3-3


「あかりー!こっち来てー!」


50mほど先で、小声だが、ややオーバーリアクション気味なジャスチャーで亜里沙が灯凜に向けて手招きする。

「えっ?本当に大丈夫なの?ばれたら絶対怒られるよー」

そう言いつつ、灯凜の足取りは軽やかに、亜里沙の方へと向かった。





――完全非公開の夢華劫の会の祭事に関する情報を、とある筋から仕入れた新人キャスター亜里沙は、鼻息を荒くして灯凜に語った。


夢華劫の会については、設立当初からよくない噂が飛び交っていたが、教祖である阿須蘭智久あずらんともひさの脱税疑惑が浮上すると、再び注目されるようになった。

お昼の番組では、教祖の歪んだ信者愛と揶揄され、信者への洗脳疑惑が取り沙汰された。


その他にも、信者の子供へ如何わしい行為を行っている、精神的に追い詰めた信者の自殺をほう助しているなど、あらゆる報道がされた。

未だに真相の解明には至っていないが、定期的に報道されるこの宗教法人の内部事情に、亜里沙はずっと前から興味を抱いていた。


オレンジタルトを頬張る亜里沙も可愛いが、目をキラキラさせてカルト集団の噂話をする亜里沙も推せる。

そんな亜里沙を愛でながらアールグレイを飲んでいたのは、ほんの40分前の出来事である。



現在2人は、夢華劫の会 阿佐ヶ谷会館の裏手に来ている。

大きく構える阿佐ヶ谷会館は、祭事の日を迎えているはずなのにやけに静かだ。

祭事の日程は内部の者のみ知る情報のため、会館前の人通りは普段通りではあるが、亜里沙の様に情報を嗅ぎつけた記者などはいないのだとろうかと不思議に思った。


「噂によると、この祭事は信者の中でも特に選りすぐりの信者のみ参加が許可されているんだって。だから、その他の信者には祭事の詳細を教えていないんだってさ。それから、教祖に近づくことは普段からご法度だけど、選りすぐりの中でも更に選ばれた信者のみ、今日の奉納儀式で接近が許されるらしいよ。教祖自ら若い子には接触してるくせに」


亜里沙のせいで笑いそうになる口元を引き締め、亜里沙の後ろをついて行く。亜里沙曰く、今向かっている場所は会館の作りに精通している人から教えてもらった“秘密の侵入口”らしい。

改めて亜里沙記者には脱帽する。


細い道から中庭のような場所に出ると、大きな窓ガラスで中の様子が見えた。その窓ガラスは換気のためか全て開いており、そこから安易に中へ侵入できた。

自然光が入らない通路は広くて薄暗く、人の気配を感じなかった。


「私たちが今いるエリアは今回の祭事で使用する場所じゃなくて、もっと奥にある大ホールを使うみたいだから、信者はみんなあっちにいると思う」

もはやここまで来ると後戻りするのは惜しいという気持ちに負けた灯凜は、亜里沙と共に奥へ奥へと向かった。




――――――


赤に身を包んだ十数人が、荘厳な音に包まれた舞台に吸い込まれるように上がって行った。

最後から4番目に並ぶ悟は、これまでの我が人生を振り返った。



――幼い頃の両親との思い出に、全て夢華劫が映りこむ。

夢華劫に支配された両親を馬鹿にしてくるクラスメイトから庇(かば)ってくれるのはいつもケイだった。

ケイのような聡明で丈夫な身体を目指し、勉強と陸上にひたすら打ち込んだ。

その甲斐あってか、信じられないことに、いつしか悟は周囲に溶け込み、周りに頼りにされる存在になった。

悟は周りの気持ちに応えたい一心で努力を重ねてきた。


しかし、両親の自殺で環境が一変した。



思えば、中学校に上がった頃から両親は悟を宗教から遠ざけるような動きをみせていた。

休日の祈りの集会にも、信者の集いにも一切参加させることはなくなった。

思春期に配慮した親心だと思っていたが、高校2年の夏、両親が家に訪ねてきた夢華劫の幹部と玄関で口論になっているのを目撃した。

会話の流れで、両親が脱会を阻止されているのが分かった。


そしてその年の冬、両親の首つり遺体をスーパーから帰宅した悟が発見した。

買い物袋を力なくその場で手放したのを、悟は今でも鮮明に覚えている――


――悟の表情が、舞台の上で読まれない程度に微動した。


――高校生活の残り約1年は叔母の家で過ごし、その間悟は夢華劫を知るために、優秀な信者を演じた。

演じ続けた結果、悟はついに、祭事に参加できるまでの信者へと昇格した。

普段接近できない教祖へ触れるチャンスだ。

祭事にて初披露となる赤の衣装と化粧にはまだ違和感があるが、それも今日が最初で最後だ。


裾の外側から刃物の感触を確かめると、舞台奥にある阿須蘭智久の佇む籠の位置を確認した。

あと数十秒後には、世の中が変わる。そう思うと、悟は気持ちがたかぶり、急に涙が出てきた。

(なぜ今・・・)

