第17話 愛してる

「アイラ! アイラぁ……!ダメだよ……」


 その声は遠い。

 

 けれど、どこか懐かしい響き。

 温かさが込められた声。

 それを追いかけようと、意識を手繰り寄せようとするが、身体は動かない。

 まるで重い鎖に縛られたように、全てが硬直している。


「……起きてよ!お願い……死んじゃ嫌だよ……」


 再び声が聞こえる、今度は涙に濡れたような震えた声だった。


 ゆっくりと目を開ける。

 だけど私の瞳には何も映らない。

 

 ただ身体で感じる、柔らかな温もり、地面の冷たさとは正反対のもの。


 硬い床ではなく、誰かの腕に包まれている。

 そう気づいたのはほんの数秒後のことだった。


「……良かった、私は守りきれたんですね。」

 

 安堵感。

 まるで初めて会った日――崖から落ちてきたこの子を、助けた日の事を思い出す。


「ごめんなさい。その……耳飾りを無くして――」

「そんなのどうでも良い!!!お願い……」

「エメア。私、いま何も見えないんです。私を抱いてるのは、貴女なんですよね?」


 そう問いかけると、抱きしめる力が強くなった……気がする。

 

 あんまり体の感覚が無いし、周りを見ることができないので、状況が分からない。

 

 流石に痛覚を削りすぎるのは良くなかった。

 次ムムララに会ったら、これも直してもらおう。

 

「…………うん、私」


 また声色が変わった。

 次は涙声じゃない。

 いったい何だというのだろう。

 

「……?落ち着いたみたいですけど、何を泣いてたんですか?」


 周りからはまだ人が戦っている音が、聞こえてくる。

 

「ううん……何でもない。アイラ……私は最後まで……ずっと一緒にいるよ」

「何を言ってるのか分かりませんが、早く逃げましょう。少しだけ魔力が回復しましたし、自分で走りますから……」


 そう思って足に魔力を込めようとしたけど、上手く回らない。

 

 なぜ?


 体のどこに回そうとしても、上手く回ってくれなかった。

 仕方ないので、一点集中で左腕に魔力を込める。


 そうするとギリギリ動いてくれた。

 おそらく、心臓に1番近い位置にあったからだと思う。


 そしてその腕で、体の中心を触れてみたけど――何もない。


 ようやく理解した。

 今の自分を。

 エメアの声色が変わり、初めて出会った日のような雰囲気がしたのも。


「なるほど……こうなりましたか」


 ……感謝するよムムララ。

 

 多分ムムララが、変な魔術を使ってくれなかったら、この場面にすら辿り着けなかった。

 ありがとう。


「そうですね。最後にお話をしましょう。また会った時に、気恥ずかしくなるような思い出話を、笑顔で」

「…………分かった」

 

 とはいえ、何から話そう。

 無難にあの日の事を、正直に話すのもありかもしれない。

 

「出会った日のこと覚えてますか?」

「……その言葉をアイラに返したいくらいには、覚えてる……」

「そうですか。正直なことを話すと私は、エメアに微塵の興味もありませんでした。言ってしまえば貴女は生きるための道具だったんです」


 最後だというのに、突き放すような事を言ってしまった。

 だけど何故か笑って返してくれる。

 そんな未来が私には見えた。

 

「一つ目がそれって、すごく酷いね」


 ふっと微笑んでから、返事をしてくれる。

 

 やっぱり予想通りだ。


「でも、それは始めから分かってた。アイラが私に何も思ってなかったのも、家族になってくれるっていう言葉に、ただ合わせただけなのも」

「それは意外です……」


 驚かされるのがこっちになるとは。

 だとしたら今の今まで、良く付き合ってくれてたと思う。


 ならなんで私と一緒に居続けてくれたんだろうか?


「……私はアイラの知らない、アイラを知っているんだよ。だから最近のアイラは、私に勝てないの」

「それはすごいですね。それなら一つ、知らない私をご教授してもらいたいものです」

「ううん、それはダメ。自分で気づかないと」


 最後だというのにケチなものだ。


「そういえば、結局この首の傷はなんだったんですか?」

「それは愛の証、私の所有物っていう証拠。それを付けてれば他の獣人族は唾を付けない」

「…………」


 所有物ね。

 薄々そんな感じなんだろうとは分かっていたが、やっぱり人族の私が付けるのは少し違うと思う。

 

「私にはアイラ――あなたしかいないから……」


 喋り方もやっぱり私に似てきた。

 これから先、この子の姿を見ることが出来ないというのは寂しいな……

 

「ちょっと赤ちゃん抱っこをやめて、抱きしめてもらっても良いですか? ……肌で感じたいんです。エメアのことを」

「うん、良いよ」


 そう言ってエメアがゆっくりと、体が崩れないように優しく、体勢を変えてくれた。

 私は自分の顔をエメアの肩に寄せた。


「……最後くらい貴女の顔を見たかったです」

「大丈夫、私はここにいるよ」


 そう言って頭を撫でてくれる。

 

