5.名門レオニダス家の落とし子 ②
和やかになった空気の中で、ふと表情を引き締めたリーゼロッテが尋ねてくる。
「お母様……借金の件ですが、大王太后陛下とリリアーナ卿、それに、ルクレティア様にご相談をされるのですか?」
「ええ、そのつもりよ。大王太后陛下には、王太后時代から色々とお世話になっているわ。きっと相談には乗っていただけるでしょう。リリアーナ卿も信頼できるし。ルクレティアは……まぁ、彼女は興味深い話には弱いから、大丈夫でしょうね」
大王太后は、前国王の母親であり、第一王子の祖母にあたる。
セリーヌにとっては、義理の母という立場だけでなく、その派閥に属しているため強力な後ろ盾でもある。
リリアーナ――リリアーナ・フォン・ハイデンローゼは、レーベルク男爵領の寄親でもあるイシュリアス辺境伯領の女領主である。
彼女は、セリーヌが淑妃だった時代に侍女見習いとして仕え、自分に良く尽くしてくれていたため、信頼できる人物だ。
そしてルクレティア――ルクレティア・バルティーニは、王都の高級娼館を経営する才腕の女主人であり、王家御用達という立場を持つ。
(聡明で信頼はできるけれど、癖が強いのよね……。でも、旦那様を守るためには、彼女の情報網がどうしても必要だわ……)
セリーヌは一呼吸おいてからリーゼロッテに続けて説明する。
「大王太后陛下の庇護下に入れば、王太后派も簡単には手出しできないわ。それに、ルクレティアは情報通だから、貴族の動向を探るにはうってつけなのよ。旦那様を守るためにも、情報は欠かせないものだから」
そう言うと、リーゼロッテは一瞬考え込んだ後、静かに頷いた。
「そうですね。貴族のやっかみほど面倒なものはありませんから」
リーゼロッテの賛同を受け、セリーヌも小さく笑みを浮かべたが、心配の種がないわけではない。
「ただ、問題はリリアーナ卿ね」
「リリアーナ様? 彼女は辺境伯領の領主ですよね。後宮で侍女見習いもされていましたし、信頼は置けるのではないのですか?」
リーゼロッテの問いかけに、セリーヌは少しだけ思案顔を浮かべ、ゆっくりと答えた。
「ええ、彼女自身は間違いなく信頼できるわ。ただ、彼女が個人的に大きな資産を持っていない気がするのよ。そんな中で、下手に辺境伯家から借り入れたりすると、余計な親戚が絡んでくる可能性があるわ」
「……まさか、あの人ですか?」
リーゼロッテの声に、セリーヌは小さく頷いた。
「そうよ。リーゼに求婚していた、あの男よ」
その名前が出た瞬間、リーゼロッテの表情はまるで苦虫を嚙み潰したかのように歪んだ。
「それは……面倒臭いですね……」
「ええ、借金を理由に、またリーゼとの結婚を迫られるかもしれないわね」
「ちょ、勘弁してください。私は……その……旦那様をお慕いしているんですから」
リーゼロッテは顔を赤らめながらそう言い、視線を外した。
セリーヌはその様子に、思わず微笑みを漏らした。
「まあ、もう旦那様に惚れてしまったのかしら」
「し、知りません!」
娘が恥ずかしそうに顔をそらすのを見て、セリーヌは心の中で微笑ましく思った。
「ふふっ。でも、リリアーナ卿以外で信頼できる人はいるかしら……」
セリーヌは小さくため息をつき、考え込むように目を伏せた。
「それでしたら、信頼できる商会を探してみるのはどうでしょうか?」
「商会……そうね。私たち自身で運営する余裕はないから、信頼できる商会が見つかれば心強いわね」
少し首を傾げ、考え込むように眉を寄せポツリと呟いた。
「でも、そう簡単に見つかるものかしら?」
「それは……どちらにしても、旦那様の計画のためにお金は必要ですから。家にある不要なものを売り払ってしまうのはどうですか?」
リーゼロッテの提案に少し驚いたセリーヌだったが、売り物にどれだけの値を付けるかで商人を選定しようというリーゼロッテの企みに気が付き、柔らかな笑顔を浮かべた。
「構わないわ。ふふ、リーゼ、面白いことを考えるのね」
「お母様には見透かされてしまいましたか」
リーゼロッテは少し照れた様子で微笑む。
「ええ、でもいい勉強になるわね。試してみなさい。王都に置いておいても無駄になるものは、すべて処分してしまっていいわよ」
「ありがとうございます」
リーゼロッテの力強い返事に、セリーヌは満足げに頷いた。
階段に差し掛かったところで、セリーヌは立ち止まった。
「私はこれから陛下と王太后陛下に王宮を去る挨拶をしないといけないから、リーゼは旦那様と先にタウンハウスへ行ってちょうだい」
「分かりました」
リーゼロッテが階段を降りかけたところで、何か思い出したように振り返った。
「お母様、もう一つお伺いしてもいいですか?」
「ええ、何かしら?」
旦那様以外のことで何か聞きたいことがあるのだろうかと、セリーヌは首をかしげる。
リーゼロッテがためらいがちな声で問いかけた。
「どうして王太后陛下は、あそこまでお母様を目の敵にされるのですか?」
その問いに、セリーヌはきょとんとした顔をする。
(そういえば、リーゼは理由を知らないのかしら)
さてどう答えたものかと逡巡したが、正直に話すことにした。
娘に隠し事をしても意味がないし、いつかは知ることになるだろう。
