響く警鐘

 天は高く、空は澄み渡り、まるでアレクシアの心の内を知らないかのように広がっていた。


何故なぜ貴方あなたがいるのですか?」


「そりゃあたしが依頼人だからね。文句あんの?」


「いいえ?」


 目の前の、ジルドとヘデの気安いやりとりを前に、アレクシアは笑みを張り付けて立っている。


 王都を出るほどの大きな動きがない限り、盗まれた宝珠はまだ王都の中にあるはずだとジルドは言っていた。だからこそ、王都内で完結する依頼を優先的に受けたいと。

 そうやって受けた依頼で、アレクシアは差異をたたきつけられる


 ジルドが、劇楽師の青年に向けたような気取らない態度をヘデに向けている。

 どれほど共に過ごしても、アレクシアには一歩引いた態度であるというのに。

 ヘデへの態度とアレクシアへの態度。その違いがひどく鮮明に感じられた。自分に向けられるものとはまるで異なるものだと痛感した。


 本当に、ジルドが自分に対して見せるのは取り繕ったものに過ぎないのだろう。その思いは彼女の胸に突き刺さり、いまだに抜けていない。しかし、訳も分からず苦しかった気持ちは、目覚めれば消え去っていた。だから、心に立つさざなみは勢いをなくして、心静かに二人のやりとりを見ていられる。


「――大丈夫?」


 ふと、ヘデがこちらを向いた。心配そうなその声に、なぜだか煩わしさを感じた。


「何が? それよりも、早く行きましょう?」


 綺麗きれいに笑んだアレクシアは、前を向いて歩き出した。

 今はただ、目の前の任務に集中するだけだった。



「今から行くのは、えっと……」


「リーベン孤児院。あたしが育って、今も暮らしてるとこだよ」


 アレクシアが迷った言葉に、ヘデは軽やかに答えた。その声はどこか誇らしげで、歩きながらも自然と胸を張っているように見えた。アレクシアとヘデは肩を並べて大通りを進み、ジルドはその一歩後ろを静かに歩いていた。


「ちっさいガキがいっぱいでさぁ、掃除とか全ッ然手がつかなくて!

 たまに手伝ってもらってるんだ~」


 そう言って、彼女は軽く首を傾け、ちらりと自分の襟元にある金色のとどめ具を指さした。


 それは狩人かりうどの階級を示す記章で、黄金色に輝くその襟留は、彼女が一騎当千の狩人かりうどであることを表している。アレクシアはその輝きにしばし目を奪われる。自分やジルドは、ようやく一人前とされる青銅ブロンセの記章を与えられたばかり。ヘデとの間には二つも階級の隔たりがある。いったいどれほどの戦果を積み重ねたのか。


 けれど、その輝かしい黄金ゴルドの記章が、依頼にどういう関係があるのだろうか。

 不思議に思うアレクシアを置いて、ヘデは話を続ける。


「もううるさくって仕方なくてさ。

 ほかの人はあんまり受けてくれないんだよね。だから、手伝ってもらえるのは本当にありがたいよ」


 大変だと口にしている割に、ヘデの声には確かな愛情を感じた。


 見たこともないのに、リーベン孤児院の光景が目に浮かぶ。

 せわしなく動き回る子どもたち、笑い声と泣き声が交じり合うにぎやかな場所。しかし、そんな喧騒けんそうの中にも、ヘデのように見守って生活を整える人たちがいて、支え合って生きているのだろう。


 そうこうしているうちに、リーベン孤児院に辿たどいた。

 大通りの突き当たりに位置し、にぎやかな露店通りや狩人かりうど協会にもほど近い場所だ。小さな敷地を囲む塀の先には、広い庭と大きな、それに簡素な平屋が立っていた。


 柵越しにアレクシアがひょいと中をのぞくと、子供たちが泥だらけになって駆け回っているのが目に入った。どこを見ても、泥だらけの手や足、笑い声が響いている。

 無邪気に遊ぶ彼らの姿は、アレクシアには微笑ほほえましく見えたが、隣のヘデには別だったようだ。


「はぁ!? 今日掃除するって言ったよね!? なんで汚して回ってんの!」


 ヘデはまなじりげ、怒りとあきれが入り混じった叫び声を上げた。叫びながらすぐさま柵を軽々と跳び越え、子供たちの元へと駆け寄る。音さえ取り残していくその俊敏さに思わず笑みがこぼれた。


