響く警鐘
天は高く、空は澄み渡り、まるでアレクシアの心の内を知らないかのように広がっていた。
「
「そりゃあたしが依頼人だからね。文句あんの?」
「いいえ?」
目の前の、ジルドとヘデの気安いやりとりを前に、アレクシアは笑みを張り付けて立っている。
王都を出るほどの大きな動きがない限り、盗まれた宝珠はまだ王都の中にあるはずだとジルドは言っていた。だからこそ、王都内で完結する依頼を優先的に受けたいと。
そうやって受けた依頼で、アレクシアは差異を
ジルドが、劇楽師の青年に向けたような気取らない態度をヘデに向けている。
どれほど共に過ごしても、アレクシアには一歩引いた態度であるというのに。
ヘデへの態度とアレクシアへの態度。その違いがひどく鮮明に感じられた。自分に向けられるものとはまるで異なるものだと痛感した。
本当に、ジルドが自分に対して見せるのは取り繕ったものに過ぎないのだろう。その思いは彼女の胸に突き刺さり、
「――大丈夫?」
ふと、ヘデがこちらを向いた。心配そうなその声に、なぜだか煩わしさを感じた。
「何が? それよりも、早く行きましょう?」
今はただ、目の前の任務に集中するだけだった。
「今から行くのは、えっと……」
「リーベン孤児院。あたしが育って、今も暮らしてるとこだよ」
アレクシアが迷った言葉に、ヘデは軽やかに答えた。その声はどこか誇らしげで、歩きながらも自然と胸を張っているように見えた。アレクシアとヘデは肩を並べて大通りを進み、ジルドはその一歩後ろを静かに歩いていた。
「ちっさいガキがいっぱいでさぁ、掃除とか全ッ然手がつかなくて!
たまに手伝ってもらってるんだ~」
そう言って、彼女は軽く首を傾け、ちらりと自分の襟元にある金色の
それは
けれど、その輝かしい
不思議に思うアレクシアを置いて、ヘデは話を続ける。
「もううるさくって仕方なくてさ。
ほかの人はあんまり受けてくれないんだよね。だから、手伝ってもらえるのは本当にありがたいよ」
大変だと口にしている割に、ヘデの声には確かな愛情を感じた。
見たこともないのに、リーベン孤児院の光景が目に浮かぶ。
そうこうしているうちに、リーベン孤児院に
大通りの突き当たりに位置し、
柵越しにアレクシアがひょいと中を
無邪気に遊ぶ彼らの姿は、アレクシアには
「はぁ!? 今日掃除するって言ったよね!? なんで汚して回ってんの!」
ヘデは
「猿かなんかかあいつ……」
そうぼやきながらジルドが静かに扉を開けた。
「どうぞ、アリィ」
その仕草は穏やかで優しさに
ジルドが好きだった。ずっと
「えぇ、ありがとう」
彼からの思いが
だからもういいのだ。
最後に一つ、涙をこぼして、アレクシアは孤児院へと足を踏み入れた。
「ちょっとロシェ! ちゃんと見ててって言ったよね!? 何してんの!!」
冬晴れの空に、ヘデの叱る声が響きいている。
荒らげる声に足は騒ぎを離れ横に
自分よりも年上のようにも、同年代のように見える。一体いくつなのだろうか。
「いや~、面目ない。子供たちが『すごく楽しいよ』って誘うもんだから、つい混ざっちゃってさ」
「ついじゃないでしょうが!」
ロシェは申し訳なさそうに言いながらも、その表情はどこか楽しげだ。彼の背後には、さっきまで遊んでいた子供たちがこそこそと隠れている。
目配せを飛ばしながら、楽し気に何かを耳打ちしている。風に乗って聞こえたのは次の
「ちっなんでそこで混ざる!! いい年してんでしょ!」
「あはは、ごめんね。ついね、こういうのが好きなんだ」
その言葉にヘデは眉を
「もう! 今ひと来てくれてるっていうのに!」
