どうしても魔法の剣を求めている理由

八柳 心傍

本編

 君は今にも死のうとしている間際に遺す言葉をもう決めているだろうか。


 他ならぬ遺言である。


 今際の際に、家族へ今生の感謝を伝える人は意外にも少ない。


 そういう言葉を伝えようと思い立った時には、感謝の言葉を思いつくほど余裕が無かったり、既に舌が乾ききって言葉が出ない事が殆どだからなのだ。残酷な事であるが、これが真実なのである。


 しかし、稀に自分の思い通りにスッキリと遺言を述べた後で天国へ逝かれる人もいる。そういう一瞬にこそ思い残す事無く、これまで自分と一緒に居てくれた感謝や、格好の好い辞世の句を詠んだりするべきなのだ。けれども、断言して置くが愛の告白などは絶対にするべきでない。ましてや……愛してる……などとはクチにもしてはならない。格別、恋の成就が実っていない間柄であれば。


 遺言だの告白だのとドラマティックな言葉を並べたが、一ツ考えてみて欲しい。もしもこの世がステキな魔法で満ち溢れた世界ならば、そんなモノは一切合切どこにも無関係な話なのである。永遠の命を生きる魔女だとか、二の句を待たぬ惚れ薬だとか、想像するに非常に愉快極まりないのだが、これについては想像を想像のままにしておかないと人間生活の色ンな処が大人を被った幼稚の三文小説みたくなる。


 御伽噺に憧れた子供が



「まるで魔法みたい!」



 ……とも言わなくなる。そんな言葉は無かった事になる。


 何もかも便利な世の中になって、しかもそれが当然の事であるから別段と不思議には思わないし、例えば『灰被りのエラ』や『人魚姫』という愛すべき童話を思い付いた作家が、その界隈ではゴシップやルポライターなんぞと呼ばれる冷たい世界があるばかりになる。


 人間のエゴによって有らしめられた魔法は、不躾にも絵本の中から摘まみ出されて、そうして外気に触れた途端に腐敗する。そういう物に違いないのだ。


 しかし、それでも私には魔法が必要であった。


 肌に合わぬ空気に侵されながら喘ぐ魔法がどうしても欲しかった。


 この世の中には……アブラカタブラ……チチンプイプイ……といった手軽な魔法は無かったが、恵まれた事に、所謂「宝島に眠る宝物」といった感じで確かに存在はしているのだ。その宝物を目指して人里離れた地を何千里も旅をしていたというヤツが私という冒険家なのである。それこそ少年心をくすぐる冒険譚の英雄のように滅多矢鱈に剣を振り回しては、行く手を遮る毒草を切り、黄色く尖った歯を剥き出しにする動物の首を撥ねたりもした。


 しかし、あれほどギラギラと私の意欲を灯していた剣は、今やマトモに手入れもされず、無養生で不潔な湿気に食われてしまいスッカリ錆び切ってしまった。捨てれば良いものを、重荷になる事も考えず私はこれと未だに旅をしている。


 けれども、何も始めから一人で旅をしていたワケでは無い。かつて私には冒険仲間がいた。


 セロシア・メカチャックという奇天烈な名の女性である。


 立てば鶏頭、座ればガザニア、歩く姿は千鳥足。


 彼女ときたら実に名前負けせぬ矛盾と破天荒に満ちた女性であった。けれども、その身なりからは裕福な名家で産まれ育った感じが慥かにあって、いくら彼女が放題に婦人らしからぬ行いをしていようが隠し通せない気品があった。そんな彼女との出会いというのが、あるレストランで偶然にも相席した事が発端なのだ。


 初めのうちは「よく喋るヤツだな」とその意気組みに呆然としていたのであるが、彼女がその財力を勿体ぶらずに発揮して強い酒を椀子蕎麦式に注文し回すものだから、身振り手振りに語ってくれた「魔法の剣」の伝説と、彼女自身の痛快な気質に余計にあてられてしまい、スッカリ骨の髄にまで酒が染みた私達はもう日が暮れているにも関わらず腕を組んで、街中の店にイヤな顔をされつつ道具一式を買い揃えては、思い切りよく不明瞭な旅へ出掛ける事にしたのだ。後日になって、私が時代錯誤にも腰に提げていた剣を見た為に、彼女がその話を切り出したのだと知った。


