第4話 愚者のしるし

 ……い、痛い。


「なんで……離れるの?」


 エメアがとてもか細い声で言った。

 後ろから絞められているので、顔が見えない。

 

「……アレだけ怒った後だと……少し気まずくて」


 眠かったので言い訳を考えることもせずに、そのままストレートに言った。


「私のこと嫌いになった……?」

「……なってませんよ」


 流石に私も私で、少し熱くなりすぎたと反省している。

 もう少し優しく諭すことが出来たかもしれない……とはいえ、あまり自分が間違っているとも思えない。

 難しい心境だ。


「……なんで……なんであんな事を言われても、怒らないの?」


 あんなこと。

 私の捨て子云々の話だ。


 怒らない理由。

 私は昔から何を言われても、割と無視する癖がついていたので、今回もそれに続く形になっただけだ。

 じゃあ無視出来ないケースとは、どんな場合なのだろう?

 おそらくだけど、自分の心に余裕が無い時だ。


 日本にいた頃も中々に最低な環境だったが、あの頃は救ってくれる友達がいた。

 エメアに対する私のように。

 だから最低限の余裕があった。

 

 そして今はエメアがいる。

 この子のおかげで死なずに済んで、今の私は余裕がある。

 満たされているのだ。


「エメアは私一人が、一緒にいるのでは不満ですか?」

「そんなことない!……なんでそうなるの……?」


 即座に否定してきた。

 

 何も理解してもらえていない。

 私の目には、そう訴えかけてるように映った。


 エメアの疑問。

 何も思う事はない。

 私はノータイムで返事をした。

 

「エメアが隣にいるから、心に余裕があります。だから怒らなかったんです」


 そう言うと更に表情が悪くなった気がする。

 何故……?

 間違った事は言ってないと思う。

 

「それは……私が同じことを言われても怒らなかったってこと……?」


 とても哀しそうな声。

 私を抱きしめる腕が震えている。

 

「…………」

 

 ……クソ。

 最低だ。

 流石に馬鹿すぎるな、私。


 何故、私はこの言葉が来ると分からなかったんだ。

 聞かれて当然レベルの疑問のはずだ。


 あのルルクという商人には、私同様にエメアも捨てられた子だというのは説明していない。


 脳内でシュミレーションをしよう。

 ……例えば立場が逆だとして、エメアが商人にあの発言を掛けられたとする。

 それを聞いた私は怒らなかったのか?

 

 私なら動く。


 だけど殺しはしないはず、助けたという判断が、無駄になってしまうから……半殺しくらいでとどめるかもしれないが……

 殺すなら、始めから男達が死んだ後でテッラボアを狩り、積荷を奪うという判断で良かった。

 

 ………………それでも……でも、解せない。


 何で私がエメアのため、そこまで動くのだろう?

 思考実験では動くという結果に至った。

 だけどそこまでする価値が、この子にあるのだろうか。

 例え日本にいるあの子だったとしても、私は絶対にそこまで全力で動かない。


 エメアに抱く私の感情。


 それは友愛ではない。

 それは性愛ではない。

 それは家族愛ではない。


 そもそも私は生まれてこの方、愛というものを理解できていない。

 

 ……じゃあ何だというのか?

 やっぱり自分が分からない。

 

「なんで、何も言ってくれないの……そんなの……そんなのって……ないよ……」


 啜り泣く声が聞こえる。

 私を締めつけていた腕の力が、この子から抜けるのを感じる。

 ……答えを出さないといけない時間だ。


 後ろを振り向き、私はまとまってない思考で、口を開いた。


「……いえ。全部、全部……私が間違ってました」

「………………」


 エメアは黙って私の話に耳を傾けている。

 

 ……あんな説教のようなことをしておいて、このザマだ。

 自分が愚か過ぎて死にたくなってくる。


「商人が貴女に向かってアレを口走ってたら……きっと、許して、ません……」

「………………」

「その…………だから…………」


 続きの言葉が出ない。

 

 なんで私が、こんなに思考をフル回転させなければいけない状態になるんだ。

 全て自分が悪いとしても、そう思わずにはいられない。

 

