第2話 派手な青と白い薔薇


 一般的にいう『派手な色』と真逆の位置にあると私は思う『青』という色。


 でもこのジャージはどう表現しようとしても


『派手な青』


 としか言えない。


 それは私がまだ中学生という語彙の少ない子どもだからなのかもしれないけど。


 そんな『派手な青』に身を包んで、私はそのお店に足を踏み入れていた。



 【洋菓子店 フレジエ】



 最初に感じたのは独特の甘い香り。卵とバターの焼けたみたいないい匂い。だけど熱さはなくてどちらかといえば冷えている。懐かしいような、未体験なような不思議な香り。


 冷房はあまりきいておらず、全身をうっすらとまとう私の汗は冷やされることも乾くこともない。


 だけど空気は決して暑苦しくなく、むしろ澄んでいるようにすら感じた。


 微かに聴こえる軽快なBGMはどこかヨーロッパを思わせる……アコーディオンの音だ。そして。



「いらっしゃいませ」



 店内の雰囲気にすっかり呑まれていた私の耳に、少し低い、上品な男性の声が届いて心臓ごと飛び跳ねた。


「あっ……え、と、あのそのっ!」


芹ヶ丘せりがおか中学の、職業体験の方ですね。お待ちしていました」


 見るとそこにはにっこりと微笑む蝶ネクタイ姿の若い男の人がいて私は。


 そのあまりのカッコ良さに痺れて動けなくなった。



 『ソムリエ』とか『バーテンダー』という言葉は知っていても、実際にナマでそういう人を見る機会なんて、派手なツツジ民なんかじゃない、地味な雑草民の私にはそうそうない。


 そうそうないけど、その人はまさにそれを思わせる姿だった。


 華がある、と思った。


 それも群れて頑張るツツジみたいなものじゃなく、一人でも気品があって、高貴で、優雅で。



 白い薔薇……?



 清潔感のある茶系の黒髪は長すぎず短すぎず。染めているわけでなくて元から色素が薄い印象。つまりは地毛だと感じた。


 ヒゲなんか絶対に生えなさそうなつるりと綺麗な肌。まつ毛の長い、整った目鼻立ち。


 黒の蝶ネクタイに、細身の黒ベスト。なかに着た長袖のカッターシャツは適度に腕まくりがされていて、見える腕は色白だけどほどよく筋肉質。


 男性なのになんてキレイな人なんだろう……ってやばい! つい見すぎたっ!



「どうされました?」


「え……あ! や! なんでもないです、あの、えっと……よろしくお願いしますっ!」


 ブン、と頭を下げるとステキな店員さんはまた微笑んで「こちらこそ」と美しくお辞儀を返した。




 これが私と〈洋菓子店 フレジエ〉とのはじまり。


 ……いや。この素敵な、素敵すぎる、『販売員さん』との、はじまり。



笹野ささの ゆきこ、です」


「笹野さん。よろしくお願いします。エプロンはこれです。服は腕まくりをお願いしますね」


 簡単に自己紹介をしたあとで黒いエプロンと同じ黒の帽子を手渡された。販売員用の帽子だそうでベレー帽みたいな感じ。なんとかわいい。


「まずは手洗いをお願いします。そこの水道で」

「あ、はい」


 いそいそと手を洗って戻ると、お兄さんが店の奥、たぶん厨房に向かって「いちごー」と声を掛けていた。


 いちご……さん?


 現れたのはパティシエさんの格好をした女性で、飾り気がない、つまりメイクがほとんどされていないのにとても綺麗な人だった。


 これはもともと整った美人さんだな、と瞬時に察する。ついでに背も高い。纏めているけど髪もたぶん長い。黒髪ロングの似合う人。それだけでなんだか大人の女性だ、と思ってしまう。


「ああ、職業体験の。店長の稲塚いなづか いちごです。三日間だっけ? よろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いしますっ!」


 美人さんを前にまたしてもカチンコチンに緊張してしまった。へ、変な顔になってなかったかな?


 女性パティシエで、店長(しかも美人)とは。ううう、カッコイイ。イケメン店員さんといい、このお店、なに? 異次元に素敵すぎるんですが。


 にしてもお兄さんは、店長さんのことを下の名前で呼び捨てだったな。


 どういう関係なんだろう……?


 もしや、彼女? だけど彼女のお店で販売員って、なんというか、男のプライド的にはどうなのだろうか。


 なんて勝手な想像を巡らせていると「笹野さん?」とイケメンに顔をのぞき込まれてあわや発火しかけた!


「うぉあっ……うあ、わ、すみません、えとその、緊張してまして。あのその、店長さん、すごいび、びび美人さんですね」


 やや。いらぬことを言っちゃった!

 お兄さんは「はは」と笑っただけだった。


 ところでいつまでも「お兄さん」なんて思ってるのも失礼だよね、と改まる。


「あの……私、なんてお呼びすればいいですか?」


 わかりやすいようにお兄さんのほうを手で示しながら訊ねてみた。ちらりとその胸の名札を盗み見ると【沢口】とあるようだけど。


「ああ、『ショート』でいいですよ」


 そう微笑んで返された。


「ショート……さん?」


 ちら、とすぐ横のショーケースの中にある〈苺ショート〉を見つつ言う。


 イチゴさんにショートさん? なんだかフィクションみたいな名前だと思ってしまった。


 え、まさかこれ、夢? じゃないよね?



「はい。それでお願いします」


 お兄さん、ショートさんはにっこりと笑って「ではこちらで……」と私にケーキ店販売員の仕事の説明を始めた。



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