「猿かなんかかあいつ……」


 そうぼやきながらジルドが静かに扉を開けた。


「どうぞ、アリィ」


 その仕草は穏やかで優しさにあふれ、ずっと受けていた気遣いに変わりない。彼に促されて柵を通り抜ける。もういいのだと思った。

 ジルドが好きだった。ずっとそばにいてくれるから。


「えぇ、ありがとう」


 彼からの思いがうそだからといって、行動が失われるわけじゃない。

 だからもういいのだ。


 最後に一つ、涙をこぼして、アレクシアは孤児院へと足を踏み入れた。



「ちょっとロシェ! ちゃんと見ててって言ったよね!? 何してんの!!」


 冬晴れの空に、ヘデの叱る声が響きいている。


 荒らげる声に足は騒ぎを離れ横にれて行った。ヘデは子供たちと楽しげに戯れていた男、ロシェに対して主に怒っているようだ。怒られている彼は茶色い頭をいては、苦笑いを浮かべて、神妙になど一切しない。

 自分よりも年上のようにも、同年代のように見える。一体いくつなのだろうか。


「いや~、面目ない。子供たちが『すごく楽しいよ』って誘うもんだから、つい混ざっちゃってさ」


「ついじゃないでしょうが!」


 ロシェは申し訳なさそうに言いながらも、その表情はどこか楽しげだ。彼の背後には、さっきまで遊んでいた子供たちがこそこそと隠れている。


 目配せを飛ばしながら、楽し気に何かを耳打ちしている。風に乗って聞こえたのは次の悪戯いたずらの計画で。ヘデが鋭くにらみつけると、子供たちはぴゃっと笑いながら孤児院へ駆けこんでいった。


「ちっなんでそこで混ざる!! いい年してんでしょ!」


「あはは、ごめんね。ついね、こういうのが好きなんだ」


 その言葉にヘデは眉をひそめる。ロシェの態度はまるで大河に差し水。何を言ってもスルスルと受け流されるばかり。ヘデがどれほど真剣に叱っても、ロシェが受け取らないままだから怒りを持て余すのも無理はない。


「もう! 今ひと来てくれてるっていうのに!」


 ヘデの一言を最後に、お説教が終わった。ふーと細く強く息を吐いて、怒気を逃がしている。アレクシアは、これ以上隠れている必要はないと思い、日向へと足を踏み出した。


「あ、そこのひとが今回手伝ってくれるひと? ――ぇ、ワル、ダ?」


 振り向いて目が合ったロシェが、戸惑ったよう顔をゆがめた。

 彼の光のない灰色の瞳がアレクシアに向く。


 彼が口にしたワルダという名前に、聞き覚えはない。初めて聞くその名前にアレクシアは怪訝けげんに思ったが、それよりもロシェの反応に目を奪われた。

 常は飄々ひょうひょうとしているのだろうロシェ。短時間でもわかったその様が知らぬ名前を口にした途端に霧散した。目を大きく見開き、口を間抜けに開閉させ、強く動揺しているようだった。彼の慌てた様子にアレクシアは戸惑いながらも、ワルダという人物がロシェにとって重要な存在なのだと理解した。


 しかしだからといって、ロシェに何を聞きたいのかはわからない。口籠くちごもり、奇妙な雰囲気が場を支配する。


「誰? それ。アリィとジルドだよ」


 ヘデはロシェの言葉を軽く一蹴し、不思議な空気をばっさりと切り捨てた。その勢いに、アレクシアは思わず苦笑いを浮かべたが、場の緊張感も一瞬で消し飛んでいった。


「じゃ、二人とも今日孤児院の掃除と、軽くだけど神殿もちょっと見てほしいから。二手に分かれるよ。ジルドはこっちね」


 可笑おかしな空気を払うように手をたたいたヘデはさっさと段取りを決め、ジルドへ指示を飛ばす。異論など聞かぬと言わんばかりの勢いに、アレクシアならきっと流れるようにうなずいてしまうだろう。

 ジルドが自分の指示に従うのは当然だと思い込んでいるヘデは、そのまま振り返ることもなく孤児院へと向かって歩き始めた。


「は? なぜ」


「うるさいっ! 男手が必要なの!」


 そして、その通りに従わないのがジルドであった。唯々諾々と飲み込むのなら、ミネテにも突っかかっていかない。ジルドが当然のように問いかけるが、その言葉は瞬く間にヘデにたたとされる。


