6.淑妃の降嫁 ④

 司儀の声高らかな宣言が広間に響くと、先ほどまでの空気が一変し、まるで温度が一度下がったかのように感じられた。

 王太后陛下がゆったりと歩みを進めると、その佇まいに周囲の貴族たちは息を飲み、ユーリも思わず背筋を正す。

 セリーヌはゆっくりと立ち上がり、王太后に向かって優雅に一礼する。

 それに気づいたユーリも、少し焦りながら慌ててそれに倣った。


(まさか、自分が王太后陛下に挨拶するとは……)


 前世で言うなら、高校に入学してすぐに、教室の隅でこっそりしているところへ、生徒会長がやってきたようなものである。


 王太后陛下は、しばらく二人を冷ややかな目で眺めた後、ゆっくりと口を開いた。


「レーベルク女男爵、結婚おめでとうございます。せっかくの新たな門出に、私からも贈り物を差し上げますわ。これからの領地運営には、人手がたくさん必要でしょうから、きっとお役に立つことでしょう。どうぞありがたくお受け取りくださいませ」


 王太后の言葉に、セリーヌの手が一瞬ピクリと動いたのを、ユーリは見逃さなかった。

 すぐにそれを押し殺し、あくまで優雅な微笑みを浮かべ、穏やかに言葉を返す。


「王太后陛下のご厚意、ありがたく頂戴いたします。私どもの領地のために、お心遣い感謝いたしますわ」


 セリーヌは上品に微笑んでいるが、その笑みの奥に冷ややかなものが垣間見え、ユーリの背筋がぞくりと凍りついた。


(こ、こえぇ……。女の戦いこえぇ……)


「ふふ、クローディアス嬢、入りなさい」


 王太后が意地の悪そうな笑みを浮かべて優雅にそう言うと、扉が静かに開かれた。



 自分の名前を呼ばれた瞬間、オフィーリアは大きく息を吸い込んだ。

 静かに深呼吸し、心の動揺を押し殺す。

 王太后の視線を一瞬感じたが、彼女に弱さを見せることはオフィーリアの誇りが許さない。

 大広間の視線を一身に受けながら、背筋を伸ばし優雅に歩みを進める。

 長い黒髪は夜空のように艶やかに輝き、そこに飾られた紫色のバラが、かつてあの人から贈られたものだと思い出す。

 彼が自分の瞳の色と同じだと言って渡してくれた花……。

 心の奥にふっと寂しさがよぎるが、それを表に出すことは許されない。


(私は、オフィーリア・フォン・クローディアス。家の再建のためなら、どんな命令でも果たしてみせる)


 彼女は自分がこの場に立つ理由を理解していた。

 ユーリの側室になるという屈辱的な命令。

 家の再建のために従うと決めていたが、胸中は苦々しさで満ちていた。

 淡い紫色のドレスは繊細なレースで縁取られ、胸元の大ぶりの宝石が彼女の高貴さを強調している。

 まるで人形のような透き通る白い肌。

 誰もが目を奪われるであろう完璧な美しさ。

 案の定、目の前に座る男――ユーリ・フォン・シュトラウスも見とれている。

 オフィーリアはその視線を感じながら冷笑する。


(ふっ、さすが元娼婦の淑妃を妻にするだけの男だわ。さっきから胸ばかりチラチラと見て……)


 そんな男に嫁がなければならない。

 王太后から融資をうけるための条件とは言え、オフィーリア・フォン・シュトラウスを名乗らなければならないことに屈辱を覚える。

 優雅に一礼してから自己紹介を口にした。


「オフィーリア・フォン・クローディアスでございます。今後ともどうぞ、よろしくお願いいたしますわ」


 その声は透き通るほど美しく、冷ややかである。

 広間にいる貴族たちの間から、小さな息を飲む音が聞こえた。


(そう、私は貴族。いついかなる時も、気高く振る舞わなければならないのよ)


