4-1


炊飯器の炊き上がりを知らせる音が鳴ると、義男よしおはタッパーにご飯をひっつめて、照り焼き味の鶏肉炒めを上に乗せ、しっかりと密封した。

「では、いってきまぁ~すぅ」



朝礼が終わり、手袋をはめると早速仕事にとりかかる。

「おい!これも運べよ!何回も言わせんなよ!」

いつもの言葉で煽られる同僚の青木あおき俊一しゅんいちは頭を軽く下げ、指図された木材を両手で掴んだ。

小柄の身体で木材を必死に運ぶ青木と目が合うと、義男は笑顔を作り’’大丈夫だから’’と頷いてみせた。



10時になり、目の前にある建物から官房長官やSP、秘書官らが出てきた。

工事現場の作業が始まった当初は、この光景を新鮮な眼差しで見ていた。

今では見慣れた光景へと変わり、テレビを観ているような気持ちで彼らを見るのが義男の楽しみの一つとなった。

(お偉いさんたち、今日もいけてる~♪)

義男はタオルで汗を拭い、乗車したスーパーヒーローたちをその目で見送った。




――――――


上原うえはら陽臣はるおみは外勤先で購入した惣菜パンとペットボトルのお茶を地面に置いて、壁にもたれかかった。

目を閉じてゆっくりと息を吸う。


入庁した当初は自席で昼食を食べていたが、様々な部署の女性たちからひっきりなしに声を掛けられ、まともに休憩がとれず、一人で過ごせる場所を模索した結果、日陰があり風通しもそこそこにある秘密の場所に辿りついた。


屋外のため寒暖はやむを得ないが、陽臣はこの場所を気に入っていた。

人間だけでなく猫からも好かれるこの男は、昼食時はその場所で野良猫とのんびり過ごしていた。


「兄ちゃん」

陽臣はギョッとすると、斜め前にいる男の存在に気付いた。

フェンス越しに見える作業着姿の男は、恰幅のいい体に見合わない小さめのタッパーを膝にのせて胡坐をかいていた。


「それだけでお腹持つの?」男は笑顔で惣菜パンを指さした。

「お昼はこれぐらいで十分です」

それよりあなたもそれだけで・・・と言いたいのを陽臣は抑えて、その男のタッパーを一瞥すると、

「ダイエット中でぇ~す」と訛りを感じさせるイントネーションで、男が笑ってみせた。


細野(ほその)義男(よしお)41歳。

18歳の時に青森から上京し、現在はこの工事現場で派遣社員として働いている。

ここから電車で40分の家賃4万円代のアパートに2匹の猫と住んでいる。


趣味は晩酌で、帰ってからつまみを作るのが至福のひと時だと話す。

安くて旨いつまみの作り方や、最近あった笑える出来事をひたすら喋るその男に、陽臣はいつのまにか引き込まれていた。


陽臣は自身の性格上、緊張感を含む会話や雑談と言うよりも意見交換の様な話をすることが大半だった。

これまでの人生で、会話で癒しを求めることはほとんどなかった。

しかし今の陽臣は、目の前の男が自身の足元で寝転がる野良猫とさほど変わらない、安らぎを提供してくれるありがたい存在だと感じていた。




――――――


小帆場こほば総理大臣に一礼し、後藤がソファに腰掛けた。

「5か月後のアジア首脳会議についてですが、マレーシアで行われるオリンピックの都合で、首脳会議を2か月早めて欲しいと、今朝マレーシア側より連絡がありました」

マレーシア首相より直々の要請だ。


現在、日本に来日する観光客は中国に続き、マレーシアからのインバウンドが多くの割合を占めていた。

マレーシアの経済急成長に伴い、一人当たりの旅行支出額は中国人観光客を昨年度上回った。


マレーシア政府は日本を友好国だと正式発表し、日本のエンターテインメントやサブカルチャーを大々的に宣伝している。

さらに日本からマレーシアへ輸出する際の関税も、工業品・農林水産品ともに完全撤廃の協定を結ぶことで現在調整を進めているところだ。


これらを背景に、今後の交友関係の観点から、マレーシア側の要望をのむことは日本にとって得策だと言えなくもない。


しかしこの首脳会議は、日本の経済の原点である霞が関をお披露目する計画で話を進めており、首脳会議を2か月も前倒しするとなると課題が出てくる。


内閣府が入る中央合同庁舎の目の前で建設を進めている、首脳会議の開催場所『迎賓館』の完成に間に合わない。


迎賓館は、世界の要人たちを迎え入る事が可能な施設で、さらに国内外の人々が数日に渡って楽しめる『大型複合施設』の機能を併せ持つ大型建築物となり、霞が関のシンボルマークとなる予定だ。