 山中で獲物を見付けた時や、逆に野盗から目を付けられた時なんぞは「何で鉄砲を買わなかったの!」と文句を言うセロシアと何度も喧嘩した事があった。


 いつだか「魔法の剣が見付かっても、貴方はその剣だけでよろしいんでしょうね」と苛立った彼女から言われた日には絶縁してやろうかとも考えた。私にはどうしても魔法の剣が必要だったのだ。


 曰く、魔法の剣には「正義の剣」という別名と共に伝説の中でこうも語られている。


『かの剣に至りし者、汝のあらゆる所業は善と成る。過去の罪さえも免れる。故に、剣は汝の罪を知っている。忘却と遁走に逃れんとする罪人は、贖罪の機会を永遠に失うだろう』


 私がどうしても魔法の剣を求めている理由。





……私はある農村の一家に産まれた生来の田舎者。


 剣よりも鍬やピッチフォークを握る方が得意で、集めた枯れ草の山で昼寝をするのが何よりも好きだった。そうして暫くしてから目を醒ますと、飼っていた食いしん坊の馬が山を随分崩してしまって、自分が変な寝相をさせられているのが愉快で堪らなかった。そうして起き抜けに大声で笑い出すので、それを知っている幼馴染の娘がいつも遊びに来るのである。


 時折、私を驚かそうとした父が、山で獲ってきた野兎を顔の前に置きっぱなしにしている事があるのだが、その時も悲鳴を上げては失神するので、やはり彼女は来るようだ。


 よく干し草まみれになった私を見て、彼女は暫く腹を抱えて転げ回っていた。口を大きく開けたら、笑うか欠伸をするかばかりの毎日であったのだ。まだ酒の味も知らぬ若い日の話である。


 ある日、夕時になっても彼女が来ないから、近所の子供に「あの子はどこにいるの?」と訊くと、村の東側にある丘へアークトチス……羽衣菊を摘みに行っているのだとか。この季節に東の丘へ行くと、真ッ白な花が辺り一面に咲いているから、その真ん中で寝転がるのが大変心持ち良いのだ。日が沈む前に帰りたい事もあって、私は、父から「乗るのは庭だけにしなさい」と口酸っぱく言われていた馬を駆り出して、その丘まで一直線に駈けた。


 丘に辿り着くと、年中暖かい極楽の国の果物が放つような甘い香りが、東の風に吹かれて私を包み込んだ。銀灰色のシルバーリーフの絨毯と、ポツポツと星のように咲いたアークトチス、風に舞わされた花びらが、夕焼けの仄明るい光を受けて、私は世界の涯に来たようであった。私は馬を走らせながら、夕陽が段々と沈んで行く姿に見惚れていた。そんな具合でいるから、身をかがめて花を摘む彼女の姿にはチットモ気が付かなかったのだ。


 馬の口唇が裂けてしまうぐらいの力で手綱を引かれて仰天した馬は、その文字通りに体を反り返らせたので、まだ騎乗経験の浅かった私は容易く背中から振り落されてしまったのだ。地面に落ちた直後、興奮して暴れ出した馬の足が、伏せた私の首や横腹を何度も掠めたので生きた心地がしなかった。そのうち……ガツン!……という音が私の頭蓋骨に響いて聴こえたので、ついにやられたと思ったのだが、それにしては空気の甘い香りがまだ鼻に残っている……けれども、これとは別に、たまに嗅ぐ事のある変な匂いもした。山から戻った父が手にしている野兎の匂い……。


 怯え切った私の目蓋が弛緩んでくると、開けた視界に彼女の不思議な表情が映った。彼女と私の視線が交わっている。彼女の方も地面に伏せていて、目を大きく見開いたまま身動ぎもせず、アタマから赤い血を流して……私は、死んだ野兎を見た。


 目を醒ますと、寝台の中にいた。横の窓からあの娘の家が見えた。他の家はもう寝静まっていているのに、彼女の家の一室にだけ蝋燭の弱い明かりがポツポツと灯っている。私は幼いながらに彼女が馬の足に蹴られて死んだのだと悟った。