この涙の原因は何であるか、悟自身が一番分かっている。

悟は、涙の原因となった人物との早朝の出来事を思い出した。




――朝7時頃、夢華劫会館の門入口まであと数100mのところで、待ち伏せしていたケイに会った。

「悟!」

驚いて声の出ない悟に、ケイはゆっくり近づいてきた。


「悟、頼む。アイツのために悟の人生まで犠牲にしないでくれ。ここでアイツをやったとしても、お前には何も残らないし、俺だって困る。誰が石仁いしじんの飯食いに付き合ってくれるんだ?お前は賢いし人望もある。だから、お前みたいに苦しんでいる人たちをお前が取りまとめて、そいつらと一緒に『ゴミ掃除』に取り組めばいい。それで両親も救われる」


懇願するようなまなざしでこちらを見るケイを直視できず、悟は黙って会館へと入っていった――




教祖のする場所まであと数メートルの距離だが、悟はまだ刃物をとり出せないでいる。

近づくにつれ、悟の目に阿須蘭智久の顔がはっきりと映ってきた。

悟は右手を袖に引っ込めた。




――――――


重厚な扉をそっと開けると、1階の舞台の明かりが目に入った。

灯凜と亜里沙は、3階の回覧席にたどり着いた。

回覧席といっても、祭事は少人数で執り行われているため1階の舞台側の部分のみ使用しているため、2階と3階はガランとしている。

1階舞台付近の照明は2階・3階には届いておらず、真っ暗闇から演劇を鑑賞しているような気分だ。


2人の目の前には、教祖を思わしき人物が舞台の真ん中奥で厳かに鎮座し、赤い衣装を着た人々が順番に教祖へ菊を手向ける光景が映った。

教祖の目の前で一礼し、菊を一輪教祖へ手渡す。そしてその場で跪くと頭を地面につけてから数秒後、顔をあげて何かを唱え始める。

この所作を列順に行う様子を2人はただ静かに見ていた。





「アイツね、多分寝てますよ」

灯凜たちと同じく3階で祭事の様子を窺う根本令士ねもとれいじは教祖に向って親指を突き刺しながら瀬那緒せなおしょうを見た。

「本当、彼は見れば見るほどクズだと分かるね」

翔は目だけ笑ってみせると、ナイトスコープを目に当てた。


「じゃあ、そろそろ爆破装置を稼働させますよ。30分以内には俺たちもここから出なきゃ」

「ねぇ・・・今日のα計画、β計画に変更で」

「え?いいんすか?せっかくのゾウ組の楽しみが、キリン組にとられちゃいますよ」

「うん、今回はいい。この会場に僕の友人が紛れ込んだみたいだから」

ナイトスコープで対面側にいる灯凜の姿を覗いたまま、翔は微笑んだ。




―――――-


祭事を終えた信者たちは次々と門から出て行き、多くの信者が立ち去った頃に、悟の姿が見えた。


「悟!」

信者たちの目線など気にせず、ケイは悟の元に駆け寄った。

「ケイ、また来たのか。じゃあ早速だけど、ココをぶち壊すために、まず何をすべきか一緒に考えてくれないか?」

悟も周囲の目を気にせず、張りのある声でケイに尋ねた。

「おう!じゃあ、石仁で相談にのってやるよ!」

悟は笑った。


「そういえば、何で俺が企てたこと知ってたの?」

「お前の元教祖なんかよりよっぽど当たる知り合いの未来予想図を参考にして、今回の件が嫌でも想定出来た。祭事の日程とかに関しては、俺の情報網ですぐサーチできたし。それに、この前石仁に行ったときのお前の様子が少しおかしかったから、なんかあるなって」


知り合いの未来予想図もそうだが、ケイの洞察力や人脈にも脱帽させられる。


日はとうに暮れ、商店街は昼より静かな様子だが、悟の目にはこれまでより商店街が鮮やかで、そして輝かしく映った。



教祖殺害なんかより、未来ある選択肢が自分にはあるとケイに説得された結果、今回の計画を思いとどまることが出来た。


しかし何より、

『誰が石仁の飯食いに付き合ってくれるんだ?』

この言葉で悟は目が覚めた。


そうだ、俺が牢屋に入ったら、誰がケイの飯に付き合ってやるんだ。

悪いケイ。お前の事情なんて全く考えてなかった。


心の中でケイに謝罪をすると、なんだか一層笑えてきて、悟の頬に一筋の涙がこぼれた。




――――――


翌日の朝、ケイの心と足取りは実に軽快だった。

毎朝通勤で通る、人でごった返す大通りも、人々の頭の動きがインベーダーゲームのように思えて不快さはほとんど皆無だった。


小道に入ると、いつもダルメシアンを散歩させる高齢の紳士が、今日もこちら側に向って歩いてくる。

今日はダルメシアンを連れずに、喪服で一人歩く姿だった。

いつもの様にお互い一礼し通り過ぎると、弁慶は再度軽快なリズムで仕事場に向けて歩を進めた。


喪服の紳士が大通りに出ると、駅前の大型モニターで『夢華劫の会』教祖が、昨夜自宅で何者かによって殺害されたニュースが報道されていた。


紳士はその場で合掌し、一人ぶつぶつ何かを唱えると、ゆっくりと駅へ向かった。



―――

3話終了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る