5-4
『僕はもう少しだけ楽しみたいんだ。だから、ソフィーも僕が希望するアトラクションで楽しんで、その写真を僕に送ってね。ソフィーが楽しんでいる様子を確認できたら、僕はソフィーの元に帰るよ。今日、僕がソフィーの元へ帰れると思うと、とてもワクワクするよ』
ソフィアの表情が安堵に変わった。
ティックから送られてきた画像は、岩山のアトラクションを背景にしてティック自らが写る写真だった。
クマのティックがソフィアのそばを離れて約1年、ついにティックが家へ戻ってくる――。
ソフィアの父ハディエルと母カトリーナが離婚すると、すぐさま姉妹の親権争いとなったが、裁判の結果、カトリーナは精神を病み、ネグレクトの傾向があるとの理由から、ハディエルに軍配が上がった。
パパが私たちのことを愛してくれているのは分かっている。でもそれ以上に、ママは私たちの事をずっとそばで見守って愛してくれていた。
ママから見放されたことなんて一度もなかった。
それはソフィア自身が一番知っている事だ。
そしてソフィアは知っていた。
資産家のパパが金にものを言わせ、私たち姉妹を手放さなかった事を。
ママは私の元から去ったけど、ティックだけは誰にも渡さない。
クマのティックとママと私は、小さい頃からいつも一緒だった。
ティックはママとの思い出を、私と同じくらいたくさん持っている。
ティックがママとの思い出をたくさん持っていることを、パパには絶対に話さない。
だってそれを話したら、きっとティックまでどこかへ行ってしまう。
パパとママが離婚して2か月後、病院から帰ろうとすると、数十分前まで一緒にいたティックがいなくなった。
パパにティックの行方を聞いたけど、“分からない、もっといいクマを買ってやる“の繰り返しだった。
毎日ティックを必死に探す私へ、継母から大きなクマのぬいぐるみをプレゼントされたけど、それはすぐに裏庭の倉庫へ置いた。
そしてある日、ママが有名な俳優と再婚した。
ママが俳優の連れ子たちと楽しそうに買い物する様子をネットニュースで見て、自分が何のために生きているのか分からなくなってしまった。
『きっとパパが、私からママもティックも奪ったんだ』
そう思い始めてからは、全てがどうでも良くなり、死について考えるようになった。
しかし、3か月前の病院帰りに、姿を消したティックからメッセージが届いた――
夕方になって、ニーナとリアンナにも疲れが見え始め、マイロにさほどべったりする事はなくなった。
口数もめっきり減って、いよいよ退園間近な雰囲気となっていた。
「もう疲れちゃった。パパ、そろそろホテルに行こうよ」
リアンナが目の前のホテルを指差した。
サングラス男の2人がニーナとリアンナの代行で購入したお土産の手提げ袋を大量に抱えていた。
娘以上にぐったりした様子のハディエルは、2人に向かって頷いた。
「よし、そろそろホテルに戻るぞソフィー」
「待ってパパ!もう一つアトラクションに乗りたいの・・」
ソフィアが珍しく懇願の眼差しでハディエルを見上げる。
「ソフィー。私たちはもう疲れたからホテルに戻るわ。乗りたいならボディーガードを連れて楽しんで来てちょうだい」
「うん。ニーナとリアンナは先に戻って休んでて。私、どうしてもパパとあそこに行きたいの」
ソフィアが指さす方向にあるアトラクションを見て、ハディエルは少し頭を傾ける仕草をした。
「ソフィー。あれはソフィーには無理だ。あのアトラクションはお化け屋敷みたいなものだぞ」
ハディエルはこのテーマパークについてほぼ無知だが、ソフィアが指さすアトラクションは、不気味さを売りにしたアトラクションであることは一目で分かる。
ソフィアはホラーが苦手だ。
その事について家族はもちろん、サングラス男、そして今回同行を命じられた明人たちにも情報として入っていた。
苦手というよりも、もはや毛嫌いの領域らしく、後藤が急ぎで作成した資料の中に、話題にするのも避けるようにと注意書きがあった。
麗奈がソフィアに近づく。
「ソフィア。無理をしちゃいけないよ。もっとソフィアが楽しめるアトラクションを選ぼう」
「ダメなの。絶対に、アレに乗る」
今日初めてみるソフィアの反抗的な態度に一同は驚くが、それよりも泣きそうな表情でハディエルに懇願するソフィアの姿に一同唖然とした。
「ソフィー・・・本当に大丈夫なのか?・・・オーケー。ソフィーが望むなら、パパと一緒に乗ろう」
「パパ、ありがとう!大好き!!」
目を輝かせたソフィアはハディエルの腕に絡みつきながら、お化けの館を演出するアトラクションの方向へ歩を進めた。
ハディエルとソフィアの周囲を囲う形でサングラス男もアトラクションへ向かうが、明人たちはその様子を困惑の眼差しで見ていた。
――――――
「おいウーさん、大丈夫か?」
近くにいたキャストが怪訝な顔をこちらに向けている。
「えぇ。大丈夫です」
人懐っこい笑顔で答えると、谷本は椅子から立ち上がった。
谷本は元陸上自衛隊員で、10年ほど前に精神病を理由に除隊した。
退院後は酒と博打の日々で、お金を騙し取る詐欺行為に手を出した。
その後、暴力団から身体を張った仕事を請け負い、裏社会で名が通るようになると、暗殺の依頼が来るようになった。
谷本は今、いつも以上にリスキーでハイリターンな仕事を請け負っている。
ターゲットとその娘の情報を徹底的に集めた結果、溺愛する1番下の娘が精神科へ通院している情報を手に入れた。
病院の患者データから娘の情報を得ると、心の拠り所であるクマのぬいぐるみを奪った。
谷本は娘の精神を一層不安定にさせて、ターゲットに近づくための準備を周到に行った。
初めは違和感の塊だったキャスト専用の制服と、生真面目な男『
“内田“は手作りの焼き菓子を、出勤日が被るキャストたちに振る舞うのが趣味で、他のキャストから“ウーさん”の愛称で親しまれている。
ウーさんが念仏を唱えるような姿を見せるものだから、周囲のキャストはさぞ驚いただろう。
そんな制服や“内田”とも今日でお別れだ。
だんだんと演じてきた“内田”から“谷本”に戻りつつあるのが自分でも分かった。
ターゲットを討った後は、駐車場に停めた車で羽田へ向かい、偽造パスポートで出国して計画は終了となる。しばらくは日本に戻らないつもりだ。
谷本は約1年続いたこの演技を惜しむ暇なく、アトラクションへ向かう。
関係者入口から入ると、すれ違うキャストに会釈し、メンテナンス以外で立ち入ることがないドアの前に立つと、暗証番号を入力して中に入った。
あと数分すればミッションは終わる―
“内田“から完全に谷本に戻り、静かにポシェットを漁った。
谷本の現在潜んでいる場所は暗闇で、乗客からはほとんど目が届かない場所だ。
廃墟化した洋館に住む亡霊の語りや動きを楽しむアトラクションとなっており、谷本の潜む付近で乗車するライドが8秒ほど停止し、亡霊にまつわるストーリーを楽しむ流れとなっている。
息を潜めること約10分、ついにハディエルの姿が見えてきた。
ハディエルの左側には、1番下の娘が乗車している。
谷本はハディエルの乗車位置を確認すると、ライドが停止する方向へ銃を構えてハディエルを待った。
約1年かけて下準備をしただけあり、全てが順調に進み、滞りなく事を終えようとしていた。
――谷本は暗闇に笑みを浮かべ、その時を静かに待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます