1-2


深呼吸をしながら、猪山いのやま麗奈れいなはゆっくりと目を開けた。

目の前には同僚、そしてその同僚のすぐそばに、ライフル銃を持った男が立っている。

ほかにも同じくライフル銃、ハンドガンを持った男が把握しているだけで4人いる。

いずれも日本人ではなさそうだ。


両腕は、胴体部分に巻かれた紐のせいで身動きがとれない。座りっぱなしで15分は経過したと思う。

パンツスーツのため胡坐をかいて座れているだけ自分はマシな方だろう。


同じ様に拘束され、スカートのため足を揃えて座る斜め前の女性は、今の姿勢にだいぶ堪えているはずだ。

その女性は少し前から顔色が悪かったが、案の定体勢が崩れ、床に臥せてしまった。


「お願いです。彼女だけでも開放してください」

会場近くで銃を発砲し、威嚇していた男に連行されていた女性・・いや男性が、艶やかな低い声でライフル銃を構えた男に懇願した。

「お前、男だったのか。まぁ・・悪くねぇな。俺の要求をのむならこの女を開放してやっても――」

舐めるような視線で懇願する男に銃を突き刺す。

「おいやめろ。しっかり見張ってろ」

訛りのある英語で会話する男たちは、元の立ち位置に戻った。


床に臥せている女性は、息がだんだん粗くなってきた。

(過呼吸か?まずいな・・)

麗奈はあたりを見回した。


棚や作業台があり、物が多い部屋だ。

麗奈の位置からだと殆ど死角となる奥の部屋を、目の届く範囲でさりげなく窺う。

(あの部屋の奥には確か昇降口がある)

麗奈は、事前に確認していた船内の見取り図を脳内再生した。


(――マイロなら、昇降口の存在に気付いているはずだ。ただ、さすがのアイツでも人質が多いこの状況に一人で立ち向かうのは危険すぎる。今の自分に出来る事を考えるんだ・・)

硬直した姿勢と極度のストレスのせいか、麗奈は思考の低下を感じた。

頭がぼーっとする。この状況の打開策が思いつかない。

いらだちを覚えつつ、神頼み、いやマイロの突入を危険だと思いつつ、願っていた。

(頼む、だれかマイロに手を差し伸べてくれ・・・)




――――――


「なぜですか!?人質は官房長官の対応を今か今かと頼りにしているんですよ!」

船内の奥にある応接間で、上原うえはら陽臣はるおみの声が轟いた。

応接間に人気ひとけはなく、ここにいるのはテロリストとの早急な対話を急かす上原陽臣と秘書の杉原すぎはら寿ひさし、官房長官の待機する部屋の扉前に立つSPのみだ。

応接間の外では、政府関係者と今回の歓迎会用の警護人が併せて40人ほど武装をして立っている。


「外にいる警備隊を含めて、応戦も視野に入れて話し合うべきです。もちろん私も一緒に戦います」

「テロリストと交渉はしないし応戦もしない。海上保安部の到着を待て。今こちらに向っている」

杉原は眼鏡を眉間に押し上げ、抑揚のない声で言う。

陽臣は拳を強く握りしめ、鋭い目で杉原を見る。


「あなたたちはいつもそうだ。雲の上で言葉を発するだけ。交渉をちらつかせるだけで、1人の命が助かるかもしれないんですよ?時間がないんです。せめて対応する素振りを示すだけでも今はすべきです。国のトップとして!」

「交渉なり素振りなりでテロリストとの物理的な距離が縮まった瞬間、やつらは官房長官を狙ってくるかもしれない。官房長官に何かあった時、その責任は誰がとるんだ?君は、難関を突破してこの船に招かれたんだろ?少し考えれば分かることだ」


眼鏡が反射し、陽臣には杉原の目が見えなかった。




――――――


薬莢やっきょうが麗奈の足元近くに落ちた。


「おっおまえが悪いんだからな!あれだけ動くなと言ったのに!」

心臓近くを打たれた男は、麗奈に背を向けるような形で倒れた。

悲鳴が鳴り響く。

人質になってから、間もなく30分が経過するところだった。床に臥せた女性の呼吸も大きくなる。

麗奈の精神は極限を迎えるところだった。


「止血をっ」

麗奈は英語で男たちに向って叫んだ。

「お前も死にたいのか!」

麗奈の額にライフルが向けられる。麗奈は失いそうな意識を必死に保ち、再度止血を懇願した。

銃を向けた男に仲間が寄ってきた。

「ここで死んで大事になったら面倒くさいだろ。重罪で逃げるより、大金もって即行で飛んだ方が今後の生き方も楽だ」

笑いながら小声で話しているが、会話は麗奈の耳に届いていた。


「・・・布か雑巾、あるのですればいい。立て」

拘束がほどけ、背中に銃口を感じながら、男と麗奈は奥の部屋に入った。


麗奈は歩く足を止めて、少しずつ体力と思考が回復するのを感じた。

(あぁ、やっぱりはいるな)

五感の鋭い麗奈は、漆黒の支援ために今何が必要か全力で考え始めた。




――――――


スマホのわずかな明かりを頼りに、何度となくブレーカーの位置を確認した。

そして、間もなく突入の時刻が訪れる。


緊張で灯凜の手が震える。


(大丈夫、私ならできる。これまでも上手くやってきた)

