6.淑妃の降嫁 ③

「美しい……」


 後宮から出てきたセリーヌを見た瞬間、ユーリの時が止まる。

 天上から一人の女神が舞い降りたようで、風は高らかに歌い、花は歓喜に咲き誇り、大地はその神聖さに静かに震えた。

 セリーヌはユーリの言葉に一瞬驚きつつも、すぐに恥じらいながら微笑んで答えた。


「ありがとうございます、旦那様」


 ウェディングドレスを着るのは女性の憧れだと聞くが、男にとっても真っ白なドレスを着せる瞬間は特別だ。

 誓いの儀で、セリーヌの凛とした表情に見とれ、お互いに震える手で指輪を交換し、二人は静かに永遠の愛を誓う。

 その宝石のように美しい青い瞳には、慈愛に満ちた希望が宿っていた。

 セリーヌの頬を赤く染めてはにかむ姿を見た瞬間、ユーリの心が軽く浮かび上がる。

 まるで天に昇るような幸福感が全身を駆け巡り、彼の胸を満たしていった。


 その後の記憶はおぼろげで、気づけば大広間の新郎席に座っていた。

 周囲にはたくさんの招待客が並び、「献上の儀」が始まっている。

 夢を見ているのか現実なのか、不安が胸をよぎったユーリは、無意識に左手の薬指をなぞる。

 冷たい指輪の感触が、現実感を伴ってはっきりと戻ってきた。

 確かにそこに存在することを確認し、肩の力が抜けるようにホッと一息ついた。


 大広間では、司儀の厳かな進行に従い、貴族たちが次々と訪れ、丁寧に贈り物の目録を差し出し、礼を尽くして祝辞を述べていく。

 これで何人目の挨拶だろうか……。

 新国王の戴冠により派閥が再編されたことで、大王太后派との繋がりを求める貴族たちが押し寄せている。

 祝辞の言葉は、まるで繰り返す波の音のようで、気づけば意識が遠のきそうになる。


(まだ続くのか……)


 そう思い、心の中で小さくため息をつきながら、ユーリは隣の席に目を向ける。

 セリーヌは気品ある微笑みを浮かべ、ひとつひとつの祝辞に丁寧に返礼していた。

 その姿はまるで、静かな湖面に映る月のように穏やかで、美しかった。

 ユーリが見つめていることに気づいたのか、セリーヌがそっと振り向き、二人の視線が一瞬絡み合う。

 彼女の柔らかな微笑みを目にした瞬間、周りの騒がしさが嘘のように消え去った。

 ユーリは胸が高鳴るのを感じ、慌てて視線を正面に戻したが、心臓の鼓動はなかなか元に戻らなかった。


(いかんいかん、しっかりしないと……)


 気を引き締め直した瞬間、大広間の扉がゆっくりと開き、控えの間から次の男性貴族が姿を現した。


「ただいまより、モンタルベール男爵、ヴィクター・フォン・ミレイユ卿がご入場されます!」


 司儀の宣言に、大広間の空気が一瞬にして張り詰めた。

 ミレイユ卿は従者を連れ、堂々とした足取りでセリーヌとユーリの前に立ち、一礼する。


「セリーヌ様、この度はご成婚おめでとうございます。心よりお祈り申し上げます」


 セリーヌは微笑み、軽く頷いた。


「モンタルベール男爵、ありがとうございます。お越しいただけて嬉しいですわ」


 その声には威厳があり、周囲の貴族たちも彼女の微笑みに見惚れていた。


(さすが元淑妃だな……)


 セリーヌが貴族たちの注目を集めている様子に、ユーリは胸の奥で自尊心がくすぐられるのを感じた。


(くぅ~。自慢したい……)


 顔には出さず、心の中だけで優越感に浸る。

 何食わぬ顔で彼女の隣に座り続ける自分が、少しだけ誇らしい。


 ミレイユ卿の従者が前に出て、贈り物の目録をセリーヌの側にいる侍従へ手渡す。

 セリーヌはそれを受け取り、しばらく目を通してから静かに閉じ、満足そうに微笑んだ。


「まあ、素晴らしい贈り物を……モンタルベール男爵、心より感謝いたしますわ」


 その一言が広間に響くと、張り詰めていた空気が少し緩み、あちこちから小さな安堵の息が漏れた。

 セリーヌが目録を侍従に戻すと、ミレイユ卿は緊張した面持ちで彼女に視線を向ける。


「セリーヌ様、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

(またか……)


 とユーリは内心で苦笑した。


(さて、今度こそセリーヌの秘密を聞き出せるかな?)


