第八話 悪役皇子とはお近づきになりたくありません!
「え……ええ、うんまぁ……」
濁した返事をしながらも、頭のなかはパニックだった。
(どうしてユージンがいるの? しかも、公爵家の馬車はまだ来ていないの?)
発車待ちをしている馬車はまだ列をなしている。そのひとつひとつに目をとめてみるものの、見慣れた紋章は見当たらない。
「公爵家の馬車は来ない。先ほど使いが来て馬車が遅れると言うから、カトリーヌは僕が送っていくと言っておいた」
「えええっ、な、なんですって?」
(しまった……ユージンとのこの邂逅がそんなに拘束力の強い出来事だとは思っていなかった……まさか、ユージン自身が公爵家の使いを帰してしまうなんて!)
父と母が別々に出かけていれば、代わりの馬車は見劣りがするから使いをよこしたのだろう。
公爵家とはいえ必要に応じて身をやつし、飾りが少ない馬車を使うこともあるが、学校の送り迎えと言うのはある意味で権力を誇示するようなところがある。
それでカトリーヌもいつも豪奢な金飾りのついた紋章旗付きの馬車に乗っていたのだった。
「なにか僕の馬車に乗りたくない理由でも?」
「う……そんなことありませんわ。ありがとうございますユージン皇子殿下」
スカートをつまみ、足を交差させてお辞儀をするとカトリーヌをユージンは物言いたげにじっと見つめている。
「カトリーヌは……いつから僕に対してそんなに礼儀正しくなったんだ?」
その突っこみにぎくりと身がすくむ。
カトリーヌの母は皇帝陛下のいとこにあたり、年が近いユージンとは幼いころから面識があった。
しかもいまは学友で、生徒会でもかかわりがある。
このころのカトリーヌはユージンのことを気軽に『ユージン』と呼び捨てにしていたのだった。
(しまった……子ども時代は公的な場に出ることが少ないから、皇子殿下なんて敬称をつけて呼ぶことも滅多になかったんだった)
いつもと違う行動をなにかすると、それがユージンに殺されるフラグにつながる気がして関わりを避けたかったが、そう簡単に運命は変えられないらしい。
「ついでに一緒にお茶をして帰ると伝えておいた」
「はい?」
――こんなこと過去にあったかしら?
子どものころの話だから記憶が曖昧かもしれないが、さっぱり記憶にない。
(ただ馬車に乗って帰ったと思ったけど……別の記憶と取り違えているとか?)
さすがにこれ以上、断るのは難しい。
――関わりを断つどころか、より長く過ごす羽目になるなんて。
馬車に乗ってお茶をすると言うから、どこに連れていかれるかと思ったら、皇宮の一画だった。
皇帝と皇后の住まいから離れた場所に、緑色が特徴的な、緑影宮と呼ばれる宮がある。
ユージンの母親である第二皇妃と彼が暮らす場所だった。
「緑影宮を訪ねるのは久しぶりね……」
ところどころに緑を配した建物は落ち着いていて美しい。
整えられた庭の草木が懐かしくて、ついカトリーヌはその光景に見入った。
「この前来たのは一ヶ月前だったと思うが」
「え……ああ、そうだったかしら」
(しまった。二回死に戻った記憶があるせいで、子どものころの記憶がずいぶん昔のことな気がして……)
皇立幼年学校を卒業するころには皇太子と婚約が決まり、ユージンとは距離を置くようになっていた。当然のように、なにかと言い訳をつけて緑影宮からも遠ざかっていた。
「妃殿下は今日はご不在なの? お目にかかりたかったのに」
「母上は慈善バザーに出かけている」
ユージンの母親はカトリーヌの両親が亡くなったときにずいぶんと心配して、カトリーヌのことを気にかけてくれた。
温厚な性格で皇宮での存在感はないが、情に厚い人だった。
(妃殿下はのちに子どもを流産して、そのまま亡くなってしまうはず……)
妊娠や出産で死ぬことは珍しくないが、子どもも母体も健康だったところからすぐに亡くなったことから、毒殺されたのではないかという噂が流れていた。
その犯人ではないかともカトリーヌは疑われ、それもまた緑影宮から遠ざかる理由になっていた。
「こっちだ。見せたいものがあるから、お茶を飲んで待っていてくれ」
案内されたのはユージンの部屋だった。
部屋につづきの客間で使用人もユージンの侍従もいるから、二人きりではないが、殺されたときのことを思い出すせいだろう。やけに緊張してしまう。
お茶を飲んでいると、ユージンが布に包んだなにかを腕いっぱいに抱えて戻ってきた。
しかも、人払いまでして二人きりになるまで覆いをとろうとしない。
「これを見てほしかったんだ」
二人掛けソファの隣に腰かけたユージンは、整った顔をカトリーヌに近づけて言う。
赤い天鵞絨の覆いから出てきたのは白い卵だった。
わずかに青みがかった白は透きとおっていて美しい。
中身が見えそうでいて見えなくて、でもいまに動きそうで、ずっと見ていたくなるような不思議な魅力がある。
「ずっとあたためているんだけど孵る様子がなくて……カトリーヌ、君、本をよく読んでいるだろう? なにか知らないか」
(普通の卵にしては大きいけれど……南国の鳥の卵かしら)
十才の男の子の腕に腕にすっぽりと入ってしまう大きさだ。もしこれが鳥の卵だとしたら、ずいぶん大きく育つ鳥だろう。
「触ってみてもいい?」
興味を引かれて尋ねると、ユージンはこくりとうなずいた。
指先を伸ばすと、すべすべとしつつもときにざらついた引っかかりがある。大きさ以外は普通の卵とそう変わりない。
けれども、ユージンとカトリーヌの手が同時に卵に触れてしばらくすると、卵がわずかに光りはじめた。
「反応があった! いままでなんともなかったのに……」
驚くユージンの言葉を聞きながら、これは明らかに過去にはなかった出来事だとカトリーヌは思った。
(もしかしてこれはまずいのでは……それともわたしにとってはいいことなの?)
