3.旦那様のお仕事 ②

「では、旦那様には、私の代わりにリーゼを抱いて、子をなしていただけますか?」

「ぶふっ、げほっ、げほっ!」


 突然のセリーヌの言葉に、ユーリは思わず吹き出し、激しく咳き込んだ。


「ユーリ様、大丈夫ですか?」


 隣に座っていたリーゼロッテが驚いてすぐに立ち上がり、優しく背中をさすってくれる。

 その優しさが余計にユーリの混乱を深めた。


「い、いきなり、想定外のことを言われたので、驚いてしまいました。流石に、それは……駄目でしょう」


 ユーリは心の中で必死に言葉を探しながら、なんとか返事を絞り出した。


「旦那様、王国法では何の問題もありませんよ。これから私は領主としての仕事が忙しくなりますし、お腹が大きくなると仕事に支障が出てしまいます。ですから、夜のお相手はリーゼにお願いしたいのです」


 セリーヌは落ち着いた口調で説明するが、ユーリの動揺は収まらない。


「それであれば、落ち着くまで、無しでも良いのでは?」


 なんとか別の提案をするが、セリーヌは驚いたようにユーリを見つめた。


「……旦那様、ご病気ですか?」


 セリーヌの声が静かに響く。

 ユーリは一瞬、言葉の意味を理解できずに困惑した。


「はい? いえ、いたって健康ですよ」

「では、夜のお勤めに関心が薄いのですか? それとも修行僧か賢者であらせられますか?」


 セリーヌがさらに問い詰めるように聞いてくる。


「いえ、私も立派な男子ですので、関心はありますよ?」

「病気でもなく修行僧でも賢者でもない……。では、旦那様は元気であらせられない、とか?」


 セリーヌが右手を頬に添えて「もしそうだったら元気にできるかしら」と少し困った表情で呟く。


「ぶふっ、せ、セリーヌ様、何を仰られているのですか!」


 ユーリは真っ赤になりながら、慌てて否定する。

 そんな彼を見て、リーゼロッテも顔を真っ赤にして俯いた。


「お、お母様、まだお昼ですよ、そ、そんな話をするなんて……は、はしたないです」

「何を言っているの、とても重要なことよ」


 セリーヌは真剣な顔でそう言うが、リーゼロッテは恥ずかしさで言葉を失っていた。


「もしかして、リーゼではご不満ですか?」


 セリーヌが少し不安そうに尋ねると、ユーリは驚いて首を振った。


「いえいえ、滅相もありません。こんな妖精のように可憐な女性を拒む男性なんて、いるわけがないでしょう」


 ユーリがそう言うと、リーゼロッテは恥ずかしそうに耳まで赤くし、さらに縮こまった。


「では、なぜリーゼを抱いて頂けないのでしょう?」


 セリーヌは首を傾げ、不思議そうな顔をしてユーリを見つめる。

 その純粋な問いかけに、ユーリは言葉に詰まった。


「なぜって……セリーヌ様と結婚するのですから、セリーヌ様と……ないからと言って、娘のリーゼロッテ様とというのは、やはりおかしいのではありませんか?」


 自分でも何を言っているのか分からず、焦りながら必死に言葉を紡ぐ。


「おかしくありませんわ。母であり妻である私が許可をいたしますから」


 セリーヌは真剣な表情に、ユーリの頭はますます混乱する。


「いや、ですが……まだ貴族院も卒業してませんし早いのでは?」


 ユーリは必死に反論しようとするが、セリーヌはまったく動じない。


「それも大丈夫です。私も貴族院に入学する前にリーゼを産みましたから」


 セリーヌの言葉に、前世では考えられなかったこの世界の常識を思い出した。

 この世界では回復魔術が発達しており、出産年齢が十代前半から四十後半までと非常に幅広い。

 貴族社会では、強い魔力を持つ子供を多く持つことが奨励されており、食糧難や資金難があっても、「生めよ増やせよ」の国策の下、側室を持つのが当然とされている。


「旦那様、レーベルク男爵家は新興貴族としてこれから存続していくために、多くの困難に直面します。親族や縁戚の少ない私たちには、自ら人材を育て、家を強化していく責任があります」


