4.旦那様はインチキ商人③

「そうだ……鷹山の潘政改革!」


 ユーリが突然何かを閃いたように、勢いよく頭を上げて叫んだ。


「ヨウザンの反省改革……?」


 聞き慣れない言葉に、リーゼロッテは首をかしげる。

 ユーリが何を言い出したのか、すぐには理解できなかった。


「前世の記憶なんですが、江戸時代の日本で領地改革を成功させた人物なんです。彼の領地は借金だらけで、田畑は荒れ果て、家臣の給与も半分以下……そんな状況を数十年かけて黒字に転換させたんですよ!」


 ユーリは目を輝かせながら、興奮気味に話し続ける。


(前世……? 日本……?)


 リーゼロッテは頭の中でその言葉を反芻する。

 またもや現実離れした話が出てきたことに眩暈を覚える。

 セリーヌが思わず手を挙げて、ユーリを制止する。


「ちょ、ちょ、ちょーっと待って! どこから聞けばいいのか、話が大変なことになってるわ」


(そうよ……前世? 旦那様は何を言ってるの?)

 リーゼロッテもアイナも、セリーヌに強く頷いた。


「まず、前世って何ですか! 旦那様は前世の記憶があるんですか? 二ホン……って、初代勇者の研究論文に出てきた記憶があるけれど、まさか……旦那様も初代勇者と同じ異世界の知識を持っているんですか?」


 セリーヌが息を荒立てながら、ユーリに詰め寄る。


「は、はい、初代勇者が転生者というのは存じ上げませんでしたが、『日本』であれば、たぶん一緒なのではないですかね」


 ユーリはセリーヌの勢いに少し引きながらも答える。


(初代勇者と同じ……? 旦那様が異世界から……?)


 リーゼロッテの胸の中に、焦りと戸惑いが一気に広がる。


「なんてこと……こんな話、国王や帝国、教会に知られたら大問題になるわ……」


 セリーヌは深いため息をつくと、椅子にもたれ込む。

 瞳には明らかな憂慮の色を浮かべていた。


(確かに……旦那様が異世界の知識を持っていると知られたら、それこそ国全体を揺るがす大問題になるわ)


 リーゼロッテも母の言葉に強く同意しつつ、これ以上この話を続けても今は意味がないように感じていた。


(この件については、もう少し冷静に考えるべきね。今は『ヨウザンの反省改革』に集中しなくては……たぶん、それが一番の優先事項よね)


 そう心の中で結論を下し、リーゼロッテは少し肩の力を抜いた。


「お母様、その件は後にして、今は領地の黒字化についてお話を聞いてみませんか?」


 リーゼロッテは、放心状態のセリーヌにそっと声をかけた。

 すると、セリーヌは突然「詳しく聞かせて頂戴」と勢いよく身体を起こし、ユーリに詰め寄った。

 ユーリは少し驚いた様子で何度も頷き、慌てて咳払いをして話し始めた。


「簡単に言うと、領地内で産業を育て、自分たちの土地でできるものを商売に繋げたんです。そうすることで、領民たちが仕事を得て、その利益が領地に還元される仕組みを作りました。つまり、外部に依存せず領地全体を豊かにする方法です」


 セリーヌは興味深そうに頷きながらも、首を傾げる。


「それは分かりますが、具体的にはどうやったのかしら?」

「まずは農業の発展ですね。領内の未開の土地を開拓して、農業技術を向上させました。例えば、こっちの世界で言えば騎士に休閑地の開拓を勧めて、収穫量を増やしたんです」

「騎士に農業を? 反乱が起きなかったのかしら」


 セリーヌの疑問に、ユーリは少し苦笑して答える。


「ええ、実際に家臣の反発もありましたけど、若くてやる気のある騎士たちが協力してくれて、なんとか乗り切った感じです」


 リーゼロッテはユーリの話に引き込まれつつも、冷静に尋ねる。


「収穫量を増やすと言っても、そう簡単にはいかないでしょう。どうやって具体的に作物の収穫を増やすのですか?」

「小麦は土地の栄養を吸い取りやすい作物で、連作すると土地が痩せてしまいますが、米は水田を使って栄養管理ができるので、連作が可能です。そのため、収穫量も安定しやすく、しかも、単位面積当たりの収穫量が小麦の二倍以上なのですよ」

「お米? それは南方の皇国で育てられている作物ですわよね。レーベルク男爵領でも育つかしら?」

「やってみないと分かりませんが、ギフトを使って苗を手に入れられるので挑戦はできると思います」

「食料が確保できれば領民の生活も向上するわね」


 セリーヌは軽くため息をつきながら、ユーリの言葉に頷いた。



「次に行ったのが倹約です。贅沢を禁止して支出を減らし、領主自身も節約を徹底しました。食事もお米と汁物、おかず一品だけにしたんですよ」

「え……食事を抜くのは無理よ」


 セリーヌは驚いた声を上げたが、ユーリは穏やかに続けた。


「無理に食事を削らなくても、無駄を減らすことから始めればいいんです。無駄な支出を削減すれば、その分を領地再建に回せます」

「確かに……でも、無駄な支出を具体的にどうやって見つけるのですか?」


 リーゼロッテは眉をひそめ、現実的に実行できるのか半信半疑で尋ねた。


(賄賂や横領が横行している現状で、簡単にできることではないでしょうけど……)