「彼でいいではないですか」


「あれは子供より非力だから無理」


 ジルドが食い下がるが、ヘデも一切の躊躇ちゆうちよなく即座に切り捨てた。ロシェと共に。まるで不変の真理のように言い放った。

 その背中に、ジルドはさすがに三度目の抗議を重ねることを諦めたようだ。眉間みけんしわを寄せつつ、仕方なさげにヘデの後を追う。


「ひどい言い草だなぁ。じゃあ、僕はこっちかな。よろしくね、アリィ」


 ロシェは冗談めかした軽い口調でそう言いながら、微笑ほほえみを浮かべてアレクシアに声をかけた。アレクシアは切り替えの早さに戸惑いながらも、すぐにうなずいた。


「え、うん……。神殿?」


「孤児院に併設されてるんだよ。まあ、古びた神殿だから神官も今は常駐してなくてね。今は僕が間借りしてるんだ」


 ジルドは自分の状況をさらりと説明しつつ、ヘデからの罵倒も軽く受け流している様子だった。飄々ひょうひょうとした彼の態度に、アレクシアは自然と肩の力が抜けるのを感じる。ロシェはつい先ほどまで怒鳴られていたのがなかったかのように、孤児院の窓から顔を出す子供たちに手を振っていた。


「磨き手が足りなくてね~。子供たちだと壊しちゃいそうだし」


 ロシェがそうつぶやきながら案内した神殿の中に、ひときわ目を引くものがあった。


 中央の台座に鎮座する、硝子がらすの杯。


 美しく削り取られた切り子細工が施されており、その繊細な意匠に目を奪われた。ロシェのほおにあるものとよく似た紋様をはじめとして、いくつもの紋が隙間なく刻まれ、調和している。

 天窓から差し込む光が杯に当たり、机の上に虹を描く。まるで小さな宝石箱が光を放つように、神殿の薄暗い空間を一つでいろどっていた。


 脚部は驚くほど細く、風に吹かれただけで折れてしまいそうなほどはかない。ロシェが子供だと壊しそうだと言った理由がすぐに理解できた。これほど繊細なものを守り、磨くのは並大抵のことではないだろう。


「とても、綺麗きれいね。初めて見たわ。こんなに綺麗なもの、他の神殿にもあるの?」


「ないと思うよ? 多分、一点ものだ」


 ロシェはアレクシアを見ていなかった。彼の言葉は自分に向けられているはずなのに、その意識は杯にのみ注がれ、別の場所に飛んでいるようだった。


「僕の大事な人が大切にしていたものでね。ずっと長く残していきたいんだ」


 ロシェは静かにつぶやくように言葉を紡いだ。その声には、過去の深い思い出を抱えているような重みがあった。


「だから丁寧に扱ってほしいな」


「――それほど大切なのに、私に任せていいの?」


 アレクシアはその重さに応じるように静かに受け止め問いかけた。

 初めて会った人間に託すよりも、大切に思っているロシェ自身が扱った方がいいのではないか。


 ロシェがぱちくりと目を瞬かせる。彼の灰色の瞳が初めてこちらをぐに捉えた。アレクシアはその視線にかすかな温かさを感じた。


「君ならいいよ」


 ロシェの言葉は短かったが、その一言には深い信頼が込められていた。アレクシアの心に、ふわりと何か温かいものが広がる。


「……でも、まあ、そろそろ潮時かなぁ」


 ロシェのつぶやきに、アレクシアはその意味を探るように彼を見つめた。

彼の言葉はどこかはかなく、まるで風に流れるように消えていきそうなものだった。


 アレクシアは何かを言おうと口を開いたが、果たしてその声が彼に届くのかすら、わからなかった。彼の中で何かがすでに決まっているかのような、そんな予感が心を締め付けた。


「大切にしたいよ、ずっと、ずっと。でも僕だけが大切にしても意味はないから、そろそろ離れることも視野に入れないとね」


 ロシェは優しい声で、まるで自分に言い聞かせるように語った。彼自身の葛藤と寂しさがにじんでいた。それを彼自身も分かって断ち切るような声だった。

 何から離れようとしているのか、アレクシアにはわからなかった。

 わかるのはほんのわずか。


「寂しくなるわ」


 それでも、アレクシアは浮かんだ思いを隠さずに伝えた。

 彼の言葉に対して素直に感じた気持ちを。

 あんなにも懐いていた子供たちも、体当たりで言葉をぶつけあえるヘデも、そしてほんすこしだけれどロシェと言葉を交わした自分も。彼を心に入れたから、欠ければ胸の内に穴を抱えるだろう。


「そう思ってくれる?」


 ロシェの問いかけに、アレクシアは少し不思議に思った。どうして自分にそんなことを聞くのだろう――彼が何を考えているのか、ますますわからなくなる。それでも、ロシェの静かな瞳を見つめながら、アレクシアはうなずこうとした。彼に少しでも寄り添いたいと思ったから。



 

