5-5


それなのに。


谷本は激痛で姿勢を崩した。右肩から出血している。


痛みに耐えながら状態を起こし、アトラクション方面に顔をのぞかせると再び倒れこんだ。

今度は右耳に激痛が走る。


殺す前に自身が殺される危機を感じ、痛みに耐えながらもと来た道を引き返した。

手ざげバッグに忍ばせていたクマのぬいぐるみに鮮血が滴る。

谷本は荷物を全て放置し、テーマパークを脱出することだけに目標を切り替えた。


しかし従業員専用の出口を突破したところで、待ち構えていた弁慶にあっけなく拘束された。




――――――


コンサート会場から出ると、辺りはすでに暗くなり始めていた。

朝の軽快な足取りとは打って変わって、まるで重りを装着したかのように灯凜の足取りは重かった。

灯凜の頭に、SNSの速報で流れてきた『ニーナの過激な追っかけイ・スホ』の画が何度もよみがえる。



のろまな足でようやく駅に辿りつくと、プラットフォームの椅子にどっしりと背中を預けた。

鞄の中のデコレーションした団扇が、ふと灯凜の視界に入る。


駅内にゴミ箱が設置されていないかと周囲を見回すが、テロ対策等の観点からかゴミ箱は見当たらず、諦めてまた椅子に背中を預ける。


ゴミ箱があったところで、こんな大きくて派手な団扇はゴミ箱の口に収まらないだろうし、この団扇を取り出すところなんて誰にも見られたくないし、その前に、こんなもの捨てたら駅員が迷惑に違いない。


夢と希望で溢れ返る会場から離れ、閑散とした駅で心が冷静になったところで、なぜこんなにも彼に対して夢中になれたのか不思議に思えてきて、同時に馬鹿らしく思えてきた。

恋は盲目というが、数か月前の私に出会えるのならそれを伝えてあげたい気持ちだ。


(はぁ・・・・何やってるんだ私・・・)

彼に熱を注いできたこれまでの自身を振り返ると、目頭が急に熱くなり上を向く。


今思うと、そもそも彼にハマったのは、友人の幸香と美貴がR-mindの曲を勧めてきたり、R-mindに関する井戸端会議やネットニュースをシェアして来たことがきっかけだ。


当初はまったく興味がなかったが、いつか3人でコンサートに行きたいねと言われたものだから、付き添いでコンサートに行った時に備えて、2人の推しとは別の他のメンバーを知ろうとしたのが発端だ。


できるだけ客観的な目線で我に返ると、悲しい気持ちがだんだん薄れてきて、終いにはどーでも良く思えてきた。


灯凜は再度手元のトートバッグに目を落とす。

キラキラに装飾された団扇の真ん中部分に、彼の顔が半分ほど見えたところで、なぜか笑いが込み上げてきた。


スマホが鳴ったので脱力感に抗いながらスマホを取り出すと、明人からメッセージが入っていた。

“今仕事終わってこれから班長たちとご飯に行くけど、灯凜も来る?”

笑顔の顔絵文字が添えられている。


灯凜は10秒と待たずに

“行く”

と返した。




――――――


事件直後、明人の誘導でライドから降りた一行は自力で出口まで向かい安全地帯まで来ると、ハディエルはソフィアを大きな手で包み込み、落ち着かせるため必死に声をかけていた。


マイロと麗奈は、マイロが2発で仕留めた獲物を追いかけるため、滴り落ちた血を辿って従業員専用の扉を開けると、扉の前で待機を命じられていたケイと獲物まで難なく辿り着いた。


