昇るは虧月

 窓の外に霜の声が降りる。時折吹き込む隙間風、炎が揺れ火花が弾ける。アレクシアは暖炉のそばで弓の握り皮に油を塗りこんでいた。ジルドの奏でる竪琴を聞きながら、穏やかな時間が流れていた。


「大市の警護?」


「えぇ、頼まれたの。この間の宴で」


 ぴたりと音を止め、眉をひそめるジルド。その疑念をひしひしと感じ取りながら、アレクシアは先日の祝宴を思い返していた。




「あ~、飲みすぎた……」


「お顔まっかですよ、ミネテさん」


 ミネテが顔を赤らめているのを見て、アレクシアはふふっと笑った。りんとした狩人かりうど協会長としての一面しか見てこなかった彼女が、こうして相好そうごうを崩している姿は、どこか新鮮でいっそ可愛かわいいらしい。


 アレクシアは蜂蜜酒の甘い香りを感じながら、彼女の話に耳を傾ける。


「お前だけだよ、付き合ってくれるのは……

 飲んでるとみんな何処どこかへ行ってしまうんだ……」


「ふふ、私でよければいくらでも」


 酔ったミネテは普段の凛々りりしさが薄れ、蠱惑こわくさが増す。ぽってりとした唇と潤んだ瞳でじっと見つめられると女でもどきっとしてしまう。


 そう言ったのはヘデで、周りの狩人かりうども小刻みに何度もうなずいていた。けれどアレクシアにはよくわからなかった。だから、ミネテと隅に放られた。

 少し距離を取られた酒場の一角で、 ぽつりぽつりと酒をさかなに語らう。


「……災難だったな」


 話が途切れた時だった。


 ミネテは、水を一気にあおってから、息を深く吸い込み、酔いを覚ますように息を吐いた。そして、まっすぐにアレクシアの瞳を見据える。その瞳には、軽口をたたく時とは違う、真剣な光が宿っていた。


「でも、ああいうのは少なくない。特に、今は大市の前だしな」


 アレクシアの心がざわつく。

 人々が集まる場所では、常に混沌こんとんや危険が付きまとう。それは当然あるもので、視界に入らないようにされていたものだ。どうしても身震いしてしまう。


「……それは、とても怖い、わね」


 絞りだした声は少し震えていた。一夜も明けていない。まだあの逃げ惑った恐怖が、まだしっかりと残っている。


「だから、お前も見廻みまわり側に回ってくれないか。武器も持ってられるし、他に警護を頼んでる狩人かりうどたちもいるし……」


 ジルドだって一緒でいい。

 ミネテは静かに提案した。その視線は真剣で、そこにはアレクシアへの思いやりが強い思いが感じられた。


 それがうれしくて、熱に浮かされるままアレクシアはうなずいた。





「……それなら、仕方ありませんね」


 ジルドは大きく息を吐き、しぶしぶ了承してくれた。


「それに、品が多数集まるなら、宝珠が紛れ込んでいるかもしれませんし、丁度良い機会ですね」


 ほっとしたのも束の間。彼が続けた言葉に、アレクシアは瞠目どうもくした。


 すっかり忘れていたのだ。父に頼まれていた『エレシスの瞳』を取り戻していないことを。ジルドの本心や魔物の襲撃に気を取られ、頭から抜け落ちていた。


 背中に汗がじわりと伝う。父に頼まれ、自信満々に任せてとのたまったのに、まだ見つけていない。手がかりすらない。


 平静を装ってうなずいた。大市まで日がない。ジルドと共に、大市の準備に取りかかった。大市が始まるまでにやるべきことは山積みだが、同時に、宝珠を探す目も怠らないようにしなければならない。



 そして、ついに迎えた大市の日。

 三つの開拓拠点から人々が集まり、街をにぎわせる年に一度の大規模な催し。


 張り巡らされた通りのほとんどは売店で埋め尽くされ、色とりどりの看板や旗が風になびいている。通りを埋める群衆はまるで川の流れのように、絶え間なく動き続け、熱気と活気が辺りを包んでいた。


「わぁ……!」


 アレクシアは、その喧騒けんそうに心を奪われ、目を惹く品々に出逢った。芳醇ほうじゆんな牛酪がかかった馬鈴薯じやがいもや小さくもぴりりとした香辛料の粒、を閉じ込めてきらめく首飾り。

 どこを見ても目移りするような品々が並んでいる。ぱあっと顔が輝き、まるで普通の買い物客のようにふらふらと売店に引き寄せられた。


 興味深げに小さな置物や装身具に目をやりながら、アレクシアはふと思い出した。今日は楽しむために来たわけではない。彼女は見廻みまわりとしての役割を果たさなければならないのだ。