死に戻ったからには今度こそ生きのびたい。
流されるままにユージンの部屋まで来てしまったが、この出来事がカトリーヌが十才まで死に戻った理由なのだろうか。
光る卵からはわずかに魔力が漂う。
「これはもしかして魔法生物の卵なんじゃ……」
ちらりとユージンの赤い瞳を盗み見る。
カトリーヌの金色の瞳と同じく、ユージンの赤い瞳も魔力が強いがゆえに瞳に色が現れている。
クー・ルーイン帝国では魔法使いはあまり生まれないがゆえに、魔法に対する知識が広まっていない。
だから、カトリーヌも金色の瞳を持ちながらも魔法の才能を生かすことは許されなかった。
もちろん、魔法生物の知識も遠い山脈の向こうのおとぎ話だと思われている。
カトリーヌが知っているのは、前々世で得た知識のおかげだ。
この時点ではクー・ルーイン帝国に魔法生物はいないはずだった。
(ユージンが魔法生物を飼っていたなんて聞いたことがない。これが本当にわたしの悪役令嬢としてのフラグ分岐だとしたら、この卵をきちんと孵す必要があるのかも……)
「魔法生物というのは……なにを食べるんだ?」
「そりゃあ魔力でしょ」
ユージンは困っていただけあってカトリーヌの言ったことを素直に信じたらしい。
おとぎ話にすぎない魔法生物だと言われて、疑問に思うよりも先に食餌を気にしている。
(ユージンにこんなかわいいところがあったなんて……)
前世でも前々世でも知らなかった。
もっともカトリーヌはもうすぐ皇太子の婚約者になるのだし、そうでなくても彼に殺されるほど恨まれていたのだから、こんな機会がなくて当然だった。
「じゃあ、僕ではなくカトリーヌの魔力に反応したということなのか? それがこの卵の餌になるのか?」
「そうね……詳しくは調べてみないとわからないけど……ユージンにも魔力があるはずだから、ひとつの魔力だけじゃ足りなかったということかもしれないわ」
彼の赤い瞳は炎魔法の使い手としての能力が高いがゆえだ。
カトリーヌの金色の瞳は複数の魔法が使える証でもあった。
これは前世で魔法学校について調べたときに初めて知った知識だ。
魔力についての知識が乏しいこの国では、金色の瞳や赤い瞳はただ異端なだけで、その意味を知るものは少ない。
紙の本に書かれた知識でさえ調べるものがいなければ伝わりにくいこの世界で、魔法の知識だけに特化して調べるのはなかなか難しかった。
「皇立幼年学校の図書館には魔法に関する本はなかったはずだから皇立図書館で調べたほうがいいかしら……」
「皇立図書館か……子どもは許可をもらわないと入れないはずだから手続きがいるな」
「そうよね」
前世ではすでに成人していたから書庫の古い本も確認できたのだった。
「今日すぐには難しいから明日にしようか。カトリーヌは明日、時間はある?」
「明日……わたしも皇立図書館に行っていいの?」
二回死に戻ったいま、もう一度皇立図書館でカトリーヌの身に起きた事象について、似た事例がないかどうか調べてみたかった。
ユージンの提案は渡りに船だ。
「もちろん。卵が反応したのはカトリーヌが初めてだから……明日も卵に触ってほしいし」
卵を撫でるユージンの小さな手が、ふいにカトリーヌの手にも触れる。
じーっと返事を待つように赤い瞳を向けられていた。
あらためて間近で見ると、ユージンは子どものころから綺麗な子どもだった。
皇族であることを差し引いても、周囲に人が集まってきそうなものなのに、彼は人を寄せつけなかった。
いつもひとりで本を読んだり勉強に打ちこんでいる。
それは彼が第二皇妃から生まれた第三皇子で、皇太子と敵対しないという宣言のようにも見えた。
「じゃあ、明日図書館で会いましょう」
カトリーヌがそう言うと、ユージンはやけに優雅な仕種でカトリーヌの手の甲にちゅっとキスをした。
「約束だよ、カトリーヌ」
にこっと笑みを浮かべた様子はさすがは皇子さまだ。普段の人を寄せつけない姿からすると信じられないほど、様になっている。
挨拶のキスなんて前世でもしたはずなのに、小さな皇子さまがやけに魅力的な笑みを浮かべたからだろうか。
小さな胸は、柄にもなくどきどきとしていた。
「きょ、今日はそろそろ帰るわ。あまり遅くなると家のものが心配してるかもしれないし」
手をさっと引き、カトリーヌは辞去を告げる。
この日、卵は一度光ったあとはどんなに触ってももう光らなかったのだった。
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