ヘデの一言を最後に、お説教が終わった。ふーと細く強く息を吐いて、怒気を逃がしている。アレクシアは、これ以上隠れている必要はないと思い、日向へと足を踏み出した。
「あ、そこのひとが今回手伝ってくれるひと? ――ぇ、ワル、ダ?」
振り向いて目が合ったロシェが、戸惑ったよう顔を
彼の光のない灰色の瞳がアレクシアに向く。
彼が口にしたワルダという名前に、聞き覚えはない。初めて聞くその名前にアレクシアは
常は
しかしだからといって、ロシェに何を聞きたいのかはわからない。
「誰? それ。アリィとジルドだよ」
ヘデはロシェの言葉を軽く一蹴し、不思議な空気をばっさりと切り捨てた。その勢いに、アレクシアは思わず苦笑いを浮かべたが、場の緊張感も一瞬で消し飛んでいった。
「じゃ、二人とも今日孤児院の掃除と、軽くだけど神殿もちょっと見てほしいから。二手に分かれるよ。ジルドはこっちね」
ジルドが自分の指示に従うのは当然だと思い込んでいるヘデは、そのまま振り返ることもなく孤児院へと向かって歩き始めた。
「は? なぜ」
「うるさいっ! 男手が必要なの!」
そして、その通りに従わないのがジルドであった。唯々諾々と飲み込むのなら、ミネテにも突っかかっていかない。ジルドが当然のように問いかけるが、その言葉は瞬く間にヘデに
「彼でいいではないですか」
「あれは子供より非力だから無理」
ジルドが食い下がるが、ヘデも一切の
その背中に、ジルドはさすがに三度目の抗議を重ねることを諦めたようだ。
「ひどい言い草だなぁ。じゃあ、僕はこっちかな。よろしくね、アリィ」
ロシェは冗談めかした軽い口調でそう言いながら、
「え、うん……。神殿?」
「孤児院に併設されてるんだよ。まあ、古びた神殿だから神官も今は常駐してなくてね。今は僕が間借りしてるんだ」
ジルドは自分の状況をさらりと説明しつつ、ヘデからの罵倒も軽く受け流している様子だった。
「磨き手が足りなくてね~。子供たちだと壊しちゃいそうだし」
ロシェがそう
中央の台座に鎮座する、
美しく削り取られた切り子細工が施されており、その繊細な意匠に目を奪われた。ロシェの
天窓から差し込む光が杯に当たり、机の上に虹を描く。まるで小さな宝石箱が光を放つように、神殿の薄暗い空間を一つで
脚部は驚くほど細く、風に吹かれただけで折れてしまいそうなほど
「とても、
「ないと思うよ? 多分、一点ものだ」
ロシェはアレクシアを見ていなかった。彼の言葉は自分に向けられているはずなのに、その意識は杯にのみ注がれ、別の場所に飛んでいるようだった。
「僕の大事な人が大切にしていたものでね。ずっと長く残していきたいんだ」
ロシェは静かに
「だから丁寧に扱ってほしいな」
「――それほど大切なのに、私に任せていいの?」
アレクシアはその重さに応じるように静かに受け止め問いかけた。
初めて会った人間に託すよりも、大切に思っているロシェ自身が扱った方がいいのではないか。
ロシェがぱちくりと目を瞬かせる。彼の灰色の瞳が初めてこちらを
「君ならいいよ」
ロシェの言葉は短かったが、その一言には深い信頼が込められていた。アレクシアの心に、ふわりと何か温かいものが広がる。
「……でも、まあ、そろそろ潮時かなぁ」
ロシェの
彼の言葉はどこか
アレクシアは何かを言おうと口を開いたが、果たしてその声が彼に届くのかすら、わからなかった。彼の中で何かがすでに決まっているかのような、そんな予感が心を締め付けた。
「大切にしたいよ、ずっと、ずっと。でも僕だけが大切にしても意味はないから、そろそろ離れることも視野に入れないとね」