「いつもいい仕事するね」

「今日オレ休みなんすけどね」

苦笑いしたケイの腕に余計な力がこもり、谷本はもがいた。



駆け付けた警察に谷本が連行された直後、ハディエルファミリーのサングラス男の1人からマイロのスマホに「もう任務を離れて良い」と連絡が入った。


電話を終えたマイロの顔は、今日一番生き生きしていた。


「お腹も空きましたし、夕飯サクッと食べて帰りませんか?」

テーマパークの空気化していた明人が提案すると、それに少し驚いた麗奈は「良いね」と反応してみせた。

明人は力強く頷くと、近くのコンサートホールで撃沈モードに入っているであろう灯凜にメッセージを送った。


麗奈は明人たちに駅で少し待ってて欲しいと伝えると、大きな手提げバッグを持って走り出した。




――――――


亡霊たちの館のアトラクションを降りた後、緊張感に包まれた中、ハディエル一行はテーマパーク入口付近にある建物の中に通された。

洗練されたエントランスの下で、ハディエルとサングラス男、そして警察が殺伐とした雰囲気を醸し出しす。


ソフィアはと言うと、まるで不協和音の様な空間の中、窓越しにライトアップされたテーマパークを1人ぼーっと見つめていた。

姉たちも駆け付けて、エントランスはますます騒がしくなる。


「ソフィア」

麗奈の呼びかけで、顔をそっと上にあげた。

麗奈は微笑むだけで、ソフィアも黙って麗奈を見つめ返すと、少しだけゆったりとした空気が2人の間に流れた。


「はいこれ」

麗奈が背中に隠していたクマのぬいぐるみをソフィアに渡した。

ソフィアは目を丸くした。


「ティック・・・おかえりなさい」


青い目から大粒の涙が溢れ出た。

涙と鼻水でくしゃくしゃの顔は、どこにでもいる14歳の少女の顔だった。



麗奈の渡したクマのぬいぐるみは、現在は非売品のものである。

昼にネット検索をした際に、このクマを抱っこするソフィアと母カトリーナが一緒に写る写真が何枚も出てきた。

麗奈はすぐに販売ストアの従業員に事情を説明し「どうしても手に入れたい、上に掛け合って欲しい」と大きく出たのだ。


すると30分後に、パーク関係者から連絡が入り快く、しかもタダで麗奈へクマのぬいぐるみが渡された。

ハディエルのネームバリューは恐ろしいものだと改めて痛感させられたのだった。



「一生懸命楽しく過ごすソフィアのことを、きっとママは誇りに思っているよ。だから、これからも活躍してママに良いところ見せなきゃ、ね?」

麗奈がソフィアを優しく抱きしめると、ソフィアの涙と鼻水でTシャツが濡れるのを感じたが、ソフィアが麗奈を強く抱きしめ返したものだから、麗奈のTシャツはもっとびしょびしょになった。




――――――


何が『サクッと』食べに行きましょう、だ。


明人は大酒飲みがいる事に対し、目で物申しをする班長が怖くて目をひたすら背けている。

背けた目の先にいる麗奈をみると、いつもより穏やかな表情でひたすら何かに対してぼやく灯凜へ相槌を打っているところだった。


もしここにケイがいたら、灯凜のぼやきを聞いて爆笑していただろう。

しかしケイは本日彼女と一緒のため、この場にはいなかった。


明人は灯凜が大量に注文したラム肉の串刺しに手を伸ばした。お好みでかける香辛料を少しかけすぎたが、これはこれでパンチがあって美味い。

灯凜といる時はこれくらいパンチがある料理でもいいかもと思いながらモクモク食べた。


「デキャンタ赤おかわり」

「お前、いいかげんにしろ。アイドルの不祥事くらいでそんなにやけ酒するな」

マイロがいつもの口調で淡々と話す。

「ふっ、そのアイドルを地面にねじ伏せてかっこ悪い姿を公衆の場に晒した人物が言うのもアレだけどな」

腕組をした麗奈が珍しく声を上げて笑った。

「え?何それ?」

キョロキョロと3人の顔をみる灯凜は、ようやく事情を知る事になった。


「はぁーもうバッカみたーい。明人もほら、ほら飲んで!」

「明人まで巻き込むな」

「いいじゃないですかー。ね、明人ぉ」

こんなやりとりが暫く続いていると、ケイから明人にメッセージが届いた。

“連れを送り終えたとこなんだけど、やっぱり俺も参加しようかな?”と画面にメッセージが表示されている。

(大酒飲みに大食いの追加・・・)


明人は未読スルーした。




――――――


夜12時を回る前に麗奈が帰宅をすると、歩美がソファでまったりと映画を観ていた。

「おかえりー。遅かったね。何か食べる?」

歩美が冷蔵庫を指差す。

「ううん。それより。風呂入ってくるから、あったかいお茶でも準備しといて欲しいな」

「オッケー」



麗奈は、今日あった出来事を話せる範囲で歩美に話した。

「あーそういえばさっきニュースでガルシア来日の件やってたよー。麗奈たちと同じ夢の国にいたみたいだけど、遭遇しなかった?写真撮った?」

歩美がガルシアファミリーについて色々と聞いてくるが、多くを語れないため麗奈は笑ってごまかした。


「ねぇ、みてこれ。この子って、こんなに可愛く笑うんだね」

歩美が指でズームした画面には、14歳の少女があどけない笑顔でクマを抱きしめる姿が写っている。

写真には、『arigatozozaimasu♡』とコメントが添えられていた。


麗奈は声に出して笑うと、“???”が頭に浮かぶ恋人の頬にキスをした。


―――

5話終了

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