 自室にはあまり帰らないから、積もった埃の甘い香りがした。私は居た堪れなくなって馬厩へ行った。


 大きく積もった枯れ草に埋もれて、馬は苦しそうに横たわっていた。右足首が潰れるように折れていて、添木の当てようすら無い事が一目で分かった。こうなった馬に後が無い事もよく知っていた。あれほど食いしん坊で、昼間は元気に駈け回っていた馬が……こんなに弱々しくなって……。


「お前のせいじゃないよ。ごめんよ。ごめんよ……」


 時間が経つにつれ燃えているように熱くなる馬の身体にしがみつきながら、私は馬厩で一晩を過ごすと、東の丘で朝陽が昇り始めた頃、着ていた上着を馬の顔に掛けて、父の猟刀で馬の眉間を撃ち抜いた。そうして私は、一度だけビクリと震えた馬の身体から弾かれるように村を逃げ出した。


 それ以来、どれだけ美しい花にも心が安らぐ事は無くなった……魔法の剣が手に入ったら、私は一頭も馬を飼わなかった事にして、生来の女好きに産まれた事にする。そうしたらキット生涯、花や夕陽に見惚れてよそ見はしないだろうから……魔法と言えば、この剣にも魔法が掛かっている。だから畢竟する処、これを捨てる事が出来ないのはキット魔法のせいに違いないのである。世にも邪悪な魔法に憑りつかれているせいなのだ。


 剣は一度も手入れをしなかった。そのうち錆びた刃が勝手に折れてしまう事を願っていたからだ。そうしない限りは、私はどうしてもこの鉄の剣を手放す事は出来そうに無かった。





 それから数年後にセロシア・メカチャックと出会ったのであるが、彼女にこの事は話していない。彼女が剣を求める理由も聞いた事が無い。私達の間にはそういう琴線じみた不文律があった。


 だから、いつしか彼女が魔法の剣へ向ける欲求を薄れてさして来ている事に気が付いた頃には、もう既に手遅れであった。他人には悟られぬほど機微な感情の移ろいであったが、最初に酒を交わした晩の彼女を知っている私には、セロシアから剣への情熱が確実に失われている事が分かった。


 ついに魔法の剣の在処が明らかになった日の事である。


 私達は、宝の所在から少し離れた所に偶然にも営まれていた古い宿に泊まる事にした。ここから西に向かって少々盛り上がった小山の麓に宝が眠っている。その事実から喜びに打ち震えた私とは対照に、セロシアの心は微動だにしていなかった。私はこの時の喜びが、感情の度合いをそのままに憤りへカタチを変えてしまうのを感じた。


 そんなふうだから、私は心にも無い事を言ってしまったのだ。


「お前のホントウの願いは何だ……どうして。何故。君は嬉しそうじゃないんだ」


 今まで表情にも出さなかった不満が、ここに来て暴露した。


 だってそうじゃないか。私達には共通の憧れがあった筈だろう。それがどうして、イツの間に、私ばかりが恋焦がれる夢になってしまったのだ。この冒険は君にとってドウデモ良くなってしまったのか。


 冒険を共にしてから初めて相手を刃物で刺すような言葉を放った私に、セロシアは心底驚愕したといった顔をしながら、彼女自身も心のどこかでこうなる事を予想していたようでもあった。彼女はみるみる俯きがちになって、暫くしてから絞り出すようにこう言った。


「わ、私は……私はもう良いのよ。だってもう必要がないから。使ってしまったら全部が無意味になる事をようやく分かったから……」


 ついに堪忍袋の緒が切れた私はこう言い放った。


「だったら、もう君と私の冒険はここでおしまいかも知れないな」


 その時の彼女は表情は二度と忘れない。死んでしまったように弛んだクチが開いて、顔が一息に蒼褪めて行った。直ぐにマズイと思った私は、それが見ていられなくなって、逃げるように寝床へ就いた。





