第22話 追い込み

 目の前で妖魔が不気味な唸り声をあげ、再びこちらに向かってくる。あまりにも大きなその影が、俺を一層深い闇の中に閉じ込めるように覆いかぶさってくる。


「おやおや、どうしたの? その程度で強くなれると思ったの?」


 氷結先輩の冷たい声が背後から響き渡り、肌が粟立つような感覚が広がった。


 俺が追い詰められているというのに、彼女の声には一片の情けもなく、むしろ面白がっているかのような響きがあった。


「まだそんな無様な戦いしかできないのかしら。あなたが欲しがった“強さ”って、そんなもので手に入るとでも?」


 俺の動きが鈍るたびに、彼女は冷たく笑い、言葉の一つ一つがまるで刃のように俺の心を切り裂く。


 目の前で妖魔が吠え、牙を剥き出しにして突進してきた。その瞬間、全身に激しい痛みが走る。


「ぐあっ……!」


 妖魔の爪が俺の腕を掠め、血が溢れ出す。痛みに顔を歪めながらも、必死に後退し、距離を取ろうとするが、妖魔は怯むことなく再び襲いかかってくる。


 逃げ道がない。恐怖と絶望が俺の中を満たし、立ち尽くすしかなかった。


「もう終わりなの? 諦めてしまうの?」


 氷結先輩は口元に冷たい微笑を浮かべながら俺を見下ろしている。彼女の瞳には、まるで俺の苦しみそのものが楽しみであるかのような冷酷さが滲んでいた。


「あなたが求めたのは、強くなるための力でしょう? それを手に入れるためなら、死ぬことも厭わない覚悟があるんじゃないの?」


 彼女の言葉が、嘲笑のように響き渡る。全身に激しい痛みが広がり、視界が滲む。自分が力を求めたことで、この地獄のような試練を受けているのだと、嫌でも理解させられた。


「もしあなたが本当に力を望むなら、進むしかないのよ。この妖魔を倒し、私にその意志を証明してみなさい」


 その言葉に、俺はなんとか立ち上がろうとした。だが、体が言うことを聞かない。傷口からは血が止まらず、手足に力が入らない。


 妖魔はそんな俺を見下ろすように近づき、口元から唾液を垂らしながら低い唸り声をあげた。まるで俺を玩具にするように、じわじわと間合いを詰めてくる。


「早くしなさいよ。私に力を証明するんでしょう?」


 氷結先輩の言葉に促され、必死で魔銃を構えるが、震える手が定まらない。妖魔がまた一歩近づき、鋭い爪を振りかざしてきた。


「くそ……!」


 俺は引き金を引いたが、弾はわずかにそれ、妖魔の肩を掠めただけだった。妖魔は怒り狂ったように吠え、再び爪を振り上げて襲いかかる。


「ああ……やはり、期待はずれだったかしら」


 氷結先輩の冷たい声が、絶望に満ちた俺の心にさらに重くのしかかる。彼女の目には俺の無力さを軽蔑するような光が浮かび、嘲笑を隠すことなく俺を見下ろしている。


「そうね……あなたには無理だったのかもしれないわ。強さというものを、甘く見ていたのよ」


 彼女は残酷なまでに冷たく、俺の無力さを突きつける。その視線が痛いほどに突き刺さり、もう逃げられないと感じた。


 だが、ここで倒れるわけにはいかない。俺は、どうにかしてこの地獄のような試練を超えなければならないのだ。力を手に入れ、仲間を守るために、絶対にここで終わるわけにはいかない。


「俺は……絶対に強くなる……!」


 再び気力を振り絞り、魔銃を握り直す。だが、氷結先輩は冷ややかに微笑みを浮かべるだけだった。その瞳には期待も、助けの意志も見られない。


「どうかしら? 本当にあなたが強くなれるのか、見せてちょうだい」


 その言葉に応えるように、俺は傷つきながらも妖魔に向かって突進する。だが、妖魔は容赦なく俺を吹き飛ばし、さらに攻撃を加えてくる。全身が痛みに包まれ、意識が遠のきそうになる。


