第35話 労い?

 最後に翔斗さんは「暗くなりましたのでどうかお気をつけて」と言い添えてお客様をお見送りした。


 ……あれ?

 疲労にまみれた中で、私は少しの違和感を覚えた。


 だってここ数日、翔斗さんがお客様をお見送りする際に必ず添えていたことば。


 『メリークリスマス』を、今の老婦人のお客様にだけは言わなかったから。


 思えずっと翔斗さんは『クリスマス』という言葉を言わずにいたような気がする。



 締めたドアに施錠をして『closed』の札を提げこちらに戻る翔斗さんを迎えつつ、訊ねてみた。


「『クリスマス』って……あえて言わずにいたんですか?」


 すると翔斗さんは「ああ、気づかれましたか」と『王子モード』のままで笑う。


「ご来店なさった時から『焦り』ではなく『申し訳なさ』や『ためらい』が見受けられましたので、クリスマス関連のご用ではないのかも、と思いまして」


「そんなの見ただけでわかります?」

「わかりますよ」


 にこりとされてなにも言えない。


「それでお話を伺ってみたら旦那様が亡くなられた日とのことでしたので。その後は意識して『クリスマス』という言葉を口にしないように努めていました」


「そ、そうだったんですね」


 マニュアル通りじゃない、ひとりひとりに合わせた接客。理想でも、なかなか実現出来るものじゃない。


 翔斗さんはやっぱりすごい。



「さてゆっちゃん。長らくの連続勤務おつかれさまでした。これにて【フレジエ】のクリスマスは終了です」


「あ……」


 言われてやっと実感が湧いた。


 お、おお、お、おわったんだ…………。


 するとそんなつもりはなかったのに、なんだか途端に力が抜けてへなへなとショーケースの前の床に座り込んでしまった。


「え。大丈夫ですか?」


「うあ……す、すみません」


「お疲れのところ付き合わせてしまってすみませんでした。立てますか?」


「あの……さっきからなんで『王子モード』のままなんですか?」


 見上げるようにして訊ねると、翔斗さんは「ああ、それは」と答える。


「僕なりの『労い』のつもりです。必要ないですか?」


 キョトンとしてから、「へっ?」と笑ってしまった。「労い……? ですか?」


「はい。瀕死状態の相手に追い討ちをかけるような趣味はありませんから」


「どんな趣味ですか、それ」


「けどゆっちゃん、僕の対応にかなり不服そうでしたし」


「え、そんなことないですよ!?」


「いえいえ。『なんで知らないって言わないの!?』とか『なんでここでさらに深掘りすんの!?』とか『もう勘弁してよバカ』とか、見て取れました」


「バカだなんて思ってませんよ!?」

「いえ、そんな顔でしたよ」


 くすりと笑って、そして未だに床に座り込んだままの私を申し訳なさそうに笑みつつ見る。


「これが僕流なんです。賛否があるのは理解しています」


「だから否定なんて」

「いえ」


 『王子モード』にしては珍しく頑なな翔斗さんに小首を傾げる。


「現にゆっちゃんは今こうして立っていられないほどの過労状態になっています。この現状では、先程までの僕の接客対応が適切ではなかったと言われても仕方ありません」


 それは笑みを消した、まっすぐ真剣な瞳だった。


 適切ではなかった……か。購入目的でないお客様への対応。たしかに『重要視すべきでない』という見方もわかる。


 でも翔斗さんの接客は。考え方は。



「…………いえ。素敵だと思います」



「え……?」


「私、翔斗さんの接客や考え方、ほんとに、とても素敵だと思います」


「ゆっちゃん……」



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