5-1


マグカップのコーヒーを飲み終える頃、寝起きの歩美(あゆみ)がリビングに顔を出した。

「おはよー。あれ?今日仕事なの?」

「おはよう。そう。昨日の夕方過ぎに急遽仕事をお願いされちゃってさ」

最後のコーヒーをグイと飲み干すと、マグカップと小皿をシンクに置いた。

「新聞紙読むからテーブルに置きっぱにしといて」

歩美はあくびをしながら洗面所に向かった。



「じゃあ行ってくる。帰りは8時過ぎると思うから先に夕飯食べといて」

「うん分かった。明日は休み?」

「明日は休み。月曜日は今日出勤の分の休みをとるつもり」

「そっか。じゃあ明日はずっと一緒にいられるね」


玄関で行ってきますのキスをした後、麗奈は歩美にハグをした。




――――――


駅から多くの人が押し寄せる光景をみながらケイは大きなあくびをした。

「久しぶりに会えたんだし、もう少し嬉しそうな表情はできないの?」

たえが顔をふくらませた。

作り笑いなど演技でも出来るはずのないケイは妙に向けて苦笑いをすると、ペットボトルのお茶を一気飲みした。


ケイは彼女の妙と2人で都内近辺にある大型テーマパークに来ていた。

朝7時に到着したが、すでに多くの人がパーク入口に列をなしていた。


先週・先々週と大臣らの同伴業務で休日出勤が続き、妙との予定が合わず、約3週間ぶりに2人の予定が合った。

しかし妙の提案せいで、今日は早朝から人ごみの中で過ごすはめとなった。


すでに気温は28度を超え、暑さと人ごみに酔う錯覚でケイの口から思わずため息が出た。

人波が駅方面とパーク駐車場からとめどなく押し寄せる。

絶え間なく流れる人々の姿をぼーっと眺めていると、こちらへ向って来る20人くらいの団体に、ケイの目が留まった。

アジア系のツアー客だろうと思い特に気にすることなくその様子を眺めていたが、だんだん近づくにつれ、その団体が欧米系の人々だと認識できた。


ここは世界的に有名なキャラクターのテーマパークだし、知名度は抜群のはず。

欧米系の団体客が来ても何ら珍しくはないのだろう。

しかし、真っ黒なサングラスをつけた厳つい男たちが多くの割合を占めていることに少し違和感を覚える。

それに、男たちの出で立ちはカジュアルファッションではあるが、この炎天下で全員漏れなく上着を着用している。

妙がケイの隣で最初に向かうアトラクションについて話をしているが、謎の団体から目を離せず、妙の声はケイの耳に届いていなかった。


厳つい連中に挟まれる様な形で、露出度の高いファッションの女性、いや少女たちが3人いることに気付いた。

そしてその隣にいるサングラスの男にケイは見覚えがあった。

「あれは・・・」

少女たちと楽しそうに話すその男は、アメリカの実業家ハディエル・ガルシアだ。

ビジネスニュースの報道になると必ず画面に現れる男――間違いない、あのハディエルだ。


ハディエルなしで今の世界経済を語る事など出来ないと言えるほど有名だが、そのハディエルは娘3人を溺愛している事でも有名だ。

ハディエルのプライベートが報道される度に、濃い化粧と露出度高めのファッションに身包んだ娘たちが登場するが、さすがにその娘たちの顔までは覚えていなかった。

しかしあの現実主義のハディエルが、ファンタジー要素盛りだくさんのこのテーマパークを闊歩しているということは、そばで談笑する少女がハディエルの3姉妹とみて間違いないと思う。


ハディエルファミリーは、四方八方サングラス姿の男で囲われている。

彼らを単体で見ると、ここがテーマパークであることを忘れそうだ。

「あ?」

ケイは思わず声が漏れた。

サングラス集団に、もう2人知った顔が混じっていた。


漆黒髪を持つ男は、白いティーシャツに9分丈の紺色のズボンとスニーカー、ボディバッグを肩から掛けたスタイルだ。

サングラス男に比べると随分ラフな格好をしている。

片方の髪を刈り上げたもう一人は、普段の勤務スタイルよりいくらか多くピアスを装着し、ネズミ色のTシャツ、黒のズボンとスニーカーに同じくボディバッグを肩から掛けて、同じくラフな出で立ちだった。