 その時、だった。

 突如として、街中に警鐘の音が響き渡った。鐘の音は鋭く、重く、まるで空気を切り裂くかのように響き、アレクシアの胸に不安を走らせた。何かが起きている。

 ――それはただならぬ事態を告げる警告の音だった。


 後にそれが告げたのは襲撃だったと知った。

「商隊が魔物の群れに襲われた!!」






 耳をつんざくような轟音ごうおんが鳴り響き、神殿全体が揺れた。


 机の上にあった硝子がらすの杯が振動に合わせて揺れ、今にも床に落ちそうになる。アレクシアとロシェは反射的に手を伸ばし、同時にそれをつかんだ。欠けることなく手中に収まった杯を見つめ、二人は顔を見合わせ、互いに安堵あんどの表情を浮かべた。


「……危なかった」


 ほっと息をつく暇もなく、二人はすぐに神殿の外へと飛び出した。


 警鐘が鳴ることなど滅多めったにない。アレクシアがその音を聞いたのは、母が没したときのことが最後だった。だからこそ、今この異常事態に胸がざわつく。


 神殿の庭には、武装状態の奔鳥を連れた狩人かりうどたちの姿があった。彼らは緊迫した表情でヘデと話をつけていた。ヘデたちと一緒に掃除していたのだろう子供たちが、不安そうに身を寄せ合っている。


「アリィ!」


 苦虫をつぶしたような顔をして、ヘデがアレクシアに叫んだ。彼女はすでに奔鳥の手綱たづなに手を掛けている。


「あたしたち、外に行くから、アリィたちは協会に戻ってて! もしかしたら人手がいるかもだから!」


 ヘデは短く指示を出すと、乗り手のいなかった奔鳥に軽やかに飛び乗った。まるで一体と化したようにその背に収まり、すぐに小さくなっていく。


「あの子たちはロシェに任せていいから!」


 ヘデの声が風のように飛び去り、彼女は奔鳥とともにあっという間に姿を消した。矢継ぎ早の指示にアレクシアは少し困惑しながらも、周囲を見渡す。すると、孤児院の玄関先で不安そうに固まっている子供たちに囲まれたロシェが、こちらに向かって軽く手を振っていた。


 彼の笑顔は穏やかで、どんな状況でも平然としているように見える。それを見たアレクシアは少しだけ安心し、息を整えた。


「ジルド、行きましょう」


 アレクシアは短く声をかけ、ジルドとともに協会を目指した。足早に向かいながら、胸の奥で渦巻く不安を抑え込む。警鐘が鳴り響く中、これから何が起きるのかを考える余裕はなかったが、一つだけ確かなことがあった。


 今はただ、ヘデの言葉を信じて、協会に向かうしかない。





 辿たどいた協会内は上を下への大騒ぎだった。

 普段は整然と並んでいる机はすべて片付けられ、床一面に大きな地図が広げられている。地図の各所には印が付けられ、狩人かりうどたちが慌ただしく情報を交わし、書き加えていっている。


 協会の中がこれほど緊迫した状況になっているのを、アレクシアは初めて見た。


 協会長のミネテが、険しい表情で古参の狩人かりうどたちと何かを話している姿が目に入る。彼女の常と変わらぬ悠然としたたたずまいに、いつか見た、もう薄れかけてきた記憶の中の母が重なる。


 ミネテの周囲には、アレクシアが王宮で遠目に見かけたことのある人物たちも出入りしており、その姿に、事態の重大さがますます際立つ。


「オリスが目を覚ましました!」


 突然の報告が飛び込んでくる。その声に、場の空気ががらり変わった。


「よし! 状況報告!!」


 怒号のような声が響き渡り、周囲はさらに慌ただしく動き始めた。


 オリス――協会の研究員であり、初めて王都に降りた日にアレクシアの手を引いた人間。それがどうしたのかと思っていたが、周りの声を聴くに彼が一緒にいた商隊が魔物、鷲獅子グライフ群れ・・に襲われたらしい。


 魔物は基本的に群れを作ることはない。大型のものは特に。一匹だけで充分に強く、身を寄せ合う必要などない。だというのに群れが襲ってきた。


 走る焦燥に思わず体が動いた。


「あの、私にも何かできることはない?」


 アレクシアは一歩踏み出し、丁度目の前を通った狩人かりうどに向かって声をかけた。黄金ゴルドに次ぐ白銀ジルバ。きっとこの混乱した状況でもできることを教えてくれると思った。だが、その返事は期待していたものではなかった。


「あ? ……あぁ、いや、今はない」


 呼び止めた女は一瞬だけアレクシアに目をやって、すぐに再び他の仕事に戻ってしまった。その言葉にアレクシアは立ち尽くした。何もできない。皆が忙しく動いている中、自分は手が空いているのに、やれることが見つからない。どうしようもない無力感が押し寄せてきた。