「はい……そういえば貴女に贈り物があるんです――受け取ってもらえますか」

「良いけど……何?」


 魔力もなく腕も無い状態で何をするのか、予想できないだろう。

 これが今、私が渡せる最後の贈り物。

 

「そのまま支えてて下さいね」

 

 視界がない代わりに、存在を肌で感じられるのが救いだった。

 私は自分の顔の位置をずらし、エメアの肩に唇を触れさせた。


「え……?」


 驚くのはまだ早い。


 匂いとともにエメアの存在を確かめるように、唇をそっと滑らせ、ゆっくりと肩から首へと形を探り当てていく。

 その指先が触れなくとも、彼女の体の輪郭が、頭の中で鮮明に浮かび上がるようだった。


「散々やってくれたお返しをしてあげます」


 囁くようにそう告げ、私は首筋にそっと歯を突き立てた。

 エメアの身体がわずかに跳ねるのを感じたが、その反応さえも、愛おしく感じる。


「どうして……?」

「さっき言いましたよね。所有物なのは貴女だからです。私じゃありません……なので少しの間、黙って噛まれ続けてください」


 そう言って再び歯を食い込ませた。

 口の中に満ちるエメアの血の味。


 なるほど。

 確かにこれはクセになる。


 支配欲求とでも言うのかもしれない。

 

 この子が私の物で、言うことは何でも聞いてくれるんじゃないかとすら、思ってしまうほど。

 支配されていたのは私の方なのに……



 

 しばらくの間、私はエメアの中から歯を抜かなかった。

 

 死んでも良いからこのまま、この子の中に溶けてしまいたい。

 そう願わずにはいられなかった。


 だけど終わりの時は近い。


 私の寿命と、今なお魔物と戦ってくれてる人達の命も。

 だからもう終わりにしないといけない。


 そっと、歯を抜いた。


「アイラ?」

「貴女へ最後に伝えたい言葉が、3つあります」

「…………」

「エメア。次からは……1人の人間なんかに固執せず……いっぱい友達を作ってください」


 この子に寂しい生活をして欲しく無いから。

 

「……?」

「ご飯はいっぱい食べてください……私は元気な貴女が……1番良いと思います」


 ずっと健康に過ごして欲しい。

 

「ねえ…………何を言ってるの……?」


 ここから先を言うのは怖い。

 でも言わなかったら死んでも後悔する。

 だから……

 

「…………そして最後に……私は貴女を――愛しています」

 

 言えた……!

 ついに言えた…………


 言葉にして実感する。

 やっぱり私はエメアを愛していたんだ。

 あぁ、とても……とても幸せ。

 

 これならもう大丈夫。


 最後に愛の告白を聞いたエメアが、どんな間抜けヅラをしてるのか、見たかった……

 

「アイ――」



 ---



 残りの魔力を全て使って、エメアを包み、空へと持ち上げた。


「アイラ!何してるの!!アイラぁぁぁぁ!!!」

 

 でもこの子を助けるのには、私の魔力だけじゃ全然足りない。


 だから祈りを捧げる。


「神様……!!カスみたいな命で……申し訳ありません!……だけど私の全てを捧げて……願わせて下さい!」


 世界に愛されていると言われた。

 それなら、最初で最後の……一つの願いくらい……


「エメアを……救ってください。これからの未来を……祝福してあげてください。お願い……します」


 転生という奇跡があるのだから、きっと魂には他にも使い道があるはず。


「私の命だけで……足りないというのなら!存在を……記憶も……!魂の全ても捧げ……ます……だから、どうかエメア……エメア……を――」


 その時、人型の白いモヤが見え、糸からエメアが消えたを感じた。

 この感覚は私がよく使ってる転移の感触。


「ありがとうございます……あはは……願って……みるものですね…………」


 これで私は独り。


 お母さん。

 

 私を殺して一緒に死ぬ理由は、まだ理解できないけど……少しだけ貴女の気持ちが、分かった気がします。

 

 寂しかったんですよね?


 私も今、とても寂しいです。

 

 私1人を残し、消えていくエメアを見てそう思います。


 出来ることなら……一緒に死にたかった――




 


 ◇



 

 


「あ、耳飾りから漂ってた魔力が消えちゃった」

「おい馬鹿女、起きたなら自分で走れや!……後ろ見ろ!まだ追われてんだぞ?」

「え〜、ムムは惜しい人を亡くして激萎えモード……だからおやすみ――」





―――――――――――

アイラの名の由来、それはアイビーという名の花。


花言葉は【永遠の愛】【結婚】【誠実】

そしてもう一つは――

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