6.淑妃の降嫁 ②

 ぽそりと呟いたユーリの言葉に、アイナがすかさず反応した。


「何のご冗談を言われているのですか?」


 きっぱりと言われ、ユーリは一瞬たじろぎ、つい苦笑いを浮かべる。


 普通の貴族同士の婚姻であれば、王室に申し立てをして許可が下りさえすれば結婚できるのだが、今回はそうもいかない。

 セリーヌは前国王の側室、しかも正二品の淑妃だったため、形式上、降嫁の儀式を執り行わねばならないのだ。


 正二品とは、オルタニア王国の後宮における高位の階級で、それぞれに役割と職務がある。

 王妃は正一品の地位にあり、後宮全体の統括と国賓を迎える際の最高責任者である。


 正二品には、以下の五つの役職がある。

 ・貴妃:後宮の人事管理を担い、侍女や官女たちの配置を監督する役割。

 ・淑妃:祭典や儀式の進行を取り仕切り、王家の格式を守る存在。

 ・徳妃:後宮の財務管理を担当し、予算の配分や経費の調整にあたる。

 ・剣妃:後宮の警備や護衛の責任者であり、護衛隊を指揮する立場。

 ・賢妃:魔導具の管理を任され、後宮の秘宝や魔法の道具を管理・維持する。


 本来であれば、セリーヌ自身が淑妃として総監督を務めるべきところだが、今回は自分の結婚式であるため、正三品の淑儀がその役割を代行している。

 式の流れは、嫁取の儀から始まり、翌日の朝贈りの儀まで七つの儀式が続く。


 式の流れをおさらいしておくと、

 1.『嫁取りの儀』:新郎が豪華に装飾された馬車で、降嫁される姫を迎えに行く。

 2.『誓いの儀』:王宮にある星結びの間で、結婚の誓約を交わす。

 3.『献上の儀』:三日間、招待した貴族から挨拶と贈り物を受け取る。

 4.『入居の儀』:献上の儀の後、王都を行進してから新郎新婦の新居に向かう。

 5.『初夜の儀』:新郎と新婦が御寝所の控えの間で盃を交わす。

 6.『床入りの儀』:見届け人が寝具に入るのを見届けた後、王家へ報告。

 7.『朝贈りの儀』:侍女による確認の後、新婦が家族に挨拶を行う。

 以上、計七つの儀式である。


(初夜の儀とか床入りの儀とか……これ、完全に羞恥プレイでしょ)


 ユーリは内心で悶絶しつつ、儀式の規模に気が重くなる。

 降嫁の儀の期間中、王国民に向けて音楽や劇、ダンスなどの余興が催されるらしい。

 その費用は、嫁をもらう側であるユーリが負担することになっている。

 しかし、今の彼にはそんな資金などない。

 結局、その費用はレーベルク女男爵の借金として、大王太后陛下に立替えてもらっているのだ。


「いや、だって、借金してまでやるのは……」


 ユーリは思わず本音を漏らす。

 アイナは少し首を傾げ、じっとユーリを見つめると、ため息をついた。

 その表情には、わずかな憂いと心配の色が浮かんでいる。

 しばらくの沈黙の後、アイナは少し息を整え口を開いた。


「貴族とは、どんなときでも誇りを保ち、民に希望を与える存在です。そのためには、身銭を切ってでも見栄を張ることが重要なのです。派手な儀式を行うことが、領地の発展や人々の未来に繋がるのだということを、どうかお忘れにならないでください」


 アイナの瞳は、まるでその言葉にすべての思いを込めるかのように真剣だった。

 ユーリは言葉を失い、ただ彼女の瞳を見つめ返す。

 アイナ以外の侍女が部屋を出たのを見計らい、日向ぼっこをしていたコクヨウが目を細めて話し始めた。


「主様は本当に残念な貴族だニャ。プライドとか威厳とか、ないのかニャ?」


 その一言に、ユーリは苦笑を浮かべるが、先ほどのアイナの言葉が頭から離れない。


「アイナの言っていることも分かるよ。権威が領民の安心に繋がるし、貴族はそれを振り撒かないといけないことも……。だけど、プライドや威厳でご飯が食べられるわけじゃないし……」


 ユーリはぼやくように言うと、コクヨウは呆れたように耳を動かし、彼の浅はかな考えをあざ笑うように、ふわりとしっぽが揺れる。


「何言ってるニャ」


 その冷ややかな声に、ユーリは一瞬たじろいだ。

 そして、アイナが再び口を開く。


「そうですよ、プライドと威厳でお金を稼ぐのが貴族の仕事なのですよ。そして、旦那様の仕事はハレムの維持拡大です。旦那様が頑張れば頑張るほど貴族とのつながりが増え、領地の安定に繋がるのです。そうなれば、より美味な料理とお菓子が食べられるようにもなるのです」


 握りこぶしを作り力説するアイナに、ユーリは少し圧倒される。

 確かに彼女の言う通りかもしれない……だけど、それだけで本当にうまくいくのだろうか?