ロシェは優しい声で、まるで自分に言い聞かせるように語った。彼自身の葛藤と寂しさが
何から離れようとしているのか、アレクシアにはわからなかった。
わかるのはほんのわずか。
「寂しくなるわ」
それでも、アレクシアは浮かんだ思いを隠さずに伝えた。
彼の言葉に対して素直に感じた気持ちを。
あんなにも懐いていた子供たちも、体当たりで言葉をぶつけあえるヘデも、そしてほんすこしだけれどロシェと言葉を交わした自分も。彼を心に入れたから、欠ければ胸の内に穴を抱えるだろう。
「そう思ってくれる?」
ロシェの問いかけに、アレクシアは少し不思議に思った。どうして自分にそんなことを聞くのだろう――彼が何を考えているのか、ますますわからなくなる。それでも、ロシェの静かな瞳を見つめながら、アレクシアは
その時、だった。
突如として、街中に警鐘の音が響き渡った。鐘の音は鋭く、重く、まるで空気を切り裂くかのように響き、アレクシアの胸に不安を走らせた。何かが起きている。
――それはただならぬ事態を告げる警告の音だった。
後にそれが告げたのは襲撃だったと知った。
「商隊が魔物の群れに襲われた!!」
耳を
机の上にあった
「……危なかった」
ほっと息をつく暇もなく、二人はすぐに神殿の外へと飛び出した。
警鐘が鳴ることなど
神殿の庭には、武装状態の奔鳥を連れた
「アリィ!」
苦虫を
「あたしたち、外に行くから、アリィ
ヘデは短く指示を出すと、乗り手のいなかった奔鳥に軽やかに飛び乗った。まるで一体と化したようにその背に収まり、すぐに小さくなっていく。
「あの子たちはロシェに任せていいから!」
ヘデの声が風のように飛び去り、彼女は奔鳥とともにあっという間に姿を消した。矢継ぎ早の指示にアレクシアは少し困惑しながらも、周囲を見渡す。すると、孤児院の玄関先で不安そうに固まっている子供たちに囲まれたロシェが、こちらに向かって軽く手を振っていた。
彼の笑顔は穏やかで、どんな状況でも平然としているように見える。それを見たアレクシアは少しだけ安心し、息を整えた。
「ジルド、行きましょう」
アレクシアは短く声をかけ、ジルドとともに協会を目指した。足早に向かいながら、胸の奥で渦巻く不安を抑え込む。警鐘が鳴り響く中、これから何が起きるのかを考える余裕はなかったが、一つだけ確かなことがあった。
今はただ、ヘデの言葉を信じて、協会に向かうしかない。
普段は整然と並んでいる机はすべて片付けられ、床一面に大きな地図が広げられている。地図の各所には印が付けられ、
協会の中がこれほど緊迫した状況になっているのを、アレクシアは初めて見た。
協会長のミネテが、険しい表情で古参の
ミネテの周囲には、アレクシアが王宮で遠目に見かけたことのある人物たちも出入りしており、その姿に、事態の重大さがますます際立つ。
「オリスが目を覚ましました!」
突然の報告が飛び込んでくる。その声に、場の空気ががらり変わった。
「よし! 状況報告!!」
怒号のような声が響き渡り、周囲はさらに慌ただしく動き始めた。
オリス――協会の研究員であり、初めて王都に降りた日にアレクシアの手を引いた人間。それがどうしたのかと思っていたが、周りの声を聴くに彼が一緒にいた商隊が魔物、
魔物は基本的に群れを作ることはない。大型のものは特に。一匹だけで充分に強く、身を寄せ合う必要などない。だというのに群れが襲ってきた。
走る焦燥に思わず体が動いた。
「あの、私にも何かできることはない?」
アレクシアは一歩踏み出し、丁度目の前を通った
「あ? ……あぁ、いや、今はない」