「開催場所の代替え地選定会議の日程を組みますか?」

後藤が総理に向けて一言発した。

小帆場総理はしばらく考え込み、後藤の目を見た。

「少し考える」




――――――


義男たちの雇用形態が変わった。

”迎賓館兼大型複合施設”完成までの日当が2倍となり、労働時間が10時間となった。

福岡の競技場完成予定日の延期が決定し、そこの建設労働に携わる人員が、明日から義男たちのチームに加わる事となった。

現場指揮官はそのままで、相変わらず青木に怒号が飛び交う毎日であることに変わりはないが。



「義男さん、最近眠れています?」

フェンス越しに陽臣が訪ねた。

義男の目の下のクマが最近酷く、昼食後ウトウトする事が多くなった。

「少しお疲れですねぇ~」義男が眼鏡をずらして目をこする。

義男の部屋にエアコンはなく、普段から扇風機2台で過ごしている。

最近の熱帯夜と労働時間の増加で疲労困憊だ。


「でも明日はお休みだからたくさん寝て、鳥娘のアニメを観て疲労回復でぇ~す」

鳥娘の話になると陽臣はただ頷く事しかできないが、義男が目を輝かせて話すのでその姿を見てて飽きない。


「もしよかったら、これどうぞ」

有名な老舗のどら焼きだ。

フェンスの向こう側からどら焼きの箱をゆっくり投げると、義男は戸惑いつつもしっかりとそれをキャッチした。

「僕が貰ってもいいんですか!?」

「いつも楽しませてくれてありがとうございます。以前餡子が好きとおっしゃっていたので、どら焼きを買ってきました。少しですが、お召し上がりください」


陽臣からあふれる笑顔は、おそらく多くの女性の心を射止めるだろう。

義男は深々とお礼をしながら、間違いだらけの丁寧語で陽臣に感謝を伝えた。




――――――


今日も建設現場は穏やかだった。

いや、これが本来あるべき環境で間違いないが、こんなにも穏やかだと逆に違和感を覚える。


青木への怒号が一切なくなった。

しかも今目の前で、毎日怒号を浴びせていた指揮官の山田が青木の肩に手を置いて、青木へ労いの言葉をかけている。

何かあったとしか思えないが、それを問う者は一人もいなかった。


目の前の仕事をこなすだけでいい。下手に尋ねると、解雇の懸念を持たざるを得ない。

青木のことを気に掛ける義男でさえ、この関係に気味悪さを感じて聞けないでいた。


義男は考えた。

九州組が参入して以降、青木への怒号・罵声がパタリとやんだ。

九州組の参入で、雇用形態の向上と潤った人員で喜ぶ作業員は多いだろう。2時間追加された1日の労働時間は置いといて。

しかし、九州組が参入して1週間くらいまでは、青木への怒号は続いていた。

結局何もわからず、義男はいつも通りに働いた。



就労時間が終盤に差し掛かり、義男は青木に声を掛けられた。

「細野さん、帰りに一杯どうですか?」

青木が笑顔でグラスを傾ける仕草をしてみせた。




ゴールデン街にある青木の行きつけの店に2人は来た。

「姉ちゃん、いつもの」

青木の表情は、現場では見ることのない生き生きとした表情だ。

口調も軽い。常連に挨拶すると、青木は義男のグラスにビールを注いだ。

義男は青木の他の一面を見ることが出来き、素直に嬉しく思った。


「九州から応援が来て、急ピッチで完成に向っていますね~」

「完成予定が10月から7月下旬に変わったって聞いた時は驚きましたけど、九州組はベテランが多くて仕事が早い。しかも給料も2倍だから腕がなるよ」


青木は要領が悪く人一倍仕事に時間もかかる。そのせいで山田やその他の連中から罵声を浴びせられることが日常茶飯事だ。

あれだけ罵られれば逆恨みされてもおかしくないが、青木はそんなタイプではなかった。


義男と青木の会話に同僚の愚痴はなく、前向きな話とお互いの趣味の話で盛り上がる。

会話が盛り上がったところで、義男は自分の中の誇れる話をした。


いつも自分の話に耳を傾け、体調を気遣ってくれる容姿端麗な友人が出来たこと。

その友人は、自分とは違う世界で、日本のために精一杯働いていること。

自分たちの今回の給料が上がったのは、友人が日々緊張感溢れる世界で頑張っているおかげであることを訛り口調全開で話したが、青木はすでに酔いつぶれていた。


千鳥足の青木を介抱しながら駅に向かった。

「細野さん俺はなぁ、山田さんに認められているんだ。山田さんから、この俺にしかできない仕事を任されたんだよぉ」

義男は黙って聞いた。

「特別な作りにする必要がある場所の作業を、俺だけにしかできないからって頼まれたんだ。そこは、青木の技量でしか作ることができないんだとよぉ」


呂律が回らない青木の話によると、任された部分は周囲と異なる資材の配分だという。

詳細を尋ねるが、俺にしかできない技だ、とはぐらかされる。


義男は疑問に思う。

冷静に考えれば、手抜き工事の様に思えなくもないが・・・。しかも、工程を隠すかのように、外観の作りは周辺と同じだと話す。

つまり、目に見えない部分のみ違う作りだ。


「青木さんは・・・それをどう思いますか?」

義男なりに言葉を選びながら問いかける。

「どうって?資材のコストを抑えても、丈夫な作りであることを証明してみせたのさ。いくら細野さんでも、俺の技をそう簡単には教えないよぉ」


いや、絶対何かがおかしい。

「それに、これは青木さんにしか頼めない事だから、この件を絶対に誰にも話さないでくださいって言われたんだよねぇ、ヒヒヒ」

泥酔状態の青木は機嫌よく義男に何でも喋る。


義男はとんでもない秘密を知ってしまったと感じた。

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