3-1


稲田いなださとるは憂いを帯びた目で合掌し、ゆっくりと目を閉じた。

仏壇に飾られた菊は、両親の写真へ覆いかぶさるように色を連ねた。

「じゃあ、行ってくるね」

優しく微笑み、玄関へ向かった。



近所のコンビニで勤務する稲田悟は、遅番勤務者が3時間遅れると連絡があり、その交代まで残業となった。

「悟、お前今日何時上がりなんだ?」

ジム帰りのケイがホットスナックを注文しながら悟に聴いた。

「あと30分であがりだよ」

「じゃあこの後『石仁いしじん』で飯食おうぜ」

頷いてみせると、ケイは店を後にした。


自宅の最寄駅から数百メートル先にある商店街は、2000年代に殆どの店が店じまいをしたため”シャッター街”と呼ばれていたが、数年前から店内をリノベーションしたカフェやコワーキングスペース、託児所などが軒を連ねる様になり、周辺地域の若年層が行き交う商店街となりつつあった。

そしてそれに伴う形で、数年前には地域活性化事業の一環で、駅から半径500m内の至る所に街頭が設置され、夜の賑わいも戻ってきた。


2人は高校の頃からよく通った、『石仁』に入った。


「で、最近の調子はどうなの?」

セルフ式で淹れた熱いお茶をフーフーしながら悟が聞く。

「そういやお前に話したっけ?俺さ、4月から異動になって、今内閣府にいるんだぜ」

「内閣府って・・そんなとこでケイが何するんだよ」

笑いながら悟が答える。

「周囲に聞かれるたびに驚かれて、笑われるんだよなぁ。まぁ、もう慣れたけどな」

セルフ式で入れた冷たい水を一気飲みして、ケイはニカっと笑ってみせた。


仕事内容について説明しているところで、ケイの”豚肉ともやしのガーリック炒め”が運ばれ、

その一分後に悟の”レバニラ定食”が運ばれてきた。

悟は合掌し、自身の崇拝する神に祈りを捧げた後、箸に手を付けた。


悟の両親は宗教団体である「夢華劫ゆめかごうの会」を通じて結婚し、1年後に悟が生まれ、悟は出生と同時に「夢華劫の会」の信者として名を連ねた。

熱心な信者だった両親は、両国の信者を取りまとめる役員まで昇格したが、9年ほど前に両親共に原因不明の自殺を図った。


真面目で成績優秀、運動が得意だった悟は、誰とでも仲良くできるタイプで、隣のクラスにいたケイとは馬が合い、ラグビー部のケイと陸上部の悟は、部活帰りの腹ごしらえのために商店街にある石仁に足繫く通った。


石仁は2人が生まれる前からある町中華で、学生は1人につき100円引きでご飯1杯お代わり無料、さらに学生2人以上の来店で1人につき200円引きされるため、部活帰りの2人にとって天国のような中華屋だった。