呼び止めた女は一瞬だけアレクシアに目をやって、すぐに再び他の仕事に戻ってしまった。その言葉にアレクシアは立ち尽くした。何もできない。皆が忙しく動いている中、自分は手が空いているのに、やれることが見つからない。どうしようもない無力感が押し寄せてきた。
ぽつりと、アレクシアはジルドと二人で隅に控えた。周囲の
「……っお父様に言ったら、」
王佐たるエルンストの力を借りれば、何かが動くかもしれないと考えた。だが、ジルドは静かに首を振る。
「もう動いていらっしゃるでしょう。今はここで待つのが最善かと」
ジルドの言葉には確信があった。だから、もうアレクシアにやれることはない。
ヘデは商隊を襲った群れを狩りに行った。ミネテは指示を飛ばして更なる襲撃に備えている。父も
待つしかない。
自分にできることがない以上、今はただ状況が動くのを待ち続けるしかない。
外では確実に事態が動いている。
しかし、アレクシアはその流れにまだ乗れないでいた。焦燥感が胸を締め付ける。 ただ待ちわびている。何かが動き出す瞬間を、じっと。
「救出、完了した!」
待ち望んでいた声が響き渡った。
ぐたりとした人を背負いながら、自らも足を引きずるようにして、ヘデが協会に入ってきた。彼女の顔には疲労の色が濃く浮かんでいたが、その目はまだ鋭く、ぎらぎらと輝きを宿している。
場の空気がまた変わる。
ついに訪れた変化に、協会内は歓声に包まれた。
ヘデの襟元に輝く黄金の記章が、光を反射して
「群れは!?」
「全部狩った! けど、他にもあるかも。勘、だけど」
ヘデの言葉に
斥候が帰ってくる前に、被害を聞けば幸いなことに死者はいなかった。商隊が運んでいた荷物は全て失い、四肢を欠損するものもいたが、それでも皆生きて帰ってきた。
調査の結果、王都と三つの開拓拠点を結ぶ全ての街道のほど近くに巣があるとわかった。しかもそれぞれ二つか三つもあると。
だが、これから開かれる大市のために街道の利用者は増え、商隊が列を成してくるだろう。
魔物はひとが多い場所を襲う。普段は結界や城壁に守られているひとびと。それが大量に、無防備に
ミネテをはじめとする協会の幹部たちと、王宮から派遣された役人たちが集まり、夜通しの話し合いが始まった。議論は白熱し、下級の
アレクシアもその様子を眺めていたが、ふと耳に届いた声があった。
「国王陛下がいれば……」
その一言が、小さく風に
アレクシアはその言葉に胸がつきりと痛んだ。母の存在感の大きさを感じる一方で、未熟な自分への無力感が襲い来る。
布団をかぶっても、ずっと目が
次の日、大規模討伐が決定された。
協会では準備に追われる
「さぁて、気合い入れな! 一匹だって残すんじゃないよ!!」
ミネテの力強い号令が響き渡り、
王都から伸びる街道は、開拓の拠点となるアーレンカツ、フィアズパート、ザーサクへと
「お
「あなたも
ジルドはアレクシアを見つめながら、真剣な
「頑張ろうね! アリィ!!」
ヘデの元気な声に思わず顔が
多量の荷物を背負って、
「だいじょーぶだよ。新人は大規模討伐初めてだから見学だけの予定だし、こんだけ人数組んでるから安全ばっちり!」
むしろ、王都の方が手隙になっちゃうかも、と
隊長が出発の声を掛ける。大通りを駆ける遠征隊に民からの声援がかかる。頼んだよ。無事でいてね、がんばれ。それを胸に、門を潜った。
「目標は
隊長がそう言う。
ヘデと同じ
確認された魔物の群れは七つ。
比較的小さな魔物で、群れをなすことは珍しいが、なくはない。重なったことに何か作為的なものを感じるが、みな狼や竜の群れでなくてよかったと胸を
