2-3
応援に駆け付けた官房長官が現地入りすると、雨はしとしと降り始めた。
「おはようございます、官房長官」
官房長官が手で挨拶する素振りを示すと、周囲は敬礼をした。
上矢議員と地元市長は笑顔で官房長官へ歩み寄り、演説の成功を願って固い握手を交わした。
明人と灯凜はさっそく上矢議員とその秘書を囲むようにして待機するが、特に何もすることがないので、明人は周りに注意を向けた。
聖沢班長の姿を確認することはできなかったが、100mほど離れた案内所にいるケイの姿ははっきりと確認できた。
ケイは、通行人と演説閲覧者の境目となる形で対応に入っている。
(弁慶ってあんな感じなのかな)
スーツの上からでも筋肉を連想させるガタイの良さとその貫禄が、遠くからでも目を引く。
市長との立ち話を終えた上矢は、灯凜に近づくと笑顔で話しかけ、灯凜は必至に笑顔をつくり耐えている。
何でも行ける口なんだな、とその様子に同情していると、明人は軽い眩暈に襲われ、心臓の鼓動を感じた。
深呼吸をして、ゆっくりと目を開けた。
上矢参議院議員は今日も饒舌だった。
しとしと降る雨を振り払うかのような熱い、そして老若男女聞き入ってしまう冗談を交えた軽快なトークで、通りかかる人々の足止めを誘った。
上矢自身を表現するビビッドオレンジは、本日もSNSを盛り上げるだろう。
ケイの立つ案内所にも上矢議員の軽やかな声は十分に届いていた。
女子高校生たちが人ごみを避けながら、スマホを上矢議員に向けている。
(こいつら、あんなだらしない男がそんなに良いのか・・・)
ケイが憂いを持った目で女子高生を見ていると、その隣を、トートバッグを持った人が通った。
フードを深く被っていてどのような人物か想像し難いが、おそらく男だろう。
手袋をしているのが気になる。
その男を目で追っていると、陽臣もその男が気になったらしく、誰が引き寄せたのか多くの若い女性を押しのけて男に近寄り声をかける。
「すいません、カバンの中のものは?」
本日の業務に、手荷物検査の業務はない。そんなのは警察や警備隊の仕事だろう。
陽臣の行動に驚いたが、ケイも気になりその男へ近づく。
後ろに立つケイの存在に気付いた男は、慌てて立ち去ろうとした。
しかしケイは反射的に男の腕を掴み、それに抵抗する男はトートバッグを勢い余って地面へ落とした。
落とした衝動で、トートバッグの中から10枚ほど写真が飛び出てきた。
「はっ?」
上矢議員と女が交じり合う写真を見て、ケイと陽臣は目を見開く。
「こいつ・・・!」
油断した隙に、男は逃げた。
案内所付近の騒がしさに気付いたSPと複数の関係者は、官房長官と上矢議員の周囲を固め、トランシーバーを使い始めた。
「首藤さんもそっちの拾って!」
ケイが男の姿を追ってしまったため、陽臣が野希羽を手招きして残りの写真を拾うよう急かした。
「ゔぅ・・・」写真から半分目をそらしつつ、汚物を拾うような動作で野希羽も拾う。
写真の落下とほぼ同じタイミングで、麗奈が恐ろしい剣幕で写真から離れるよう来場客への誘導を行ったため、写真の中身を知られることなく事態は事なきを得た。
一瞬ざわつきを見せた会場だったが、男の姿が見えなくなると何事もなかったかのように再び上矢は注目の的となった。
――――――
「――わかった、もう戻って。もういいから!」
秘書の唐崎は、会場から少し離れた雑居ビルの片隅で、計画が失敗に終わった報告を受けていた。
ためいき交じりに電話を切ると、目の前にいる明人と目が合った。
驚いた様子を一瞬みせたが、何事もなかったかのように明人のそばを横切ろうとした。
「逃走者との連絡ですか」
眉間に皺をよせ、明人を睨む。
「何言ってるんですか。というか跡を付いてきたんですか」
小柄な秘書のポニーテールが大きく揺れ動く。
動揺を隠せない焦りと失敗に終わった報告の苛立ちが合わさって、唐崎は今にも泣きそうだ。
「あなたの上矢議員に向ける表情がどうしても気になったんです。特別な感情がなければ、あんな表情にならないと思って・・・」
灯凜が上矢議員に質問攻めにあっていた際、もう一人の秘書は特に気にする様子はなかったが、唐崎は苛立ちを露わにしていた。