サングラス集団と同様、この2人もどう見てもファンタジーで溢れたテーマパーク好きには見えない。


2人のビジネススーツ以外の姿を見るのは初めてだったため、ケイは繁々と目で追い、おおかたこの状況を理解した。


「ちょっとケイ、何見てるの?」

少し怒ったような声で、妙がケイを見上げている。

妙は身長が160㎝もないため、2m近くあるケイの目線は想像する事しか出来ない。

「えーっと、職場の上司2人が、向こう側にいるのが見えたんだ」


ケイは妙に、異動後の業務をデスクワークであるとしか説明していないため、上司が任務中である事は伝えなかった。

「ふーん、あっちもプライベートで来てるんだね。上司らって、もしかしてカップルってこと?」

「いや、えーっと・・野郎同士だな。・・・仲が良いんだよ」

ケイはどう説明していいか分からず、とりあえず心の中で麗奈に謝罪した。




―――――― 


麗奈は夢の国ならではの光景を目の当たりにした。

トップレベル級にネズミのカチューシャが似合わない男を不憫に思いつつ、心の奥底で笑いが止まらない。

出会ってまだ30分もしないというのに、班長は少女たちに気に入られたようだ。

「マイロ、このカチューシャも付けてみようよ。絶対似合うと思う。このカチューシャ付けてあそこで写真を撮るよ。あ、写真撮るまでカチューシャ絶対取らないでよ!」



―――さかのぼる事約14時間前―――


午後7時過ぎに後藤が事務局内に現れた。

「今残っている者に伝える。急遽明日、仕事が入ったんだが、任務にあたるのは数名でいい。だからここにいるお前たち全員で行け」

後藤が事務局内を見渡す。

金曜日ということもあり、普段から定時以降にデスクワークの残業をする事がほとんどない国家総合事務局はすでにガランとしていた。

残っていたのは、麗奈とマイロ、灯凜と明人の4人だけだった。

「実業家のハディエル・ガルシアとその娘たちの世話役で、明日の早朝からテーマパークに行ってもらう」


約30分前、ハディエルから完全プライベートで訪日した旨の連絡が交友のある官房長官へ入った。

ボディーガードと共に来日したため警護の必要はないが、パーク内での、案内人と言う名の世話役を求めてきた。

非公式の来日のため厳かな待遇までは必要ないとみたが、ハディエルと末永く交友関係を持つことで、日本へもたらす経済的な恩恵は計り知れない。

そういった経緯があり、さっそく官房長官は後藤を内線で呼び出し、比較的融通の利く国家総合事務局の出番となった。


灯凜が大きな目を潤ませながら後藤の目の前まで来た。

「富岡。お前はテーマパーク好きなんじゃないか?」

腕を組んで話す後藤がニヤリとしてみせた。


「後藤局長。私はテーマパーク、とても好きです。ですが明日は、大事な予定が入っておりまして。大変申し訳ないのですが、明日は仕事に参加できません。それから、辞退した私が言うのもなんですが・・・。聖沢班長は絶対に同行すべきだと思います」

鷹の目が灯凜の背後を刺す。

「班長としての立場を考慮して、今後のスキルアップのために、少女たちとのコミュニケーションの場を設ける必要があると思います」


先ほどまでマイロに単独で与えられた業務を黙々とこなしていた灯凜だが、内心はなぜ私だけ仕事を振られたんだと沸々していた。

その仕返しと言わんばかりに、灯凜が後藤へ目を潤ませながら必死に提案してみせた。

「面白いこと言うな富岡。おい聖沢、明日3姉妹の世話役を頼んだぞ。あとの2人も頼んだぞ」

後藤は麗奈と明人を交互に見て頷くと、事務局を後にした。





近未来を彷彿させる丸いフォルムが特徴的なアトラクションをバックにして姉妹とマイロが並ぶと、厳つい警護人の1人が数枚写真を撮った。

16歳の次女リアンナの注文が多く、なかなか写真撮影が終了しないため、無表情だったマイロの表情がだんだんと険しくなってくる。

心なしか、こちらを屈辱的な表情で睨んでいる様にも思える。

(マイロ、ここは耐えるんだ。ほら、辛くても笑え、笑え)

麗奈が笑顔を作りアドバイスしてみせた。


しかし麗奈のアドバイスも虚しく、マイロはテレビやゲームで見るシリアルキラーの様な表情をしていた。

(・・・・・)

諦めた麗奈は、シリアルキラーとそれに臆することなく絡んでいく姉妹2人を傍観した後、

自身の隣を一瞥した。

麗奈以上に冷めた目で、3人の様子を見ている14歳の3女、ソフィアが立っている。

ブロンド髪に青い目を持つ少女は、横顔も儚げで美しい。



『3姉妹の三女、ソフィアって言うんだけど、アメリカの子供向け番組の主人公に抜擢されてから、若い女性向けの化粧品とかブランドの広告に引っ張りだこなんだって。この前観た番組で司会の人が言ってた。中国で大きくビジネス展開しているMythical Chinaの広告にも起用されたんだってさ』


彼女の美貌と可愛らしさがアメリカのティーンエージャーの心を掴んで離さない、と歩美がテレビに映る彼女をみながら話していた事を麗奈は思い出した。



「あの中に入らないの?」

麗奈がリアンナたちの方向を指差す。

「そろそろ呼ばれるから、そしたら行く」

ソフィアは麗奈を見向きもせず答えた。

たしか3姉妹全員インフルエンサーで、特に俳優業とモデル業をこなすソフィアのSNSのフォロワー数はアメリカのトップ10に入るとかなんとか、歩美が言ってたはずだが。

日本の夢の国はお気に召さなかったのか?


「ソフィア、撮るよ。おいで」

20歳の長女ニーナに呼ばれると、ソフィアは3人の中央で位置取りをした。

「ほら、マイロはソフィアの隣」

ネズミの耳に赤いリボンを纏うカチューシャをつけたシリアルキラーと美女3人が並ぶ画は、まさに現実味がない、夢の様なものだった。


麗奈はこの場の空気に耐えられず、3姉妹のワッフルを買いに行ったきり戻って来ない明人へ、早く現場へ戻るよう催促の電話をかけた。

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