 周囲の貴族たちも同じなのか、誰もが息を潜め、耳をそばだてていた。

 セリーヌは、何を尋ねられるか察しているかのように、鋭い視線でミレイ卿をじっと見つめた。

 その瞳には、余裕と遊び心が浮かんでいる。

 しばらくしてから、ゆっくりと顔を傾け、唇にわずかな微笑を浮かべる。


「私にお答えできることかしら?」

「本日のセリーヌ様は、いつもより一層、まさに女神のごとき美しさでございます。その……特にその髪、艶やかな光沢を放っており、何か特別な秘訣があるのではと……」


 ミレイ卿は戸惑いながらも、何とか言葉を絞り出した。

 セリーヌは一瞬だけ彼の視線を受け止め、軽く目を伏せてから微笑む。

 その仕草は、一瞬にして彼の質問を受け流すかのようだった。


 広間のあちこちから深いため息と、「また駄目か……」という呟きが漏れる。

 貴族たちの淡い期待は、またも打ち砕かれた。

 ミレイユ卿は、広間の空気の変化に戸惑い、不安そうな表情を浮かべる。


「……な、何か失礼なことを申し上げたでしょうか?」


 彼はおろおろしながら、セリーヌに視線を向ける。

 セリーヌは彼の動揺を楽しむように、柔らかく微笑んだ。


「いいえ、モンタルベール男爵。とても嬉しいお言葉ですわ。ただ……」


 彼女は一瞬、広間に視線を巡らせ、ざわめく空気を静めた。


「女性には、いくつか秘密があるものですのよ」

「秘密でございますか……。ぜひ、その秘訣を教えて頂くことは叶いませんでしょうか?」


 ミレイユ卿も奥方や娘から頼まれているのか、焦りが顔に滲んでいる。


「そうですわね、特別なことはしておりませんけれど……」


 セリーヌはわざと声を落とし、まっすぐ彼を見つめた。

 その瞬間、大広間に小さなどよめきが起きる。


(あれ、今回はもしかしてミレイユ卿の粘り勝ち……?)


 セリーヌが勿体ぶって続きを話そうとしているのに、ユーリは驚く。

 それを感じ取ったように、誰もが息を殺して彼女の次の言葉を待っていた。


「可能性があるとすれば、恋、かしら?」


 セリーヌの言葉に、聞き耳を立てていた貴族たちは一斉に息を呑み、椅子からずり落ちそうになる者もいた。


(えっ、なにそれ? 恋で美しくなるって……いや、確かにそんなことは聞いたことあるけど、そういうものなのか……? というか、絶対みんなが聞きたいことじゃないよね。むしろ、秘薬とか美容法とか、そういう話を期待してたんじゃ……)


 まさかの展開にユーリは内心でツッコミを入れる。


「恋……ですか?」


 ミレイユ卿が驚いたように聞き返すと、セリーヌは満足げに頷いた。


「そう、恋よ。恋は女を美しくするものですわ。あなたも、奥様のために素敵なプレゼントを贈られてみては?」

「プレゼント、ですか……」

「近々、私たちの美容法や健康法を体験できるお店を開く予定ですの。魔の森で取れる素材を使った美容薬液も開発中ですので、ぜひ奥様とご一緒にレーベルク男爵領まで足を運んでみては? 奥様はサロンで美容マッサージを、モンタルベール男爵はアムール・パヴィヨン・レーベルク支店で花を観賞してはいかがかしら」


 セリーヌは楽しげに一瞬だけ目を細め、領地の観光をさりげなくアピールする。


「アムール・パヴィヨンだと! まさか、あの王家御用達の……?」

「本当なのか? 私も昔、あそこの教導師に薫陶をうけたものだ」

「それは羨ましいですな。我が家にももっと財があれば……」

「我が家では、息子と娘のために家庭教師をして頂いておりますぞ」

「何? それは自慢ですかな?」

「バルティーニ夫人が王都以外に出店するなんて……!」


 貴族たちの驚きで大広間は騒然となる。


「静粛に、静粛にお願いいたします。献上の儀はまだ続いておりますので、ご質問は後ほどの夜会にてお願いします」


 司儀が慌てて場を収める。

 セリーヌは満足げに微笑んだ。


「そ、そのサロンで美容薬液も手に入るのですか?」


 ミレイユ卿は少し声を上ずらせて尋ねる。

 セリーヌは微笑みを崩さず、優雅に頷いた。


「ええ、そのつもりよ。皆さんもご存じの通り、旦那様は商人のギフトを持っていますから。私たちの領地を訪れる多くの女性に喜んでいただけるよう、心を込めて準備しておりますのよ」

「そ、それであればぜひ……。で、その際には、アムール・パヴィヨンで……ぜひ……」

「ふふ、もちろんですわ。バルティーニ夫人が手掛けるサロンですもの。詩や舞踊、そして花々との優雅な語らいで、夢のようなひとときを心ゆくまでご堪能いただけますわ」


(そんな贅沢な体験ができるの? ちょっと行ってみたいな……)


 セリーヌの言葉を素直に受け取ったユーリは、前世で京都に一人旅をしたときのことを思い出していた。


「こ、これはぜひとも……。一度足を運ばねばなりませんな……!」


 ミレイユ卿はホクホク顔でそう言って一礼すると、大広間から心躍る足取りで出て行った。


 彼が去ったあと、ユーリはセリーヌにこっそりと尋ねる。


「それって、僕も見に行けるの?」

「えっ、旦那様も興味がおありですか? でしたら、後宮に呼び寄せますので、旦那様が行く必要はありませんよ」

「あ、うん、久しぶりに音楽を楽しみたいな、と思って」

「……? 旦那様、もちろん音楽もございますが、アムール・パヴィヨンはもう少し特別な……秘められた情趣を愉しむ場所ですのよ」

「え、それって……」

「はい、その……リーゼの時もアイナの時も、ずいぶん控えめでしたのに、今回は随分と積極的ですね」

 ユーリはセリーヌの言葉でようやく自分の勘違いに気づき、思わず顔を覆った。


 次の瞬間、大広間の扉が静かに開き、荘厳な雰囲気をまとった人物が現れた。


「王太后陛下がご到着いたしました。ただいまより、王太后陛下がご入場されます!」



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまでお読み頂き有難うございます。


セリーヌ様たちがいるのに、ユーリ君もアムール・パヴィヨン通っちゃう?

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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