第14話 蒼井家へ

 狭い敷地に庭はなく駐車スペースだけがある。そこに車はなく、固められた地面の隙間から草がチョロチョロ伸びていた。


 隅の方には鉢植えのお花がいくつかと、プランターには小ネギが育っている。その隣に錆びたママチャリ自転車が一台停まっていた。


 家の外壁は薄黄色のようだけど全体的に褪せて灰色に近い印象だった。


 オタマちゃんは一階の大窓の手前にちょこんと立っていて、閉められている網戸にその前足をかける。すると網戸の網部分の角がフワリと枠から外れて、オタマちゃんはその隙間からするりと室内に入っていってしまった。


「えっ、どうしますか」


 さすがに勝手に人の家に侵入はできないよね!?


 翔斗さんを見ると少し思案してから右隣の玄関に回った。付けられた表札には【蒼井】の文字。やっぱり蒼井さんのお宅なんだ。


 確認すると翔斗さんはためらいなく呼び鈴を鳴らした。


 間延びしたような電子音がピーポーン、と二度鳴るものの応答はない。


 ドアを確認してみても鍵がかかっているようだった。


「声を掛けてみましょうか」


 言いつつオタマちゃんが消えていった大窓のところへと移動して、薄暗い室内に向かって翔斗さんは声を張った。


「蒼井さーん!」


 返事はない。

 代わりに「ナアァァアオン」とまたオタマちゃんがカーテン越しに寄ってきた。


「窓は開いてるけど……網戸はもともとは開いてなかったみたいですね」


 私が言うと翔斗さんは頷く。


「オタマちゃんが自力で破ったようですね」


 そしてフレジエに助けを求めに来た……。


「ど、どうしますか、翔斗さん」


 窓は開いているから侵入できなくはない。でもこれは立派な『不法侵入』だし……。


 迷っていると網戸の向こう、部屋の中から物音が微かに聴こえた気がした。


 オタマちゃんも耳をピンと立てて反応して、そして奥へと駆け出す。


「あ、オタマちゃん」

 私が言うと翔斗さんは「しっ」とその指を自身の口もとへ付けた。


 私が口を噤むとあたりはしんとした。そうして様々な音が聴こえはじめる。遠くで車が行き交う音。空を飛ぶ鳥の声。秋風が街路樹の葉を散らす音……。



 オタマ……。



 聴こえたのとほとんど同時に翔斗さんは網戸を勢いよく開けていた。


 驚く私の隣で、声を張り上げる。


「蒼井さん! おられますか! フレジエの沢口です! 蒼井さん!」



 一瞬、しんと静まり返った。



「翔斗くん……?」



 部屋の奥から聴こえる、くぐもった声。かすかだけど、たしかに聴こえる。


「すみません! 失礼します!」


 言うと翔斗さんはその場で靴を脱ぎ、大窓から部屋へと足を踏み入れる。


「ゆっちゃん。スマホ持ってますか?」

「えっ……、ええと、お店です」


 いきなりなにかと思えばそんな質問だった。勤務中の今はロッカーの中だ。


「ならこれを」

 言いながらロック解除した自身のスマホを手渡してきた。


「えっ」と驚く私に「もしなにかあったら迷わず警察に通報してください」と真剣な目で告げる。


 たまらず鼓動が早くなる。


「翔斗さん……」

「ナアァァアオン!」


 オタマちゃんが急かすように強く鳴いた。


 部屋の奥へと進んでいく翔斗さんの背中を見つつ、いても立ってもいられなくなった私は少しだけ躊躇ってから自分も靴を脱いで「ごめんなさい」と言いながら部屋に侵入した。



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