※ 第3話 気付いてしまった


「……え?」


「ぐす……ひっぐ……うぇええん……」


「る、塁……?」



塁は両手を掴まれているから顔も隠せず、ぐしゃぐしゃの泣き顔を晒しながら嗚咽を漏らした。

私は慌てて手を離すと、塁の上から飛び退くように降りる。



「わ、悪い! ほら、早く着替えてこい!」



塁を抱え上げて、下着を持たせて背中を押す。

塁がシャワーに行っている間にベッドのシーツを剥ぎ取り、洗濯機に突っ込む。

すると、ガチャっと浴室のドアが開く音が聞こえた。



「ギン……」


「お、おう⁉︎ 早かったな⁉︎」


「そりゃ洗い流すだけだし」


「そ、そうだよなっ」



……気まずい。

塁はこっちの気も知らず、素っ裸の身体を隠す事なく水滴を拭っている。

あんな事があったのに無警戒というか能天気というか……



「……ごめん」


「な、何がだよ……」


「ズボン、汚した」


「あ? あー、あー……気にすんな。私が悪いし」


「ん……」



塁は静かに頷くと、ブカブカのTシャツ一枚を身に纏った。

そんな姿で冷蔵庫を漁る為に背伸びなんてするもんだから見てるこっちは気が気じゃない。



「あー、塁?」


「あに?」


「……っ」



コーヒー牛乳のパックにストローを刺してちゅうちゅう飲みながら振り向いた塁に不覚にもドキッとした。

大雑把だから髪も濡れたままだし、肌も火照ってるし……



「ギンも飲む?」


「……いや、いい」



私の返事を聞くと塁は再び冷蔵庫に向き直り、鼻歌なんて歌いながらお気に入りのプッチンするプリンを取り出した。

甘いもんを食べるとすぐ機嫌が良くなるのは昔っからだけど……それにしたって、だ。

さっきあった事もう忘れたのか? とか。

無防備すぎ、とか。色々と頭の中がグルグルして。

……だから、つい聞いてしまった。心の中で掛けていたブレーキを、自分で壊してしまったんだ。



「……なぁ塁」


「んー?」


「お前さ、なんで漏らすまで我慢したんだよ」


「我慢した訳じゃねーって。普通に振り解けなかっただけだよ」


「嘘吐け。本気出せば振り解けるだろ」


「無理だろ、ガタイ差考えろよ。ガキんちょの頃なら兎も角、今のアタシとギンとじゃ子供と大人みたいなガタイ差じゃねーか」


「あー……言う程か?」


「言う程だろ。体重差いくつだと思ってんだ」


「体重の事は言うなー!」


「ぎゃー⁉︎」



一瞬浮かんだ不埒な思考。

それを吹き飛ばしたくて、怒ったフリしていつもの戯れ合いに空気を戻した。

塁の方もそれに引っ張られてか、最後の一口を食べ終えるといつもの能天気な調子で……



「ごちそーさま。よっし、続きやろーぜー」



そんな事を言い出した。



「……いや、私はもう帰るわ」


「えー⁉︎ 勝ち逃げかよー!」


「いやさ、私もズボン汚れちまったし……」


「あ……ごめん」



……私の馬鹿野郎。

なに戻した空気をまた悪くしてんだ。

馬鹿の塁相手なら幾らでも誤魔化しようはあるだろうが。

ともあれ言ってしまったもんは仕方ない。



「そーゆー訳だからさ。今日は帰る」


「おー。じゃ、また明日な!」


「おーおー、明日こそ自分で起きろよ」


「最善は尽くす」


「ったく……」



そんな軽口を叩きながら塁の家を出る。

徒歩僅か数秒の自宅に戻り、着てるもんを速攻洗濯機に突っ込んでシャワーのコックを捻る。

頭と身体を冷やす為に冷水を浴びて。

なのに、さっきの光景が目に焼き付いて離れない。

塁の放った言葉が頭ん中をリフレインする。



『我慢した訳じゃねーって。普通に振り解けなかっただけだよ』


『無理だろ、ガタイ差考えろよ。ガキんちょの頃なら兎も角、今のアタシと銀とじゃ子供と大人みたいなガタイ差じゃねーか』



……そうか。

私が本気になれば、その気になれば……塁は何をされても抵抗出来ないのか。

嫌がっても、暴れても、無理矢理力づくで抑え込めちまうんだ。



「……馬鹿」



ゴツン、と壁に頭を打ち付ける。

じんわりとした痛み。それが脳に伝わって、頭の中に渦巻いていた邪な考えが消えていくような気がした。



「アホ」



ゴツン、ゴツン。

頭の痛みが弱ってきたら、また打ちつける。痛いのは頭か心か……もうそれすら分からないけど。



「私の……馬鹿野郎!」



最後に一発強烈なヤツを壁に打ち込んでからシャワーを止めた。



※※※※※



「おはようございます」


「おはよう銀ちゃん。塁はまだ寝てるから」


「はい、お邪魔します」



翌朝。隣の天宮家にお邪魔する。

別に今日に限った事じゃない。

寝坊助な塁を起こすのは昔から私の役目だ。



「ほら、朝だぞ」



掛け布団を無理矢理ひっぺがす。すると寒さからかそれとも別の要因か……塁は身体を縮こまらせた。



「うー……」



そんな様子に私は思わず苦笑してしまう。

昔っからそうだ。コイツの寝起きの悪さは筋金入りで、毎朝起こすこっちの身にもなってくれと毎度のように思う。

……でも、塁の締まりのない寝顔を見るのは、案外嫌いでもなかったりする。



「ほら、早く起きろよ」


「……んあ? ぎん……っ⁉︎」


「起きたか?」


「お、おー! バッチリバッチリ! 朝飯食わなきゃなっ」


「おいおい、下履けって。おじさんも居るんだぞ」


「お、おー!」



いそいそと短パンを履いた塁はドアを開けると一目散にリビングへと駆け込んでいった。



「塁……」



これが何時も通りの朝なら良かった。

いや、起こすまでは正に普段通りの塁だった。

だけど目を覚ました……いや、私を認識した瞬間、塁は確かに怯えていた。

勘違い、では無いと思う。何度か赤の他人からあんな怯えた目で見られた事があるから。

原因はやっぱり……



「昨日のアレだろうなぁ……」



何しろ幾ら本気で暴れても抵抗出来ない相手が寝起きに目の前に居たんだ。

そりゃあ、ビビる。



「マジで馬鹿な事しちまったな……」

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