「それはね……陛下の初恋相手が私だったからよ」
「えっ、陛下って、お父様でなくアレクシス陛下のことですよね?」
リーゼロッテが目を丸くする。
セリーヌは苦笑しながら、軽く肩をすくめて答えた。
「もちろんよ。王太后陛下、当時は貴妃だったのだけれど、それが許せなかったみたいなの」
リーゼロッテはその答えにしばし固まっていた。
セリーヌは、彼女の驚いた表情を見て、遠い過去を思い返す。
あの時は若さゆえの勢いがあったものの、今となっては懐かしい記憶だ。
「それは……いつの話ですか?」
「そうね……陛下が八歳くらいの時かしら」
その言葉に、リーゼロッテは思わず眉をひそめた。
「八歳って……子供ですよね」
リーゼロッテの反応に、セリーヌは少し微笑む。
「ふふ、リーゼの驚きも分からなくはないわ。でも、たとえ幼い恋心でも、貴妃にとっては大切なものだったのでしょうね。息子を取られるように感じたのかもしれないわ。私も、リーゼと離れたくなくて爵位を叙爵したわけだから、その気持ち、分からなくもないの」
リーゼロッテはその言葉をしばらく噛みしめるように黙り込んだ。
やがて、ゆっくりと頷く。
だが、彼女の眉間にはまだわずかな不満の影が残っているようだった。
「でも、だからといって……あんな赤字領地を押し付けるなんて、さすがにひどすぎます」
リーゼロッテは少し唇を尖らせて、不満げな声で言った。
その様子があまりにも真剣で、セリーヌは思わずくすっと笑い声を漏らしてしまった。
「まぁ、いいじゃない。そのおかげで旦那様とも出会えたし、後宮まで手に入ったんだから。それに、旦那様の力で借金も返済できるわ」
セリーヌの返答に、リーゼロッテは一瞬戸惑ったように目を瞬かせたが、すぐに納得したように頷いた。
「それは確かに……。残念貴族の噂を広めた貴族に感謝しないといけませんね」
リーゼロッテの素直な反応に、セリーヌは微笑みを浮かべる。
「そうね。王太后陛下も、まさかレオニダス家を廃嫡された子があんな力を持っているなんて思いもしなかったでしょうから」
セリーヌが冗談めかして言うと、リーゼロッテはくすりと笑った。
「今でも信じられないくらいですから、他の誰も信じませんよ」
彼女の笑顔を見つめながら、セリーヌはふと思いついたように口を開いた。
「それで……リーゼの初恋は誰だったのかしら?」
その言葉に、リーゼロッテの頬が一気に赤くなり、視線が宙を彷徨う。
「は、初恋なんて……そんなの……い、いませんよ!」
動揺して顔を赤らめる娘の姿に、セリーヌは満足そうに微笑みを漏らした。
「あら、まだ初恋がないの? それとも……旦那様が初めてなのかしら?」
「ち、違いますよ。そ、そんなことありえませんから!」
声が裏返りながら、必死に否定するリーゼロッテを見て、セリーヌはくすくすと笑った。
「ふふっ、まあいいわ。恋心なんて、気づかないうちに始まるものだからね。でも……もし旦那様がリーゼの初恋なら、旦那様は幸せな人ね」
「も、もう、からかわないでください! 先に行きますから!」
顔を真っ赤にしたまま、リーゼロッテは急ぎ足で階段を下りて行った。
(リーゼには自由にして欲しかったのだけど……)
彼女の背中を見送りながら、セリーヌは自分が高級娼館で雑事をこなし、前国王に見初められて後宮へ入った頃を思い出す。
あの時の自分には、恋を夢見る余裕などなかった。
運命に身を委ねざるを得ず、自分の意志などどこにもなかった。
できれば、リーゼロッテには自由な未来を歩んでほしいと思いつつも、シュトラウス家に王家の血を入れるためには仕方ない。
無理やりユーリのハレムにリーゼロッテを加えたことには少し後ろめたさもあったが、彼であれば――あの優しさと誠実さを持つユーリであれば、リーゼロッテも恋や愛を知ることができるかもしれない。
そんな確信を胸に抱きセリーヌは微笑む。
(ちょっと面倒だけど……早く挨拶を済ませて、旦那様に会いに行きましょうか)
会ったばかりのはずなのに、ユーリのことを考えると心の奥からじんわりと温かい気持ちが湧き上がってくる。
胸の内に広がるその感覚に、自分でも驚きながら、思わず頬が緩んでしまった。
リーゼロッテにあんな風に言ったけれど、もしかしたら自分こそが初恋に落ちているのかもしれない……。
セリーヌは小さく息を吐き、頬に熱が集まるのを感じて、慌てて両手で頬を挟み、少しでも熱を冷まそうとした。
(まさか、私が……ね)
胸の中がくすぐったいような、けれども心地よい気持ちに包まれる。
まるで甘い秘密を抱えているかのようなその想いに、彼女は自然と笑みを浮かべる。
気持ちが軽くなり、何かに背中を押されるように、軽やかな足取りで王宮の廊下を歩き始めたのだった。
◆◇◆ お礼・お願い ◆◇◆
ここまで読んで頂きありがとうございました。
セリーヌ、オフィーリア、頑張れ! 応援しているぞ! もっと活躍してくれ!
と思ってくださいましたら、
https://kakuyomu.jp/works/16818093086711317837
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