「うっ……!」


 地面に倒れ込みながらも、必死で体を動かす。俺が求めた強さが、こんなにも冷酷で残酷なものであるならば、俺はそれでもこの道を進むべきなのだろうか。


「もう限界なの?」


 氷結先輩が冷たい声で問いかける。俺の絶望と苦しみが、彼女にとってはただの遊びのように見えているのかもしれない。そのことが、どれだけ胸糞悪いか理解させられる。


 俺が倒れるたびに、彼女は冷ややかな言葉で俺を責め続ける。


「あなたの強さへの憧れは、ただの幻想だったのかしら? 本当に力を得たいのなら、この程度で音を上げるはずがないでしょう?」


 その言葉が、俺の胸に突き刺さり、痛みが一層増した。だが、今はもう、彼女の嘲りにすら抵抗できる力が残っていない。俺の視界はどんどん暗くなり、全身から力が抜けていくのを感じた。


「強さとは、そう簡単に手に入れられるものではないわ。あなたが本当に望むのなら、まずはその弱さをすべて捨てなければならないのよ」


 その言葉が、まるで最後通告のように耳元で響いた。俺は、どうしても立ち上がれない自分を呪いながら、暗闇の中で意識を失っていった。



 身体の痛みが容赦なく襲いかかり、何度も立ち上がろうとするも、足が動かない。傷口から流れる血が冷たく滲み、痛みは次第に感覚そのものを麻痺させていく。意識がぼやけ、視界もかすんできた。


「……これが……俺の……」

「終わり?」


 氷結先輩の冷たい声が、遠くから聞こえてくる。だが、その声すらもだんだんと歪んで聞こえ始め、耳の奥で何かが割れるような音が響く。


 見上げた視界の中で、氷結先輩の姿がゆらゆらと揺らめき、まるで妖魔そのもののように変わり始めていた。冷たい視線の奥に、闇のような黒い瞳が広がり、彼女の顔が不気味に歪む。


「……あなたの覚悟って、この程度だったのかしら?」


 その声が、まるで嘲笑うかのように響く。彼女の表情が一瞬にして凶悪な獣のような顔に変わり、その唇が醜悪な笑みに歪んでいく。俺は思わず目をそらそうとするが、全身が凍りつくように動かない。


「強くなりたいと望んだのは、あなた自身よ。その代償が何か、考えもしなかったの?」


 彼女の声が耳元で囁かれ、その冷たい息が首筋を刺すように感じられる。彼女が、いや、目の前にいる“何か”が、俺をじっと見つめている。その瞳の奥には、狂気と悪意が満ち溢れているように見えた。


「あなたが闇を望んだんでしょう? なら、その闇をその身に刻みなさい」


 氷結先輩の姿が次第に黒い霧に包まれていき、その形がどんどん異様なものへと変貌していく。長い髪が蛇のようにうねり、瞳は深い闇の底からこちらを睨みつけてくる。体の感覚が完全に麻痺し、俺の意識がじわじわと闇に飲み込まれていくのがわかる。


「いやだ……俺は……強く……」


 力を振り絞って抗おうとするが、全てが無駄だと知る。俺の中にあった希望も、意志も、次第に闇に染まっていき、自分が何を望んでいたのかさえ分からなくなってくる。


「あなたはもう、闇に囚われたのよ」


 氷結先輩の声が、どこか遥か遠くから聞こえてきた。だが、その声すらも今や何か禍々しいものに変わってしまっている。彼女の姿がどんどん変わり、黒い翼を広げた悪魔のように見える。


「……やめろ……」


 俺はかすれた声で呟いたが、彼女は容赦なく俺を闇の奥底へと引きずり込むかのように、冷たい笑みを浮かべて近づいてくる。彼女の手が俺の肩に触れた瞬間、全身に凍えるような冷たさが走り、心まで凍りついてしまいそうだった。


「これが……強さを望んだ代償よ。あなたはもう、戻れない」


 彼女の瞳が闇の深淵を宿し、俺の魂をじっと見つめている。そこにはもう、かつて見たことのない冷酷な光だけがあった。俺の心は、その瞳に捕らわれ、抗うこともできないまま、闇へと沈んでいった。

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