第4話 歪み

 手に残る感触は、田島を撃って人を殺したというものだった。


 だからこそ、俺は討伐したことを知らせるために、田島の家を訪れることにした。本来、闇に堕ちた者、つまり妖魔になった者の扱いは病死とされる。それは世間的にも病で亡くなったという形にした方が良いからだ。


 田島一たじまはじめ、彼の家族に知らせる義務があると感じた。友人を殺してしまったという罪悪感と、彼の両親が一を失ったことで悲しんでいるだろうという思いが胸に渦巻いていた。


 だが、田島の家に着いたとき、何かが違っていた。門は固く閉ざされ、家の中からは物音一つしなかった。まるで人が住んでいないかのような静寂だった。


 俺は何度か門を叩いてみたが、返事はなかった。仕方なく、裏口へ回ると、庭にいた使用人らしき男が俺に気づいた。


「すみません。田島一の家の方ですか? 俺、彼の友人で……」

「田島一? ああ……」


 男は一瞬、顔を曇らせたかと思うと、無表情になり、冷たい声で言った。


「その名前の者は、もうこの家にはおりません。家族としてもいないことになっておりますので、どうぞお引き取りください」


 その言葉に、俺は立ちすくんだ。


「いない……だと? 田島一は、昨日まで……」


 信じられない気持ちで言葉を詰まらせた俺に、男は怒りに顔を歪めた表情を浮かべた。


「田島一は家族の期待に応えられなかった。魔道士の家系に生まれておきながら、固有魔法に目覚めることができなかった。つまり、この家では存在しない者として扱われております。これがこの家の掟です。どうぞお引き取りください」


 男の冷たい言葉に、俺はただ呆然とするしかなかった。


 存在しない者……。


 魔道士としての力を持たなければ、たとえどれだけ努力しても、その人間の価値は失われ、家族からも見捨てられるのか……。


 俺は強烈な違和感と怒り、そして悲しみを感じた。田島は家族のために、魔道士になろうと努力してきた。だが、それができなかったというだけで、家族に捨てられ、いない者として処理されてしまったのだ。


 妖魔に堕ちた原因を垣間見た気がした。


 魔道士としての才能がなければ、この世界では何の価値もないのか? 絶対にそんなことはないはずだ。家族にすら、自分の存在を消され、そして田島は追い詰められて闇に堕ちた。


「田島……お前、こんなことになるために頑張ってたわけじゃないだろ……なんで相談してくれなかったんだ」


 俺は拳を握りしめ、胸の中に湧き上がる感情を抑えようとした。この世界は歪んでいる。魔道士になれなければ、存在すら否定されるなんて……。


 田島は、ただ家族のために、誰かの役に立とうとしていた。だが、それが叶わなかった瞬間、存在ごと切り捨てられた。それは、まるで人間としての価値が魔法の才能によって決まってしまうかのような世界の残酷さを突きつけられた瞬間だった。


「闇に堕ちる……妖魔が生まれる原因は闇だけじゃないのかもしれない」


 俺はその場を後にしながら、胸に強い無力感を覚えた。この世界の歪み、その闇はあまりにも深く広がっている。家族さえも犠牲にするほどの闇に、俺自身も飲み込まれてしまいそうな気がした。


 だが、それでも俺は……。


「田島、俺はお前のことを忘れない」


 俺は決意を新たにし、拳を握りしめた。この歪んだ世界で、俺は自分を見失わないように、そして、田島のように闇に堕ちないように戦い続ける。


 ♢


《side神楽真》


「静かにして、真……大丈夫、ここで隠れていればいいの……」


 姉さんはいつも優しくて、僕を守ってくれる存在だった。そんな姉さんが声を押し殺して囁いた。


 僕はその声に少し安心したけど、胸の中は恐怖でいっぱいだった。震える体をなんとか抑えながら、物置の隅で小さくなっていた。


 外では、何かが壊れる音が続いていた。ガタガタと、重い足音が近づいてくる。姉さんは僕の前に立って、じっと玄関の方を見ている。いつもは優しい笑顔を向けてくれる姉さんなのに、今はその背中が恐ろしく張りつめていた。


 ばきッ! がっしゃーん!


 家の中は突然現れた化け物に破壊されていく。扉が吹き飛ばされ、僕はびくっと体を震わせた。思わず口元を手で押さえた。目をぎゅっと閉じて、何も見たくなかった。


 でも、薄目を開けてしまった。


 そこにいたのは……狼のような頭に、人間のような体をした、恐ろしい異形の存在がいた。赤い目が暗闇の中で光っていて、その獰猛な口元には血がついていた。まるで、どこかの獣が人の形を取ったみたいな恐ろしい存在。


 あれはなんだ? 魑魅魍魎ちみもうりょうなのか? 恐ろしくて恐ろしくて、姉の後ろに隠れて震えることしかできなかった。


「……大丈夫、真……ここに隠れていて……」

「姉さん?」


 姉さんの声も震えていた。でも、それでも僕を守るために優しく声をかけてくれる。僕は怖くて、何もできなかった。ただ、震えるだけで。


 だけど、薄目の先で、お母さんとお父さんを頭から喰らう狼の姿が見えてしまった。


「お母さん……お父さん……」


 僕の声が漏れてしまった。しまった、声を出してはいけなかったのに。


 その狼のような化け物が、耳を動かして、こちらに顔を向けた。赤い目が僕を捉え、冷たい視線が突き刺さる。


「真……! お願い、ここにいて!」


 姉さんは僕を守るために物置を飛び出していった。僕は涙がこぼれそうになりながら口元を抑えた。死にたくない。姉さんが、何もできない自分が情けなくて、怖くて、ただ姉さんにしがみつきたかった。


 でも、次の瞬間、化け物が姉さんに向かって飛びかかった。


「やめて! お願い、やめて!」


 姉さんが叫んだ。でも、狼のような獣は止まらない。鋭い爪が姉さんに振り下ろされる。


 姉さんも食われてしまう。そう思った瞬間、僕の中で声が囁いた。


《力が欲しいか?》


「えっ?」


《力をくれてやろう。姉を守りたいのであろう?》


「うん。僕は姉さんを守りたい」


《ならば、立て。そして、黒刀を取るのだ》


 黒刀が宙に浮いていて、手に掴んだ。そこからの記憶はあまり覚えていない。ただ、左手には巨大な狼の首と、右手には黒刀。そして、足元には母と父だった亡骸に、気を失った姉が倒れていた。

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