 セリーヌは一息つき、ユーリの目を真剣に見つめた。


「特に、子供を多く持つことは、この家を強固にし、次世代に繋げるために不可欠なことです。そのためには、ユーリ様のお力がどうしても必要なのです」

「だからって、リーゼロッテさんと、その、あの……」


 埒が明かない状況に、セリーヌは深いため息をつき、最後の手段を使うことに決めた。


「王印も頂いております。陛下ならびに王太后陛下からも許可を頂いてますから、ご安心ください」

「え、なんで王印? 本気ですか?」


 ユーリは驚きで唖然とし、言葉が出てこなかった。


「お母様、子作りは貴族院を卒業してからにさせてください」


 リーゼロッテが冷静にそう言うと、ユーリはさらに驚きを隠せなかった。


「えっ、そっち? リーゼロッテ様はそれで問題ないんですか? 自分の母の夫と、その、子作りなんて……」


 信じられないという気持ちでリーゼロッテを見つめたが、彼女は落ち着いている。


「法律的には問題ありませんし、私も気にはなりますが、私のことも愛してくださるなら、それで構いません。新興貴族ですから、将来を考えると子供は多いほうが良いと思いますし」


 強い意志を見せるリーゼロッテと、呆気に取られて口を開けたままにしているユーリをよそに、セリーヌは口元に人差し指を当てて静かに呟いた。


「貴族院入学までまだ時間もあるし、ぎりぎり間に合うと思うのですけど」

「お母様……」


 リーゼロッテが少し困ったような顔をしてセリーヌを見つめると、彼女はため息をついた。


「わ、分かりました。そこまで言うなら、リーゼのことは貴族院を卒業するまで待ちましょう。その代わり、旦那様にはリーゼと共にレーベルク男爵領のためにハレムの運営をお願いします」


 これまた予想をはるかに超える提案に、ユーリはまるで豆鉄砲を食らったように目を見開いた。


「は、ハレムですか?」

「古くから続く貴族たちは、親族や縁戚が豊富にいて、必要な時に助け合える体制が整っています。しかし、私たちのような新興貴族は、それがありません。だからこそ、自らの手で後継者を確保し、繋がりを強化することが必要なのです」


 セリーヌは一呼吸置き、拳を握りしめ、その熱意を伝えるようにユーリにお願いした。


「側室や妾の選定から、子作り、さらに側室同士の問題解決まで、リーゼと共に相談しながら進めていただきたいのです。何人でも大丈夫ですから、王太后派に負けないぐらい増やしましょう」


 身を乗り出して説得してくる様子に、ユーリは思わずツッコミを入れる。


「えっ、なにその『ガンガンいこうぜ』みたいな作戦。本気ですか?」


 王太后派といえば、反大王太后派の集まりで、オルタニア王国において二番目に大きな派閥だ。

 王太后がまだ三十代であることを考えると、彼女が大王太后になるには猶予がある。

 新国王にはまだ子供がいないため、これから側室も含めて選定される。

 そう考えると、今から子供をガンガン増やして、今の大王太后派の貴族たちと政略結婚させれば、その派閥をギリギリ継承できる可能性がある。

  元淑妃であるセリーヌなら、反王太后(その頃には反大王太后)派の受け皿としては十分だろう。

 今のところ、大王太后が元気に存命しているため、その派閥に属するセリーヌも安全だが、将来はどうなるか分からない。


「はい、全力でお願いします。旦那様のお好みに合わない方もいるかもしれませんが、領地の発展やお付き合いを考えると、断ることはできません。どうか仕事と割り切って対応してくださいまし」


 自分の熱さに気づいて恥ずかしくなったのか、セリーヌは咳払いをして少し冷静になる。


「貴族として、私たちには未来を守るための重要な役割があります。それを果たすために、旦那様のお力を存分にお貸しください。それが、レーベルク男爵シュトラウス家の将来に繋がる大切なお仕事になります」


 ユーリの胸にセリーヌの言葉が重く響く。


(前世でいう日本の江戸時代みたいな感じかな? お家騒動の火種になりそうだけど、領地や貴族社会のためには、政略結婚も必要か……)


 何度も噛み締めるように言葉を反芻し、やがて深いため息をついた。

 セリーヌの言葉には、家族としての責任だけでなく、領地全体の未来を背負う重みがあった。


(これが、領主である女男爵の夫としての役割なんだな……)

「わ、わかりました、頑張ってみます」

(そのうち、「レーベルク男爵領の種馬」なんて呼ばれそうだな……)


 ユーリは、将来を想像しながら、「残念貴族」に新たな称号が加わることを思い、諦め混じりに苦笑するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る