4.旦那様はインチキ商人②

「それは、若返りも可能、ということかしら?」


 母の清々しい表情に、リーゼロッテは一瞬、言葉を失った。

 これまで考え込んでいた自分が、どこか滑稽に思えてくる。


(あぁ……お母様はもう考えるのを放棄したのね。確かに、その方が楽かもしれないわ)


 リーゼロッテは、母の姿を見て悟った。

 ギフトの常識外れな力を理解しようとするよりも、もう受け入れるしかない。

 考え込むより、どう活かすかを考えた方がいいと気持ちを切り替える。

 そんな彼女の思考をよそに、ユーリは黙って手を動かしている。

 まるで宙に浮かぶ見えない板を操作しているようである。

 その目は、何かを追いかけているかのように鋭く、彼の指先の動きが次第に速くなっていく。

 その真剣な眼差しに、リーゼロッテは胸の高鳴りを感じた。


「金貨十万枚で、一歳若返る薬が手に入りますね」


 ユーリが何気なく答えた瞬間、リーゼロッテは一瞬耳を疑った。


「高いですね」「安いわね」


 リーゼロッテとセリーヌは同時に発言し、思わず顔を見合わせる。


「いやいや、お母様、金貨十万枚は高すぎますよ!」


 リーゼロッテは即座に反応する。

 先日セリーヌに教えてもらったレーベルク男爵領の厳しい財政状況を考えれば、その金額は天文学的数字だ。

 年収が金貨五百枚程度しかない領地にとって、到底払える金額ではない。

 だが、セリーヌは全く動じずに反論する。


「何言ってるの、リーゼ。たった金貨十万枚で若返れるのよ!」


 その言葉にリーゼロッテは目を見開いた。


「若返ると言っても一歳です。お母様であれば、そんなに大きな変化にはなりませんよ」


 冷静さを保とうと努めながら、そう言ったが、セリーヌは本気だった。


「一歳でも大きな違いなのよ。アイナ、あなたもわかるでしょ?」


 急に話を振られたアイナは、戸惑いながら視線を泳がせた。


「え……あの、私を巻き込まないでください……」


 アイナが困った顔で答える様子に、リーゼロッテは思わず苦笑しそうになった。

 しかし、セリーヌは気にせずに話を続けた。


「リーゼも今は若いからわからないかもしれないけど、十五年もすれば、同じことを言うようになるわよ」


 その言葉に、リーゼロッテは一瞬返す言葉が見つからなかった。

 確かに、自分が年を重ねたとき、母と同じ考えになるかもしれない。


「それは……そうかもしれませんが、そもそも私たちの領地で金貨十万枚を用意するのは不可能です」


 リーゼロッテは冷静に、現実的な問題を指摘した。

 領地の規模と財政状況を考えれば、そのような巨額の支出は到底許されないことである。


「だから、旦那様のギフトで商品を仕入れて売るのよ。若返りの薬は危険すぎるけど……もっと安全で確実に売れるものがあるはずよ。そうよ、王侯貴族に向けた美容薬液なんてどうかしら?」


 セリーヌは顔を輝かせながら言った。


「王侯貴族が相手なら、値段は気にしないわ。質さえ保証できれば、美容のためなら惜しまずお金を払うはずよ」


 リーゼロッテは一瞬思案する。

 確かに、王侯貴族を相手にするなら、価格設定も高くできるし、商品の質が高ければ信頼も得られる。

 だが、同時に貴族と商売をするというプレッシャーが増すことも感じていた。


「それなら、確かに現実的かもしれませんね……高級な美容薬液なら、質を重視する王侯貴族たちにも受け入れられるでしょう」


 リーゼロッテは控えめに賛同しながらも、慎重な姿勢を崩さなかった。

 貴族相手となると、要求も厳しくなるし、商品の評判がすぐに広がる。


「ユーリ様、どんな商品があるのか、少し詳しく教えていただけますか?」


 ユーリは、自分のギフトを使えばどんな商品でも仕入れられると言っていた。

 だが、王侯貴族相手に、その目に適う商品を見極めるのは容易ではない。

 もし、誤った商品を選んでしまえば、彼らの期待を裏切ることになりかねない。

 その失敗は、取り返しのつかないものとなるだろう。


「ちょっと待ってくださいね……そうですね、スキンケア、メイクアップ、ボディケア、ヘアケア、オーラルケア、ネイル、フレグランスといったカテゴリーがあって、スキンケアの中だけでも、クレンジング、洗顔、ローション、乳液、エッセンス、ジェル、保湿クリームとかがあるみたいです。だいたい銀貨十枚以上はして、最高級になると金貨十枚くらいですかね……にしても、高っかいなぁ」


