第4話 クレーマー襲来
歳は三十代くらいか、よくわからない。癖毛っぽい髪は後頭部で結えられていて、色黒で、口の周りには嫌な感じの髭がある。五月にしては早すぎる袖なしの赤いシャツは、まるで筋肉モリモリのその腕を見せつけて威嚇するためのよう。
その人が纏う空気が幸せに溢れたケーキ店にまったく合わない、不満と怒りに満ちた恐ろしいものだということが私にも瞬時にわかった。
「……今日はどういったご要件でしょうか」
対応するショートさんの声が硬い。私は恐怖でオロオロするばかりだった。
二人の空気からなんとなく、この相手がさっきショートさんが話していた『厄介なクレーマー』なのかも、と察した。
「あー。やっぱ腹立つね、その顔」
男性の目は血走っていて、正気じゃないと思えた。膝が震える。全身が痺れるようで、怖い。怖くて震えるなんて経験、私はこれまでしたことがない。
一方のショートさんはというと怖がる様子は少しもなく、小さくため息をついていた。そしてカウンターからゆっくりと表に出つつ言う。
「申し訳ないですが、商品をお求めでないのならお引き取り願えますか。ご覧の通り、中学生の生徒さんが職業体験をしている最中です。そうでなくてもわたしたちを脅かすようなことはすべて犯罪です」
「なあ、この前のこと謝罪してくんない? 動画撮るからよ」
まるで噛み合わない会話に私のドキドキは増す。しかも動画だなんて。
「はあ……謝罪するような間違いはひとつもなかったはずですが」
「お前のその『正論』が気に食わねーっつうんだよっ!」
きゃ! と私が声を上げてしまったその時には既にショートさんが軽々と相手の拳を避けていた。
「はは……そちらこそ録画しておきたいような行動ですね」
「あああ、なんなんだよお前。まじでクソムカツク! ただのバイトのくせにちょっと顔がいいくらいでいい気になりやがってよ! お前のせいで俺の人生めちゃくちゃだ! こんなクソみてーな店、さっさと潰れちまえばいいんだよ! 俺はぜってー許さねーからな。お前のことも、この店のことも!」
強く襟元を掴まれてもショートさんは微動だにせず、そして、す、とその指先を斜め上の天井へと向ける。
クレーマーの男性とともに私も反射的にそこに目を向けると、気が付かないくらいの大きさの小型カメラが設置されていた。
「音声入りで録画されています。警察に持っていけばすぐに対応していただけるでしょう。これ以上の迷惑行為は罪を重くするだけかと」
「っはあ? ふざけんなよ!? あんなもんどうせオモチャだろ!」
「昨年もアレのお陰でおひとり、逮捕していただきました」
「な……」
男性の顔がわかりやすく青ざめた。
「しかしたしかにあなたの仰る通り、素敵な女性の前で恥をかかせてしまったことは謝罪すべきかもしれませんね。心よりお詫び申し上げます。わたしもまだまだ未熟だと痛感いたしました。しっかりと反省し、必ず今後に活かします」
形勢逆転したかと思ったら今度は突然の謝罪。男性は意表を突かれたのか録画するのも忘れてポカンと口を開けていた。
「お役に立てるかわかりませんが、こちらの〈マカロン4種詰め合わせ〉をお詫びの品としてお渡しさせていただけませんか?」
掴まれたままそばのマカロンのショーケースを示す。
「こちらは女性に人気の商品ですので、あの日にお連れだった女性もきっと喜ばれると思います」
ここで得意のイケメンスマイル……ってショートさん、殴りかかってくるような相手に一体どういうつもりなの!? さすがに相手も唖然として掴む手を緩めたらしい。
解放されたショートさんはなおも笑顔のままで乱れた襟元を整えつつ言う。
「……余計なお世話でしょうが、今日のことは『ムカついて怒鳴ってきてやった』ではなく『騒ぎ立てたことを謝ってきた』と言えば女性からの好感もきっと得られますよ」
カウンターに戻ってショーケースから〈マカロン4種〉の箱を取り出して手早く包装する。美しくリボン掛けまでして専用の紙袋に入れ、再びカウンターから出て男性の前でにっこり「どうぞ」と差し出した。
「な……いらねーよ、こんなもん」
「彼女と復縁なさりたいんでしょう?」
男性の瞳が僅かに揺れる。
ショートさんは「ふ」と笑って「どうぞ」とまた促した。「味のほうも保証いたしますので」
男性は仕方なし、といった様子で紙袋を受け取り、ぼそぼそと言う。
「……悪かったな、その、騒いで」
更に「言いたかったら言っていいぜ、警察」と小さくなって付け足した。
「いえ。店としての損害はひとつもありませんでしたので。今回は通報はいたしません」
きっぱり言い切るショートさんを男性は変な生き物でも見るような目で見ていた。そ、そうだよね。
だってあんな酷いこと言われたりされたりしたのに。本当に見逃しちゃっていいのかな? 証拠だってあるのに。
「スイーツは幸せとともにあるものです。わたしどもはあなた様の幸せを心から願います。どうかまたご来店ください。今度は先日の女性も一緒に、ぜひ」
うやうやしくお辞儀をしてから、ショートさんは男性の先に立ち出入口のドアを「どうぞ」と慣れた調子で開いた。
「ご来店誠にありがとうございました」
コロロン、と綺麗な音が店内に響く。
なにが起こったのか、すぐにはわからなかった。
ショートさんって……一体?
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