そんなこんなで現在もご飯を食べる仲の2人は、お互いの好き嫌いはもちろん知っているわけだが、ケイは学生の頃から宗教信者である悟に一定の配慮をしていた。

夢華劫の会の信者は、魚を食べる事を禁忌としている。

そのため、魚が配給されるような場面では、ケイが魚の代わりとなる食べ物を悟に与え、そして悟へ配給された魚をケイが頂く形で上手くやってきた。


悟はケイの気遣いを遠慮なく受け止めていた。そして、ケイの気遣いだからこそ、その配慮を重く感じずにやってこれた。


両親の自殺後、高校生だった悟は叔母に引き取られ、高校を卒業すると不動産会社に就職した。

高校卒業後は会うことも会食をする機会もめっぽう減ったが、それでも互いに連絡を取り合い、今もこうして地元の商店街で夕飯を共にしている。


環境は違えど、気の置けない友人であることに変わりはなかった。

シャッター街に活気が戻ってきた事でこれからもずっと、お互いに気兼ねなくご飯を共にできる事をケイは望んだ。




――――――


ある日の休日、灯凜は仕事帰りに百貨店で購入したお気に入りの香水を手首に纏うと、六本木へと急いだ。

亜里沙ありさ。お待たせ―!」

「久しぶりー!」


入庁してから3週間が過ぎた頃、大学時代からの友人である東条亜里沙(とうじょうありさ)からランチのお誘いがあった。

大学4年の時に、一緒に行きたいねと話していた六本木の駅から徒歩数分のカフェにようやく行けるとあって、灯凜はとても舞い上がっていた。

亜里沙が予約したお店は、ガラス張りに目隠しが施された日当たり良い人気のカフェレストランだ。

亜里沙は某局の新人キャスターであるため、プライバシーを保つ観点から個室を予約した。


「かんぱーい」

灯凜は、インスタでよく目にする人気のペスカトーレを注文した。

ペスカトーレの写真を何枚か撮り、次にエッグベネディクトの乗ったお皿を少し傾けて持つ亜里沙にスマホを向けて数枚撮った。

この写真がインスタにアップされると思うと少し責任を感じてドキドキした。

「うん、ありがとねー。写真いい感じ」


2人は食べながら、お互いの近況を話した。

亜里沙の話から、テレビで観るキャスターたちの普段の様子が垣間見えるので、灯凜はまるで遠い世界の話を聴いてる気持ちになる。

「でさ、放送が見送られた映像の中に、灯凜の姿が確認できたよ!上矢参議院議員と話しているところー」

灯凜はパスタを吹きそうになった。


「あの人さー、何でもいける口なんだねー」

ケラケラ笑う亜里沙を半目で見ると、なぜか聖沢班長と明人に対してイライラしてきた。


「あの人も映像にしっかり映ってたよー。ニュースにされなかった、演説の邪魔した犯人」

どうやら亜里沙は、逮捕された唐崎と男の事を言っているようだ。

「記者とかあれだけ来てたのに、何でネットニュースにもならないの?」

特に気にしてはいなかったが、当時の状況を思い出すと取り沙汰されなかった事が急に不可解に思えてきた。


「未遂で終わった写真のばら撒き騒動の終始も、しっかり映像に残ってたよ。髪を半分刈り上げにした女の人の咄嗟の行動で、一枚も一般人の目に触れなかったんでしょ?それに、怪我人が出たわけでもないし。『大した騒動ではなかった』って上が判断したみたい」

上矢参議院議員は大臣らと親しい関係にあるため、放映されなかった理由には、どうやら政治的な事情もありそうだ。


亜里沙はその事件への関心は薄かったが、映像に映った人物らに興味を示した。

麗奈の機敏な動作、そしてその麗奈の半分刈り上げた髪型とピアスの姿が公務員の概念を覆していてカッコいいこと、麗奈のそばで写真を拾う男性がイケメンだったなど、大学時代と変わらない世界観で話す亜里沙を安定の目の保養と思いつつ、灯凜はデザートで注文したミニアフタヌーンティーのスコーンを頬張った。


ニュースキャスターとなった亜里沙には、上矢の様にパパラッチの標的にならない事を祈るばかりだ。


「でね、一番気になったのが、その犯人の女が現場から離れる際に、それを追いかけた男性なんだけど」

「あぁ彼ね、私の同期だよ。中世的な顔立ちに茶髪が似合ってるよね。おとなしめな人だよ」

どうやら唐崎が現場を離れる様子までカメラに収まっていたようだ。

「最初に追いかけた彼じゃなくて、その後を追う男の人だよ」


危うくイチゴタルトのイチゴを噴き出すところだった。

「背が190センチくらいある、スタイル抜群のあの人。切れ長の目とサラサラな黒髪が印象的で超絶イケメンだよねぇ。足もめちゃめちゃ速くて一瞬で画面からいなくなったけどぉ~」


さっきから美味しい物を味わうタイミングで、亜里沙の弓が刺さる。わざとか。

「彼、名前何ていうの?彼女いるかな~?」

「あの人はやめといた方がいいよ。何ていうか・・・変人だよ」

「えーそうかなぁー。今度合コンのセッティングしてよー」


こうなったらしつこく強請るのが亜里沙だ。

百聞は一見に如かずとも思うが、聖沢班長の発言のせいでメルヘンモードに突入した亜里沙のメンタルがボコボコにされない様、私が守りに入らなければならないのかと思うと灯凜は頭が痛くなった。





お手洗いから出てきたところで、男子トイレに入って行く人へ「女子トイレはこっちですよ」と案内をしかけたところで灯凜の動きが止まった。

そうだった。彼は男だ。

あの船の上の事件の際、身柄を拘束された姿を見た時は女性だと認識していた。

しかし船が帰港して、横を通り過ぎた際に声を聞いて男性だと知った、あの彼だ。

目が合うと、彼は灯凜に向けてニコリと笑顔をみせた。


「あぁ、どうも。こんなところで会うなんて。この前はお互いとても災難でしたね」

中国の美人画のような風貌から、低く滑らかな声が出てきたことにまたもや驚く。

「あ、あの時はどうも・・・。拘束されて、とても辛い思いをされましたよね・・・。お怪我はなかったですか?」

「幸運にも、僕は傷一つなかったです。当時の出来事を思い出すと今でも辛いですが・・・。それより、灯凜さんもお怪我はなかったですか?」


名前で呼ばれ一瞬戸惑ったが、妖艶な彼のペースにのまれ、疑問を呈することなく灯凜は受け答えをした。

「よかったら、今度一緒にご飯でも行きませんか?僕から灯凜さんへ連絡しますね」

連絡先を交換すると、瀬那緒せなおしょうは男子トイレに入って行った。

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