第18話 標的はだれ

「ちなみに赤の薔薇には本数によって意味がありまして。先週届いた三十本の場合は『ご縁を信じています』という意味になります」


「ご縁……ですか」


 それはやっぱり、翔斗さんとの?


「今回の件、この黄色い薔薇が本命で先週の赤い薔薇がそれの布石だったとすると、その意味するところはやはり『嫉妬』である可能性が高まります」


「えっ、どういうことですか?」


「贈り主は僕との『ご縁』を望んでいる。その上で『嫉妬』の意味を持つ黄色の薔薇を贈ってきたということは────」


 向けられた視線に、どきん、と胸が鳴った。


「……え、わ、私、ですか?」


 思わず目を見開いた。


「ここでのバイトを妬まれている可能性は大いにあります。ゆっちゃんには毎週僕の隣にいてもらっていますので」


 それはたしかにそうだ。今の私の立場は誰かから嫉妬されてもおかしくない。


 途端にそわそわと落ち着かない気持ちになった。


 翔斗さんは先週同様に包みを解いてバケツに薔薇を生け始めた。黄色い薔薇と翔斗さん。こんな状況で不謹慎かもしれないけどやっぱりついつい見とれてしまう美しさだ。────と。


 翔斗さんが抱えた花束からひらり、と小さなカードが舞い落ちた。ちょうど私の足もとに。


 屈んで、拾い上げる。



【フレジエのゆっちゃん様へ】



 ハッとすると同時にぞくりと寒気がして一気に恐怖に駆られる。カードを持つ手が震えてひらりと落としてしまった。


「し、翔斗さん……」

「やはりそうでしたか」


 翔斗さんはまったく動じていないようで、床に落ちたカードを見下ろしながら小さくため息をついた。


「嫉妬……厄介な感情です。ゆっちゃんのような短期バイトを雇うとこういったことがよくあるんです。すみません。なるべくは未然に防ぐように努めているのですが」


 床からカードを拾い上げると翔斗さんは裏表を確認してから書かれた文字をまじまじと眺め始める。


 文字はペンで手書きされているようだ。

 ……え、いや、まさか。


「うそ、筆跡で特定できるんですか!?」


 ギョッとして訊ねると「さすがに」と苦笑いを返された。そ、そうだよね。ふう。


「しかしある程度の見当はつきました。贈り主さまはここの常連で、尚且つ、花、それも特に薔薇を好まれるお客様」



 すると翔斗さんは厨房のいちごさんのもとへ向かいなにかを相談しはじめた。


 私は翔斗さんが残していった黄色の薔薇の花を見下ろす。ああ。キレイな薔薇を見ていたらなんだか美人な相手に一方的に嫌われて睨まれているような気持ちになる……ってその通りなのか。うう。


「ゆっちゃん」


「えっ、はい」


 呼ばれてハッとして返事をした。見ると売り場に戻ってきた翔斗さんがいつになく真剣な面持ちで立っていたからドキリとする。


「【フレジエ】としてはクリスマスを控えていますしせっかく慣れてきたところですので当然ゆっちゃんにはこのまま続けてもらいたいです。しかしこんな不安要素を持ったままで勤務を続けてもらうのは申し訳ない。なによりゆっちゃんの身に危険が及ぶかもしれないとなれば、こちら側としてもこの件を放置することはできません」


 え……。それって実質……。

 ぞくりと背中が寒くなった。


 さっきいちごさんに相談していた内容って、まさか。


「自主的にバイトを辞めてほしい……ってことですか」


 言うと現実感がぐっと増してしまってどうしようもなくなった。文字通り目の前が真っ暗。いきなり谷底に突き落とされたような。


「ちがいます」


「……へ」


 俯いていた顔を上げてみると、翔斗さんの表情には真剣さが増していた。


「あなたが『こんな嫌な目に遭うくらいならもう辞めたい』というのなら話はべつですが、『辞めたくない』という気持ちがあるのならば【フレジエ】は全力でこの相手と戦い、あなたを守ります」


 驚きのあまり目を見開いた。そこにいるのは、やっぱり紛れもなく『王子様』そのものだった。


「ゆっちゃん」


 翔斗さんは真剣にこちらを向いて、訊ねる。


「守らせてくれますか」


 ズキュン……。完全に撃ち抜かれた。こんなのって、こんなのって、ズルいよ?


 そして、考えた。バイトを始めてまだたったのひと月。だけど、思い出は案外たくさんある。クレーマーだった竹内さんとの再会。猫のオタマちゃんと蒼井さんの救出劇。


 お仕事も少しずつ憶えてきていたところだし、なにより販売員のお仕事は、楽しい。ケーキを買われる幸せそうなお客様のいちばん近くにいられる。幸せを分けていただける。すごくいいお仕事だなって、翔斗さんの隣で学んだんだ。


 それは『王子様の隣にいたい』なんていう下心のある気持ちなんかじゃない。私は翔斗さんから、もっと学びたいんだ。


 接客のお仕事を。

 ヴァンドゥーズという、お仕事を。


 だから────。



「やめたく、ないです」


 答えると翔斗はんは少しホッとしたような顔になった。


「でも、このまま私がお店にいたんじゃ解決しない、ですよね」


 すると翔斗さんは微笑んで「大丈夫ですよ。よくわかりました」と優しく言うと、私の帽子にポフンと触れて「任せて」と頼もしく笑った。


 ん、口調が……?


 気のせいかな。



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