 そして、何より『エレシスの瞳』を探すという大事な任務がある。


 ぶんぶんと頭を振って、気持ちを入れ直したつもりだったのに、ジルドがすぐに甘やかしてくる。アレクシアがふらりと目で追った屋台の串を買って差し出してきたり、これが似合いますよと羽飾りを選んで手渡してきたりと、終始世話を焼かれている。


「ほら、ほおについていますよ。アリィ」


 柔らかな笑みを浮かべながら、ジルドが優しくアレクシアのほおを拭う。その仕草の優雅さと、柔らかい声に、不本意ながらも彼女はどきりとしてしまう。


 ジルドの整った顔立ちと穏やかな笑顔は、明らかに取り入るためのものだとわかっているはずなのに、その優しさに心を揺さぶられてしまう自分が悔しい。いくら彼が野心を持っていると言っても、この甘やかしぶりには限度があるだろうと思わずいきをつきたくなる。


 それでも、彼のその気遣いがうれしくないわけではない。その矛盾した感情に、アレクシアは口角を下げ唇を尖らせて楽しそうなジルドを横目で見つめていた。


 太陽が中天に差し掛かるまで、アレクシアとジルドは大市を巡り続けた。主に古物商の店を中心に回りつつ、警護として不審な人物がいれば取り押さえるなど、浮かれてばかりではいられない仕事もこなしていた。大市の喧騒けんそうの中でも、意識を務めて張り詰めさせていた。

 そんな中、ふと視線の先にヘデの姿を見つけた。


「あ、また二人でお出かけ!? よかったじゃん!」


 目が合えば開口一番に飛び出た言葉に、アレクシアは思わず面食らってしまう。

 その無邪気な言葉が、たった数日前の記憶を呼び起こした。以前にそう言われたときに、ジルドが彼女を利用していると聞いてしまったことを嫌でも思い出してしまう。胸の中に苦い思いがこみ上げ、言葉に詰まりそうになる。整理したはずの思いに振り回されて仕方ない。


「いいえ、今日は警護を任されているの」


 アレクシアは、なんとか笑顔を作って答えた。

 話題を変えたくて、ヘデの服に目を向けた。


「ヘデは、大市を楽しんでいる?」


 狩人かりうどとしてよく見る動きやすそうな姿とは違って、前面を花刺繍ししゆうに覆われた生成りのスカートを履いていた。片腕に下げたかごからいくつもの商品が目についた。


「うん! 刺繍糸ししゆういとを売っててさ~。見てよ! めっちゃ綺麗きれいな色じゃない?」


「わ、本当。とても綺麗きれいに染められているのね」


 ヘデが取り出したのは黄一色で作られた糸だった。色むらのなさに驚く。アレクシアも目を輝かせて、見せられた刺繍糸をじっくり眺めた。細かく織られた糸は、光を反射して美しく輝き、その色は本当に鮮やかだった。

 二人の間に暖かい空気が流れ、大市の喧騒けんそうの中でもゆっくりとした時が流れた。


「アリィたちは? 警護って言ったって楽しまなきゃ損だよ。

 欲しいものとかないの?」


 ヘデがずいっと身を寄せて尋ねてきた。

 アレクシアはジルドと顔を見合わせ、一瞬のやり取りで彼のうなずきを確認すると、少し慎重に口を開いた。


「このくらいのね、まぁるい宝石を探してるの」


 彼女はてのひらで宝珠の輪郭を作ってみせた。

 実際に間近で見たことはないけれど、その特徴は頭にしっかりと刻まれている。


「鮮やかな琥珀色こはくいろをしているのだけど、ヘデはどこかで見たりしていない?」


 聞くだけ聞いてみようと気軽な質問だった。

 けれど、ヘデの視線が中空に動き、特徴を口遊くちずさんでいる。

 何か思い出しそうな雰囲気だった。目を丸くして、固唾かたずを飲んだ。


「あ、そうだ、それね、見たこと、

 ――――――――ないよ! ないない!! 見たことないな! うん!」


 慌てたように誤魔化ごまかすヘデ。あまりにも下手なのに勢いで押し切られ、アレクシアは追求することもできず、ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。

 じゃ! と勢いよく去っていくヘデを、追いかけることすらできなかった。


「孤児院からもいくつか出してるから、後で寄ってね~!!」


 遠くの方から叫ばれる声が聞こえる。

 アレクシアはそれを聞きながら、ジルドがぽつりとつぶやいた。


「……手がかり、とても近くにありましたね」


「そう、ね……」


 アレクシアもそれ以外に言うことが思いつかず、ただ走り去っていくヘデの背中をじっと見送った。手がかりどころではないものを感じたが、今すぐ形にするわけにもいかず、少し焦りを感じ始めていた。






