヌがオフィーリアに話の続きを促す。


「さすが、後宮で元淑妃であっただけありますわね。おっしゃる通り、王太后陛下だけの駒のつもりはありませんわ」


 オフィーリアが微笑みながら答える。

 その瞳が何かを語っているようだったが、ユーリにはまるでそれが何を意味しているのか分からなかった。

 自分だけがこの場に取り残されているような気がしていたが、少しでもこちらの味方になってくれそうだな、と漠然とした安堵を感じていた。


「なるほど、フィーちゃんは、見せかけの妨害工作と情報を流しつつ、皇太后陛下に実家への支援を継続させて、私たちの方にも協力して別の支援を引き出したいのかしら」


 セリーヌが見透かしたように言い放った。

 その言葉に、オフィーリアは少しだけ目を細めるが、微笑は崩さない。


「えっ、どういうこと?」


 ユーリはついポロリと声を出してしまった。

 セリーヌは肩をすくめて微笑む。


「本当に旦那様ったら……少しはこの場の駆け引きを学ばないと、フィーちゃんに丸め込まれてしまうわよ?」


 オフィーリアも穏やかに微笑んで答えた。


「今のところは大丈夫ですわ、貴方様。私もあなたを裏切るつもりはありませんから。ただ……」


 彼女の瞳が少しだけ揺らぐ。


「できるだけ、両方に協力して最大の利益を引き出したいのです」


 ユーリはその言葉を聞き、ますます困惑した。

 頭の中で彼なりに状況を整理しようとするが、全くもって明快な答えが浮かばない。


「王太后陛下からは実家に対して支援金を貰えるんだよね。でも、我々には別の支援って……利益を引き出すってことは、支援金が欲しいってこと?」


 ユーリは腕組をしながら、頭をひねる。

 リーゼロッテは、そんな彼を見てクスクスと笑いながら横から言葉を挟んだ。


「ふふ、ユーリ様。多分、それは違いますよ。オフィはクローディアス家の貴族としての名誉を取り戻したいんじゃないかしら?」


 その言葉を聞いた瞬間、ユーリはさらに混乱した顔を浮かべた。


(名誉……? うん? 名誉って、どうやって?)


 オフィーリアは冷静な微笑を浮かべたまま、少し目を細め、リーゼロッテに感心したように軽く頷く。


「さすが、リーゼ様。的確なご指摘ですわ。私の目的は名誉の回復……それが最優先です」


 ユーリはその言葉を聞き、頭を抱えていた。

 名誉なんて、どうやって取り戻すのか全く分からない。

 彼が考え込んでいると、セリーヌが優しく彼の頭を撫でてくれる。


「旦那様、もしかして『名誉なんて、どうやって取り戻せるんだ』って考えてませんか?」


 セリーヌが笑顔で問いかける。


「凄い! あたり! 何でわかったの?」


 ユーリは目を輝かせて驚いた。


「ふふ、旦那様は顔に出過ぎですよ。すぐに分かりますわ」


 セリーヌは微笑んだまま、軽く肩をすくめる。


「名誉なんて簡単に取り戻せますのよ。正しい方法さえ知っていれば、ね」

「そ、そうなんだ……」


 ユーリは少しほっとしながらも、どんな方法があるのか全く想像できなかった。

 セリーヌが言うことは、いつも簡単そうに聞こえるが……本当にそんなにうまくいくのだろうか。


「簡単に、って言うけど……ホントに簡単なの?」


 ユーリは不安そうに問いかけた。


「そうですね。ユーリ様であれば簡単ですね」


 リーゼロッテが微笑みを浮かべながら即答した。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまでお読み頂き有難うございます。


セリーヌ様のマナー教室(もちろん、ベッドの上で)受けてみたい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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