「…………初めてだね、自分が悪いって言い出すの」


 あまりに落ち着いた声だ。

 周りが薄暗く、下を向いているので顔が髪に隠れて見えないが……それでも、さっきまでの意気消沈した雰囲気とは全くの別物。


 いや、何を勘違いしている。

 ……全て私が悪いというのに、何を考えているのだろうか。

 これでは罪の上塗りだ。


「……私が悪い、です……エメアが望むなら、商人を殺しましょう。罰を望むのなら、何をしてもらっても構いません……腕の1本や2本でもお好きに……」


 何故こんな言葉が自分から出てくるんだろう。

 ただ私が馬鹿な発言をして、それを改めてるだけのはず。


「そこまでやったら、後の行動に支障が出るじゃん。それはアイラ風に言うなら、とても愚かで時間の無駄って言うんじゃないの?」

「……はい……その通りです」


 もう完全に立場が逆転してしまっている。

 エメアは私が怒った時に言った言葉を、そのまま返してきた。

 その程度では許すつもりはないと、暗に示しているとすら感じる。


「どうすれば良いですか?……どうしたら許してもらえますか?」

「アイラって『悪い』とは言ったけど、ごめんなさいとは言ってないよね、本当に悪いと思ってる?」

 

 確かにその通りだ。

 あの時、商人さんに向かって謝るようエメアに急かした私が、一度も謝罪の言葉を述べていない。


 エメアの言葉を聞いて、私はすぐ謝ることにした。


「ごめ――」

「今更謝っても、もう遅い」


 言葉の節々から笑みを隠しきれていない。

 ……こいつ、もう私が言い返せないことを良いことに、状況を楽しみ出している。


 でも私からは何も言えない……寧ろ楽しんでもらっているこの状況に……救われて、いる?

 

「なら、どうすれば……」

「う〜ん。じゃあキスしてよ、アイラから」

「それだけは絶対に嫌です」


 ほぼ反射的に口から出てしまった。

 なんだキスって……


 しかも女同士なのに、なんでそんなことを求められているのか……いや、私の友達は家族同士でしていたのを見たことある。もしかするとそういう方向の意味合いなのかもしれない。

 だとしても全くしようと思えないし、したくない。


「今、迷いもなく即答したよね? 本当に悪いと思ってるの?」


 やっぱり反射的に言ったのはまずかった。

 エメアの不機嫌度が間違いなく増している。


 もちろん悪いとは思っている。

 でも流石にキスを求められるのは……

 

 ……『愛してる』や『大好き』などと言った言葉は、時々エメアが私に伝えてくる。

 それはあの子自身が望む家族としての、交流の在り方なんだと思う。

 そしてそれを、私は一度も返していない。

 返すことはできない。

 自分でも理解が出来ていないからだ。


 そんな人間がプロセスを飛ばしてキス?

 絶対に無理だ。


「本当にそれ以外でお願いします……他なら何でも良いので……」

「まぁ、そうだよね」


 案外、あっさりと引き下がった。

 始めから断るのを分かっていた。そう確信する他ないほどに。


「……あはは、それならあんま気乗りしないけど、アイラが言うように罰の方向でいくから」


 今日1番の笑顔だ。

 こっちが本命らしい。


 そんなに私を傷つけたかったのだろうか?

 ……でも、そうなっても仕方ないという程度には、この子を利用していた気がする。


 そう思うと受け入れられる。

 これはあまりに身勝手すぎた、私に与えられる罰。

 

「……お好きにどうぞ」


 罰。

 内容は単純。ただ私の体に、傷を付けるというもの。

 武器は、エメア自身が持つ獣特有の牙。


 傷が治る度、新たに付け直し行い、更にそれを一年の間、衆目に晒すという形にするそうだ。


 これから王都へ向かうのだから、理に叶っているのかもしれない。

 目立つ位置に分かりやすく傷を付けて、今日のことを忘れさせないようにするためなのだろう。


 今まで馬鹿な子だと思っていたけど、それは間違いだった……のかもしれない。

 