そう自分に言い聞かせるとブレーカーの取っ手を握り、無線に向けてカウントダウンを唱えた。

10、9、8・・・


灯凜の頭で淡い記憶が蘇る。


――眩しい空の下でチアの衣装に身を包んだ灯凜は、力強く肩に乗ったトップを宙へ押し出した。満面の笑みで見上げる灯凜。


大丈夫、私なら大丈夫――


・・・2、1




麗奈たちの視界が真っ暗になり、それとほぼ同時に天井方面から銃声が轟く。

暗視装置あんしそうちを見に纏うケイの命中力は百発百中で、男たちの悲鳴が部屋中に響いた。


麗奈が一目散に奥の扉の鍵を解除して開けると、扉付近で男と交渉を続けていた警備隊が侵入し、人質解放と迎撃に向った。

漆黒の打つ弾もケイと同様、一発たりとも外すことなく男たちの胴体・腕・足をとらえ、全てをうずくまらせた。


「こいつらを抑えろ!」

漆黒が侵入してきた警備隊へ指示を出す。

もがき苦しむ男たちは次々と捕らえられた。

するとその時-


人質解放の手助けをする麗奈を目掛け、うずくまる男が発砲する構えをとった。

「くそうっ・・!」

足からの出血に耐えながら、男がわずかな力を振り絞り、構えた銃の人差し指を動かした。

漆黒は、敏捷びんしょうな身のこなしでその男の心臓付近に向けて発砲の臨戦態勢に入る。

しかしその瞬間―


麗奈を狙った男の腕を、別の弾がとらえた。

漆黒が目を見開き発砲先に目をやる。


そこには押し切った銃を見つめて佇む明人がいた。


呼吸を荒くした明人は、頭痛と眩暈に耐えられず、ゆっくりと目を閉じた。


その後の小1時間程は、どうしたか覚えていない。




――――――


日は傾き、地平線に落ちようとしていた。


男たちは海上保安部に連行され、船の上はいつの間にか和やかな雰囲気になっていた。

人質は一人重傷だが命に別状はなく、捕まった男たちからも死者は出なかったと明人たちは報告を受けた。

今回の事件関係者は海上保安部からの聞き取りを終え、帰港の時を静かに待っていた。


「みんな本当にケガはないんですか?というか倉森・・明人さん、本当に初めて銃を使ったの?」

張りのある灯凜の声から、緊張から解放されたのが伝わってくる。

「うん、とても緊張したけどね」

「いや凄すぎでしょ。あの場面で命中するなんて」


明人と漆黒は昇降口から侵入し、漆黒が応戦している間に明人は人質を解放する計画だった。

万が一に備えて、と言うよりお守り感覚で明人に持たせたつもりのハンドガンは、武器庫にあったものを漆黒から簡単に使い方を教わって所持していた。


しかし、麗奈が自発的に人質解放の役割を担ったため、明人は人質を扉方向へ誘導しつつ漆黒のサポートをする考えに至った。


回想と共に、明人は銃の感触を思い出した。

手のひらが熱く感じる。

漆黒は少し離れた場所に腰掛け、明人の様子を窺っていた。


「見て、綺麗・・・」

灯凜は右手を目の上にあて、夕日の眩しさを遮りながら、沈みかける夕日を見た。

それにつられて明人、漆黒、ケイも同じ方向を見る。

遠くに見えるビルの明かりの上には、すでに夜が訪れていた。


「とんだ災難な1日だったけど、俺はこのメンバーと過ごせて良かったと思ってるぜ」

「きっと今回の経験がそれぞれの配属先で活きてくるはずだよね」

ケイと灯凜はまるで仲間との別れを惜しむかのように、労う言葉で締めようとしている。


「いや、安心しろ。お前たち3人は漏れなく俺と同じ部署だ」


漆黒の発言は、最後の最後まで突飛だった。

口をアングリとする周囲の様子を見ながら、漆黒の口角は上がった。

初めて笑うところを見て、更に開いた口が塞がらない。

「お前たちの部署は――」




――――――


暗闇に身をひそめる男は、こちらに向かう足音に耳を傾けた。

「・・・ニコライ、いるんだろう?」

ニコライは暗闇から抜け出し、瀬野尾せのおしょうの足元に近寄った。


「た、助けてくれ。今回は失敗に終わったが、俺の身元はバレてない。どこかで潜伏して次の計画に備えるから・・・」

跪くニコライは、懇願の眼差しで翔を見上げる。

翔は般若を彷彿させる形相に笑みを浮かべて、ニコライの聖母マリアのタトゥーが彫られた右手を優しく握り返した。




数時間後、拳銃自殺を図ったと思われる外国人の遺体が、海上保安部によって発見された。

聖母マリアの彫られた右腕は、力なく横たわっていた。




――――――


翌月、内閣府のとある一室で、副総理より新規配属者の名前が読み上げられた。

読み上げられたのは、5名。

富岡とみおか灯凜あかり、一ノいちのせケイ、倉森くらもり明人あきひとがそれぞれ読み上げられる。



――夜の闇が迫る夕日を背景に、漆黒の髪を持つ聖沢ひじりさわ舞郎まいろう(マイロ)がニヤリとして発した言葉を明人は頭の中で反芻しながら、副総理の読み上げを静聴する。



「内閣府へようこそ。今日から君たちは『国家総合事務局こっかそうごうじむきょく』の一員だ」



―――

1話終了



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『内閣府国家公務員総合職』に採用されて入庁しましたが、なぜかSPみたいな仕事をしています @tolucky1212

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