第3話 夢のような三日間
三日間に及ぶ職業体験学習。
中学生だった私にとってその三日間はまさに『はじめて』の連続。お洒落なBGMに癒されるひと時も、美しすぎるケーキたちを堪能する暇も、イケメンなお兄さんに見とれる余裕もないまま、瞬く間に過ぎ去った。
その時間は夢のようであり、だけどたしかに夢ではなくて、いちごさんもショートさんもたしかにそこに存在して生きていた。
それを証明するかのように慣れない立ち仕事のおかげで私の脚は毎晩パンパンに浮腫んで、くつ下の痕が怖いくらいにくっきりついた。
肝心の仕事内容はというと。
販売員のメインと思われる『接客』はほとんどショートさんがすんばらしく素敵なパーフェクトスマイルでこなしていて、私の出番はなし。
本当のところ『洋菓子店販売員』と学校で割り当てられた時点では接客をするものとばかり思っていたから拍子抜けだった。
「笹野さんはシール貼りをお願いします」
そう言って渡されたのはケースいっぱいに詰められた個包装の焼き菓子たち。
ショートさんの言う『シール貼り』というのはその名の通りそこにひとつずつシールを貼っていくというもの。原材料や製造元が印刷された四角の白いシールを、まっすぐ、はみ出さないように貼る。これが一見簡単なようで意外と難しい!
四苦八苦する私にショートさんは「自分の目と手に憶えさせるつもりで、こうです」とまるで流れるように美しく、そしてあっという間に数個の焼き菓子にシールを貼ってみせてくれた。
か、神の手だっ! ゴッドハンド!
「数日やればすぐ慣れるんですけどね……でも今日でおしまいですね」
残念そうに言われて、なんだかチクリと胸が苦しい気がした。
「三日間やってみて、どうでしたか?」
ちょうどお客さんもおらず、お店は静かだった。
一生懸命すぎてまるで耳鳴りのように感じていたアコーディオンのBGMが、ふいに柔らかくなって心地よく耳に届きはじめる。
「すみません。本当は接客も体験していただきたかったのすが……笹野さんが来る前日に、ちょっと厄介なクレーマーが来まして。店長と相談して、今回は接客は体験してもらわないことに決めたんですよ」
「そ、そうだったんですね」
クレーマー、か。話には聞くけど本物は見た事がない。
ショートさんはにこりとして「でも」と続けた。
「シール貼りや箱折りも、ヴァンドゥーズの立派な仕事ですから」
「えっ……ヴァン?」
聞き返すと「ヴァンドゥーズ」と微笑んで教えてくれた。
「フランス語で『販売員』を意味する言葉です。日本ではあまり馴染みがない言葉ですが、本場ではちゃんと『職業』として使われる言葉なんですよ」
「へえ……初めて聞きました」
「ちなみに僕のような男性販売員のことは『ヴァンドゥール』というんです。ほら、女性パティシエのことを『パティシエール』と呼ぶのをご存知ですか? それと同じことで、男女で区別されているんです」
私が「ああ」と頷くのと同時に、出入口のドアベルがコロロン、と綺麗な音を鳴らした。お客さんだ。
「いらっしゃいま────」
ショートさんのいつもの癒しボイスがそこで途切れ、私の喉に準備していた来店歓迎の挨拶は外に出ずに消える。
入店してきたのは大柄な男性だった。
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