 ぽつりと、アレクシアはジルドと二人で隅に控えた。周囲の喧騒けんそうから少し離れたその場所は、まるで別世界のように静かだった。それでも何かできることはないかと頭を回す。


「……っお父様に言ったら、」


 王佐たるエルンストの力を借りれば、何かが動くかもしれないと考えた。だが、ジルドは静かに首を振る。


「もう動いていらっしゃるでしょう。今はここで待つのが最善かと」


 ジルドの言葉には確信があった。だから、もうアレクシアにやれることはない。


 ヘデは商隊を襲った群れを狩りに行った。ミネテは指示を飛ばして更なる襲撃に備えている。父も稀有けうな事態に対処を講じているだろう。


 待つしかない。

 自分にできることがない以上、今はただ状況が動くのを待ち続けるしかない。


 外では確実に事態が動いている。

 しかし、アレクシアはその流れにまだ乗れないでいた。焦燥感が胸を締め付ける。 ただ待ちわびている。何かが動き出す瞬間を、じっと。






「救出、完了した!」




 待ち望んでいた声が響き渡った。


 ぐたりとした人を背負いながら、自らも足を引きずるようにして、ヘデが協会に入ってきた。彼女の顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、その目はまだ鋭く、ぎらぎらと輝きを宿している。


 場の空気がまた変わる。


 ついに訪れた変化に、協会内は歓声に包まれた。狩人かりうどたちは一斉にヘデを囲んで活躍をたたえ、話を聞こうと押し寄せている。喜びと安堵あんどが入り混じった声が飛び交い、今までの緊張が一気に解き放たれたかのようだった。


 ヘデの襟元に輝く黄金の記章が、光を反射してまぶしく輝いていた。その姿は誇り高く、そして力強かった。アレクシアはその光に釘付けになり、まぶしさに目を細めた。


「群れは!?」

「全部狩った! けど、他にもあるかも。勘、だけど」


 ヘデの言葉にうなずいて、ミネテが指示を飛ばす。上級の、斥候能力にけたものを出し、共有のための文を白鳩しろはとくくけ飛ばす。


 斥候が帰ってくる前に、被害を聞けば幸いなことに死者はいなかった。商隊が運んでいた荷物は全て失い、四肢を欠損するものもいたが、それでも皆生きて帰ってきた。


 調査の結果、王都と三つの開拓拠点を結ぶ全ての街道のほど近くに巣があるとわかった。しかもそれぞれ二つか三つもあると。


 鷲獅子グライフの被害が最初で、他の街道に被害はまだ出ていない。

 だが、これから開かれる大市のために街道の利用者は増え、商隊が列を成してくるだろう。


 魔物はひとが多い場所を襲う。普段は結界や城壁に守られているひとびと。それが大量に、無防備に巣窟そうくつに踏み込む形になる。そうなれば魔物たちの恰好かつこうの餌となり、今度こそ死者が出る。


 ミネテをはじめとする協会の幹部たちと、王宮から派遣された役人たちが集まり、夜通しの話し合いが始まった。議論は白熱し、下級の狩人かりうどたちへの指示も止まった。以降に備えよと帰宅を命じられ、次々に返されていく。

 アレクシアもその様子を眺めていたが、ふと耳に届いた声があった。


「国王陛下がいれば……」


 その一言が、小さく風にささやかれるように聞こえた。母王メルキシアが存命であれば、あるいはアレクシアが王女のままでなければ、事態がもっと迅速に進むのではないか、という誰かのつぶやき。


 アレクシアはその言葉に胸がつきりと痛んだ。母の存在感の大きさを感じる一方で、未熟な自分への無力感が襲い来る。

 布団をかぶっても、ずっと目がえていた。




 

 次の日、大規模討伐が決定された。


 協会では準備に追われる狩人かりうどたちが慌ただしく動き回っていた。けれど昨日のような混沌こんとんさはない。何をすればいいか、指針が明確になったから。


「さぁて、気合い入れな! 一匹だって残すんじゃないよ!!」


 ミネテの力強い号令が響き渡り、狩人かりうどたちの士気が一気に高まった。皆が心を一つにし、この危機に立ち向かおうとしていた。


 王都から伸びる街道は、開拓の拠点となるアーレンカツ、フィアズパート、ザーサクへとつながっている。アレクシアは、鷲獅子グライフが出没したアーレンカツの街道を担当することになった。遠征に向かう準備が進められ、心の中に不安と期待が入り混じる。


「お怪我けがをなさらないでくださいね」


「あなたも無茶むちやをしないでね」 


 ジルドはアレクシアを見つめながら、真剣な眼差まなざしでそう言った。彼の言葉には、いつもどおり心配と優しさがあった。アレクシアも同じようにジルドを気遣った。同じように、表面だけの言葉を。


