5.名門レオニダス家の落とし子 ①

 セリーヌは、王宮の静かな廊下をゆっくりと歩きながら、先ほどのユーリとのお茶会の光景を思い返していた。

 「インチキ商人」という異常なギフトに、異世界の記憶、さらにはそこから編み出されたであろう領地の改革計画。

 徴税権を担保に融資を引き出すのが普通である中、領地改革事業に貸し手を巻き込むなど考えられない。

 契約書の書き方次第でどうとでもなるが、それだけに、決闘や領主間戦争の大義名分を与えることにもなりかねない。

 だからこそ、貴族社会では非常識とされているのだ。


(……さすがにちょっと驚いたわね)


 冷たい廊下に響かぬよう、心の中で小さく呟く。

 だが、一番驚いたのは、その計画を語ったのが、まだ貴族院を卒業していない少年だという事実だった。


(異世界の記憶……)


 もちろん、ユーリが嘘をついているとは思えなかった。

 それどころか、彼の謙虚で控えめな態度には、過小評価すら感じられるほどである。

 王国の禁書庫に封印されていた古い書物の中に、『復活した魔王を討伐した勇者は、異世界からの召喚者であった』という記述があった。

 それが真実であるなら、異世界の記憶を持って転生した赤子が産まれても、まったくあり得ない話ではない。


(禁書に書かれていた以上、教会はこの事実を隠そうとしているのよね……。何か理由があるのかしら? でも、これ以上は危険ね、今の教会を敵に回して良いことはないわね)


 それを無理に明らかにしようとするのは、ドラゴンの巣を突くようなもの。

 最悪、私たちの全てを焼き尽くすだろう。

 今は深入りすべきではない、と自分に言い聞かせた。

 自然と歩みが遅くなる。


(教会が何と言おうと、旦那様は私たちの救世主よね)


 ユーリの語った計画が現実のものなら、レーベルク男爵領は救われるだろう。

 それどころか、セリーヌの想像をはるかに超える発展すら期待できる。


「ふふ、能あるグリフォンは爪を隠す、とはよく言ったものね」


 思わず口元に微笑みが浮かぶ。

 自分を「残念な貴族」と揶揄していたユーリの姿が頭をよぎり、今ではその言葉すら愛おしく感じられる。

 セリーヌの心の奥に、じんわりと温かさが広がっていった。


「お母様、少々よろしいですか?」


 後ろを歩いていたリーゼロッテの不安げな声が、静かな廊下に響く。

 セリーヌは足を止め、ゆっくりと振り返る。


「どうしたの、リーゼ?」


 問いかけたセリーヌだったが、その理由は彼女自身も薄々感じ取っていた。

 娘もまた、ユーリの力と計画に戸惑っているのだろう。

 言葉を探すようにしばらく口を閉ざしていたが、やがて慎重に話し始める。


「旦那様の……あの力。本当に、異世界の記憶を持っているのでしょうか……。それに、領地のためにあれほどの計画を考えられるなんて……」


 リーゼロッテの声には、迷いが混じっていた。

 セリーヌは優しく娘を見つめる。


「そうね、あの力は確かに異常よ。私も驚いたわ。でも、リーゼ、旦那様はあの力に溺れるような人ではないことはわかったでしょう? あれだけの力を持ちながら、それを誇示せず、私たちのために使おうとしている。リーゼにも感じたはずよ?」


 リーゼロッテの頬に手を添え、セリーヌは優しい声をかけた。


(普通なら、あれだけの力を持てば誇示するもの。でも、旦那様は星辰の儀の後、父親に廃嫡され、使用人同然に扱われていたと聞いたわ……。ギフト一つで評価を変えた家族に、どれほどの失望や痛みを感じたのか……)


