第19話 誘い

 数日間、俺は学園内で氷結先輩の姿を追い続けていた。


 彼女がどうしてあの冷徹な力を手に入れたのか、その理由を知りたい。けれど、ただそれだけじゃない。


 あの日の戦いで無力だった自分への苛立ちと、仲間を守りたいという願いが俺を突き動かしていた。


 氷結先輩の行動には、何かしらの規則性があるようで、しかしそれは決して単純ではなかった。


 彼女は、授業が終わると周囲の視線を避けるようにして、学園の誰も立ち入らないような場所ばかりを巡っている。


 古びた塔、人影のない中庭、そして封印が施された廊下の奥。


 そこに隠された秘密を知っているのは、学園内でも彼女だけかもしれない。


 ある夜、俺は彼女が塔の近くに現れるのを見て、物陰に隠れながら慎重に尾行していた。


 廊下に灯る明かりが彼女のシルエットを映し出し、冷たい夜の空気が重く感じられる。


 彼女はまるで誰かを待っているかのように塔の前で立ち止まり、しばらくの間じっとしていた。やがてゆっくりと振り返り、こちらを見つめる視線が鋭く突き刺さる。


「……」


 その目がこちらを捉えた瞬間、まるで心臓を鷲掴みにされたような感覚に襲われ、息をすることさえ忘れそうになった。


 彼女が俺の存在に気づいたのか、意図的に見つめているのか、それすらも分からなかったが、そのまま静かに姿を消してしまった。




 次の日も、彼女は同じように学園の中を巡っていた。


 俺は再びその後を追うが、どうしても彼女の動きについていけない。


 氷結先輩はまるで俺の尾行を察しているかのように、いつも一瞬の間に姿を消してしまう。


 けれど、あの日の戦いの光景が脳裏に焼きついている以上、ここで諦めるわけにはいかない。


 自分も彼女のような力を手に入れるために、どうしてもその秘密に近づきたいんだ。



 その夜、再び彼女の後を追っていると、彼女は学園の境界線近くまで足を運んだ。誰もいない静寂が辺りを包む中、彼女がこちらを振り返る気配を感じた。


「……そこまで私のことを追う理由、教えてくれる?」


 静かな声が夜空に響く。


 その声にはいつもの冷たさだけでなく、どこか不気味な響きも感じられた。俺は一瞬言葉を失ったが、意を決して言葉を返した。


「俺、先輩のように強くなりたいんです」


 彼女の表情は変わらず、その目はただ冷たくこちらを見据えている。


 しばらく沈黙が続き、冷たい風が肌を刺すように吹きつける。


 彼女の視線がまるで俺の魂を見透かすように感じ、心臓が痛むような気持ちにさせられた。


「ねぇ、あなたは本当に“闇”に近づきたいのかしら?」


 その問いは、まるで試されているかのようだった。彼女の目に吸い込まれるように見つめ返しながら、俺は小さく頷いた。迷いはなかった。


 あの力を手に入れることで、自分が守りたいものを守れるなら、どんな代償でも構わない。


「強くなるためなら……俺は何だってやります」


 その言葉に、彼女はかすかに微笑んだ。しかし、その笑みは冷たいだけでなく、どこか遠い悲しみを帯びているようにも見えた。


 そして、一瞬の間を置いてから、彼女が俺の方に一歩近づいてきた。


「ならば、少しだけ教えてあげるわ。闇の力がどんなものなのかを」


 彼女はそう言うと、そっと俺を抱きしめた。


 その行為は、まるで闇の底に沈む者を誘う手のように感じた。


 体が凍りつくような冷たさが全身に染みわたり、心臓の鼓動が徐々にゆっくりと弱くなっていくのを感じた。しかし、奇妙なことに、冷たさの中にどこか甘い誘惑が感じられた。


「闇の力は、確かに力を与えてくれる。でも、その代わりに心の奥底を蝕んでいく」


 彼女の囁きが耳元に届き、全身が軽く震えた。


 理性を冷やし固めるようなその言葉が、まるで毒のように染み込んでいく。


「それでも、力が欲しいの?」


 彼女の瞳が俺の瞳をじっと見つめ、冷たい風が二人の間を通り抜ける。その問いに、一瞬の迷いもなく、俺は答えた。


「……欲しいです。強くなるためなら、どんな犠牲も覚悟します」


 その答えに、彼女は一瞬だけ微笑みを浮かべたが、その笑顔は温かさとは程遠いものだった。彼女が再び耳元で囁いた。


「ならば、私があなたを深淵に案内してあげる。けれど、その道を選んだ瞬間、もう後戻りはできないわ」


 彼女の腕が再び俺の体に触れた瞬間、冷気が全身に染みわたり、頭の中に暗闇が広がっていった。


 その暗闇の中には、計り知れない力が渦巻いているのを感じる。


 そして、その力が俺の意志を試すかのように、じわりと心に迫ってきた。


「あなたの望みが真実であるなら、その先には……」


 彼女は呟き、俺をそっと抱きしめた。


 冷たさに満ちたその抱擁は、まるで俺を深淵へと引き込む闇の誘いのように感じた。全身が闇に覆われ、意識が薄れていく感覚が広がっていった。

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