隊列を組んで森を進んでいくのは慣れない。アレクシアは今までジルドやヘデ以外と組んだことがない。
自分以外もそういう者が多いようで、たびたび列が乱れていた。
「随分と、遠いのね」
昼過ぎに出発した討伐隊だが、日が山に沈んでも目的地には
ぱちぱちと火花が弾ける。揺らめく炎が
ただ
アレクシアは、長く続く街道と果てしない夜空を見上げながら静かに
そんなことをぽつぽつと
ヘデは、
「郊外、行ったことないの?」
「家の外に出たこともほとんどなかったわ」
その言葉に、ヘデは思わずぽかんと口を開けた。だが、アレクシアは二の句を
「先祖返りって聞いたことある?」
空白が流れる。
火が移らないようにと刈られ、
魔法を使えるものは珍しい。体外へと輩出できるものはもっと数が少ない。
かつて魔法の才が血だけに
アレクシアは、焚き火の光を見つめながら静かに話し始めた。
生まれた時から、ひとと違っていた。決して喜ばしいものではなく、周囲から恐れられる存在としての〝特別〟だった。
「産声を上げたばかりなのに、魔力を暴走させてしまって、自分の周囲にあるものを
だから、皆から隔離されて生きていたの」
かつて感じていた寂しさは、いつの間にか当たり前のものになって。最早感じ取れなくなった。食事の用意も、部屋の掃除も、咲かせた花の処理も、自分ではしたことがない。世話をしてくれるひとがいたから、一人きりではなかったけれど、距離を取られ、近寄れば怯えられた。
「母も父も、とても優秀で、たくさんの人に頼られていたのに」
アレクシアは、二つと分かたれてひとりきりで浮かぶ月を見上げながら話を続けた。星の光を
「二人のようになりたかった。でも、私の周りには誰も近寄らなかった。
頼れるも何も……誰もいなかったの」
声は静かだったが、その奥には深い寂しさがあった。魔力という強大な力を持ちながらも、それは誰かを助ける力にはならず、ただ周囲の人々を遠ざける原因となっていた。
「母は、どれだけ怖い力でも、優しく使う心があれば大丈夫だと」
「父は、忌避し、遠ざけられる力でも、いつか役に立つ時が来ると」
その言葉たちは、己を支えてきた大切なものだった。強大な魔力に恐れられる存在であっても、いつかそれを必要とする瞬間が来ると信じていた。
「そういう日を夢見て……。
ずっと、魔法を自分の力にできるように、与えられた箱庭で暮らしていたの」
長い孤独の中で、彼女はその日が来ることを信じ、身から溢れる魔力を制御するために努力し続けた。力の方向性を、人に無害な植物の活性へと向け、幾度も練習して出力を絞った。花に
「だから、外がこんなに広いなんて、驚いたわ」
アレクシアは静かに言葉を紡ぎながら、自分の胸の内を吐露していく。外がこんなにも広大で、紙の上では知り得なかった無数のことがあるなんて、彼女は考えもしなかった。今までの自分は、箱庭の中だけで生きてきた――それを、外に出て痛感した。
誰にも話したことのない気持ちを、今こうしてヘデに打ち明けることで、アレクシアは少しだけ心が軽くなったような気がした。
「ふふ、どうかしたの?」
ヘデの顔が恐怖に塗れていないことが、とても
アレクシアが水を向ければ、ヘデはすぐに笑って肩をすくめた。
「ん~~、なんでもなぁい。ほら、早く食べちゃわないと冷めるよ」
促されるままに、アレクシアは雑穀の入った
一口飲んでみると、味は薄く、食感もほとんど感じられない。それでも、とても
焚き火の周りでは、仲間たちが騒ぎながら楽しんでいる声が聞こえる。笑い声や冗談が飛び交う。
夜が更けていく。ゆっくりと、静かに、けれど確実に時間が過ぎていく中で、アレクシアはこの瞬間の平穏をかみしめた。