「付ける場所は首。痛がっても止めないし、うるさくしないでね……気づかれるちゃうかもしれないから」


 エメアがそう言って微かに唇を引き上げ、鋭利な牙が顔を覗かせた。


 私に向けられる凶器。

 

 目に映るエメアの姿を表すなら、やはり獣と呼ぶのが正しいのだろう。

 改めて自分の恩人が、人間ではないというの理解した気がする。

 

「……騒がないので、早くやってください」


 言い終わると同時に、背中へ手を回され、引き寄せてきた。

 いつもの強く締め付けられながら寝るソレとは全く違う、柔らかな毛布で包むかの抱擁。


 そして罰の象徴が、首元に当てられているのを感じる。


「いくよ」

「……はい」


 ゆっくり……ゆっくりと、エメアの牙が私の柔らかな首に触れる。

 最初は冷たい感触が背筋を走った。

 そのままじわじわと圧力を加えられる。


 そして鋭い牙が皮膚を割り、僅かに血が滲むのを感じた。


「……っ……ぅ…………」


 更に時間をかけて奥深くへと、体の中に入ってくる。

 時間が止まってるのかと思うほど、時の進みが遅く感じる。

 

 ……早く、早く終わってほしい。

 奥歯を噛み締め、体を震わせながら私は思う。


 そしてあまりの痛みで涙が溢れ、声の我慢が限界へ達しそうになった時、体の中から異物が消えるのを感じた。

 

「終わったよ〜!」


 エメアが元気な声で終わりを告げた。

 

「……ッ…………はぁ……はぁ…………」

「アイラから抱きついてくるなんて珍しいね。涙も流してるし」


 抱きついてる。


 その指摘を受け、すぐさま抱擁を取っ払い、少し距離を取った。


 どうやら無意識の間に、私はエメアにしがみついていたらしい。

 こうなる事を予想していたから、いつもと違ったのか。

 

 涙まで見られてしまったのは……酷い屈辱だ。


「そんなに痛かった?」

「…………すごく……痛かったです……」

 

 狩りなどの戦闘中であればこの程度、あまり気にするほどのものではない。

 魔力を回している他、体が一定の興奮状態を維持しているので、痛み感じづらいからだ。

 でも今は全く状況が違って魔力は回してないし、アドレナリンなんか出ないのだ。


 つまり、かなり痛い。

 その上、知らずにやってるのかは分からないけど、エメアがゆっくりと時間をかけて、やってくるのだから、それはもう拷問である。


「その痛みは、私が心に受けた痛みと同等のものだよ」


 それを言われると、こちらは何を言うことも出来ない。


「でも、これでおあいこ、仲直りだね」


 そう言ってエメアは、こっちへ来るようにと催促してきた。

 私が寝るためのスペースが出来ている。

 ようやく眠ることが出来るというわけだ。


 それにしても、出会った頃とギャップがすごい……


「……ここ数年で、だいぶ性格が悪くなったようですね」

「私が悪いみたいに聞こえるけど、それはアイラのせいじゃない?」

「そうですね……そうかもしれません」


 あの無垢に見えた頃が懐かしい。

 私に影響されてこの性格になったんだとしたら、随分と悪い影響を与えてしまった気がする。

 まぁ、良い。

 こうなったらもうどうにもならないし。

 

 私はゆっくりとエメアのお腹に乗る。

 そしていつも通り、2本の尻尾と腕でキツく固定された。

 

 それにしてもおあいこか。

 これも学びだろう。


 同じ間違いは起こさず……あとはエメアを下に見るのもやめよう。


 ……首元からまだ少し血が、流れ出していたのが気になっていたところ、エメアが舌で舐め取り始めた。

 

「……傷が治ったら、また新しく付け直すからね」

「その約束……忘れてくれることを、切に願っておきます……」

「安心して、絶対に忘れないから」


 あんな罰を定期的に受けなければいけないなんて、鬱病にでもなってしまいそうだ……

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獣人の女の子に拾われました。調子に乗ってたら首を噛まれ1年の間、噛み跡が付いた状態で王都を歩かされるそうです。もうこの子を下に見るのやめます...... 中毒のRemi @Remiria0831

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