 その時のことを思い浮かべると、胸が締め付けられる。

 だからこそ、今度はユーリを支えたいと思うのだ。

 リーゼロッテはセリーヌの言葉に頷いたものの、まだ不安が残っているようである。


「でも……その力が、もし星導教会や帝国に知られてしまったら……旦那様が異端審問官に狙われてしまうのではないかと、それが凄く怖くて……」


 目尻に涙を溜めながら、絞り出すようにして声を上げる。

 まだ若い娘がこんなにもユーリのことを思い悩んでいる。

 その純粋な優しさに、セリーヌはそっと微笑んだ。


「リーゼ、あなたは優しい子ね。そんな風に他人を思いやれるなんて、本当に誇りに思うわ」


 リーゼロッテの涙を親指で優しく拭いながら、セリーヌは言葉を続けた。


「旦那様の力は隠せるものではないわ。いつかは広まる時が来るでしょうね。でも、その時には私たちで旦那様をお守りしましょう。そうよね?」


 リーゼロッテもその思いを受け取ったのか、小さく頷く。

 そして、少し緊張を解くように笑みを浮かべ、口を開いた。


「確かに……旦那様、胸の大きな女性には弱そうですからね。騙されないか心配です」


 思わぬ言葉に、セリーヌは一瞬ぽかんとしてしまったが、すぐにクスリと笑みがこぼれた。

 娘の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。

 セリーヌはあえて軽い口調で返す。


「ふふ……確かに。地位を見せつけているとはいえ、あんな風にチラチラと見られるのはちょっと恥ずかしいわね。もっと堂々と見てくれれば良いのに、なんだかこちらが悪いことでもしている気になってしまうわ」


 セリーヌは軽く肩をすくめて笑った。

 そもそも、この世界では胸元のふくよかさや白い肌は、高貴な身分や豊かさの象徴であり、それを見せるのが礼儀でありマナーである。

 なのに、どうしてユーリはあんなにも落ち着かない様子で目を逸らすのだろうか。

 セリーヌにはその理由がまったく分からなかった。


(旦那様の前世では違ったのかしら……?)


 そんな疑念がセリーヌの中で芽生える。

 もしそうだとすれば、それはまさしく女神より与えられた美に対する冒涜であり、日々の美容に注ぎ込む女性たちの努力を無に帰す行為ではないだろうか。

 セリーヌの胸に、じわじわと憤りが沸き上がる。

 ユーリの前世の女性たちの境遇に想いを馳せる。

 あれだけの美容薬液と金銭を惜しみなく費やし、日々美を磨いてきたというのに、その努力を誰にも称賛されないなんて……。

 そんなの、あまりにも不憫すぎるではないか。

 そこまで考えていたセリーヌは、ふと自分の考えがどこかずれているのではないかという不安に襲われた。


(もしかして、旦那様は……足の方にご興味があるのかしら?)


 その考えが頭に浮かんだ瞬間、彼女の心は一気に混乱に陥った。

 それこそ、まさかである。

 足首やふくらはぎ、太ももを見せるなど、マナー違反もいいところ、愚の骨頂でしかない。

 だが、ユーリのあの奇妙な目の逸らし方から、そんな疑念が湧いてしまうのも無理はなかった。


(ドレスのスカートを短くしてほしいとか言われたらどうしましょう……)


 セリーヌは、そんな願いをユーリが口にしないことを祈るしかなかった。

 もし「見せてくれ」と言われたなら、その時は「では、世界を手に入れてください」とお願いするしかない。

 心の中で、しっかりとそう決意する。

 一方、そんなセリーヌの心情など知る由もないリーゼロッテは、少し拗ねたような顔をして口を尖らせていた。


「むぅ、お母様はご立派ですから良いではありませんか」


 あまりにも可愛らしいその嫉妬心に、セリーヌの心が温かくなる。


「何を言っているの、リーゼ。あなたの方だって、ちゃんと見られていたわよ。それに、これからどんどん素敵に成長していくのだから、心配しなくてもいいわ」


 愛おしくリーゼロッテの頬を撫でる。

 リーゼロッテは少し戸惑ったように目を逸らしたが、やがて真剣な表情で口を開いた。


「そう……ですよね。もっとお肉を食べて、今よりも素敵にならないと!」


 その一生懸命な言葉に、セリーヌは笑いを堪えきれずに微笑む。

 自分も拳を軽く握り、娘を元気づけるように声をかけた。


「そうよ、その意気よ。側室が増えたって、旦那様に可愛がってもらえるように、努力しましょうね。私も旦那様の美容薬液でもっとお肌を磨かなくちゃ」


 セリーヌの言葉に、リーゼロッテは少し恥ずかしそうに笑いながらも、力強く頷いたのだった。

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