 オフィーリアは自分にそう言い聞かせ、ほんの少し満足感を覚えた。

 しかし、その満足感も束の間。

 広間に冷ややかな静けさが広がる中、無粋な王太后の声が響き渡った。


「この者を、シュトラウス女男爵夫の側室に加えて頂けるかしら」


 その言葉を耳にした瞬間、オフィーリアの心が激しく揺れた。

 顔が一瞬歪んだが、すぐにそれを取り繕い、笑みを浮かべる。

 誇り高き彼女が、この程度の言葉で動揺を見せるわけにはいかない。

 そう心に誓い、オフィーリアはもう一度、優雅に微笑んだ。

 

 その笑みにユーリは思わず息を飲んだ。

 オフィーリアの美しさが一瞬にして広間を支配したかのように感じた。

 彼女の細く華奢な肩や引き締まった腰のライン、年齢にそぐわない豊かな胸元――全てが彼の目を引きつけ、心を奪う。

 そのまま見とれていると、ふいにセリーヌの香りが漂い、次の瞬間、太ももに鋭い痛みが走った。

 抓られたのだと気づき、飛び上がりそうになるのをなんとか堪える。

 微かに涙を浮かべながらチラリとセリーヌを見やると、彼女は少し不機嫌そうにそっぽを向いていた。


「旦那様は、若くて胸が大きくて、可憐で清楚な女の子がお好みなのですね」


 隣からぽそりと聞こえた声に、ユーリの背筋が凍った。


「ちが……ちが……ちが(くはないけど)、黒髪が綺麗だったから、ちょっと見とれちゃっただけで……!」

「私とリーゼ、アイナでは物足りませんか?」


 セリーヌはわざとらしく悲しそうな表情を浮かべ、わずかに視線を落とした。


「そ、そんなことあるわけないじゃないか! いや、その……デザートは別腹っていうか……」


 ユーリは慌てて言葉を選んだが、どんどん自分の首を絞めているような気がした。

 セリーヌは楽しそうに微笑むと、軽やかに答えた。


「分かりました」


 彼女は一呼吸置いてから、さらに追い討ちをかけるように続けた。


「つまり、彼女が欲しいのですね?」

「ち……ちが……」

「では、お断りしても?」

「い、いや、それは……王太后陛下に失礼じゃないかな……」


 いざ目の前に甘美な誘惑を突きつけられたユーリに、煩悩に打ち勝つだけの理性などあろうはずがない。

 彼女にじっと見つめられ、いたたまれなくなったユーリは視線をそらした。

 セリーヌはしばらく彼の困惑した様子を楽しむように見つめていたが、やがて満足したかのように王太后たちの方へ向き直り、優雅に礼を述べた。


「ありがとうございます。旦那様も、すっかり魅了されていらっしゃるご様子ですので、ありがたくお受けいたしますわ」


 セリーヌの返答に、王太后は満足げに頷いた。


「クローディアス嬢。分かっていると思いますが、旦那様に誠心誠意尽くしなさい」


 彼女はそう言いながら、隣にいるオフィーリアに言い含めた。


「はい、王太后陛下」


 オフィーリアは一瞬、氷のように冷たい瞳で王太后を見つめた。


(あれ? 王太后陛下とクローディアス嬢って、なんだか張り詰めた感じがするけど……仲が悪いのかな?)


 しかしすぐにその表情を隠し、優雅にこちらに向き直ると、静かに頷いた。


「貴方様の側室の末席を賜れたこと、感謝申し上げます」


 そう言って、オフィーリアは頭を下げた。

 ユーリが戸惑っていると、隣から小声で「旦那様、返事を」と促す声が聞こえてきた。


「は、はい! ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いいたします!」


 慌てて頭を下げるユーリ。

 心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、なんとか言葉を搾り出す。

 その様子をじっと見ていたセリーヌは、少し眉をひそめ、ため息をついてから、ぽつりと呟いた。


「それから……旦那様、胸ばかり見すぎです……」


(いや、そんなつもりは……でも、確かに見てたかも……。だって、あんなの見たら、そりゃ反応しちゃうって! 僕だって男の子なんだから!)


