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義男の手は少し震えていた。

これまでほとんど事務所に入ったことはなく、もちろん深夜に侵入することもなかった。

セキュリティの解除は、陽臣に任せた。


霞が関のシンボルマークとなる複合施設に傷がつくことは到底許されないため、内部で慎重に捜査にあたる旨を、うどんを食べた数日後に陽臣から伝えられた。

建設資料を探る必要性がある事を知った際に、義男はその証拠となる資料を探す任務に買って出た。


もとは自分が彼に打ち明けたのが発端だ。彼の仕事を増やし、おまけに彼の同僚たちもその解明にあたっていると進捗を聴き、義男は居ても立ってもいられなくなった。


それに、汚れ仕事を彼へ託すことに抵抗があった。


例え失敗に終わっても、その罪は自身が負えばいい。

もし自分が罪を負ったとしても、青森の両親なら事情を説明すれば理解してくれる。

青森でまた一からやり直せばいい。


彼には輝かしい経歴があるし、彼の人生に傷を負わせたくない。


建設資料が保管されている引き出しの、鍵の場所を義男は知っていた。

タイムカード打刻の際に、山田が鍵の出し入れをしている場面を見たことがある。

鍵の保管についてのマニュアルはあるのだろうけど、そんなのあってない様なものだ。


山田の椅子を収納する側面にあるフックから鍵を取ると、義男は建設資料の収納された引き出しを開けてファイルを取り出した。


頭に取りつけた小型カメラが義男のめくるページを記録する。


どの資料が重要な手がかりになるか分からないため、義男は全てのページを丁寧にめくり、小型カメラに収めた。



どのくらいの時間が経っただろうか。

外に人影が見えた。


慌てて机下に潜りこむと、事務所入り口のロックが解除され誰かが入ってきた。

義男は大きな身体を丸めて必死に息を潜める。

これまでの人生で、こんなにも怯えたことはなかった。

息をする声が侵入者に届く気がして、義男は思わず息を止めた。


足音は近づいてくると目の前で立ち止まり、山田の机の椅子を引いた。


義男は目を見開いた。


義男の目の前まで右手が迫ると、椅子収納の側面にあるフックから鍵を取った。

すぐそばの引き出しを開けてファイルを取り出し何かを確認している。

その光景を義男は息を潜めて見ている。

暗闇ということもあり、目の前の人物が全く想定できない。


「おい、まだか」


入口付近から男の声がした。知らない声だ。

暗闇の中、スマホで写真を撮る音がする。

写真を数枚撮った後、ファイルを引き出しにしまう音がした。

その数秒後、右手が義男の目の前まで迫り、元あった位置へ鍵を戻した。


「・・・」


手は静止すると、身体がゆっくり下がってきた。

義男からとめどなく汗が出る。


「おい、早くしろ!」


その声で身体は立ち上がり、入口へ向かった。


危なかった。

大きな義男の身体は、山田の机と向かい合う机の下に潜めていた。

そして、念のため山田の椅子はしっかりと収納された状態にしておいた。


義男が身を潜めていた机の椅子は通路にはみ出す状態だったが、暗闇だったせいかそこに目を付けられるのは免れたようだ。


2人が出ていくと施錠される音が鳴り、義男は足をだらんとさせて緊張から解放された。




――――――


明人たちは、義男が入手した内部資料映像の確認に追われていた。

映し出される映像は、ファイルのページを完全に捉えてはいないが、それでも建設に関する十分な情報が映し出された。


ページ数が膨大なため、灯凜は何度か野希羽の肩をさする羽目になった。


陽臣は申し訳なさそうな様子でチームに何度も差し入れをするが、その度にケイから彼女を作れと謎のアドバイスをされた。


明人は映像を停止して画面を眺めていた。


「何かあったか?」

差し入れのブラックコーヒーを飲みながら、マイロが端末を覗いてきた。

明人の眺めている映像は義男が入手した図面に関する資料の一部で、とりわけ怪しい図面が映し出されているわけではない。


「これがどうかしたのか?」

「いえ、何も・・」

「もう22時だし、そろそろ上がりましょう」


灯凜がそう言うと、野希羽やケイは背伸びをして帰宅の準備を始めた。




――――――


結局義男の入手した資料からは、手抜き工事を特定できる情報は掴めず、霞が関のシンボルマークとなる大型複合施設は、いよいよ完成を目の前にしていた。


明人たちの終業前の業務はすでに緊張感を失い、「工事に何ら不手際はなかった」ことを証明するための確認の作業となっていた。


現在は、来日した要人たちを迎え入れるための準備で慌ただしい雰囲気となり、後藤やマイロ、麗奈は外勤の業務に追われていた。


マイロの友人経由で手に入れた防犯映像と義男の映像はすでに10回以上は見直しており、それでも特段におかしな点は確認できず、暗黙の了解でケイたちはこの任務をすでに離れていたが、ただ一人、明人は一部の映像を何度も見返していた。

そしてその様子を、マイロは隣で静かに傍観していた。




――――――


当日は早朝から総理大臣や官房長官、後藤らが官邸にて最終の打ち合わせをしていた。


そして3日前の夕方には、マイロから後藤へ「映像から異常は見つからなかった」と報告を済ませていた。


ここ一週間、就業時刻を過ぎても映像を観ている明人にマイロは監視するかの様に張り付いていた。

普段なら定時の鐘と共に風の様に退庁するマイロだが、珍しく部下の様子を窺っていた。

ただ側で監視されるのは気味が悪い。しかも見ているだけで、何か声を掛ける訳でもない。

ここまでくると、まるで“公然ストーカー”の様で気持ち悪いが、ある程度免疫がついた明人は、それを無視してひたすら映像を見返した。


公然ストーカーの様子が嫌でも目に入っていたため、「なぜ黙って見ていたのか?」とマイロが麗奈に問われた。


「あいつの勘は結構鋭いと思っている。何か掴んだのではないかと思って報告を待っていたが、結局、報告はなかった」

「それについては私も同感だ。なんというか倉森は・・・自分に自信がなさすぎる。自分の成果を他人事のように捉えている感じだ。以前、倉森の勘が正しかった場面で、なぜその考えにたどり着いたのか聴いても、まるで濁すかのように話を逸らされた。マイロもそう思うか?」

マイロは返事をするかの様に、鼻から大きく息を吸ってゆっくり吐いてみせた。


今回も自信のなさのせいか、推測に関する相談や意見を述べることはなかった。

マイロなりに相談しやすい環境づくり(上司が側で見守っているよ作戦)をしていたが、結局明人は一言も話さず、殻に籠ったままだった。


首脳会議開催の一週間前までには後藤へ調査の件を報告したかったが、明人からの相談や報告をギリギリまで待った結果、後藤への報告が3日前となった。


後藤へ報告の際に「お前にしては珍しい」と余計な一言を言われてしまった。



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