7-1
※7話は一部グロテスクなシーンがありますのでご注意ください※
目が覚めると、明人の視界にシンプルな風景が広がった。
いやシンプルと言うより、殺風景に近い。
パソコンが置かれた机に椅子、シングルベッド以外の家具は見当たらない。
明人は、百貨店で江原とタイ料理を食べた時の話を思い出した。
(そうか、ここが江原さんの言っていた居心地の良い場所かぁ)
カクテル1杯で泥酔した江原は、小さないびきをかいて横で寝ている。
飲み直すなんて言葉良く出てきたなと思い、辺りを再度見渡した。
すると家の玄関扉が開き、スポーツウェア姿の家主が入ってきた。
ジョギングを終えて帰宅した家主は、3人分のパンと紙パックの牛乳が入った袋を床に置いた。
「もう8時だ。そいつを起こしてくれ」
家主は明人に身の回りの整理を命令して風呂場へ向かった。
6分後、3人は円になって朝ごはんを食べていた。
江原は二日酔いの寝起きのためか、ただ一点をぼーっと見つめながら黙々と食べている。
マイロは明人の様子を窺いながら食べている。
明人は、本来ならテレビが置かれているであろう位置を見つめながら、パンと牛乳を交互に食べて飲む。
3人はほぼ無音の中、ひたすら朝ごはんを食べる。
以前江原が『マイロの家は居心地が良い』と言っていたが、この無言と無音に耐えきれない明人は、江原さんとは一生分かり合えないと確信した。
「あの・・・昨日はすいませんでした」
明人はとりあえず、良く分からないが謝ってみた。
「下戸野郎を2人も連れて帰る日が来るなんて考えもしなかった」
返答しづらい言葉をかけてくれる聖沢班長の安定のぶれなさに、明人はなぜかほっとした。
昨夜はタクシーで班長宅へ帰宅したとの事だが、タクシー以外の移動手段に2人を両肩にかかえながら帰宅した姿を想像すると牛乳を吹きそうになった。
「頭が少し痛い・・」
パンと牛乳を平らげた江原は、片付けた枕を再び引っ張り出すと、パフンと枕に顔を沈めた。
「マイロ、前買って置いといた頭痛薬は?」
「捨てた」
「なんで勝手に捨てるんだよ。追い出すぞー。ほら、追い出されたくなければ買ってこいよ」
明人はカオスな会話をBGMにしてパンと牛乳を平らげた。
帰宅の準備を始めると、江原は寝そべりながら手で待ったのポーズをしてみせた。
「せっかくだから、3人でお昼も過ごそうよ。こんな機会めったにないでしょ?予定があったら全部断ってね」
笑顔で話す江原の前で、明人はイエスマンになるしかなかった。
マイロはというと、特に反応を示す様子はない。
さすがの班長でもこの人には逆らえないのか、それとも何か弱みでも握られているのかと不思議に思う。
「じゃあ僕先に風呂入るから、マイロまともな服ある?迷彩とか絶対無理だから。あ、それかさ、前置いていった服まだある?」
明人は不思議なBGMを聞きながら、海外ドラマの新入り囚人の主人公と自身を重ねて、2人の様子を黙って傍観した。
――――――
丁寧に切り取ったそれを手に取ると、
作品にそれをあてて、縫う位置を確認した。
さわり心地が良いそれに何度も手を滑らせて、感触を味わう。
目を閉じると、黒髪の美しい女性が佐藤に向って手招きする姿が映った。
「清くん、こっちへおいで」
紅の口と白い歯が、美しい笑みを形作る。
佐藤は嬉しくなり、微笑みの天女へと駆け寄り、その手に触れた。
白くて肌触りの良い肌は、佐藤の手をゆっくり包んだ。
「――お母さん」
ミシンの横には、作品の一部となるための材料である、白くて綺麗な腕が一本置かれていた。
――――――
灯凜のスマホが鳴りやまない。
次に送られてきたのは、予約した店の地図だった。
昨夜の慰労会の主催者が泥酔で帰宅した3時間後、会場はお開きとなり、灯凜は野希羽と2人でバーで飲み直し、午前1時頃にタクシーで帰宅した。
お酒に強い灯凜だが、バーでは上司に対する愚痴が止まらず、いつも以上に飲んでしまった。
(頭痛い・・・これも班長のせいだな・・・)
心の中で、まだ愚痴は続いていた。
まるでアラームのように、数分おきに鳴るスマホのせいで目が覚め、乗り気ではないが身支度を始めた。
スマホを鳴らすのは、灯凜の大学時代の元彼である
彼の猛アタックに根負けして付き合い始めたが、大学のチア部の仲間に寝取られ、灯凜から別れを告げて以来、宮本とはご無沙汰だった。
先日たまたま駅構内で会い、彼に連絡先を伝えてしまった。
別れて以来、SNSをリセットし電話番号も変更していたが、先日会った際に半ば強引に尋ねてきたため、拒否することが出来ず今に至る。
口約束で今日会う約束をしていた事を朝のメッセージで思い出し、灯凜は彼との遭遇をものすごく後悔した。
当時灯凜は急いでいたため、口約束した件を後ほどメッセージで断ろうと思っていたが、そのメッセージの送信さえも忘れていたのだ。
先日の自分に腹を立てつつ身体を洗い、化粧を施した。
香水はお気に入りを避け、貰いものを身に纏った。
せっかく司の存在を忘れかけていたのに、またあの頃の自分に戻るのだろうか?
もちろん付き合っていた頃は、ときめきがあって幸せな日々だったと懐古するが、それと同時にチア部の小柄な悪女、百合奈をセットで思い出す。
司との思い出に、百合奈との思い出もセットでついてくるものだから、清算しても赤字になる気持ちだ。
せっかく、新たな心境で過ごしているのに。
それに、一番嫌気がさすのは、司と会うために身支度をしている今の自分自身である。
司の誘いを断ろうと思えばいくらでも理由をつけて断れるのに、そうしない自分に一番腹が立つ。
モヤモヤを払拭できないまま、セミの鳴き声でうるさい住宅街を歩いた。
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