 翌くる朝、どこにもセロシアの姿は無かった。


 昨晩、私が酷い事を言ったせいである。宿の主人に話を訊いてみると、まだ空が青暗い時に彼女が西の小山へ向かった事を知った。どういう訳か、彼女は私を差し置いて宝の場所に向かってしまったのだ。私は取り返しのつかないような悪い予感がしたので、主人には申し訳が立たない事をしたが、宿の小屋に飼われていた馬を黙って連れ出した。この時は、最後に騎乗した日よりも早く走れた気がする。


 目の端に白くて美しい星が映った。


 手綱を横に切れば、直ぐにも手が届きそうな所に満点の星がある気がした。空が橙色に色付き始めると、後ろから追い風が吹いて来て、極楽から運ばれたような甘い匂いが香った。それでも、私は一度も振り返ることなく宝の場所を目指した。


 目当ての場所に辿り着くと、まるで宝石の鉱床かと思われるほど煌びやかで美しい剣の数々が小山の斜面に突き立って……紅色に空色、緑に黄金、水晶に黒雲母等々……そういう百年に一度産まれるかしないかという傑作が選り集められていた。その小山の麓に私よりアタマ三個ほど低い石碑が建っており、表面には私がよく知っている言葉が彫刻されていた。


『かの剣に至りし者、汝のあらゆる所業は善と成る。過去の罪さえも免れる。故に、剣は汝の罪を知っている。忘却と遁走に逃れんとする罪人は、贖罪の機会を永遠に失うだろう』


 その後に、彼女から聞かされた覚えのない一文が添えられている。


『真実の剣を選び取った者に約束は果たされる』


 つまり、この剣の中から魔法の剣を見付け出すという事が、この冒険の最後の試練なのだ。


 田舎育ちの私には、どれも目が眩むような美しく精巧な剣ばかりである。上流の審美眼をもったセロシアなら、もう本物を見つけ出しているかも知れない。しかし、それなら彼女はどこにいるのだろう。


 よく目を凝らしてみると、剣だらけの山の中に彼女がいた。棺に入った体のように肌から生気を失ったセロシアが、白い花々に埋もれて横たわっている。高い所から転がり落ちたのだろう。突き立った剣に体中を浅く切られている。


 私は直感した。伝説に語られる一文、「贖罪の機会を永遠に失う」とは、つまり剣の選択を誤れば命を落とす事になるのだと。しかし、そんな事など今は重要ではない。


 セロシアの肩を揺さぶって必死に呼び掛けると、幸いにもまだ息があった。彼女は掠れた声で私の名前を呼んだ。それから、じっと私の目を見つめると、肺に残った空気を絞り出すように言った。


「……私の罪は、沈黙……誰にも何も言わずに遠出して、貴方にさえ何も言わずに冒険を続けた。言葉にしない事は罪なのよ。言葉にする事を躊躇うから、人って生き物は自分勝手に動き始めてしまうの……でもね。やっぱり、こればっかりは言えないよ。こんなんじゃ言えない……そんなふうだから、私に下った罰も沈黙だったのね……」


 セロシアは夜明けの光を受けた金色の涙を流して、静かに目を閉じた。私は、彼女の遺体を強く抱き上げて、光も差さぬ自分の陰の中にポツポツと涙を落とした。


「……お前のせいじゃないよ……」


 前にも、好きな馬が死んだ時にもこう言った気がする。


「お前のせいじゃない……」


 私は、誰かの罪を赦してやれるほど偉い男ではない。


 そう言葉を掛けてやれるような資格がない。


 思えば私のこれは、他の誰でもない私自身の独り言に過ぎないのだ。私が誰かに言って欲しかった言葉なのだ。罪から免れたい、その一心で逃げてばかりの人生だった。それが分かって、私は途端に情けないやら悔しいやらで、滅茶苦茶になった涙がまたボロボロと流れてきた。


 そうしていると、抱き上げた彼女の遺体の下に、世にも美しい純白の剣を見た。


 清廉潔白。他の花よりもずっと澄んだ白をしていて、どんな大罪すらも洗い流してしまいそうな神秘的な芸術を感じた。確かにあの小山に突き立っている剣の中でも、これが一番そう思える。