「……そ、そう言われればそうだけど……」


 答えを持ち合わせていないユーリは何とか言葉を返したが、アイナの真剣な眼差しが重く胸にのしかかってくる。

 部屋の扉がノックされ、侍女の一人が顔を覗かせる。


「そろそろ嫁取りの儀ですので、馬車にお越しください」


 それを聞いたユーリは、ホッとしたように息を吐いた。

 そんな彼を見て、コクヨウがため息をつく。


「ふぅ、本番はこれからだニャ。これで本当に大丈夫かニャ?」

「き、緊張してきた。最後にモフモフさせてくれ!」


 ユーリはコクヨウを抱き上げる。


「うニャ。そんな乱暴にするニャ!」

「旦那様、遊んでないで、さっさと準備してください」


 アイナが素早く近寄ると、ユーリの腕からコクヨウをひょいと取り上げた。


「あぁ、ほら、こんなに毛まみれになっているではありませんか」


 そう言うと、アイナは一瞬だけスカートをめくり上げ、太ももに刺していた毛取りブラシを、まるで暗殺者がナイフを抜くような素早い動きで取り出した。

 そして、ユーリの胸に付いたコクヨウの毛を手際よく払い落とす。


「す、すみません……」

「はい、これで大丈夫です。旦那様は、セリーヌ様が心からお認めになったお方なのです。もっと自信を持ってください」


 アイナの言葉に、ユーリは喉が詰まった。


「旦那様が残念貴族と言われようが、私たちは知っています。美味しい食事、美味しいお菓子、香りのよい石鹸、そして艶々になる洗髪液……これらは全て、旦那様のギフトがもたらしてくれたものです。それでもまだ、自信が持てませんか?」


 アイナの言葉が、ユーリの胸に深く刺さる。


(……生活改善のつもりだったけど、アイナたちにとっては特別だったんだ……)


 ふと、父の冷たい声が頭の中で再生される。


『名門レオニダス家の家名を名乗る資格はない……』


 あの瞬間、自分の努力も存在も、商人ギフトを授かったというだけで、すべてが否定された。

 ユーリは自分が無価値な人間――そう思い込んでいた。

 しかし、アイナたちは違っていた。

 ユーリが自分の欲求を満たすためだけにやっていた何気ない行為を、彼女たちは「特別」と言ってくれた。

 父が無価値と決めつけたギフトが、セリーヌたちにとっては喜びをもたらしている――その事実が、ユーリの心に静かに灯をともす。

 

『もう二度と家族として会う事はないが、新しい家族とは幸せになりなさい』


 そうだ。

 そうなのだ。

 ユーリには、新しい家族ができた。

 セリーヌ、リーゼロッテ、そしてアイナが、今の自分を必要としてくれている。

 これから増えるかもしれない側室たちも、生活を支えてくれる従者たちも、レーベルク男爵領の領民たちも、自分の新しい家族だ。

 過去に足を取られ、立ち止まっていては何も変わらない。

 父に認められなかった過去は消えないが、今は目の前の彼女たちのためにできることがある。

 そう思うと、自然と言葉が口をついて出た。


「アイナ、ありがとう」


 まだ自分の力で何かを成したわけではないが、かさぶたのように心の奥にこびりついていた塊がポロリと取れた様に、心が軽くなった。

 自然と笑顔になる。


「はい、もう大丈夫そうですね」

「はは、本当にアイナさんには頭が上がらないよ。ありがとう」

「であれば、クッキーと甘い紅茶で手を打ちましょう」

「了解。戻ってきたら、みんなでお茶にしよう」


 そう言ってユーリたちは馬車へと向かう。

 玄関から出ると、階段の下に豪華な馬車が待っていた。

 これから、この馬車で後宮にセリーヌを迎えに行くのだ。


「それでは、行ってらっしゃいませ。私は、床の準備をしてお待ちしておりますので」


 アイナは満面の笑みを浮かべてそう言った。


「……せっかく忘れかけてたのに!」


 ユーリは思わず口にし、胃が再びキュッと縮むのを感じた。

 けれど、その笑顔に引き込まれ、それ以上文句を言うのをやめる。

 アイナらしい見送りだと思うと、少しだけ勇気が湧いてきた。

 ユーリは深く息を吸い込み、胸の中にわずかな決意を抱きながら、馬車へと乗り込んだ。



◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆


ここまでお読み頂き有難うございます。


ユーリ君、義妹もちゃんと迎えに行ってよね!!

と思ってくださいましたら、

https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837

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