 ユーリは内心で反論するも、何も言い返せなかった。



 献上の儀も終わり、大広間では祝宴が盛大に始まっていた。

 すでに王太后の姿はなく、次々と豪華な料理が運び込まれ、酒に酔った貴族たちの高らかな笑い声が響き渡っている。

 壇上には、セリーヌ、ユーリ、急遽用意された椅子にオフィーリアが座っていた。

 場の賑わいとは裏腹に、ユーリの頭の中は混乱で渦巻いている。

 新たな側室として王太后から遣わされたオフィーリア。


(どう考えても王太后のスパイだよね……でも、めっちゃ可愛いな……)


 オフィーリアの美しい黒髪や、まるで遠い記憶を思い出しているかのような物憂げな表情を見るたびに、言葉をかけようとするが、胸がドキリと跳ね上がり、結局何も言えないままだった。


(何か言わなきゃって思うんだけど……何を言えばいいんだ?)


 気づけば、彼女のことばかり考えてしまっている自分に戸惑うばかりだった。



 しばらくして、リーゼロッテが大広間に現れた。

 淡いブルーのドレスに身を包み、堂々とした立ち姿で辺りを見渡す。

 彼女の登場に、大広間は一瞬で静まり返った。

 その姿はまさに妖精のようで、見ている者を自然と黙らせるほどの美しさがあった。

 リーゼロッテは人の多さに一度ため息をつくと、壇上に座っているセリーヌとユーリの元へと歩み寄る。


「遅くなりまして、申し訳ありません」


 リーゼロッテは軽く挨拶し、すぐにユーリとその隣に座るオフィーリアへと視線を移す。

 首を傾げ、瞳には一瞬、戸惑いの色が浮かんだ。


「ユーリ様が難しい顔をしている理由と、その隣の女性、クローディアス嬢ですか?」


 セリーヌは苦笑を浮かべ、軽く肩をすくめながら、わざと大げさに言葉を選んだ。


「あら、リーゼは彼女のことを知ってるのね。王太后からの『贈り物』よ。新しい側室なのだけど、旦那様が私を差し置いて、彼女に夢中なご様子なのよ」


 その言葉に、オフィーリアの眉が一瞬だけピクリと動いたが、すぐにその感情を押し込めたように微笑を浮かべた。


「リーゼロッテ王女殿下、お久しぶりでございます。この度は、ユーリ様の側室に席を置かせていただくこととなりました」


 オフィーリアは落ち着いた声で、リーゼロッテに丁寧に挨拶をする。

 その後、セリーヌを見つめながら、口元にかすかな笑みを浮かべ、続けた。


「王太后陛下の『贈り物』として、どのようにお役に立てるか、これから見定めていただければ幸いですわ」


 彼女の言葉が広間に響くと、場の空気が一気に冷え込んだように感じられた。

 まるで見えない氷が張り巡らされたかのように、誰もが息を潜め、視線だけが行き交う。

 その三人のやり取りを見て、ユーリは内心でヒェッと悲鳴を上げていた。


(いやいや、ちょっと待て……なんか場の空気が一気に凍りついてるんですけど。三人とも笑ってるけど、ぜんぜん優しくないよ! このままじゃ……やばい、どうにかしないと……)


 心臓がドクドクと速く脈打ち、息が詰まりそうな感覚に襲われる。

 何とか場を和ませなければならないのは分かっているが、言葉が浮かばない。


(何か言わなきゃ、何か言うんだ、何か言えよ、ここで言わなきゃ男じゃないだろ)


「ま、まあまあ、今日はめでたい日ななんだから、皆で楽しく過ごそうよ、ね?」


 笑顔を作りながら言葉を挟んだが、セリーヌとオフィーリアの冷たい笑顔がピタリと自分に向けられた。

 笑顔なのに、まるで「よくこの会話に割って入ってきましたわね。その根性は認めますが、貴方の出る幕ではなくてよ」というように鋭い氷の刃が胸を貫き、喉がカラカラに渇く。


(し、しまった~。やっちまった……) 


 ユーリは最後の頼みとばかりにリーゼロッテに救いを求める視線を送る。

 しかし、彼女は肩をすくめ、両手を軽く上げてみせたあと、首をゆっくりと横に振った。

 まるで「もうどうしようもないわ」とでも言うかのように、諦めたような表情でため息をついたのだった。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまでお読み頂き有難うございます。


オフィーリアには、もっとツンデレして欲しい!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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