「頑張ろうね! アリィ!!」


 ヘデの元気な声に思わず顔がほころぶ。アレクシアと同じ隊に配属されたヘデは、まるで緊張などないかのように明るい笑顔を浮かべていた。


 多量の荷物を背負って、奔鳥カロフェンまたがる。きっと野宿になるだろう。緊張で手が冷たくなり震えてきた。白い息を吐いて温めていると、隣にヘデが並んだ。


「だいじょーぶだよ。新人は大規模討伐初めてだから見学だけの予定だし、こんだけ人数組んでるから安全ばっちり!」


 むしろ、王都の方が手隙になっちゃうかも、とおどけるヘデに力が抜ける。

 隊長が出発の声を掛ける。大通りを駆ける遠征隊に民からの声援がかかる。頼んだよ。無事でいてね、がんばれ。それを胸に、門を潜った。


「目標は猩猿クレイナフェ。腰丈ほどの小猿で、忌ま忌ましいことに魔物ながら常時群れを作る。頭上から襲われることが多い故、充分注意するように」


 隊長がそう言う。

 ヘデと同じ黄金ゴルドの彼は、気負いなんて一切見せないで、自然体で、それでも隊員をしっかり鼓舞する。


 確認された魔物の群れは七つ。

 猩猿クレイナフェ鉅鼠グロオ珠角羚ユヴェレ白鴉ヴァイレン狡梟オイティヒ懦狐シュクス牙兎ファーゼ


 比較的小さな魔物で、群れをなすことは珍しいが、なくはない。重なったことに何か作為的なものを感じるが、みな狼や竜の群れでなくてよかったと胸をろしていた。


 隊列を組んで森を進んでいくのは慣れない。アレクシアは今までジルドやヘデ以外と組んだことがない。


 自分以外もそういう者が多いようで、たびたび列が乱れていた。


「随分と、遠いのね」


 昼過ぎに出発した討伐隊だが、日が山に沈んでも目的地には辿たどかなかった。日の落ちた夜間での移動は危ないとして、野営地を築く。


 ぱちぱちと火花が弾ける。揺らめく炎がまきめる。火の付き始めたを前に、アレクシアは腰を軽くたたいた。

 ただ奔鳥カロフェンを走らせ、それに乗っていただけとはいえ、長時間同じ姿勢で臀部でんぶと腰に痛みが蓄積されてきた。


 アレクシアは、長く続く街道と果てしない夜空を見上げながら静かにつぶやいた。生まれ育った王宮の箱庭のような環境しか知らなかった。王都から多少知見を深めたといっても、この広大な世界は新鮮で、同時に少し不安も伴うものだった。


 そんなことをぽつぽつとこぼしていた。

 ヘデは、の明かりを見つめながらふいに疑問を口にした。


「郊外、行ったことないの?」


「家の外に出たこともほとんどなかったわ」


 その言葉に、ヘデは思わずぽかんと口を開けた。だが、アレクシアは二の句をつなげないヘデの反応に気づかず、遠くの空を見上げたまま、淡々と話を続けた。


「先祖返りって聞いたことある?」


 空白が流れる。


 火が移らないようにと刈られ、しの地面に広げたてのひらを向ける。じわじわと、ほんの少し魔力を流す。固唾かたずを飲んで待つヘデの息を吸う音が聞こえる。冬に芽生えた蒼の花に、息を飲む音も鮮明に。


 魔法を使えるものは珍しい。体外へと輩出できるものはもっと数が少ない。

 かつて魔法の才が血だけにっていた時代の、その祖先の力をそのままそっくり受け継いだ存在。それがアレクシアだった。 


 アレクシアは、焚き火の光を見つめながら静かに話し始めた。

 生まれた時から、ひとと違っていた。決して喜ばしいものではなく、周囲から恐れられる存在としての〝特別〟だった。


「産声を上げたばかりなのに、魔力を暴走させてしまって、自分の周囲にあるものを無造作むぞうさに壊したり、うるさく音を立てたりしていたのだって。


 だから、皆から隔離されて生きていたの」


 かつて感じていた寂しさは、いつの間にか当たり前のものになって。最早感じ取れなくなった。食事の用意も、部屋の掃除も、咲かせた花の処理も、自分ではしたことがない。世話をしてくれるひとがいたから、一人きりではなかったけれど、距離を取られ、近寄れば怯えられた。