上矢議員を睨みつけていたのだ。
一瞬の表情だったが、明人はその表情がどんな気持ちだったのか気になっていた。
その後、案内所周辺の騒ぎに気付き、その方向を見ると麗奈が人を周辺から遠ざけた瞬間で、その様子は明人のいる場所からでもはっきり見えた。
写真が地面に散らばった際、計画とは違う場所で写真が散らばったため唐崎は青ざめた表情をしたが、風のせいで麗奈が規制した範囲を超えて少し飛ぶと、唐崎は笑みをみせた。
明人は唐崎のその様子をずっと見ていた。
「首謀者はあなたですか?」
「だから違うって言ってるでしょ!何なんですかあなた。訴えますよ?証拠もないのに言いがかりとか、めっちゃ気持ち悪いんですけど!」
いつの間にか彼女の背後に立っていた聖沢班長は、興奮気味の彼女からスマホを奪うと指を掴み、指紋認証を行いロックを解除した。
「なっ」
一瞬の出来事だったので、唐崎は言葉も出ない。
スマホの着信履歴にかけると、ワンコールの後に、「お前誰だ?」と、良く通る弁慶の声がした。
――――――
動機は、男女のもつれだった。
上矢が動画配信をし始めた無名の頃から上矢を崇拝し、上矢好みの容姿と彼の求めるスキルを知り、DMを通じて男女の仲になった。
しかし、所詮は遊び相手の一人であり、どうしても上矢を手に入れたかった唐崎は、精神的に上矢を追い込み、それを支えられる唯一の存在になる事が目的だった。
逃げた男は唐崎を慕う人間で、上矢を追い込むためにこれまでも協力させられていた。
協力の見返りは金ではなく、男女の関係を持つことだった。
「まぁ、あるあるよね」
「女ってこんな頭のおかしなことばっか考えてるのか」
「一部の人間でしょ。男にだって一定数いると思うけどー」
乾いた声でケイに答える灯凜は、トングでカルビを裏返した。
明人は黙ってチョレギサラダを食べている。
「現場を離れたことにお咎めはなかったみたいですが、今回の行動も業務の範囲内なんですか?」
陽臣が箸を置いて麗奈を見る。
「要人の任務の妨げを阻止することに値するなら問題ない。法を犯さなければどんなことでも」
「何か、怖いですね・・・」
野希羽がまじまじと麗奈を見た。
上矢議員の街頭演説の後、都内の焼肉チェーン店で歓迎会が行われた。本日初の同行業務を終えたため、それも併せた慰労会だ。
「聖沢班長は、何かご予定でも?」
「あいつは忙しい人だからねー」
灯凜とケイは、聖沢班長について色々と麗奈に尋ねた。
麗奈とマイロは、事務局設立のため、自衛隊から特別異動があった。ケイと同じ理由だ。
ただ、麗奈とマイロは所属部隊が違ったため、マイロについての詳細は知らなかった。
任務についての詳細は語れない事情もあり、それ故お互いについて話すことはこれまでなかった様だ。
それを知ると、ケイを始め他のメンバーも直属の上司の経歴について尋ねる事はしなかった。
―――――――
マイロは肩で息をした。
全身からとめどなく汗が噴き出る。
暗闇の中、銃を持ち静かに構える。
赤い点が突如現れると、間髪入れずにそこを目掛けて発砲した。
次々と現れる赤い点に、躊躇なく発砲を繰り返す。
数分後、あたりが明るくなった。
「お見事。相変わらず見事な腕裁きだな」
暗闇から50代くらいの男が現れた。
弾は、赤い点のあった箇所に全て命中していた。
「いえ、目が暗闇に慣れるまで以前より数秒かかりました」
マイロは率直な感想を述べた。
――ここは都内の某所にある訓練施設。
10キロを泳ぎ切り、15キロを走る。その後、暗所にて射撃訓練を行った。
マイロは現在の部署に異動後、ここへ週2回以上通っている。
「あいかわらずストイックだな」
「いずれはこの世界に戻ります。それに今の任務に必要なスキルでもあります」
「いずれは、か。上の行動次第では、お前はずっと影の警護人のままだぞ」
言葉を否定できないマイロは元上司へ背中を向け、大きく深呼吸した。
―――
2話終了
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