 ユーリは手元で何かを操作しながら、少し呆れたような口調で説明を続けた。


「……はい? えっ、美容薬液って一つじゃないのですか?」


 リーゼロッテは、その情報量に圧倒され、思わず困惑の声を漏らす。


「旦那様、今おっしゃったそれぞれのアイテムは、すべて違う効果があるのですか?」


 セリーヌは興味津々といった様子で、食い入るように質問を重ねた。


「たぶんそうだと思います。よく分からないんですけど、カテゴリ別に分かれてるってことは、それぞれ違う目的があるんじゃないかと……」


 ユーリが少し自信なさげに答えた。

 その表情から察するに、彼自身も美容品の詳細には詳しくないようである。

 すると、セリーヌが微笑みを浮かべながら、まるで聖女のように両手を胸元で組み、恍惚とした表情で呟いた。


「女性を美しくするためには、お金に糸目をつけては駄目ということね……」


 その姿は、まるで女神に祈りを捧げているかのようで、リーゼロッテは思わず肩をすくめた。


(お母様、本気でおっしゃってるのね……)


 美への執着を感じさせる母の姿に、リーゼロッテは少し呆れたが、分からなくはない。


「すべて揃えるとなると、かなりの額になりそうですね……。王侯貴族向けに最高級品を揃えると、一体どのくらいになりますか?」


 リーゼロッテは、商品の数が多くなることを踏まえて、貴族のランクに応じて商品を区別してもよいかもしれないと考えた。


「えーと……金貨百枚くらいですね。最低限で揃えても銀貨二十七枚以上はしそうです」


 ユーリはなぜか申し訳なさそうに説明した。


「金貨一枚と銀貨七枚ですか……。庶民には手が届かないでしょうね。下級貴族や裕福な商人に向けて売るしかなさそうです」


 リーゼロッテは、美容薬液を購入できそうな人々の姿を思い浮かべた。


「それだと、毎年金貨二十万枚を稼ぐには、王国内だけじゃ厳しいわね。帝国まで販路を広げるしかないかしら」


 セリーヌは軽い口調でそう言ったが、突然帝国の名前が出てきたため、リーゼロッテは驚かざるを得なかった。

 帝国と貿易をしてまで、毎年若返りの薬を購入するつもりなのだろうか……。


「お母様、なぜ二十万枚なんですか?」


 リーゼロッテはふと疑問に思い、尋ねる。

 若返りの薬は確か金貨十万枚だったはずだ。


「私とアイナの分よ」


 セリーヌがあっさりと答える。


「奥様……」


 アイナは感動したように潤んだ瞳でセリーヌを見つめている。


「ま、まぁ、私は後十年は不要かしら」

「お嬢様、そういうのは思っても口に出さない方がよろしいかと」


 アイナが苦笑しながら諭すように言う。


「そ、そうね、失言でしたね」


 リーゼロッテはセリーヌのジト目に気づき、慌てて訂正した。


「まずは王国内で販売したとしても、収益は年間多くても金貨三千枚ぐらいかしら……やっぱり、基幹産業を育てて、領地全体を豊かにしないと到底無理ね……」


 セリーヌがため息をつく。


「えっ、本当に毎年若返りの薬を買うつもりですか?」


 リーゼロッテは、「本当に毎年飲むつもり?」と内心思い、ついつい疑問を口にしてしまった。


「もちろんよ。そのために頑張るの。領地のためにも、シュトラウス家のためにもね……でも、やっぱり愛する旦那様のために美しくありたいじゃない」


 セリーヌが上目遣いでユーリを見つめると、彼の顔がみるみる真っ赤に染まり、視線を逸らす。

 その様子にリーゼロッテは思わず心の中でため息をつく。


(お母様ったら……本当に容赦ないわね)

「とはいえ、レーベルク男爵領には、これといった資源はありませんよ」

「魔の森があるけど、危険だものね……どうしたものかしら」


 セリーヌは珍しく、真剣な表情で考え込んでいた。

 魔の森には確かに豊富な資源があるが、領民の命を危険にさらしてまで利用するべきではない。

 もっと安全な方法で、領民全体に仕事と収入を行き渡らせたいところだ。

 何か妙案がないか、紅茶の冷めかけた香りを楽しみながら、リーゼロッテは逡巡するのであった。

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