朝日が昇り、討伐隊は再びアーレンカツへと向けて進み始めた。
アレクシアは
周りの人たちとの談笑も増え、緊張感がほぐれてきたのだろう。
「よし。この調子なら昼過ぎには
巨木を巣にしているようだ。行ったことがある者はいるか?」
数人、ちらほらと手が挙がる。ヘデも当然のように挙げていた。
「じゃあ、場所は分かるな。到着次第囲んで狩る。
新人たちは後方で固まって待機しとけよ」
斥候が見つけた猩猿の群れはまだかなり遠く、そのため隊の誰もが気を抜いていた。大きな脅威はまだ先だと、皆が考えていた。
平坦な道で緩やかに歩いていた間も、和やかな雰囲気が漂い、
「なんだか、平和ね……」
アレクシアがいたのは隊列後方。少しだけ距離があったからよく見えた。
隊の中程にいた女に何かが飛びつき、引き倒すのを。
一瞬の静寂。そしてそれを
「敵襲! 敵襲ーーー!!」
「うわぁ! 来るな、来るなぁ!!」「下だ! 足元から来てる!」「ひっ、いや、助けて!! 誰か!」「
整然と
下草に隠れて近づいてきた猩猿の群れが、完全に死角から討伐隊を襲撃した。アレクシアは奔鳥に乗っていたが、その背で周囲が一気に混乱に陥るのを感じた。驚きと恐怖に奔走し始める新人たち。
足下にまとわりつく小猿たちが、奔鳥の足に
「逃げろ!」「落ち着け!!」「ここで食い止めるんだ!!」「自分の命をまず守れ!」
声が
「アリィ! 右手の
光明は右前方から
誰もが目の前のことだけに目が向いていた。
思考の乗らない本能のままの叫び。場当たり的で曖昧な指示。
しかし、そんな中でも
アレクシアは奔鳥の背から木の枝へと飛び移った。慌ただしく動く猩猿の群れから少し離れることで、周りを見渡す余裕が生まれた。
アレクシアの視界は広がった。脅威から距離を置いて心も少し落ち着いた。王宮にいた頃、彼女はいつも窓から市井を見下ろしていた。
今、この木の上からの景色もそれに似ている。
「……ヘデ! 四時方向から三匹、九時から二匹!」
アレクシアはやっと戦況を把握し、ヘデに向けて声を上げた。ヘデはその言葉を受け、即座に動いてくれた。黄金の輝きを
アレクシアもまた、真後ろから迫る猩猿に矢を放った。地に落ちていくのを確認して、眼下の加勢へ。大わらわとなっていた戦況も、徐々に落ち着きを取り戻し始めた。
猩猿の姿は徐々に減っていく。
はじめは一人に対して多数の猩猿が襲いかかっていたが、次第に逆転し、多対一で猩猿を追い詰める形になっていった。討伐隊はそのまま有利に戦いを進めていった。
「――アリィ!」
最後の一匹を倒したヘデが、アレクシアを見て大きく腕を振った。彼女の顔には勝利の喜びが満ちていたが、それは一転して青ざめた。
次の瞬間、ヘデが悲鳴を上げた。
「後ろ!!」
ヘデの視線の先。
アレクシアが振り返った刹那。
猿の口が、大きく開かれ鋭い牙が迫る。凶暴な光を宿した瞳がアレクシアを捉えて離さない。歯の一本一本、舌に
首筋に鋭い痛みが走る。
牙が食い込み、アレクシアの身体に耐えがたい痛みが襲いかかる。だけど、歯を食いしばり、痛みに耐えた。震える手で腰から短剣を抜き、組み付いてくる猩猿の背に力いっぱい突き刺した。
肉が裂ける感触は、アレクシアにとって耐えがたいほど気持ち悪かった。それでも手は離さない。もう片方の手を重ねて、動かなくなるまで何度もぐりぐりと短剣を押し込み、ねじ込む。
息が詰まりそうなほどの力で短剣を握りしめ、ついに猩猿の動きが止まった。
誰からともなく、
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