 気もそぞろに、大市の終幕を見届けた。


「はぁ……」


 夜空に浮かぶ蒼月が満ちようとしている。

 戴冠式で母が持っていた宝珠が盗まれた。

 それを取り戻してくれと。滅多めったにない父の頼みに張り切っていたはずだった。


 けれど、そとの鮮やかさに心を奪われてしまった。見つけてしまえば帰らなくてはいけない。

 そういう思いが、ないとは言えなかった。



 しかし、不意に飛び込んできた手がかり。

 ヘデの不自然な振る舞いが、すべてを変えた。


 ヘデが『エレシスの瞳』を盗んだわけではないだろう。

 だが、ヘデが知っている誰かが、その盗人ぬすびとである可能性が高い。


 アレクシアの胸に、確信と焦りが同時に芽生え始めた。


 宝物庫にはきちんと仕舞しまわれていた。きっと出入り口に守りは居ただろう。そんな中で国宝をどうやって盗めるというのか。

 けれど、アレクシアは覚えている。壁をすり抜けて進める人を。つい先日、彼に助けられたことを。


「少し席を外しますね」


 ジルドは、決断をかすことなくそっと部屋を出た。彼の気遣いに感謝しつつ、アレクシアは頭を冷やしたくて少しだけ窓を開けた。


 冷たい風がアレクシアのほおを優しくで、心の中の混乱を少しだけ和らげてくれる。

 日は沈み、街にはぽつりぽつりとあかりがあかり始めている。大市であれほどあふれかえっていたひとびとも今は家の中へと吸い込まれ、街は静けさを取り戻しつつある。


 アレクシアはその静かな街並みを眺めながら、黄昏たそがれの中に思考を巡らせる。冷えた空気の中で、彼女の心も徐々に落ち着きを取り戻していく。

 だが、胸に残る疑念はまだ消えない。


「でも、本当にロシェが……?」


 自分を助けてくれたひとを信じたいという思いが、アレクシアの心を大きく揺さぶる。彼の存在は安心を与えてくれたはずなのに、状況証拠は彼を指し示している。外れている可能性があることはわかっているが、それでも調べずに済ませるわけにはいかない。


 冷たい風がほおで、アレクシアの思考をさらに混乱させる。


「どうしたらいいの……お父様」


 アレクシアは悩みながら、自分に任せた父、エルンストにすがりたくなった。もし父が今ここにいたら、どうしただろう。探してくれと、自分を信頼して任せてくれた父なら。


 月夜に仮託すると、蒼月を背に大きく翼を広げた梟が飛んできた。徐々に大きくなる姿は、脇目も降らずまっすぐにアレクシアを目指していた。腕を伸ばせば大きな翼を綺麗きれいに閉じて止まる。どこかで見たような気がする。首をひねっていれば、梟が紙のくくられた足をずいと出された。


「あ、ごめんね。すぐもらうわ」


 手紙を解けば、ほのかな花蜜を集めた甘やかな香りがした。


「お父さまからの手紙……!」


 時候の挨拶から始まった手紙には、父からの思いがつづられている。無事か。宝探しは順調か。早く帰ってきて顔を見せなさい、と。

 父はこんなにも信じてくれている。帰りを待たれている。

頼みを忘れていた後ろめたさと、信頼に応えたい気持ちが混ざりあう。


 なら、選択はひとつきり。


「そう、そうよね……」


 自分に言い聞かせ窓を閉めた。ジルドはまだ外にいるのかと思っていれば、丁度帰ってきた。湯気の立つお茶を手にし、差し出されるままに杯を傾ける。少しだけ乾燥した喉をほどよい熱が下っていく。


 アレクシアは深く息を吸い、心の中で決めていたことを口にした。


「宝珠を取り戻しに行きます」


「……ロシェですか。ですが、どうやって?」


 彼の問いに対して、アレクシアは考えたことを話した。どこにでも通り抜けられる、どこにでも逃げられる彼を捕まえる作戦を。


 話し終え、ジルドを見れば、目を見開いて絶句していた。衝撃から立ち直ればジルドは考え直すように言い募った。けれど、アレクシアの意志は固かった。

 だから、ジルドは深く深く息を吐き、静かに言った。


「殿下の、御心みこころのままに」





 