 これなら私の罪を許してくれそうだ、と。


 吾知らぬ間に、手がその剣へ伸びていた。


 この指が剣に触れるかしない時に、私の涙がその刃へポタリと落ちた。一滴のまま、零れて落ちて行かない私の後悔と悲痛の塊をじっと見つめていたら、段々とそれが莫迦ばかしく思われて来た。


 私は今、死のうとしていたのだ。


 きっとこれはセロシアが小山から選び取って、その結果にこうして死んだものだから私も気持ちよく死んでしまえると思い込んでしまったのだ。その遺言が「お前のせいじゃない」なんぞと、実に男の風上にも置けぬヤツなんだろう。


 セロシア・メカチャックは最期に、あんなにも勇敢に自分の罪を告白したのに。


「そうだとも、私のせいだ。


 大切な友達を馬で蹴り殺してしまったのは、私が格好を付けたいばかりに父の注意を聞かなかったからだ。だから、あの子は私の虚栄心が殺したのだ。


 飼っていた馬が死ななければならなかったのは、私がそういう都合を押し付けたからだ。あの子を殺したのは馬なのだと思っていたかったから、遣りようがない苦しみの為に馬の首を撥ねたのだ。だから、あの馬は私の傲慢が殺したのだ。


 それで、それで……セロシアもまた私に殺された。あんな酷い言葉を言うべきじゃなかった。あれは本心じゃないんだ。君と冒険した日々は楽しかった。あんな酒の席で乱暴に始まった旅だったが、一度だって後悔した事はない。私も、これで冒険を終わりになんてしたくない……」


 私は足元にある、アークトチスの花々に埋もれた純白の剣を見た。


 あの剣の丘を見上げた。


 それから、初めてセロシアと出会った時、酒に頬を赤らめた彼女が心底楽しそうに魔法の剣の伝説を語っていた日を思い出した。



『――故に、剣は汝の罪を知っている』



 私は、どこにも魔法の剣がない事を今になって悟った。


 彼女が選んだこれほど清い剣でさえ違うというのだから、あの丘に偉ぶって突き立つ豪華絢爛な剣がそうである筈は無いのだ……剣は汝の罪を知っている……罪を知っている。


 罪を知っている者、罪を犯した者の心には罪悪感がある筈だ。


 だから、罪の重責に苛まれて今にも砕けてしまいそうな姿をしている……。


 私は腰に提がった剣を握った。


 芯の髄まで錆びたこの剣こそが、私の心だ。


 西の丘に向かって叫ぶようにそう訴えかけた。


 ここにあった剣のどれもが値千金の価値を持ち、御伽噺から持ってきたような美しさをしているが、そのどれもが私達の罪を知らない。だから、過ちは正せない。罪は、罪を知っている者にしか償う事は出来ない。そんな矛盾ばかりの人間のエゴを、綺麗でしかない、何の冒険も物語もない剣に救う事はできない。


「もう逃げる為に明日へ生きて行くのはやめるよ。あの罪を犯した男は、どれもが私なんだ。今正にこうして悠々と生きている私と、一直線に結ばれた私自身なんだ。それをもう忘れない」


 だからセロシア、また冒険しようよ。


 これからも、明日も……。


「愛してる」


 今更、無意味な告白だ。


 それでも彼女が生きているうちに言ってみたかった。


 こんなに綺麗なアークトチスの白い花園と、シルバーリーフの銀灰色、それを暖かく照らす朝陽の姿。冒険の中で少しずつ育って、ここで花咲いて、ここで散って、ようやく実った恋心をここで打ち明けられたらどれほど良かっただろう。この一面に咲き誇る白の中で、埋もれて見失ってしまいそうな白ガザニアの君に、私は脇目もふらずに見惚れていた。その事を伝えたかった。


 東の風が吹いた。


 甘い香りが私を包み込んで、白い花弁が空に散った。


 置き去りにした過去が私に追い付こうとするように、夜明けの空に幾星霜の星が流れた。


「まるで魔法みたいね」


 私の腕の中で、彼女も星空を見上げている。


 彼女は冗談めいた笑顔をして「空の事じゃないわよ」と言った。


「ずっと昔、また会ったら言おうと思ってたの。貴方とおんなじこと」

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