「母も父も、とても優秀で、たくさんの人に頼られていたのに」


 アレクシアは、二つと分かたれてひとりきりで浮かぶ月を見上げながら話を続けた。星の光をすように天ただ一つ輝く月が、孤独をあらわにする。


「二人のようになりたかった。でも、私の周りには誰も近寄らなかった。

 頼れるも何も……誰もいなかったの」


 声は静かだったが、その奥には深い寂しさがあった。魔力という強大な力を持ちながらも、それは誰かを助ける力にはならず、ただ周囲の人々を遠ざける原因となっていた。


「母は、どれだけ怖い力でも、優しく使う心があれば大丈夫だと」


「父は、忌避し、遠ざけられる力でも、いつか役に立つ時が来ると」


 その言葉たちは、己を支えてきた大切なものだった。強大な魔力に恐れられる存在であっても、いつかそれを必要とする瞬間が来ると信じていた。


「そういう日を夢見て……。

 ずっと、魔法を自分の力にできるように、与えられた箱庭で暮らしていたの」


 長い孤独の中で、彼女はその日が来ることを信じ、身から溢れる魔力を制御するために努力し続けた。力の方向性を、人に無害な植物の活性へと向け、幾度も練習して出力を絞った。花にあふれた空中庭園はその成果だった。


「だから、外がこんなに広いなんて、驚いたわ」


 アレクシアは静かに言葉を紡ぎながら、自分の胸の内を吐露していく。外がこんなにも広大で、紙の上では知り得なかった無数のことがあるなんて、彼女は考えもしなかった。今までの自分は、箱庭の中だけで生きてきた――それを、外に出て痛感した。


 誰にも話したことのない気持ちを、今こうしてヘデに打ち明けることで、アレクシアは少しだけ心が軽くなったような気がした。


 の揺れる炎からようやく目を離し、ヘデに視線を戻した。アレクシアの目に映ったのは、顔中に深いしわを寄せ、口の端を曲げているヘデだった。


「ふふ、どうかしたの?」


 ヘデの顔が恐怖に塗れていないことが、とてもうれしかった。

 アレクシアが水を向ければ、ヘデはすぐに笑って肩をすくめた。


「ん~~、なんでもなぁい。ほら、早く食べちゃわないと冷めるよ」


 促されるままに、アレクシアは雑穀の入ったあつものを手に取って飲むことにした。乾燥させた穀類や芋をふやかして作られた温かな羹は、見た目も素朴で、特に凝った味付けはされていない。


 一口飲んでみると、味は薄く、食感もほとんど感じられない。それでも、とても美味おいしかった。焚き火の温かさと、ヘデの存在が、羹の質素さを補っていたのかもしれない。ほんのりと温かさが体に広がり、夜風に冷えた体を温めてくれて心地よい安らぎを感じた。


 焚き火の周りでは、仲間たちが騒ぎながら楽しんでいる声が聞こえる。笑い声や冗談が飛び交う。


 夜が更けていく。ゆっくりと、静かに、けれど確実に時間が過ぎていく中で、アレクシアはこの瞬間の平穏をかみしめた。






 朝日が昇り、討伐隊は再びアーレンカツへと向けて進み始めた。


 アレクシアは奔鳥カロフェンの背に乗りながら、昨日よりも体が慣れているのを感じていた。初めは不安定に思えた乗り心地も、少しずつ心地よく感じられるようになってきた。

 周りの人たちとの談笑も増え、緊張感がほぐれてきたのだろう。


「よし。この調子なら昼過ぎには猩猿クレイナフェの目撃報告があった地帯に入る。

 巨木を巣にしているようだ。行ったことがある者はいるか?」


 数人、ちらほらと手が挙がる。ヘデも当然のように挙げていた。


「じゃあ、場所は分かるな。到着次第囲んで狩る。

 新人たちは後方で固まって待機しとけよ」


 斥候が見つけた猩猿の群れはまだかなり遠く、そのため隊の誰もが気を抜いていた。大きな脅威はまだ先だと、皆が考えていた。

 平坦な道で緩やかに歩いていた間も、和やかな雰囲気が漂い、狩人かりうどたちは頭上の木々に目を向けながら軽くだけ警戒していた。


「なんだか、平和ね……」


 アレクシアがいたのは隊列後方。少しだけ距離があったからよく見えた。

 隊の中程にいた女に何かが飛びつき、引き倒すのを。


 一瞬の静寂。そしてそれをつんざ数多あまたの悲鳴。


「敵襲! 敵襲ーーー!!」


 ようやく走った伝令はもはや意味をなさない。女を皮切りに隊全体に襲い掛かっているのだと、言葉などなくとも皆理解していた。


「うわぁ! 来るな、来るなぁ!!」「下だ! 足元から来てる!」「ひっ、いや、助けて!! 誰か!」「猩猿クレイナフェだ! やつら打って出てきやがった!」


 阿鼻叫喚あびきようかん

 整然とそろっていたはずの隊列は、ありの子を散らすように崩れた。


 下草に隠れて近づいてきた猩猿の群れが、完全に死角から討伐隊を襲撃した。アレクシアは奔鳥に乗っていたが、その背で周囲が一気に混乱に陥るのを感じた。驚きと恐怖に奔走し始める新人たち。