「来なければいいなと思っていたよ」


 月明かりの下、静かな孤児院の庭にひとり立つロシェ。その表情はどこかうれいを帯びていたが、同時に何かを覚悟したような静けさもあった。


「少し、話を聞いてくれるかい?」


 彼は柔らかく声をかける。

 しかし、アレクシアはすでに心を決めていた。決めたのだ。

 揺るがせたくはなかった。


「いいえ、いいえ。問答など不要です。

 心当たりがあるのなら、今すぐに渡しなさい」


 冷ややかに聞こえるように言い放ち、弓を構え強く引き絞る。その矢の先をロシェに向ける。震えないよう、震わせないように懸命に力を込めて。


「全く、がたいものだね。こんな醜悪なものにすがるなんて」


 ロシェはそう言いながら、懐から小さな球を取り出した。ぽんぽんと軽く手のひらで遊ぶように転がしながら、その琥珀色こはくいろに輝く球は月明かりに淡く光っている。


 アレクシアの目は宝珠に釘付くぎづけになった。実物は絵に描かれたよりももっと幻想的だった。間違いない、あれが探し求めていた宝珠だ。


 そして、ロシェがそれを持っていたという事実が重くのしかかる。

 当たってほしくは、なかった。


「『エレシスの瞳』を返しなさい……!」


「そんな風に呼んでいるのかい? まあ、奪えるものなら奪えばいい。ただし、僕を捕まえられるものならね」


 声を張り上げたアレクシアに対し、ロシェは至極しごく冷静だった。宝珠を懐に仕舞しまい直すと、脱兎だつとのごとく走り去っていった。

 軽やかに去っていく姿を見て、茶番が上手うまく行ったことに安堵あんどして息を吐く。これで捕まえられるなど微塵みじんも思っていない。


「追います」

「……はい、私は下から追います。どうか、どうかお気をつけて」


 ジルドの真摯しんしな言葉に、うなずきだけを返した。

 事前に練っていた作戦通り、二人は二手に分かれて行動を始めた。通りを走り抜け、いくつもの家を経由して屋根へと上る。アレクシアは月夜の空を駆ける。


「……見つけた」


 二つ三つ屋根を渡った先、ついにロシェの姿が目に入る。彼もこちらに気づき、驚いたようにぽかりと口を開けた。その一瞬の隙を見逃さなかったアレクシアは、思いを込めて静かに言葉を紡いだ。


「あなたは私と誰かを重ねていた。あなたにとって、きっと大切な誰かを」


 アレクシアにはわかっていた。ロシェが自分を通して過去に思いを馳せていたことを。そして彼が悲壮な罪悪感を背負っていることを。

 それに触れれば、きっと彼は動揺するだろう。


 彼女は心の中だけ謝った。手段を選んでいられなかった。



 だから。


 アレクシアは虚空に身を投げるように、屋根から飛び降りた。大きな月が視界を埋め、手を伸ばしても決して届くことはない。身体が宙に浮き、重力が引き戻すまでの一瞬の無重力に息を止めた。


「――何を考えてるんだ!?」


 ロシェの驚きと焦りの声が、空を裂いた。その声は、アレクシアの耳に強く響き、彼が想像以上に己の行動に動揺していることがわかる。


 賭けに勝った。


 地面にたたきつけられるだろう寸前。ふわりと速度が緩み、暖かな腕に抱きとどめられた。アレクシアを強く抱き込む腕は、細かく震えていた。彼の怒鳴り声は全く怖くなかった。アレクシアを気に掛けるがゆえの怒り。それはミネテと同じだとわかっていた。


 そして、それを理解していながらも、アレクシアはその感情を利用した。

 計画は最終段階へ。微笑ほほえみ、そっとロシェの首に腕を回した。


「捕まえましたよ」


 耳元にささやけば、ロシェはぴたりと動きを止めた。

 その隙をついて、アレクシアはロシェの懐から宝珠を取り戻す。手の中に収まるのは、細かな彫刻が施された美しい石。アレクシアはそれを月の光にかざして、奥底にある紋様をじっくりと確かめた。間違いない、これが探し求めていた宝珠だ。手にすれば、宝珠の内部に渦巻く巨大な力を感じる。


「……それが君の選択かぁ」


 ロシェはいき混じりにつぶやいた。彼の声には、諦めとも取れる静かな悲しみが宿っていた。

 宝珠を盗み本当に自分のものとしたかったのなら、アレクシアなど見捨ててしまえばよかったのだ。けれど彼はアレクシアを傷つけることをいとうて、自分を守ってしまった。


 胸に残る罪悪感と、手にした宝珠の重さ。

 遠くから駆けてくるジルドの気配を感じながら、アレクシアはロシェから離れた。

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