 ユーリは一瞬考え込み、軽く頷きながら答えた。


「財務会計や簿記の知識が役に立つはずです。今度、勉強してみますね」

「それで不正が見つかるんですか?」


 リーゼロッテは即座に問い返した。

 期待はしているが、もし失敗すれば家臣たちからの反発があるかもしれない……そう考えると、ますます心配が募ってきた。


「うーん、不正を直接見つけるのは難しいかもしれませんが、数字を比較できるようになれば、不自然な点は見つけやすくなると思います」


 ユーリは慎重に言葉を選びながらも、前向きに答えた。

 その様子に、リーゼロッテは「慎重に進めれば大丈夫かもしれない」とわずかに安堵した。

 彼が冷静に対応してくれていることで、少しだけ不安が和らぐのを感じた。


「旦那様にそんな負担をかけてしまって、申し訳ないわね……」


 セリーヌは少し申し訳なさそうに言葉を継いだ。

 彼の気遣いに感謝しつつ、無理をさせたくないという気持ちもある。

 しかし、ユーリは笑みを浮かべて軽く手を振った。


「大丈夫です。ドンと任せてください!」


 その頼もしい言葉に、リーゼロッテも少し気が楽になり、セリーヌも満足そうに微笑んだ。



「そして最後は、漆や桑の木を植えて、織物産業を確立させました。漆は失敗だったらしいので、ここでは櫨や椿、オリーブを植えるのが良いかもしれませんね。これで織物業以外にも、製蝋や石鹸製造も進められます」


 ユーリが説明を終えると、セリーヌは感心したように頷きながら言った。


「それは素晴らしいわね」


 満面の笑みを浮かべるセリーヌ。

 きっと心の中では、税収が増えて若返りの薬に近づけると思っているのだろう。

 すると、ユーリが少し心配そうな顔をして口を開いた。


「ちなみに……昆虫とかは大丈夫ですか?」

「昆虫? 何のことですか?」


 セリーヌが不思議そうに首をかしげ、リーゼロッテも困惑した顔でユーリを見つめた。


「魔獣というほどではないんですが、糸を取るには蚕を育てる必要があるんです。慣れていないと、少し抵抗があるかもしれませんが……後宮では虫を飼っても大丈夫ですか?」


 ユーリは少し申し訳なさそうに説明した。

 セリーヌの表情が一瞬で強ばるのが見て取れる。


「ま、まぁ……それは領地についてから考えましょうか」


 セリーヌは明らかに動揺しながら、笑顔を作りつつ答えた。


(お母様、虫が苦手ですからね……それに、後宮で虫を育てるなんて考えたこともないでしょうけど、大丈夫かしら)


 リーゼロッテは母の不安げな様子に思わず微笑んだが、心配は消えなかった。


「領民の食料問題が解決して、雇用が増え、税収も上がれば……若返りの薬も夢じゃないわね!」

 セリーヌは突然、嬉しそうに笑みを浮かべ、声を弾ませた。


(お母様……やっぱり、結局そこに行き着くのね)


 リーゼロッテは内心でため息をつきながらも、それが母らしいと感じていた。


「でも、その木を植えたり工房を作ったりするには、相当なお金が必要ですよね? その点はどうお考えですか?」


 リーゼロッテは現実的な問題に目を向け、ユーリに尋ねた。


「そう言えば先ほど、借金が多かったと言われていましたが、どうやってそれを解決したのですか?」

 アイナが真剣な表情で尋ねると、ユーリは落ち着いた声で冷静に答えた。

「借金の一部免除を交渉し、残りの借金は立替えをお願いして、三人の貸主に借金を集約したはずです」

「借金を集約するのね……でも、そんなお願いを聞いてくれる人がいるのかしら?」


 セリーヌは少し眉をひそめ、半信半疑の様子で問いかけた。

 ユーリは微笑を浮かべ、穏やかな声で続けた。


「利子の代わりに収益の一部を還元したり、新商品の優先提供を約束するんです。それに、新しい事業に参加してもらうことで、貸主にもメリットが出るはずです」

「なるほど、金額に応じて特権を与えるのね。それなら納得してくれるかも」


 セリーヌは興味深そうに頷きながら、考え込んだ様子を見せた。

 リーゼロッテも、相手を巻き込み利益を共有するその方法に、胸が少し高鳴るのを感じた。


「でも、信頼できる人に集約したいのですが……心当たりはありますか?」


 ユーリが少し不安げに尋ねると、セリーヌは自信に満ちた笑みを浮かべた。


「うふふ……大丈夫よ。ちょうど三人、心当たりがあるの」

「三人……?」


 リーゼロッテはその言葉に驚きつつも、すぐに心の中でその三人を思い浮かべた。


(大王太后陛下、辺境女伯、高級娼館を経営しているお母様の友人、かしら……確かに、この三人なら旦那様の秘密も守ってくれそうね)


 リーゼロッテは、母があてにする人物たちの信頼性を思い、少しだけ安心感が広がった。

 彼女たちの協力が得られれば、計画は確実に進むだろう。


「その交渉は私に任せて頂戴」


 セリーヌは自信満々に答え、ユーリもその言葉に安堵の表情を見せた。


「では、旦那様はどれくらいの投資が必要かをリーゼと一緒に試算してくださいますか。アイナは私を手伝ってちょうだい」


 セリーヌが軽やかに指示を出すと、リーゼロッテとアイナは同時に頷いた。


(旦那様の異世界の知識って本当に凄いわ……。植林する木の種類まで考慮しているなんて、何を『反省』したのかは分からないけど、ここまで具体的に話を進められるなんて、本当に驚きですわ)


 リーゼロッテは、ユーリの知識の深さに感動し、同時に、レーベルク男爵領の未来が大きく動き出す予感に、胸が高鳴るのを感じるのだった。

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