 足下にまとわりつく小猿たちが、奔鳥の足にみつき、いてくる。逃れようと激しく暴れる奔鳥にしがみつくアレクシアだが、本能のままに暴れまわる生き物から振り落とされないだけで精一杯だ。作戦などうに崩壊しており、各々が自分の命を守るために必死に対応するしかなかった。


「逃げろ!」「落ち着け!!」「ここで食い止めるんだ!!」「自分の命をまず守れ!」


 声が錯綜さくそうする。


 手綱たづなにしがみつくアレクシアにも猩猿が襲いかかってきた。奔鳥を足場に上ってくる猩猿に短剣を振り下ろそうとするが、相手は小さく、動きが素早く当たらない。弓矢で狙うには近すぎて、どうにもならない。 焦りが胸を締めつける中、どうすればいいのか考える暇もない。周囲の混乱に巻き込まれていく。


「アリィ! 右手のかしの上に登って!! レイは真ん前の橉木に!」


 光明は右前方からもたらされた。


 誰もが目の前のことだけに目が向いていた。

 思考の乗らない本能のままの叫び。場当たり的で曖昧な指示。


 しかし、そんな中でも金剛ゴルドのヘデは違った。彼女は猩猿を次々と倒しながらも、周囲に目を配り、新人たちに的確な指示を放っていた。


 アレクシアは奔鳥の背から木の枝へと飛び移った。慌ただしく動く猩猿の群れから少し離れることで、周りを見渡す余裕が生まれた。

 アレクシアの視界は広がった。脅威から距離を置いて心も少し落ち着いた。王宮にいた頃、彼女はいつも窓から市井を見下ろしていた。

 今、この木の上からの景色もそれに似ている。


「……ヘデ! 四時方向から三匹、九時から二匹!」


 アレクシアはやっと戦況を把握し、ヘデに向けて声を上げた。ヘデはその言葉を受け、即座に動いてくれた。黄金の輝きをまとう彼女は、地をう落雷のごとく猩猿たちをはらっていく。


 アレクシアもまた、真後ろから迫る猩猿に矢を放った。地に落ちていくのを確認して、眼下の加勢へ。大わらわとなっていた戦況も、徐々に落ち着きを取り戻し始めた。


 猩猿の姿は徐々に減っていく。

 はじめは一人に対して多数の猩猿が襲いかかっていたが、次第に逆転し、多対一で猩猿を追い詰める形になっていった。討伐隊はそのまま有利に戦いを進めていった。


「――アリィ!」


 最後の一匹を倒したヘデが、アレクシアを見て大きく腕を振った。彼女の顔には勝利の喜びが満ちていたが、それは一転して青ざめた。

 次の瞬間、ヘデが悲鳴を上げた。


「後ろ!!」


 ヘデの視線の先。

 アレクシアが振り返った刹那。

 猩猿クレイナフェが飛びかかってきた。


 猿の口が、大きく開かれ鋭い牙が迫る。凶暴な光を宿した瞳がアレクシアを捉えて離さない。歯の一本一本、舌にまとう水滴の一粒一粒が数えられる。時間の進みがとても遅くなっているように感じられた。


 首筋に鋭い痛みが走る。

 牙が食い込み、アレクシアの身体に耐えがたい痛みが襲いかかる。だけど、歯を食いしばり、痛みに耐えた。震える手で腰から短剣を抜き、組み付いてくる猩猿の背に力いっぱい突き刺した。


 肉が裂ける感触は、アレクシアにとって耐えがたいほど気持ち悪かった。それでも手は離さない。もう片方の手を重ねて、動かなくなるまで何度もぐりぐりと短剣を押し込み、ねじ込む。


 息が詰まりそうなほどの力で短剣を握りしめ、ついに猩猿の動きが止まった。天秤てんびんはアレクシアへと傾いた。猿の重い身体が力を失い、アレクシアの腕から地面に落ちていった。




 猩猿クレイナフェの群れは、すべて倒された。広場には荒々しい息が響き渡り、討伐隊の皆が疲れ切っているのがわかった。だが、その疲労の中にも、全員が五体無事に戦いを終えたという安堵感あんどかんが漂っていた。


 誰からともなく、どきの声が上がる。それは次第に広がり、勝利を祝う歓声が全体に響き渡った。アレクシアもまた、深い息をつき、勝ち鬨に加わった。

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